なつかしの小田急線 7
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>>247
廃車時期と受け側の需要がかみ合わなかったのが大きそう。 >>143
故障しまくったせいで引退が早まったのでは?<束103
その時代の小田急も営業車の整備レベルがアレだったらしいが ABFM車やHE車ってコイル枕ばねのFS台車ですが、国鉄103系のように乗り心地が硬かった
記憶がありません。とはいえ幼少期の記憶なので勘違いかもしれません。
実際のところはどうだったか、覚えている方いたら教えてください。 >>255
そもそも103系は仕様が古すぎてランニングコスト考えると早々に見切りをつけてステンレス
VVVF世代に置き換えたいというのもわかる。とはいえJR西は糞ボロ103を徹底修繕して長年
使い続けているわけで、この辺り両社がどういう試算をしているのか見てみたいものだ。 >>257
スレチだが酉は阪神大震災とその後に発生した尼崎事故の影響で計画が狂ってしまったというのもあるから
阪神大震災と言えば、この影響で2052Fの搬入が遅れ、1995年3月のダイヤ改正に間に合わず、しばらく所定8両の運用を6両が代走するという事があったらしい >>251
確かにステンレス世代が中古市場に出回るようになってからは鉄製の払下げってあまり記憶に
無いですね。秩父鉄道の西武車くらいか?
小田急だと1000系が引退するとなると富士急行きとかなるのかな? >>258
なるほど。阪神大震災はダメージでかいですね。尼崎事故は新車投入に関してはどのような
影響が出たんですか? >>256
国鉄DT33の乗り心地が悪すぎなだけで、キハ58のDT22も悪くないでしょ。
バネの硬さと車重等のバランスが決め手らしいよ。
あと小田急のアルストム式は空気ばね車でもペデスタル式よりソフトだね。 幼少期に見たNHEの非冷房車と冷房車。別車種だと思っていた....
小さい種別幕、白幕、ベンチレーター。細かい違いで雰囲気変わるよね。
ウインドウヘッダーやシルのある世代車両だと原形とHゴム角丸迄窓化で印象激変。
角丸窓が絶望的に似合わない。 >>261
なるほど。DT22ってDT33と見た目そっくりですね。バネ定数やバネ上バネ下のバランス
だけで乗り心地が大きく変わるんですね。
あと小田急って軌道状態がとても良い印象。乗り心地の柔らかい形式を好んでいるのは
そういう事情もあるのかもですね。 >>257
黒字倒産 キャッシュフロー という言葉を勉強しよう
JR束とJR西はダンチだよ
新車を導入しても、会社が倒産しては元も子もない ↑ 「 」内 追記
「ランニングコストの低い」新車を導入しても、会社が倒産すれば元も子もない >>262-263
それ同感。NHE非冷房の4000みたいな運転室後ろのルーバーとか
一部車両にしぶとく残っていたグレーHゴム(多分最後は冷改後の2661運転席)
小田急だとシルヘッダーある車両でも顔だけはHゴム化が早くて
旧国のようにはいかなかったね。1600-1910がまさに。
軌道の悪い線でアルストムって跳ねるのかな?Sミンデンよりはマシじゃないかと
ミンデンドイツやシュリーレンはどんな軌道でも揺れにくいと言う話。 >>119
仮に1082Fが登場していたら史実の2053Fは登場しなかったかもしれない
6両10本→8両6本で、不足分が4本
それが1081・2051〜2053だったから >>259
ワイドドア車が養老に行く噂がある(>>238も参照)
長電も不可能ではないけどね(東急8500は湯田中に入れないし) 小田急車の正面貫通扉ってかなり昔のABF車まで遡っても幌をつけて運用している写真を
見たことがないのですが、あれってなんの目的ですか? 慣例でなんとなくつけてたにしては
2200で一度非貫通になるもすぐに復活してるし。行き先表示版の入れ替えを室内から
行いたいとかですかね? >>270
昔は行先板の交換という話もあったけど、方向幕時代になったら
その必要ないし実際開けてる所って見たことないね。 >>270
単にデザインでしょ?
小田急は20000/2000まではデザイン重視だったし >>270
車内清掃の人が通るため。
あとはごくたまに運転士が前面ガラスの掃除なんかのために開けていた。
2200についても、清掃係からいちいち車外に出なくてはならないので不便
という指摘があり、貫通化を検討していた時代があり、そのために
方向幕化が最後になった。
ただ、疑問なのは2400までは車掌側を室内仕切りでたためるようになっていて、
運転室側は仕切り扉で閉鎖出来るようになっていたので、
将来的にホロ取り付けを考慮はしていたのかもしれない。 貫通路両サイドの大きめな手すりは
連結作業の関係? >>273
HEって助士側閉鎖出来たっけ?
運転士側に小さな窓付き仕切りがあったのは覚えてる。
一方、2220の写真出てきたがそれがなく
メーターパネルからすぐ貫通扉だった。 >>276
HEまでは出来る。
FM系は、運転台取り付け改造車のみ? >>80
というより10両固定も製造せず、その分6+4を増備すべきだったんでは?
当時は分割併合が多かったため、10両固定は使い勝手が悪かった
>>222
分割併合が多かった時代に他車との併合を考慮しない車両を新設計したのが…
1000増備の方が勝手が良かったろうに
>>227
1000と2000の最大の違いはブレーキ方式
1000はHSCだが2000はMBSA >>278
千代田線乗り入れ用は10コテでも問題無かったんだろ。 2400形HE車も廃車から丸30年経ったのか。
特徴的な大きい長いそろばんの様な主抵抗器
が今でも目に焼き付いてるね。 晩年の多摩線新松田小田原懐かしいね。
それにしても阪急1010系と同じ時期に言うのは結構意外冷房化されたのにね。 結局2400の冷房化率は廃車時まで、1両のみでいいのかな。 >>281
日本語でおk
なんだけどw、阪急1010系列の冷房改造は、当時相当な驚きだったねぇ。
2400が非冷房のままになったのは、20メートル車じゃなかったので、
早期淘汰の方向になったんだろうね。
>>282
2478の1輌のみ。試作改造だったからね。枕木方向にMGを付けたのは、
当時のNSEに合わせたのかな。 >>283
仮に2400が20m4ドア車だったら90年代まで使われていた? 16m車に8000kcalx5ってのは強力過ぎたな。2478。 >>284
当然冷改の対象になって、90年代はもちろん、へたすれば新世紀まで
活躍したかもしれん。
そうすると旧4000は吊り掛けのまま廃車かも。
>>285
大きい分にはあとで減らせばいいのだから、試験車として十分な量にした
とピクの記事にあるよ。
つまり20メートル車での容量がどのくらい必要かについても、
16メートル車のクハ2478から計算していたのだろうね。 2478は効きすぎて寒く、隣で丁度良いと思う日もあったな
小田急は最混雑時以外寒く感じたのは
他社より容量も大きめな上分散で効きが良いからなんだろうな >>218
今の2000は千代田線直通を想定していたが、仮に千代田線に乗入れていたとしても今頃は地上専用になっていただろう >>285
2478は性能試験車らしく、運転室の貫通扉上に冷房装置の配電盤が増設されていて、1台毎に入/切が制御できるようになってました。遭遇したことはないですが、天候によっては3台だけ稼動させるようなこともしていたかもしれません。 >>290
5台のトグルスイッチ上がってるのしか
見たことないな
オン・オフしか出来ないから加減してたのかね? >>280
2400のモーターを4000に流用して新性能化した訳だが,うまいこと流用するモーターの数が合ったなあと思ったものだ。 4000のM車が4連8本6連10本92両中56両、
HEが4連29本M車58両、2両分ストックできたわけか。 >>294
前任の2218が10年間しか持たなかったことに比べれば
よく持っている方だが流石にそろそろ交代の時期かな 2202だったらみんな嬉しかったのになぁ。
1700の廃車待ちかな。8000より長持ちしそうだし。 1700の廃車まで持たせるか、クハ8564が事故廃車になれば、
代替でクハを供出した編成から、余るクハ8251か8255あたりを。 1700なんか来ても嬉しくないねぇ。
もう車両置くのはやめるという行政にありがちな緊縮策かも
交通公園という名称も変えてしまうことありうる HISE/RSEはよくハイデッカーだったから引退と言われているが、抵抗制御というのも廃車理由の一つ
抵抗制御/完全新造車だから早速長電が手を挙げたんだろう
長電は地方私鉄で、地方私鉄なら新しい車両の方がいいんだろうし >>301追加
最近の地方私鉄の車両調達に困ってるのは抵抗制御/界磁添加励磁制御が少ないというのも理由にあるらしいから、そういった点でHISE/RSE/371は渡りに船だったんだな
(チョッパやVVVFは電子機器だから、簡単に長持ちしないし地方私鉄でも扱いに困ってそう)
でも、今後小田急車が地方私鉄に行くことはなさそう
殆どVVVFだし VVVFやブラシレスMG、SIVなんかが誘導障害を起こし、
その対策に多大な金がかかるからだろ、地方私鉄敬遠気味な理由は。
> 地方私鉄でも扱いに困って
必ずしもそういうことでもない。
福島交通や上田電鉄など、VVVF車をあっさり導入して使いこなしている
