なつかしの小田急線 7
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あんなに不祥事立て続けに起こしたんだから日本大通りは改称すべきだろ。 >90年代の小田急が通勤形車両を少数しか製造しなかったのは、複々線化の工事に投資を集中させたため。
>その複々線化工事も反対運動やバブル景気による土地価格高騰により、計画が大幅に遅れていたため、
>ラッシュ時のピークサイドに数本しか増発できなかったことから1000形・2000形は少数しか製造されなかった一方で、廃車も出なかった。
というより当時は束でも普通に60〜70年代の車両が走ってたから、小田急も通勤車を簡単に置き換える必要性は薄かっただけじゃないかな
ちょうど束で103が故障しまくったことが、関東の抵抗制御車の早期撲滅を推進する要因になったかと
だから小田急は3000まみれになってしまった >あと、5200形の車体更新を途中で打ち切って廃車したのは、複々線化計画が下北沢付近の住民の反対運動により、
>代々木上原−梅ヶ丘間が高架式から地下式に変更されて、梅ヶ丘付近に地下から高架への急勾配が設置されることになったため、
>その区間に対応できないためである。
>(通常時の走行では問題は無いが、故障車両を回送させる際に後ろから押し上げるパワーが無いという理由から。)
そんな事無いがな
2本だけ残ってる8000未更新が普通に下北沢の坂道を登れるんだから >また、10000形・20000形は製造から15年以上が経過して車体更新が検討させた際に、
>車体がハイデッカー仕様のため交通バリアフリー法に引っかかり、
>出入り口の段差解消などの改造工事が大掛かりになって改造工事の費用が嵩むことと、
>抵抗制御方式のため、省エネの観点からも更新工事を施工してまで継続使用するのは得策ではないと判断されたから廃車となった。
>(80年代後半は、まだVVVFインバータ制御装置が高価であり、
>特急形車両は停車駅が少ないため起動・減速の回数も少なく省エネ効果も低いため、
>10000形・20000形は近鉄21000系・26000系などと同様に導入するメリットが無いと判断された。)
でも10000は長野に、20000は富士急に行けたんだから良かったじゃない
仮に10000が高床式じゃなかったら7000と廃車順が入れ替わってて、長野には7000だったろうから
長野としては新しい方をもらえて好都合だったんじゃないの? >>3
当時は冷房化・大型化が完了していたので、代替新造の必要もなかったわな
各停8両化などで幾分の増車はあったけど >営業距離の長い私鉄と言えば小田急は3000形、京急は1000形を大量投入した。
3000を大量投入したのは、束で103が故障しまくって国交省から抵抗制御早期撲滅を推進するという声が出たからであろう
でも全部置き換える体力が無かったから8000・1000・2000が残った
3000が千代田線入れないから急遽4000がつくられたが、3000が千代田線対応してたら京急1000・京成3000みたいに今に至るまでずっと3000が作られてたと思う 4000作ったのはJRと総車のやんわり圧力があったとか。
3000のマイナーチェンジ貫通扉付きでも技術的には可能だけど
東海系日車が設計したのは面白くない。
相鉄のJR乗り入れ用も日立の20000じゃなく総車設計12000にさせてる。 3社直通が昔からだったら203・207-900が小田急に乗り入れ、後の209-1000も小田急に乗り入れていただろう
逆に小田急1000が(ry ああ、国鉄字幕で準急とか急行(特急車では珍しくないが)表示見てみたかった >>9
ピクトリアルアーカイブス以降の電車ももはや懐かしのなんだね。 >>11
国鉄近郊型や急行型の正面のおデコにあるのじゃダメ? 一時期代々木八幡の急カーブにレール塗油器が多数設置されてて晴れの日でも空転が酷かった記憶がある 2600全盛の頃の代々木八幡
クゥぉぉぉぉーん プシュ! クぉぉ プシュ!パコン!って
空転検知→遮断器動作が懐かしくなってきた 1980年頃に配布されていた駅時刻表
3.4両編成の表示がされています。 その頃、4000形3両の定期運用ってまだあったんですね。 >>18
ありましたけど、
それらとは別に4連の代走ということもあったようですな。
学校帰りに乗るいつもなら中型4連の列車が、
4000×3で来たことがあったと記憶。 昭和55年のダイヤ(平日)
スキャンの関係で17メガあります。
3連運用はx2の6両しか目立たないけど
探せば何処かに3両で走ってるのがあるかも?
https://dotup.org/uploda/dotup.org1667632.zip.html この時代が乗り鉄としては最も楽しかった。
箱根急行がまだ中型4両だった頃。 >>20
地価工事中の新宿3線時代ですか…懐かしい。 朝にダイヤUpした者です。
この頃は沿線に親戚や友人が居ましたけど住民ではなく
たまに遊びで乗るので4000や1800、2200、2400好きでしたね。
沿線で毎日通勤してた方々には暑い、中型は混雑激しいと
非難轟々で早く潰して欲しい車両だったんでしょうけれど。 1800形の引退セレモニーへ親と行った時、新百合ケ丘で1800形を待ってたら、
ピカピカのLSEが通過していって、みんな「LSEだ!」とカメラ向けてた。
当時はカメラなんて持ってない小学生だったから撮影はできなかったけど、
生で初めて見たLSEに興奮した。そんなLSEも今年引退…。
年を取るわけだな。
賛否両論あるけど、LSEはロマンスカーの中で特別に好きだった。 8000形デビューで
中型車も無くなると思っていたら
通勤形塗装車の最後になってしまったりと LSEと8000は過渡期を拒絶反応なくつないだ車両だね VSEが数年後にここに仲間入りしそうな勢い。
LSEが引退して連接車はVSEだけになったが、連接車は整備に手間がかかるので、連接車が理由で早期廃車になる可能性もある。 >>24
1800引退時点で在籍していたLSEは2012年までに先行で廃車済み。
>>25
2400引退時点で在籍していた通勤車のうち、現存するのは8000形全車と1051〜1061F・1251〜1253Fだけ。 他でも書いたけど当初は9000系を地下鉄直通用だけでなく地上用にも増備する予定だったが、
運転車両部から5000系の方が好評という意向で5000系の6連版(5200番台)となったらしい。
ちなみに1000系も通勤車の大規模置き換えが始まる前は最大勢力だったが、これも現場からの評価が良かったから。
むしろ2000系作らず1000系継続増備で良かったんじゃないかな。 >>31
上2行、まるっきりウソを書くんじゃねーよ。 2000作ったのは迷走期でしょ、デカドア1000で失敗しても
ややデカドアの各停用8連が欲しいとか思いつきで。
N8計画も過渡期の迷走としか言えないしな。 >>15
チンチン 塗布器の音。
あと踏切の×点灯標識も消えたな。 >>32
何らかの書籍にはそう書いてあったような気がしたけど…
>>33
N8は最初から暫定的なもので、通勤車量産に余裕が出たらすぐ置き換える前提だったと思う。 >>35
ピクトリアルの小田急特集なんかには、
ちゃんと100輌を計画していたところ、運用数が6と決まったので、10連×9本ですむ
ことがわかり、10本作っていた4連1本を6連にして、合計90輌としたとある。
最初から地上用にあんな重装備の車輌を大量製作するはずないだろ。
5000のほうは、当初より9000の増備が終わったら、6連口を増備することは、
既に計画されていた。現実にs44〜46に5000の4連12本、S47〜49は9000、
S50〜は4000中間車の緊急製作、S51年に5000×4×2、S52に5000×1、9050×2、
5200×1。計画通りじゃんか。 2200に付いていたというトイレはどうやって汚物処理をしていたんだろう? >>37
2220と2300、2320のトイレでしょ。
2220まで(含む2300)は垂れ流し。
2320は日本初のタンク貯留式。経堂で抜き取り。 >>38
ありがとうございます
すごい!あの時代で小田急は抜き取り設備があったのですね
国鉄の当時の最新鋭の151系でさえ垂れ流しだったのに >>38-39
SEがまだタレなのに2320は画期的だね。国鉄は0系まで無いんだっけ >>28
ホームドアに対応できないもんな。
RSEがデビューから20年強で廃車だったし、
同じような運命になりそうだ。 >>24
1800形って20m車だったから秩父には売らず最後まで自社で使い倒して良かった気が…
1991年に1000形ワイドドア車に置き換えれて全廃されるというストーリー気がする。 >>43
鈍足で使い物にならんから。
4000は釣掛としては異例の高加速車だからね。
8M2Tなんか当時の西武初期カルダンより速い MT比高いためかツリカケにしちゃ加速よかったね
似たような足回りの東急の3000代も結構加速よかったように覚えてる 東急3450からのもHS267の高回転型、
2M1Tでもかなり良いし、大井町線じゃ4M1Tもあったはず。
小田急MB-146系も近鉄特急に使うくらいの高速仕様
低トルク高回転型が結果良かったんだろうね。
1800のMTじゃどう足掻いても五月蝿いだけで遅いし
共通部品考えたら4000は賢明で22両少数の1800潰して
次がFM46両の淘汰っていうのは良い判断だったんでしょう。 そういや4000の4M1Tなら起動加速2キロは越えて
東武8000MTより加速良いかもなぁ。
95キロ限界とか言いながら100越えたの何度も見たよ。 なんで吊り掛け4000がそんな高加速だと思うのよ。
2M1Tで1.9km/h/s、4M1Tでも2.1km/h/sだよ?
4200−4300増備時のピク記事に書いてある。
もっとも、8000とぶっつけ本番併結営業運転できたんだから、
比較的吊り掛け車としては高加速のほうになるのかもしれんが。
1800はやっぱり高出力なMT-30A、40モーターが幸いしてか、
力は強かったなぁ。 速いじゃんw
2.1って1970-80年代の国鉄節約新性能や
前述東武8000に負けない吊り掛けだよ。
10連で満員が急行で走ってたの褒めてやろうよ。 保存車は実質保存というより放置になってしまったね。
今後ロマンスカーは海老名で展示されるが。 お
わ
り
の逆文字が懐かしい。。。
こんなこと書いても判る人も少ないよな。。。。 >>57
だね。 小田急で見た記憶ない。
急行┃↑りわお↑ (文字反転) これは近年の1000形とかも。
2200、2400や4000の助士席上白地種別は 矢印のみだった記憶。 方向幕ネタもう一つ、ご存知な方いらしたらお聞きしたい。
5000の4連、種別ボタン選択式時代にボタンで選べるのが
各停の真っ白 準急 急行の3ボタンのみ。 新宿工事中3線時代など
朝ラッシュで新宿に急行で着いて折返しすぐ回送になる際に
脇のダイヤル部をくるくる回送まで回す間、
通勤急行や快速準急の表示が見えていたのをよく覚えてて
この頃(5000新造時?)の幕の配置順をご存知でしたらお願いします。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています