なつかしの小田急線 7
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2551は何で面長な感じになっちゃったんだろうね。
車体が裾絞りじゃないからとも思ったけど、現行の3000や4000も絞ってないけど普通な感じだしな。 2449の次が2400、2499の次が2500
営団の6000系が、6100-6200-6300-…で、6900の次が6000
長野電鉄の0系が、1-51、2-52
よって、100両出来たら、純粋な0が登場していた可能性
11-61と区分なら、0系が10両でも純粋0ができたかも
というのは妄想でしょうか >>683
2489Fも黒種別幕。
>>685
妄想でしょう。
江ノ電の10形は当初、0+50で車両番号を申請しようとしたら、当時の運輸省に「0はちょっと・・・」と言われ、
やむなく10-50とした。そのため20形もそうだが、鎌倉方+50番の原則が崩れることになった。
なので、0番というのは(阪急1000号、みたいなのではなくて、純粋にゼロ)、おそらく認可が通らないのでは。 2600を8連化せずそのまま1000(8両固定)で置き換えた方がよかったと思ったことがあるが、当時はVVVF車の扱いに慎重だったからそうはいかなかったのかな?
西武も6000大量増備とはせずに一部101機器流用での9000となったのは当時VVVF車の扱いに慎重だったから(+所沢工場の関係)らしいが HEは2450-2400-2500-2550という付番にすればややこしいことにはならなかったが >>367
>>687
1000の初陣が地上専用で作られたのはVVVFの初期故障対策を考えてのことと思われる
>>377
それは1C1M×4(東芝製に多い)ということになるが 2600の8連化は、土砂崩れ突っ込みで更新したばかりの2671F下り方2輌を失ったことが、
直接の動機だと思えるけどね。最近だったら、編成ごと廃車にするだろうが、
更新後の残り4輌を生かしつつ、未更新の2652Fや2654Fをなんとかして、
さらに6連時に空転多発の問題をなんとか解決したいというのを、全て満足するために
考え出されたのだと思うけれど、あまり経済的でも無かったのか中止されたわけだよね。 >>690
あれ、少数で厄介な2000形をなんとかもっと作りたい
上層部の意向が働いたんだよな。 NHEのV車のモーターまで
移植して転用する徹底っぷり。 そもそも2000って
車両メーカー側から「1000ワイドドアやめるなら代わりに作ってくださいよ」
と言う提案からという噂もちらほら >>690
最近の事故廃車事例では小田急でも8264Fが編成ごと廃車になったもんね
1両だけ差し替えの噂もあったが 1961年1月に2400形の2459×4が多摩川でダンプカーに衝突されて脱線してしまった車両は
廃車されずに日本車輌製造で修復されて復帰した
という例があったけどね。
当時の事故をネットの写真で観たけど橋の上で
宙吊りになったりしてかなり大破しちゃって
よく2400形は復旧出来たなって思ったが。 あれは実質車体新製だね
小田急車って意外と台枠部が丈夫なのかもね
SE車だったら外板で支える構造で全部歪んでアウトだったかも >>694
車体新製はしてないよ。左側面には晩年ゆがみ多数。
台枠は他社並みで、HEにしてもFMにしても普通の軽量構造。
特に丈夫ということは無い。SEも基本的には同じ。 阪神8000系の2次車〜12次車が超経済設計で駄目。
耐用年数35年で大分ガタが来てる。 今も昔も電車がダンプにヤられるのは多いね
踏切警報器は何のためにあるのか そりゃあパノラマカーにあんなごついバンパー付けるわな 千葉の方で、鉄仮面電車走っていなかったっけ
小田急でも廃止間際なのに、運転席の窓に、鉄板を 取り付けた電車があったよね >>695
昔話じゃないけど4000形は、JREのE233より車端の梁が多いと聞いたことがある。 >>691
というより3000開発完了が間に合わなかったから2000を増備しただけでは?
2000最終増備と3000初期の室内設備はほぼ同じだし >>701追加
つまり2000の後期6本は3000量産までの繋ぎ
E231量産までの繋ぎで製造された209‐500的なもの >>600
京王も小田急も片開車までは譲渡されたが、両開車は譲渡されないという法則になってるな
(井の頭線は除く) 2400形に関しては主電動機と制御器や一部の
電機部品が流用されて車体や特徴的だった
大きなソロバン形の主抵抗器は解体処分されて
しまったからね。
まだ寿命には早かっただけに惜しかった気はする。 主抵抗器なんて部品価格の中じゃ安い方。
HEのパーツは非冷房用MGとか小容量コンプとか使えないものばかり
電動機だけでも2004年まで使われたのは凄いことだと思うが
寿命より早く引退した理由が車体長なのだから仕方ない。
17.5m 車のMT編成で高加速粘着可能だったら
冷房化して地方私鉄が買ってただろうね。 クハとモハで長さが極端に違うなんて よく設計のゴーサインが出たと思う
SE車もそうだが当時の小田急は尖ってたんだね >>708
そうだよねぇ、性能を極限まで出そうという車両部の意向が強い時代。
この性能曲線図みると高加速と言われる2600より起動も中速域以上も凄い。
https://dotup.org/uploda/dotup.org2465815.jpg >>605
京王旧5000は営団3000や京急旧1000と廃車のタイミングが合致したというのもあるかと
同6000もタイミング次第では東急8500の機器と合わせて譲渡できたかもしれないがタイミングが合わなかった
小田急は1000に関しては無改造で1M2Tが組めそうだが、機器の経年や故障時の冗長性などを考えると非現実的だと思う >>238
念のため言っておくが養老は1M2T基本
小田急1000は無改造で1M2T組成可能に見える(TcにCPを、MにVVVFとSIVを搭載しているため)
が、ここは実績を考えると次は東急9000になると思う
(東急9000ならこどもの国線通勤線化実験?で1M2Tで運用した実績があるため) >>482
多分千代田線の方を見てしまったと思われ(6135Fや06系は解体されたが、それ以外では27本もインドネシアに輸出された) むしろHEは旧4000の新性能化に機器を供出したから譲渡されなかったんではと思ったことがあるが 車両ごとの編成長違いと変態ユニット構成が原因じゃないの? >>713が大きいと思うけど、時期的にも東急5000系が全国に行き渡り
主だった地方私鉄の近代化が一段落して需要も無い時期だったのだろう >>709
ABFM車が他と比べて速いのがよく分かるな
5000や9000の図も頼む >>710
後は東武2000もあったか(平成初期に京王旧5000と並行して廃車になった18m車) >>708
というか1000が最新だった時代までの小田急は当時の他社に比べれば特殊な(どちらかといえば担当者の拘りが強いような感じ?)車両が多かったイメージ
車輪径とか歯車比とか >>711
>小田急1000は無改造で1M2T組成可能に見える(TcにCPを、MにVVVFとSIVを搭載しているため)
デハ140xはパンタ無し、隣のサハ135xにパンタ装備
パンタ無しの3両編成の電車が走るのか? >>719
クハ1050-デハ1000-クハ1150
クハ1250-デハ1200-クハ1450
なら可能に見えるが… 素人だから詳しくは知らないし僕はその当時生まれていないので当時の状況も知らないけど
2400の次は史実2600作らず車体は史実2600的だけど、機器は2400と同じ(2400をそのまま20m4ドア幅広車体にしたような感じの)車両では駄目だったのかと思ったことがあった
後に5000がそれに近い感じで出てきたが
(国鉄も史実103ではなく101をそのままMT54にした(史実の111と113みたいな関係の)史実とは違う103では駄目だったのかとも思ったこともあった) 当時の最大輸送力が20m×5両だったので、5連を組める2600を製造したのではないのか? 2600は、最初から6連化が決まっていたのだから、
2400の電装品をおおよそそのまま使ってMcMMMTcで作っておき、
Tをあとで入れてMcMTMMTcにしてもよかったのかもなとは思ったな。
これなら後年の10連運転にも困らず、120Kwの4M2T。回生ブレーキが付けられたかが微妙か。 20m級車体MT比1・1で高加速135kW(端子電圧換算150kW)モーターがまだ間に合わなかったんでない?
あと暫定5連、6連化予定で1C8M制御じゃ単M車ができてしまい東武東急8000みたいな複数制御器とモーターが必要で
5200はそれ嫌って4M2Tにしたくらいだからね。
回生ブレーキ付きの特殊仕様車前提で1C6Mで行くというやっぱり小田急らしい攻めた設計だなぁ 2600形は性能をフルに使ったら130q/h出るかな? >>725
それは無理。モーターの回転特性も定速高トルクに振ってるから
ATSリミット無かった時代、遅延した準急で82年頃
108キロ出したのは先頭で見てたことがある。
SSEえのしま最前列取った時に130キロが小田急で見た最高速だったな。 >>725
弱め界磁弱めても出ないのでしょうか?
近鉄8000系は弱め界磁を14.5%に弱めたら135q/hぐらいでしょう(600v時は17%で130q/h)。
実際は600v時が22%、1500v時が28%で釣り合い速度120q/hだが。
SSE車が営業運転で130q/h出したって凄いね。
9000形が112q/h出したとは聞いた事あります。 >>727
9000で112キロって凄いね
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org692860.jpg
上から9000、NHEノッチ曲線・モーター諸元
このモーター、界磁弱めすぎるのは持たないじゃなかったけか・・
>>728
小田急自体で人身事故の遺体が運転士さんに当たって負傷だと思った。
だから急遽若干運転台高い9000以外の全車に施工。 >>729
雨天時の空転かメーターの誤差の可能性もあるね。 >>710
京王5100が売れたのは18mクラスで元々2コテに1両足したからそのまま1両抜いても問題ない(余計な工事がいらない)のが大きかったんじゃないかと >>717
東武2000形って小田急2400形と同様に
全車保存されずに解体されたんだよね。
主電動機や部品も再利用されずに廃棄
されちゃったか。 東武2000は伊予鉄の610や700に台車とモーター供出してるよ
まるでABFMのごとく長生きだよ 旧4000と8000連結した事があると聞いた事があるのですがどうなのでしょうか? >>737
いや、このスレ的には初代吊り掛け4000のことじゃない?
走行テストでカルダンと繋いだ話は聞いてるけど
具体的に形式は知らない。NHEの併結にも慎重で
83年からだっけか、やっとガコガコでも併結しようとなったのは。 >>736
小田急スレでさんざん語られているのだが。
昭和63年9月のことだべ。
>>738
旧4000は走行テストなんてしてない。ぶっつけ本番で8000と連結営業運転。
2600は2200、5000、2400と3度にわたり連結試験をして、実行。 9000は機器は103-1000みたいにあえて5000ベースにするか、あるいは思い切って電機子チョッパとかはダメだったんかね?
当時電機子チョッパが高価だったのはご存知だけど1000が思い切ってVVVF採用したから… 旧4000の併結と言ったら連結器高さが違う1800と連結して緩いカーブで軽い方の
4000が浮いて脱線事故でしょう。
しかも直ぐに原因究明出来ずに2回も同じ脱線起こしたというおよそ小田急らしくない
事をやっちまったんだよね。。。 >>741
連結器高さなんて、全て880ミリだろ。
1800は金属バネ台車だから、乗客によって車体の沈み込みはあるが、それならHE+5200だって同じこと。
それよりTR25A台車のバネの固さが、TS-706台車に対して合っておらず、輪重抜けを誘ったため。
しかしP-III台車は、特定条件で輪重抜けしやすい特性をもっていて、それが明らかになった事故ではあった。
>>740
ただの抵抗制御だと、当時既に問題だったトンネル内温度上昇が問題になっただろうし、
間を取る形で比較的安価+一応2600で実績がある複巻電動機の界磁チョッパでということになったんだろうねぇ。 >>742
P-IIIは軸バネ無しでカーブの荷重変化に追従キツイからなぁ。
さらに高回転低トルク三菱モーターと
MT40なんて真逆な特性。
TS軸バネ台車だったら加速性能違ってもまだ脱線しなかったかもね。
NHEは複巻モーターじゃない無理矢理回生じゃなかったっけ?
東急7000の界磁接触器型とはまた違うやつで。
前にNHEの性能図アップしてくれた人、その部分の図面もお願い出来たら嬉しい。 >>745
あの声、プロ声優さんじゃなく録音した90年当時大学生って話。
英語の発音を駅名まで米国人系に寄せすぎて当時ビックリだった。
今は各社とも駅名を日本語発音に戻してるよな。
後年の追録分だけ声が違うんで違和感だったな。 >>743
ホントだ。2600は直巻電動機に補極補償巻線をつけて回生制動と、鉄道ピクトリアル286号74ページにあった。
スマヌ。訂正する。
1800のモーターは、諸説あって、MT-30Aとするものが多いが、MT-40ではないのかと言えば、実はモハ63の
500からが「正式に」MT-40なので、050〜250番あたりの元番号を持つ1800は、MT-30のはずなんだよね。
ところが、秩父でバラされている主電動機の画像を見ると、風道はMT-40タイプだけど、コロ軸受けじゃ無いものが
付いており、そうするとMT-30Aという形式も正しいのかもと思える。もっともMT-40は全く無いのかというと、
後に1811となる1821号(元モハ42004)には1802に付いていた台車をあてたので、1802には日立のクイル式を
とりあえず付けたが、後年台車はTR25Aに戻っているから、1輌分はMT-40を購入したのではないかと思える。 >>745
371と20000は車内チャイムこそ同じだったけど、自動放送の声そのものは違ってたみたいだね >>746
東京メトロは英語発音になりつつあるよ
有楽町線ではシンキーバと喋ってる >>746
そうだったんですか。
声の主が調べても分からなかったので、謎が解けました。
つまりもう聞くことはできないということですね。
2000型は沼津までよく利用しましたが後年の追録部分の印象が薄いです。
371系は日英でちがい、さらにライナー等追録等でそちらが
不自然だったのでそれに比べたらまとまっていたためかもしれません。 >>729です。おはようございます。
NHEのモーター図面、長期消えないUpロダなのでまだ見れますよ。
>>747さん
>直巻電動機に補極補償巻線をつけて回生制動
それも図に出てます。回生キレるのが早いけどあの音は思い出だなぁと
キューーーうぅぅぅん・パコン
>>746>>750さん
インサイダー情報は余り書くべきじゃないとは思いますが
あの声の主の女性は知り合いです。電鉄幹部に親族も居たので
80-90年代の内部事情は・・ とても可愛い方です。
今50歳過ぎてますがww
追録分の事務的な声の違和感、これで聞けますね
https://www.youtube.com/watch?v=-DdLMq4mGho
371はこれ
https://www.youtube.com/watch?v=QaU5-9YHn1k こぼれ話
本厚木の発音「ほなーとぅぎぃぃ」てどうなん?
って話もあったんです。
>>749さん
メトロ、いつものお姉さんから代ってるんですか・・
最近東京全然行ってないので知らなかったです。 >>751
このアナウンス、クリアなの最近アップされたのか
以前からあった奴は車内が賑やかで残念だったが嬉しい 現行通勤車スレでも書いたが、今回の8000と1000の一部解体は新5000搬入によるスペース不足が原因だと思う
京王も新5000搬入によるスペース不足でその分の7000が解体された
(要は両社ともどの車庫も容量が一杯ではみ出る分が追い出されたということ)
だが、京王で大規模更新して間もない7000を潰してしまった前科を学んで、小田急では大規模更新した8000ではなく1000が未更新のまま潰されることになったと思う >>581
昔だったら旧4000新性能化や2600組み換え、1000ワイドドア縮小/組み換えのように八景に送って更新という手もあったかもしれないが<1000更新
ただ、やってたなら8000の時点で八景での更新になってそうだが >>310
その時代のJR東日本では検査要員はパンク寸前だった模様 >>78
HiSE/RSEは>>5にも書かれているが抵抗制御というのも廃車理由の一つ >>316
VVVFを更新するタイミングで廃車を選んだものと思われる >>317
開口部の増加に起因する自重の増加もあると思う >>759追加
京王の多扉車は開口部増加を抑えるため戸袋窓を省略していた 小田急車が常磐線に乗り入れて茨城県まで行くようになるとは隔世の感があるね。
先日松戸駅各停ホームで待っていたら、たまたま小田急4000系が入線してきた。
おばはん3人連れのグループの一人が「快速がきた。ホーム間違えた」と叫んだ。
おそらくE531と勘違いしたようだ。もう一人のおばはんは「6番線だから間違いないよ」
と言って3人とも乗り込んだ。その後の会話を聞いていると、「いつもと違うのが来ると焦るよね」
「一応どちらでも走れるようにはなってるんだね」
おばはん達にとって小田急4000系とE531系は同じ物らしい。 もともとつくば博の時に、どどめ色の401-415系をなんか新塗装にしようよってことになって、
常磐線で通勤していた国鉄の幹部?が、小田急の9000を見て、「あの色にしよう」と。
それでそのままじゃ困るから、少し青を濃くしたのが今のE531にも引き継がれているんだものな。 >>754
現3000は当初400両以上を製造する計画で、その計画時代は直通車両の変更計画は無く、千代田線ホームドア設置と常磐緩行線直通絡みで計画変更し
現4000登場に至ったみたいな推測をしている方もいるようなので
あの時に予定通り現3000を旧5000置き換え分まで増備して、
別に現4000相当で間接的に8000まで更新せず置き換えていれば現5000導入による余剰廃車は無かったと思う
最終的に8000と現4000の総数が同じになっていたわけだし
ただ、当時は8000まで廃車できる余裕はなかったかもしれないが >>762
当時は小田急の車両は常磐緩行線に乗り入れていなかったので、単に偶然だと思う
415は九州にもいるし九州のも似たような色になったし >>761
E231とE233-2000も同じものだと思ってそうだな >>762
あれ科学万博のロゴの色ってわけじゃないんだ 常磐線カラーの元はクリームに緑の交流、交直流新色が83年からあり
その焼き直しだよ。明るめにして紺帯。
九州は1年弱後だね。 >>764
ちがうよ。綾瀬駅に停車していた9000を、常磐快速から見たんだよ。
例え通過でも、どの程度の頻度で見たかは不明ながら、なんどか見ていれば印象に残るじゃん。
>>767
よくそんな適当なことが言えるなぁw
じゃあ185系200番台が元かもしれないわけだw クリーム10号を採用したのは185系のほうだし
(713系等はクリーム1号)。 常磐中距離にE501が投入された当時も、快速ホームで待っていたら、やってきたE501を見て、子供が
「各駅(停車)の電車がきた」と言ったら父親らしき人が「検査とかの都合かも知れないな。一応どちらでも使えるようになってるんだ」
と知っているかのようにいっていたので、吹き出しそうになった記憶がある。 ↑E501と203を同じ車両と認識したようだ。
非鉄だとそんなもんか。 ↑E501と203を同じ車両と認識したようだ。
非鉄だとそんなもんか。 その昔ならキハ5000を1700、1900同様、電車と言っていた非鉄も少なくないと思うが。 >>770-771
当時は車体は全く違うとは言え帯だけで間違える人がいたのか >>773
昔KIOSKで売ってたダイキャスト製Nゲージモドキの私鉄シリーズが103系の色違いだったりプラレールの初代踊り子が165系を185系色にしただけだったり小田急NSEと名鉄パノラマ7000が同型色違いだったりと非鉄の認識はそんなもんだ >>774
ダイキャストは非鉄というより割り切りでしょう JRのE231が小田急色の帯に変えたらJRの電車と認識できる人はどのくらいいるだろうか? >>775
あの模型、小田急は前面以外違和感ないと思ったら、小田急顔20m車の側面の窓割が101・103と同じだったことに気づいた
要するに、101・103を小田急仕様にアレンジしたような感じ
東武8000よりこちらの方が私鉄の103だったな さすがに京急が20m4扉だったのは吹いたw>トレーン 非連接のNSEも出てるし
ミュージアムの記念品で出したSEも新たに作ったらしいがやっぱり伸びてるんだろうか >>780
非連接のHiSEもあった
何か変だと思ったが 前にあった、コーヒーのおまけのNSEとVSEはちゃんと連接台車だった。
車体の端は台車半分。 ロマンスカーって玩具化難しいよね。
Bトレなんて短すぎてなんか変だし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています