東京・九州ブルートレイン★135レ
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>>403
「富士に戻った」って言ってほしいな。もともと戦前から1レは富士なんだから ロビーカーも食堂車も喫煙可能とか今じゃ考えられない
羽目板はヤニで真っ黄色じゃん 国鉄全盛期はいいけど
ヤニカス天国の車両には乗りたくないな 10年くらい前まで「九州特急の頃」ってあったはずだが、JRQ関係しか出て来ない。 >>420
103系も端の席の手摺に灰皿付いていなかった? 南九州の草だらけのホームの閑駅で列車交換の為運転停車していた光景が懐かしい ブルートレインって関東民のイメージだとロマンチックな夜行列車なんだろうが
九州の人たちにしたら昼前か昼過ぎに出る足が遅い癖に特急料金を巻き上げる青いインチキ特急だったのかな? >>424
そう思った人は、40年程前から飛行機を利用してただろう。
何しろ南九州まで、東京から20時間以上。
飛行機なら羽田から1時間台。空港アクセス入れても所要時間は話にならない。
運賃も国鉄が値上げ繰り返した時代は、大幅に飛行機が高かったわけではないし。 どこかに書いたけど昭和49年福岡の母の田舎に行った時は行きは20系臨時あさかぜだった。帰りは多分おばさんが小さな子供を汽車で東京まで連れて帰るのは大変だろうと日航の747に
乗せてくれた。多分出来たばかりのSR。 当時はおばさんが持ってる株件少し処分して航空券買ってくれたみたいで一般庶民からしてみれば東京九州間の移動って財産の一部処分する位の大出費だった。春秋航空の成田ー佐賀 片道三千いくらとか嘘みたいな金額。コンビニバイト3、4時間すれば乗れてしまう訳だ。 >>429
当時の東京-福岡の航空運賃は2万円くらい
当時の大卒初任給が78,700円で現在は201,800円
とすると当時の2万円は5万1千円ちょっと
財産の一部処分する位の大出費というのは大袈裟かも >>430
当時は大卒自体が極めて限られたエリートだってのがわかってないでしょ
高卒や中卒が当たり前の時代だぞ >>431
1976年ですまんが高卒初任給は男性が8万2200円、女性が8万1000円な
2017年は男性18万600円、女性17万8400円
2.2倍位
これで計算すると逆にもっと安くなるけど良いのか? >>433
オイルショックで超インフレだった時代に別の年を引用しても説得力はない
1976年の初任給
大卒男性 94,300円
高卒男性 76,900円
賃金構造基本統計調査 / 時系列 新規学卒者の初任給の推移
ttp://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00450091&tstat=000001011429&cycle=0&tclass1=000001020466&tclass2=000001020467&stat_infid=000031886408
現実はこれに地方差が加わる 年代は全く違うが地方差の例な
都道府県別年収ランキング
ttp://www.nenshuu.net/prefecture/pre/index_prefecture.php
東京都 6,222,900円
愛知県 5,546,200円
神奈川県 5,532,000円
大阪府 5,327,600円
…
福岡県 4,592,200円
…
沖縄県 3,694,800円
宮崎県 3,655,300円 財産の一部処分する位の大出費というのは大袈裟というのは変わらん 大げさも何も現実として処分して調達してるって言ってるのに。
現実よりも自分の脳内の方を優先するなら人と関わらない場所へ行けばいい。 >>439
事実に個人の感想でマウントとろうとすること自体実に滑稽ですよね
あの当時に飛行機なんて夢のまた夢でしかなかったのはあの当時を体験したものであればごく自然に納得できるはずなんですがね 知識としてではなく、体感でそれがわかるのは60歳以上じゃない? おじいちゃんの懐古話なんていつも大袈裟で法螺も妄想も交じってんだから
ハイハイって聞いてりゃいいんだよ 今月の鉄道ファンに東京機関区特集
EF65Pの8両並びとか壮観 冷たいレールに耳をあて
筑後
コスモスの花
たったこれだけでは筑後地域を走っている「夜汽車」以外絞り込み不可能
強いていうなら、冷水峠経由の夜汽車だろうけど、それ以上は無理 >>446
そこじゃないよ
夜汽車の汽笛を聞いているのは「今」だから故郷離れた後 夜行スレと言い、ここも乗れなかった奴が必死に荒らしとるな なんか競馬に似てきたな
ディープインパクトを生で見てない奴とか
オグリキャップを〜 とか
ハイセイコーを〜 とか
新参に対して 優越感に浸る老害古参が多いとかさ まぁそういうスレだからしょうがないな
なんで競馬に例えるのかわからんけど。アホだから? ダイユウサクの単勝を5,000円も買った俺が通りますよw >>455
あえて直接書かないところに奥深さを感じる >>452
負け惜しみどれだけ書こうが過去には戻れないし乗れないものは乗れませんね。笑 オハネ15でも居住性は広かったよね、オハネ25も十分だったけど プライバシーがほとんどなくて狭い寝台に、博多あさかぜで約16時間、はやぶさなら18時間乗りっぱなしとか、けっこうきつくないか?
8時間睡眠としても残り10時間ぐらいは座るか寝転んだままだぞ 実際、みんな10時間以上も何やってたんだろう
何度も寝たり起きたりしながら、ぼんやり外を見てただけ?
ガラケーすらなかった時代、電車の中じゃ酔うから本を読めない人も多いし 新聞や雑誌、本読んでる人は多かった。まぁ飽きるんだけど。オッサンは酒とタバコ
オバちゃんはお話かな。何処からきたとかどこ行くかとか。必ずみかんはくれる >>461
寝台1区画は結構広かったので、そんなにきつくはなかった。
気分転換で食堂車やロビーカーもあったし。
どちらか言えば今でも青春18きっぷで1日中普通列車に乗ってるか、
夜行高速バスで東京と広島・山口・福岡へ移動する方がきつい。
なので安くない寝台料金を課せられた意味はあるが。 >>461
そういうヤツは乗らないから心配しなくていいぞw
ほんとは乗れなかった僻みでしょ 西鹿児島発着時代の富士は夕方6時に東京出て翌日夕方6時半に西鹿児島に到着だから、
乗り通す人は朝起きてから西鹿児島に着くまで暇持て余したろうな。
個室の人は昼寝したりして少しは疲労軽減できたろうが。 富士での東京からの直通客は居ても大分が精々で、
それ以外は関西・山陽ー日南地方や小倉から「にちりん」の代替の人が多かったってことかいのう この前鹿児島中央から小倉まで特急乗り継ぎで乗り通したけど、車窓は結構変化に富んでいて退屈しなかった
前の日にあまり寝られなかったから所々記憶が飛んでるけど
10時前に鹿児島中央を出て17時過ぎに小倉に着いたが、まぁ楽しかった 目的地が鹿児島なら、普通は鹿児島本線経由を選ぶわな
はやぶさが短縮される前なら乗り換えなしで行けたんだし 東海岸は別府湾くらいで、都農以南の日向灘は見え隠れしてよく見えない。 >>474 竜ヶ水辺りの錦江湾は東海岸とは言わないか・・ 富士といえば、一日一往復にもかかわらず、同一列車と二度すれ違ってたな。 さくら はやぶさ みずほ 富士 いなば が復活したし
あさかぜ や 紀伊 も復活しないかなぁ つるぎも復活してるぞ
あさかぜ、あけぼの、あかつき、ゆうづるは時間帯が限定されるから使いにくそう 札幌開業で札幌行きは「おおぞら」か「おおとり」か
それとも「ほくと」か。「はくつる」「ゆうづる」は
何か違う。 >>476
トワイライトエクスプレスも連日運転日は二度すれ違っていた >>478
あけぼのは北上線急行の時代もあったけどね >>479
ひらがなで「ほくと」はカッコ悪いわ。きのこ会社か?
いい加減、新幹線愛称の漢字使用解禁すれよ。 >>483
そもそも新幹線は日本を代表する鉄道なんだから本来漢字愛称のほうが相応しいと思う
戦前の特急なんかは漢字表記が正式だったし 「朱鷺」だと書けない・・・
まさか、この板で読めないってやつはいないだろうなw 窓口できっぷ買うときに面倒臭くないようひらがなにしていると聞いた。でも、昔は急行列車は大抵漢字だったな。 >>479
小樽周りなんだから
ほっかい か ニセコ の方だろ
或いは ライラック か 昭和30年代の貧弱な情報処理機器の能力で考え出された案
販売枚数の多い昼間優等列車・特急は極力「ひらがな」とされた
都会では機器側・末端では手書きのため
しかし、情報処理機器が急速に発達したため、昭和40年代に入るとそれもむやむやになった 望 光 木霊
瑞穂 桜 線路星 燕
疾風 隼 山彦 青葉 那須野
小町 翼 朱鷺 朝日
白鷹 浅間 輝 剣 >>492
線路星 があるなら
最大 は何故無い? 列車愛称の分類を大雑把に分けると、地名、山岳、鳥類、動物、植物、天文、天体、物理現象、人名となるが、
文殊は初の神仏系?こだま、やまびこは物理現象なのか、木霊、山彦という精霊なのか、
のぞみも分類が難しいな。 >>454
レッツゴーターキンの単勝を100円だけ買ってたことならある >>476
遅レスごめん、富士同士だけでなく富士と彗星も二度すれ違い。
上下ともに深夜の福山あたりと、日中の青井岳あたり。
たしか夕方の交換がRF誌の表紙になってた。 これに価値を見出だせない
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博多あさかぜを臨時格下げにしたときに
同時に14系の付属編成も撤退したからこの理論はそれなりに正しいのかもしれない
>>323
93年の夏に遅れや運休が続出したこととが見直し論が出る決定的な原因になった話がある >>507
>93年の夏に遅れや運休が続出したこととが見直し論が出る決定的な原因になった話がある
93年は春の改正で食堂車を全面的に廃止したのもあって衰退が著しかったので、
付帯した原因だろう。
国鉄時代の看板列車が、特に両端の東日本・九州ではお荷物扱いだった。
九州ではその前に、日中の特急がブルトレを追い抜くダイヤを組んだのも大きい。
国鉄時代も九州内で速くはなかったが、追い抜かれるダイヤにはしなかった。
あと阪神大震災で長期運休しても、全く影響がなかったのも原因の1つ。 懐かし板になってからまで「ぼくのかんがえたそんぱいろん」はやめてくれ。うっとい。 >>509
だったらこのスレに来るな!バカヤロー! なんか「しゃおぱいろん」が見えたような気がするが、気のせいか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています