なつかしの小田急線 7
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1994年にいわゆる小田急高架訴訟が提訴
この影響で10年程度工事等が遅延したしたといわれているし車両計画にも影響が出たんだろう ふと思った
仮に千代田線直通が史実より5年くらい遅くて5200と9000の製造順が入れ替わっていたら、9000は違っていた(史実のような重装備ではなかった)かも?
しょうもない妄想だけど >>800
仮に実際より5年後に乗り入れ開始と考える。昭和58年乗り入れ開始。
すると、5000の6連口(5200ではない)は昭和47年頃登場。たんなる5000の増備で、二段窓のまま。
9000は昭和53年頃登場。電機子チョッパになったかどうか。5000は実質150kw級のモーターだったけれど、
仮にそのまま地下鉄に入れる車体にしても、性能的に1ユニットカットで、他の編成を最急勾配で押し上げという
乗り入れ条件をパスできない。そうするとMT比を上げるか、電機子チョッパにする、アルミ車体にする等必要となるが、
そこまで小田急が踏み切れたかどうか。
実際の9000は、地下鉄線内では回生ブレーキ、地上線では発電ブレーキと使い分けることで、地下鉄線内での抵抗器使用を
力行時だけに原則留めている。その一方103系に合わせた110kwモーターでやや非力に設定している。 微妙な時代なんだよね。界磁チョッパで条件満たすには
東急8500も130kWで8M2Tの電気食い
58年なら8000が出来ているが140kWで6M4Tじゃギリ満たせなさそうで
結局8M2Tにせざるを得ない。この時期に地下直作った東武9000と国鉄203は
電機子チョッパを採用、VVVFがまだの過渡期だけに大変だね。 昔準急停車駅民だった頃5200は通過を見送るだけの存在だった
FM車が淘汰された頃元々ブツ6が充当されてた日曜の各停に5200が入ってきて乗車したときちょっと興奮したのを覚えてる >>652
せめて8000か1000で電気指令ブレーキを採用できなかったものかと思ったが当時はブレーキ読み替え装置が開発されていなかったから仕方ないのかな
当時の小田急は頻繁に分割併合してたらしいから
(参考までに小田急が5200を新造していた時期では、京王/東急は既に電気指令ブレーキを採用していた模様) >>804
同意
自分では、5200が小田急で一番好きだった 5200こそ小田急顔の完成形だからね。決して隠れてはいないよ。
ただ更新工事でせっかくの窓枠がねじ止め、ライトがシールドビームに変わった時には残念だった。
でも最晩年には5200だけで10両組成した時は感激したな。
側面の揃った美しさはピカイチ。 5200の4連っちゅう凄いのが晩年あったからねぇ。
5063-65Fが一段下降なら良かったんだが 1000は5200と同じくらいの車齢で解体だからそこまで解体を惜しむような感じではないと思うが、
やはり見た目が違いすぎるのが勿体なく見える理由なのかね? 東急がステンレス車50年計画を諦めたあたりから更新は程々になった気がする そもそも>>754で既出だが今回の8000/1000一部解体はどの車庫とも容量が一杯だったために新5000導入ではみ出る分を仕方なく解体してるだけと思う
5200早期解体は>>4を参照 >>811
5200のように更新しても結局解体というパターンも出る時代だからね
1000は未更新のまま解体だから5200に比べたらマシ >>811
東急は7700の改造費が当時の新車よりも高くついたのがきっかけ(これが理由で8000系列のVVVF化改造計画は中止) >東急がステンレス車50年計画を諦めたあたりから
というよりE233が登場した辺りから各社とも車齢とかを無視してただ用途不要になったというだけで単純に廃車解体してしまう例が増えたような気がする
E233登場前は各社とも車両の使い方がもう少し安定していたのだが(上層部が変わったとかなら話は別だけどね) ホームドア対応もそうだし少数派の特殊仕様車なんかは保守の面からも淘汰が早くなる傾向にあるのかな
VSEも割と早く廃車になる気がする
8000形も全廃になれば塗装施設無くせるし >>819
特急車は塗装するから施設は必要。
エコサポートなどの特殊用途車も塗装は必要。 とりあえず1000は東日本203みたいにフィリピンに輸出して客車として使えばと思ったがこれまでの小田急の実績からしてあり得そうにないし… >>826
はこねとあしがらは登場時からひらがなだよ。
金時や明神は漢字だけど。あしのこもひらがなだし、銀嶺や長尾とかもあったね。
今みたいに番号ではなく列車名で分けてたから。 >>828
初期のSE車の頃、漢字で「箱根」と書かれたヘッドマークの写真見たような・・・ >>708
車輪径も極端に違う(910mmと762mm)
共に通常の860mmじゃない上にかなり差があるという
(103は910mmと860mm) 名鉄と対照的に、「えのしま」以外、駅名にちなんだ名前の特急がない。
箱根湯本行き「ゆもと」に「おだわら」とか・・。名鉄と違って支線が少ないからだろうけど。 えのしま も駅名じゃないじゃん
はこね 同様観光地名
あくまで駅は片瀬江ノ島 足柄ってのは広域なエリア名だな
何故か小田原駅1つ手前に付いたが。 カラーブックスだかに「特急 箱根」と書かれた1700形の写真があったような カラーブックス今見たら、昭和26年ごろ撮影の1700の写真あったけど、「特急はこね」ヘッドマークでした。
そもそも漢字で特急箱根表示は全く知らないし。 そう言えば何かで見たような気がする。
1700じゃなくて1910だったかな
確か丸いヘッドマーク >>164
亀レスですまんが、
その時代じゃ地上専用の10コテなんかあっても使い勝手悪すぎる。
ラッシュ時の新宿発着準急ぐらいしか使えなかったのでは?
ワイドドアは地上用で10コテは千代直用だから関係ないだろう。 >>164
調べたらワイドドア登場のすぐ後に上層部が交代してるので
10両固定登場もその上層部交代による方針転換の影響が大きそう
で、その後に多摩線土砂崩れで丁度固定編成への方針転換により、8両固定を生み出す契機になったんだろう >>842
だからワイドドアは地上用で10コテは千代直用だから関係ないのでは?
その時代のダイヤだと10コテは千代直以外使い物にならなかった。 まぁ91年以前の考えだと引き続き6連/4連を増備する方針だったかもしれないが >>347
これも亀レスだが
東日本103のVVVF試験車(東日本103が全廃になる直前に京葉線で試験していたもの)と同じような考え方だったと見た
あれもサハ1両を試験VVVF搭載モハに置き換えていたような はこねとあしがらは、ずっとひらがなHMだったような感じだ。
ピクの286号などの古い小田急特集号を見てみたが、漢字の物は発見できなかった。 1500形の1700形編入こそ要らなかったろ、
加速度引き上げで新宿口各停に使えなくなったのが理由とされているが、
そんな理由であんな改造に走るとか短絡的思考すぎる。
運用を工夫すれば必要無かったろうに。
2004年〜2008年の間はラッシュ時多摩線閉じ込めで日中のみ区準限定で新宿乗り入れ、
2008年以降は湯本発着各停で運用で良かったと思う。
その場合各停と区準を共通運用にできなくなるというデメリットが発生していたことになるが…
湯本口各停4連体制化が4年早ければなあ… 3000のブレーキ読み替え装置の製造費低減も兼ねていた可能性 >>707
同様に18m3ドアじゃダメだったのかとは思ったことあるけど<2400 >>849
M比率高かったら全然OKなところ、MT比1・1で同様の性能希望とか
無茶振りしたからなんだよな。6連で4M2T取れれば全く問題ないし
昭和30年代半ばでMTで高性能って他社にも無いんでないかな。
東武西武みたいなカルダンでも吊り掛け+アルファ程度
標準軌大容量モーターの阪急や近鉄は高速側に振って加速は2.5くらいだし。 駅間距離短いし、ホーム有効長が最大18m4両という駅があって各駅停車を直ちに6両化することも困難、ダイヤは過密状態で乗客数はもっと増える、当時の条件下で全電動車方式を避けて高加減速を求めるとなると、2400の方式が最適解ということなんでは。 あと一つの方法としては、阪神のように各停用と優等列車用の車両を別々に新製、各停用は18m×4両で全電動車、優等列車用は20m×6両のMT方式。だが、小田急でこのようにしたら車両運用が混乱しないか・・? 小田急も各停専用にってNHE作ったから阪神式で間違ってないんだよ
ただ、昭和35年時点でABFMの価格が高すぎて大量増備できなくて
なんと116両も!異端車を作ったってのは>>851の言う通り
当時のギリギリ最適解なんだと思う。 各停専用にってことで造り始めたが、デビューすると優等列車にも使用されるってのが阪神や京急以外の大手私鉄の定番ってことかなあ。
西武2000も新宿線各停の乗降時間短縮のためにってことで4ドアで登場したんだが・・ 地下鉄乗り入れ用でデビューしたため高加速性能だった9000形は千代直撤退後主に各停で活躍していたな。 理想は汎用車なんだけど、登場時は目的別ってのはあると思う。
後年運用が広がるのはそれぞれの事情が結構複雑かも?
西武は 「もう3扉じゃ捌けません」 小田急は「NHE不便だから併結しようよ」
9000は6連は急行で使えるけど、各停8連化と重なって
4連x2で運転台撤去なんていう荒業で生き延びさせたわな。 >>854
阪神くらい低速域の加速に割り振ってない車両は80年代くらいになると別にダイヤ的に分けるほどの差もなくなってくるんじゃない
あと70年代まではどこの私鉄のダイヤもかなり各停の比率が多かったのが都市圏が広がって優等の比率が上がったしね >>803
ついに解体されて相模大野から搬出されたね。
まだ地方で活躍出来る車歴だと思うんだが…。 先頭クハだし最低4連で組む必要がある以上、大手間譲渡でもない限り需要はないよね。 こういう時、過去に国鉄と直通していた路線は有利だよな。
勾配対応だし長野電鉄には打って付けだと思うんだけど、どうにも1両多そうかも。 >>810
ただ5200は機器は2400由来のものであり、車齢は若くても機器の設計が古いのであれば早期廃車は仕方ないかもしれない
>>813
結果的に車体と機器の寿命が合わないということ >>863
2400はFM系に比べてエコノミカルだったろうが、5000のパワーと消費電力からすると、
やはり2600の方がエコノミカルなのだろう。
ところで、伊豆急は209なんて買うより、小田急1000のほうがいいんじゃないだろうか。
ATS-Pとか編成組み替えに伴う改造、クロスシートとか考えると、そりゃ209のほうが安いだろうが、
結局早晩209の置き換えが必要になるだろうしなぁ。 そもそも1000の廃車は急に決まったものだからね
本来なら全車ともリニューアルして使い続けるつもりだったから
それが恐らく新上層部の鶴の一声で新5000導入が決定し前述したように車庫容量の問題で8000と1000の一部を泣く泣く廃車にしたもの 会社の方針というのは上層部が決めるもの
上層部が変わると方針も変わったりすることがある >>864
209は4連に改造済みだしね。
伊豆急向けに最小限の設備追加で済むから、取り急ぎ入れるにいいのかも。 結局赤い1000系と1700系中間車化改造車組み込み編成はセットで廃車されることとなりそうだが 1000は7年間で98両しか更新できなかった
仮に当初の計画通り全車に更新を行っていたとすれば更新完了は2028年度になっていたと想像するが、それまでにGTO-VVVFが持ったか疑問 6連の209ってどこ走ってたやつ?
経年もあるし200系の時のように、入線しても早々に無くなりそう。 >>818
現に1000未更新廃車を急いでいる理由も電磁直通ブレーキがホームドアとの相性が悪いとかが影響してそう
(西武が一時期9000廃車を急いでいたのも似たような理由と思う) >>872
京急みたいにQRコード式にすれば関係ないんじゃないの? >>873-874
何ひとりでトンチンカンな話してるんだ? QRコード式ホームドアなら車両側の対応楽だと思ってさ。 2600と5000の関係は京阪2000と2200、阪急2000と3000の関係に近かったと見た
いずれも回生車から非回生車への流れなので >>879
2600形は各停、5000形急行系運用前提で分けていたということもあったのでは? >>879
ぜんぜん違う。 阪急京阪は制御器革命みたいな技術誇示として
電機メーカーが新機軸盛り込んだだけで結局普通のが良いとなった。
小田急のは初めから2600に高速域の加速を求めてない別目的 素人だから詳しくは知らないけどイメージ的には
実質2600は回生ブレーキ以外は103に近い感じで、5000/5200はそれこそ幻の105に近い感じかな
(2600の車体に2400の足回りを組み合わせたのが5000で、幻の105は103の車体に113の足回りを組み合わせる予定だったと想像)
※東武8000を私鉄の103と呼ぶのは微妙だと思っている >>878
走ルンデスの209が第三の人生?を伊豆急で送るようになるとは・・・
驚きで声も出ない。 >>885
そもそも走ルンですって言葉の元になった写ルンです自体再利用何回もするからな >>884
複々線化で楽しみにしていたのに
高速性能が思ったほど良くなくてガッカリした思い出 E231は知らんが、東急車両が京王3000型を破壊試験に掛けてみた結果
「100年使っても大丈夫」だそうだから。
アメリカ様から学んだ素晴らしい技術。 >>888
持たないと思う
というのも技術的要因で長持ちさせることができなくなってしまった
(電子機器の寿命と部品枯渇等により) 阪急7300系のアルミ車から8200系までの電車も100年使っても大丈夫じゃないか?
鋼製車は手入れしたら持つが。
特に2200系以後。 阪急ほどカネかけて徹底整備すりゃねw
神戸線なんて双方向一日中輸送密度高く
あれだけ儲けられる会社ならねぇ 阪急電鉄は2000系以後の車体が異様に頑丈だから窓下の外板が傷んでも各箇所の経年劣化が進行しないんだよ。 >>894
外板も桁厚も別に普通だぞ、外板は同じ2.3mm
アルミ枠の水抜き付き下降窓(小田急は8000から)早くからあるだけの違い
阪急沿線育ちで正雀工場でサビ剥がしとパテグラインダー作業見学してるから
決して阪急車が腐食に強いなんて言わんw >>308
1000が新機軸を多数採用した車両であったこともあり、故障時の対応を考慮していたんでは?
万が一1000が故障した際に1000自体を休車とし、1000導入前の運用に一時的に戻すことを考えていたということ
9000も千代田線直通運用からは早い段階で撤退してたけど直通機器自体はかなり後の方まで装備しており、9000が正式に地上専用だった時期はかなり短かったと想像 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています