東京・九州ブルートレイン★135レ
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この前鹿児島中央から小倉まで特急乗り継ぎで乗り通したけど、車窓は結構変化に富んでいて退屈しなかった
前の日にあまり寝られなかったから所々記憶が飛んでるけど
10時前に鹿児島中央を出て17時過ぎに小倉に着いたが、まぁ楽しかった 目的地が鹿児島なら、普通は鹿児島本線経由を選ぶわな
はやぶさが短縮される前なら乗り換えなしで行けたんだし 東海岸は別府湾くらいで、都農以南の日向灘は見え隠れしてよく見えない。 >>474 竜ヶ水辺りの錦江湾は東海岸とは言わないか・・ 富士といえば、一日一往復にもかかわらず、同一列車と二度すれ違ってたな。 さくら はやぶさ みずほ 富士 いなば が復活したし
あさかぜ や 紀伊 も復活しないかなぁ つるぎも復活してるぞ
あさかぜ、あけぼの、あかつき、ゆうづるは時間帯が限定されるから使いにくそう 札幌開業で札幌行きは「おおぞら」か「おおとり」か
それとも「ほくと」か。「はくつる」「ゆうづる」は
何か違う。 >>476
トワイライトエクスプレスも連日運転日は二度すれ違っていた >>478
あけぼのは北上線急行の時代もあったけどね >>479
ひらがなで「ほくと」はカッコ悪いわ。きのこ会社か?
いい加減、新幹線愛称の漢字使用解禁すれよ。 >>483
そもそも新幹線は日本を代表する鉄道なんだから本来漢字愛称のほうが相応しいと思う
戦前の特急なんかは漢字表記が正式だったし 「朱鷺」だと書けない・・・
まさか、この板で読めないってやつはいないだろうなw 窓口できっぷ買うときに面倒臭くないようひらがなにしていると聞いた。でも、昔は急行列車は大抵漢字だったな。 >>479
小樽周りなんだから
ほっかい か ニセコ の方だろ
或いは ライラック か 昭和30年代の貧弱な情報処理機器の能力で考え出された案
販売枚数の多い昼間優等列車・特急は極力「ひらがな」とされた
都会では機器側・末端では手書きのため
しかし、情報処理機器が急速に発達したため、昭和40年代に入るとそれもむやむやになった 望 光 木霊
瑞穂 桜 線路星 燕
疾風 隼 山彦 青葉 那須野
小町 翼 朱鷺 朝日
白鷹 浅間 輝 剣 >>492
線路星 があるなら
最大 は何故無い? 列車愛称の分類を大雑把に分けると、地名、山岳、鳥類、動物、植物、天文、天体、物理現象、人名となるが、
文殊は初の神仏系?こだま、やまびこは物理現象なのか、木霊、山彦という精霊なのか、
のぞみも分類が難しいな。 >>454
レッツゴーターキンの単勝を100円だけ買ってたことならある >>476
遅レスごめん、富士同士だけでなく富士と彗星も二度すれ違い。
上下ともに深夜の福山あたりと、日中の青井岳あたり。
たしか夕方の交換がRF誌の表紙になってた。 これに価値を見出だせない
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博多あさかぜを臨時格下げにしたときに
同時に14系の付属編成も撤退したからこの理論はそれなりに正しいのかもしれない
>>323
93年の夏に遅れや運休が続出したこととが見直し論が出る決定的な原因になった話がある >>507
>93年の夏に遅れや運休が続出したこととが見直し論が出る決定的な原因になった話がある
93年は春の改正で食堂車を全面的に廃止したのもあって衰退が著しかったので、
付帯した原因だろう。
国鉄時代の看板列車が、特に両端の東日本・九州ではお荷物扱いだった。
九州ではその前に、日中の特急がブルトレを追い抜くダイヤを組んだのも大きい。
国鉄時代も九州内で速くはなかったが、追い抜かれるダイヤにはしなかった。
あと阪神大震災で長期運休しても、全く影響がなかったのも原因の1つ。 懐かし板になってからまで「ぼくのかんがえたそんぱいろん」はやめてくれ。うっとい。 >>509
だったらこのスレに来るな!バカヤロー! なんか「しゃおぱいろん」が見えたような気がするが、気のせいか もしはやぶさが長崎編成もある時期は
さくら・はやぶさとして運行されていたら
どうだったのだろうか 今日的に考えると列車は東京ー博多を5本くらいにして
博多で西鹿児島行、長崎行、大分行などの急行や特急などに接続する方式でも良かったのかな?
逆にもし青函トンネルが昭和40年代前半に開通してたら
上野ー網走、上野ー釧路、大阪ー網走、大阪ー釧路を結ぶ列車が誕生していたろうか? >>515
地方都市にしてみれば、東京行き直通が走ってることがステータスの時代あったから。
鉄道の廃止に反対も、時刻表の地図に載らなくなることに危機感を覚える自治体が
多かったのが最大の理由。なので、鉄道に関してはハブアンドスポークは無かった。
航空網もハブアンドスポークの発想は時代遅れになりつつあるし、今でも新幹線の
直通を求めているだろう。 >>515
山形新幹線や秋田新幹線にケンカ売る発言だな
今日的に直通が欲しいからミニ新幹線化して
自治体負担でも新庄延長とかしてるのに >>517
寝台特急が新幹線のように在来線特急より速ければ、そうかもしれんが、
実際は急行並みの所要時間だったから、ちょっと違うんじゃね? 名古屋駅にエスカレーターとエレベーターを常備し、
581・583系を2段化改造し、
新幹線乗り換えの対価として途中払い戻し不可の通し特急料金として割り引いてやれば、
昭和57年11月改正から東京発着九州ブルトレの大半(あさかぜ以外)は名古屋発着となった
「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「富士」
ただし最高速度120km/hね
荷物が集約されるあさかぜは台車を履き替えたマニ50を連結
ただ分割民営化の際に急きょ作られた(仮称)名古屋会社が短区間しか乗り入れないことで反発
また、しらさぎの件も合わさったため仕方なく
一部列車以外は岐阜駅が境界駅となるも共同使用駅で、岐阜−「稲沢西」間に単線の(仮称)大阪会社用優等旅客線を設置し、名古屋駅構内も稲沢線用ホームが設けられるとても面倒なことになった
この関係でしらさぎ用折り返し整備場所とされた名古屋貨物ターミナル駅まで(仮称)大阪会社が電化して保有
しかし、車両製造からだいたい25年を経過した1995年頃から老朽化が目立ち始め、阪神淡路大震災もあり、
1997年11月をもって、「みずほ」は名称廃止・「さくら」佐世保発着廃止・「はやぶさ」熊本−西鹿児島間廃止
「富士」大分−南宮崎間廃止だが客車・東京発着化、「博多あさかぜ」東京−名古屋間廃止だが電車化
2001年3月
ネットダフがひどくなり、寝台特急は全てバス発券システム側へ入れられる
「さくら」「はやぶさ」が585系へ・「博多あさかぜ」が683系へ変更される
これにより名古屋側の大垣回送往復が始まる
2001年10月 「富士」「下関あさかぜ」が583系へ変更される
2011年3月 「はやぶさ」「下関あさかぜ」廃止、「富士」東京−名古屋間廃止だが585系化
2015年3月 「しらさぎ」の関係から、「博多あさかぜ」の683系が681系へ変更される
2022年3月予定 名古屋特急運用廃止(関西ブルトレへ統合)。大垣総合車両所西名古屋派出所閉鎖。通称「大稲沢線」JR東海へ移管
と言うチラ裏 583はくつる・ゆうづる
電車特急方式でMAX120キロだったけど、客車に置換えられたわ そりゃまあ老朽化で仕方無しにだな
彗星・なは・明星などもオールPC化されてしまった あっちは真冬から温暖と温度差がひどくてよく故障したから
ついでに言えば、それほど急カーブもなかったから
山陽本線なんかワン・ハンドレッドのために半径302mばっかりで、昭和42年だったか福山までどうにか改善したけどそこで力尽きてしまった
でも、東京発着九州ブルトレが電車化されなかったのは、あまりにも長距離を走るから検査日数を要する動力車の検査が頻発するため
まあ国鉄末期の419系や715系へ改造するほど余っていた581/583系にとっては何ら問題ない数
その上、名古屋発着として片道で366km減らした。運転末期の約10年間は仕方ないけど走ってもらうものの、片方は下関止めし、しかも走行編成も走行距離もできるだけ削減した チラ裏にツッコミ入れるのもなんだけど
静岡も山梨も走らない列車に富士とは付けないと思う 東京ー三島の『こだま』を『富士』(三島付近で富士山が見えるので)
ブルトレ『富士』を『にちりん』(富士山付近は夜で見えない、且つ走っているのがほぼ日中なので)
日豊線エル特急『にちりん』を『日向』(反対側を走る『有明』が漢字名なので)
にすれば丸く収まった国鉄時代。 日向は宮崎県の旧国名。有明は有明海。
にちりんは太陽のことだけど、なんで天体名を付けたんだろう? 日向灘と言ったら常夏→太陽燦々のイメージだからだろうねぇ 設定当時は沖縄もアメリカ領だったから国内でいける南国と言ったら鹿児島や宮崎だしな 沖縄県
1945〜1972 アメリカ領
施政権 まあどちらともアメリカ軍だけどね
琉球列島米国軍政府 (占領から)1945〜1950
琉球列島米国民政府 1950〜1972(返還まで)
住民の国籍
名目上は「日本」
実質上は「琉球列島米国民政府」 要するに日本人でもアメリカ人でもなかった
つまり、占領統治の1種類である軍植民地状態だった 日本に返還されるまでは沖縄へ行くのにパスポートが必要だった >>536
うそはいかんぞ
どちらとも名目上は日本だから、日本も沖縄(当時琉球)も「日本国総理府」表記の身分証明書が必要だった
そして沖縄から日本以外の他国へ行く場合は、全く違う「琉球列島米国民政府亜米利加合衆国政府」表記の身分証明書(CERTIFICATE OF IDENTITY)が必要だった
※日本人が沖縄以外の外国へ行く場合は旅券が必要 >>523
あれ使い勝手よかったな 夜上野20時頃出て青森に朝5時 青函使って函館9時台には居れた >>537
正式名称ではないけど、身分証明書のこともみんな普通にパスポートと呼んでて、それで通用してたんだよ
https://okinawa-archives-labo.com/?p=1486 >>540
それは沖縄の人の感覚だろ
本土側からしてみればパスポートじゃないわな 連休だけど外出を自粛中なので古い時刻表をなんとなく開いてみる
1999年5月号より 東海道山陽下りスジのみ抜粋
1レ 富士 東京16:56 大分9:36
3レ さくら 東京17:54 長崎12:16 佐世保12:06
5レ はやぶさ 東京18:12 熊本11:46
7レ あさかぜ 東京19:00 下関9:55
9レ 出雲 東京21:10 出雲市10:47
5031M サンライズ瀬戸 東京22:00 高松7:26
4031M サンライズ出雲 東京22:00 出雲市9:59
9011M サンライズゆめ 東京22:19 広島10:49
31レ なは 新大阪20:26 西鹿児島10:24
33レ 彗星 新大阪20:51 南宮崎10:40
35レ あかつき 京都20:32 長崎8:54 佐世保831
まだ列車の統廃合が本格化する前で、バブルの余波もわずかに残り、青函トンネルを越える寝台特急が6往復も走っていた時代 バブルの余波なんて1997年に全部吹き飛んだろうが 93年じゃね?
出羽廃止。みずほ、あさかぜの食堂車休止。 2003年3月改正の寝台列車時刻表
http://www.asahi-net.or.jp/~EV3K-KWMR/jikoku/cyokyori/tokaido_yakou_ku_20030315.htm >>178で言ってる九州往復割引きっぷのB寝台利用で
1996年に東京・博多を2回往復した。
片道1万7千円程度で九州までブルートレインを利用できるのは
当時としては画期的だった。
現在は九州まで行くとしたらLCC以外はまず考えないけど。 >>547
その当時は食堂車が既に売店扱いだったから、ちょっと残念だったなorz >>545
確かに93年は、分界点だった。
食堂車は九州ブルトレ全列車休止。あとみずほの休止は91年だった。
年末は出羽・ゆうづるの廃止以外に、急行八甲田・津軽の定期列車廃止があって、
鉄道旅行が受難化した雰囲気だった。
他に北海道・九州内夜行列車の特急化もこの年だったな。 1993年は前哨戦
1994年から本格的に蛇の生殺しが始まったねえ >>550
食堂車営業が全面廃止で先が見えてたけどな。
当時でさえも羽田−九州の飛行機と比べて、コスパがそんなに勝るわけでなかった。
しかも10時間以上の長時間かけながら供食サービスが落ちるなら、利用を敬遠したくもなる。 西のHPに出てるが岡山〜福山の夜行列車の輸送人員は87年→94年で半減だったからな
94年から生殺しなんて対処としてはむしろ遅すぎ キテレツ大百科に結構ブルトレが出たりして面白い。ブタゴリラとトンガリが瀬戸に乗って高知行ったり。 >>554
のぞみの登場は92年、博多発着開始は93年だぞ? >>556
1次データ確認してみ
92年から94年にかけて半減じゃないから のぞみ運転で九州ブルトレ衰退は、言うほどでもなかっただろう。
当初は特別扱いで割引きっぷから除外をされていたから、コスパ上で良くなかった。
むしろ福岡空港に地下鉄が直結して、飛行機が便利になったのが大きかったのでは? 東横インが1986年スタート
主要駅前にこだわった立地とB寝台料金より安いホテルが夜行列車の客を奪っていった
高速バスの自由化で値下げ競争が始まったのが2001年
移動時間の節約というメリットはバスに奪われてしまった >>560
その10年以上前のバブル期から、高速バスが寝台特急を脅かしてたよw
新宿−福岡の「はかた号」はその最たるもの。時間的に高速バスの領域か?
とされたが、片道15000円は当時の寝台特急利用よりかなり安く、人気が出た。
今でも運行してるが飛行機との競争も生じ、当時ほどの人気ではない。
2001年あたりは高速バス同士で食い合いが始まっただろうw >>558
俺は国鉄時代末期から旅行会社でマルス叩いてたから知ってるけど、
のぞみの登場で客が一気に減ったよ。
九州ブルトレは繁忙期は発売開始と同時に瞬殺が当たり前だったのに、
のぞみ登場後は普通に空席が目立つ様になったからね。
九州ブルトレの凋落は国鉄時代から始まっていたけど、繁忙期は往時を思わせる売れ行きだった。
それが北斗星登場で、列車で旅をしたい層がそっちに流れ、
安く行きたい層は高速バスへ、
のぞみが急いで帰省したい層を奪って廃止の流れに至ったって感じだな。 >>562
のぞみ博多延伸と同時に食堂車も無くなったから、それも忘れてはいけない。
あの長距離・長時間で食堂車がないと、乗る気も失せる!
それから寝台特急の利用が減ったのは書いてるけど、当ののぞみの利用率に触れられてない。
博多延伸tしても、東京~博多を乗り通す客は考えにくかったが。 >>563
乗る気がしない以前に廃止直前の食堂車は殆ど利用客いなかったんですが >>564
食堂車が廃止されて余計に乗る気がしなくなったので、562の結果になったんだろう。 食堂車の末期はメニューも減って営業時間も短縮され、
何よりも拘束時間が長いことで人材も枯渇した。
新幹線でも終点で仮眠部屋用意しないといけないしな。
JR直営なだまだしも。
昔は食堂のテーブルの上で寝るなんて時代もあったが、
末期は寝台車の一角が食堂スタッフ用に用意された。
1996のO-157で衛生管理基準が厳しくなり、冷水機も
廃止せざるを得なくなって、大衆向け食堂車は止め刺された。 >>565
のぞみが走り始める前から食堂車では閑古鳥が鳴いてましたけど ナシ20の定員が40人、ナハネ20の定員が54人
30分回転で回しても3時間で240人、ナハネ20の5両分賄えないんだから
食堂車全盛期でも食堂車利用者の割合が低かったのは分かるわな 食堂車の全盛期は貧乏学生だったから寝台特急は年に2回ぐらいしか乗れなくて、布団の上で弁当とかおにぎり食べてたなあ
今ならメニューの端から端まで頼めるのに 富士に乗り何回か食堂車行ったけど
何食べたか忘れた。 >>569
>今ならメニューの端から端まで頼めるのに
頼めても食えないよw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています