他局の運転士が起こした西明石駅列車脱線事故を見て、当時本社運転局長の山之内が東京機関区へ視察
機関区での勤務態度の悪いやつが目について閉口し、分割廃止が決定
まず機関車は新鶴見へ持っていかれ、運転士は品川客車区と統合した(この時はまだ"東京"運転区)後でJR直前に「品川運転所」へ改名された