地方私鉄も多いから、全車取り替えで補助金が出るかとか、いろいろな
事情が絡んでいるのだろう。 VVVFはブラックボックスで半導体の寿命が来たら丸ごと装置交換しかないので結構大規模な修繕になる。
抵抗制御の機構の単純さが地方私鉄には適してるんだろうね。 それも時代が変わるでしょう
工場の職人定年したら補充せず外注の車屋とかに
頼む会社も出てるし、モージュール交換型保守が
普通になっていくと思う。もう抵抗制御用部品も
特注しなきゃ共食い保守しかなくなってきてるしね 1000/2000まとめ(現行車両ですが)
1988〜1990年は1000を従来と同じ構成(4連/6連)で増備
1991年は1500(2mドア)
1992〜1993年は通常の1000に戻るが、10連・8連に設計変更
1994年は増備なし
1995年に2000の最初2本
その後しばらく増備なし
3000登場直前になって2000を急に7本増備
もはや1991〜2000年が完全に迷走してた感じ 分併の廃止を考え出したのはいつ頃なんだろうか?
もっとも、1500/1090/1080の段階ではまだ分併廃止なんか考えてなかったよね 90年代は複々線事業に全力投球の時代
車両なんぞ三の次、四の次
冷房化と大型化が完了していたから、代替する必要がなかった >>308
というより外から省エネ化要請が来て抵抗制御車が要らない子になったから00年代中に急速に代替することになってしまっただけ
小田急に限らず他の関東の事業者も似たような状況だった
90年代は小田急に限らず他社も新造車は輸送力増強用が多く、従来高性能車置き換えが積極的だったのは京王くらい
省エネ化のお達しが無かったことも理由にあると思うが
(昔の抵抗制御は技術さえあれば長持ちするため) とは言え1000が最新の時代でも車両メンテナンスのレベルはかなり低かったらしいし今の3000を大量投入による押し出し廃車は早い段階で分かっていたんじゃないかな?
(当時、他社では少なかった幕故障も小田急は1000ですら散見されていた模様) >>309-310
2代目4000形がデビューする前はどちらかといえば各停のほうに新車優先的に入れていたよね?
消費電力面でもそのほうが合理的だし、
初代5000形なんかは最初から自社線内の急行系運用前提設計であったため、
起動加速度が2.4と低かったということもあったろうけど。 5000の4連が2.4 5200こと6連が2.7だっけか
しかしカタログ上でのHEが3.0ってホントかな?
5000と大差なかったように思うけどね。 >>314
シートが深々してて良かった。
この季節だと扇風機使用で,夜間は蛍光灯点灯半減ナツカシス >>193-194
1500は確かに廃車は勿体なく感じるがHISE/RSEを20年ほどで潰したから見切りが早いのは確かだし、最近では保存されていた車両を解体してるくらいだから廃車となれば容赦無く解体だろうな
元々特殊用途で導入したので(1500導入で何が廃車になったわけでもなく単なる純増)
また、1000とは前面やVVVF・電動車の位置が同じなだけでそれ以外は構造が全く異なるし、SIVも先頭車にある
(1000はSIV・VVVFをM車にまとめて搭載、また2000は車体部分は1000ベースだが) つまり1000とは構造が異なるため新造車へ置き換えの方が得という判断がなされたものと思われる ホームドアに対応できないこともあるから仕方ないだろう。
メトロ06系や横浜市営2000形なんかも同様に。 >>316
HiSEやRSEはバリアフリー関連の特殊事情だから >>319
抵抗制御であることも廃車理由の一つとされてるが 1000標準車更新はまるで新車なのにね(しかも新型VVVFを搭載)
ただ、この会社はやる時は徹底してやるから1500廃車となれば容赦なく車体を2分割して大野から搬出し渡瀬で解体されると思われる >>318
それ京王6020だろ
1500はドア位置は2000と殆ど同じだからホームドアは関係ない筈 >>322追加
京王だがライナー車両や旅客用ではない事業用車まで4ドアになっているのは、ホームドアのセンサー対策のためらしいから
その関係で、ドア数の違う6020は早期に捨てざるを得なかった 9000は扱い難かったそうだが
一瞬で全廃となった辺り余程整備側からは嫌われていたんだろうな 9000しか6連の冷房車がなかった頃には結構重宝されていたに違いない思うが。ちなみに関西でそのあたりに小学校だと9000と言えば小田急唯一と言っていい
6連の急行小田原行きだったイメージ。何の本か忘れたが多分学研あたりの本で9000新百合開業直後頃写真イメージ。 9000は地下鉄直通の特殊仕様だったからね
最後まで地下鉄直通で使い切っても問題なかったんでは? >>321
長電とか富士急に譲渡はないのかな?<1500
1000とは違いSIVが先頭車にあるから、多分無改造で1M2Tが組成できそうだけど なにしろ9000は8M2T、4連オールMなんちゅう贅沢仕様
複巻モーターだしそりゃ嫌われるよ >>329
国鉄常磐線への乗り入れを考えて、103系1000番台に合わせた性能だからだよ。
それと、電機子チョッパ制御に踏み切るには、回生ブレーキ時の架線電圧上昇とか
もろもろの問題があったので、当時は採用しやすかった界磁チョッパを選択したのは
まあ妥当な線だったと思われる。
地下用に使い切るということも検討はされただろうけど、営団が6000、
国鉄が203系となったとき、さすがに抵抗器がある9000だけそのまま
と言うわけにはいかなかっただろう。 4M2Tは箱根急行にも使われたけど、余り性能良くなかったように覚えてる。
モーター音だけは小田急らしかぬ重低音だったけど。 40キロまでの加速は良いけど、そこから伸びないんだよね。
5000の6連とは大違い。あっちは80キロからもぐんぐん加速する。
高速域の加速が弱いと言われてる2600と比べても9000は
ガーガー言ってるだけで基本は回生が効く75キロ以下向け車両 5200のモーター出力は、端子電圧を統一して計算すると、およそ150kw級。
それの4M2Tと、9000の110kw・4M2Tじゃ、性能的には苦しいだろうなぁ。
2400でも、132kw級になるのだし。
歯数比を5.31にしたのは、郊外での高速性と地下鉄での高加速の、ある意味
矛盾する要求をなんとか満たしたいという苦心の設計上だろうが、
「当時の技術としては」それでも先進的だったのだろう。 あの時代、小田急で最も高性能だったのは古参のFM車だね まぁ17.5mでMM'75kW x 8だったら
加速3.5以上行けるのを3で抑えて高速に振ってるからね。
余りに電気食いすぎるから並列で限流値下げてる特性だがw
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org615861.jpg 20000の引退理由に下北沢の坂も理由にあったらしい
なんでも二階建てが重かったとかで >>82
長電や富士急のバリアフリー対応は短くなったからこそできたこと >>338
長さは関係ないだろ
>>82であってるよ でも9000の顔は一度見たら忘れられない
泣き顔とでも言うのか >>322
1700形も先頭車から中間車に改造した車両が引っ掛かると聞いたことあるが。 以下のURLの動画(の音声)はSE車の初期の補助警報とのことですが、
いつ頃まで使われていたのでしょうか。
https://www.youtube.com/watch?v=1j2ZNqLJoe8 >>344
ありがとうございます。
登場から10年あまり使われていたのですね。
これが鳴りっぱなしで走行するシーンに立ち会ってみたかったです。 >>146
サハ2762のVVVF(三菱MAP-184-15V09)搭載試験も
(試験とはいえ)サハに制御器搭載というのが特殊だが…
>>143
京王6020も他の同6000系列とは違い部分的にステンレスを使っていて長寿命化が考慮されていたが、結局早期廃車に >>346
サハ2762へのVVVF装置取り付け試験は、おそらく他に適当な車輌もなかったし、
サハに一応電装準備がされていたからだと思うよ。
営業しながら試験をするというのは、長期間の試験としては最初からの想定だろうし、
そうすると例えばデハ5100形をVVVF化して、というのは営業中に不具合発生の時の
リスクが大きすぎるし、その面では2600はTを臨時にM化して、最悪そのMを
解放しても、元のMMMで区まで帰ってこられるから、うってつけだったのでは。 サハ2750はその後IGBT-VVVF(三菱MAP-178-15V50)も搭載
しかし5年程で2000増備車に置き換えられ廃車
東急7915Fとかに近かったと思うけど(東急7915FもIGBT試験車としてサハ7850を電装したがこちらも結局すぐ廃車になった) 2000が他形式と連結した12両での試運転もあったとか
これも営業ではないとは言え12両とは… >>327
新宿口各停でも充分高加速性能を活かせたと思うが… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています