懐かしの入換用機関車・車両
昔東武杉戸に居たボンネットが付いてる自動車ボディを転用した入換機が印象深い
皆さんの記憶に残る入換機は? 晴海のDD13っぽいやつと青森の公共臨港線の関水チビロコみたいなやつだな。
特に雑誌やウェブで後者の記録を見たことがない。 そういえば、昔のタモリ倶楽部に平成元年廃止東京都専用線の青いDLが専用線廃止10年以上経ってるにもかかわらず越中島あたりの倉に保管しているとこが出てきてたっけ。さすがにもう残ってないか? 近鉄古市を根城にしてたデ65
工場内に引きこもってついぞ営業線に出ること無く
姿を消した悲劇の機関車
工場の見学の時に撮影させてもらったとき以外、
実物を見れることはなかった
貴重な経験だった 見た目は機関車でも実際には機械として扱われてたのかな
車籍はあったみたい 工場内が持ち場と思えば悲劇でもなんでもない
悲劇ってのは事故に遭ってめちゃめちゃに破損することだろう
そして遭難の可能性は営業線の方が高い
古市から一歩も出なかったのは幸運なのかもしれん 個人的に入換用は現役を退いた旅客車か機関車の成れの果てのイメージなので、端から入換用の使命を持ってる車両には憐れみを抱くよ >>13
青一色に塗り潰されてたので由来を知らないとただの物置か機械にしか見えん >>16
あれ、車番をもらえず機械扱いのままで終っちまったんだな
スタイルは平凡だが見れば見るほど、噛めば噛むほど味わいのあるスルメみたいな車だった 中古車なんてわざわざ地方中小に食指を延ばさなくとも自前で調達できたでしょうに
謎だ >>1
転用ではなく初めから鉄道専用として設計された >>19
前任のモハ1101がデハ5に復元したのに関係してる
創立80周年記念事業の一環で、東武動物公園に大年の車両を展示してたな
何故か都電6000もあったね
上電デハ161調達の前後数年間に荷電が廃車になってるしね
それらは機器関係に問題あったんじゃないの? >>1
ボンネット??
目的は?クルマのようにその中にモーターを置いてたの? ネットで検索しても全く画像が出て来ない
妄想じゃねえのか 上毛から買い取った中古は元を糺せば西武が発祥
間接か直接を問わず大手が別の大手から中古を買い入れるのは珍しい オイルショックのころ、名鉄が東急から3700を買ったし
東濃経由で西武の中古車も入れたよ 熊本電鉄モハ71は当たり前すぎてダメですか
まだ現役ですし 竜華に居た控車ロヒ。機関車の手摺にぶら下がるんじゃなくて控車に乗って作業する。
安全でいいね。 >>28
保育社カラーブックスには「名無しの権兵衛機」と紹介されていて随分な書き方だなあと思った 東武西新井の運転台窓だけ横に細長くなってる異形の顔した入換車
上毛の中古品とは別 近鉄橿原神宮前の台車振替場に常駐してた初代600の残党
90年代といえば支線区まで行かないと旧型ボディ車は見られなくなってたので
手近に拝めたのは貴重だった 趣味的に見ると軌道線車両が退役して鉄道線車両の車庫で入換に従事してる京阪寝屋川の元72が興味深い 寝屋川のは手が入りまくってもはや別の車なので今一つだな
>>15のとおり 先代の入換用が寿命になったので後釜を探してたらちょうどいい具合の車が見つかって…、という流れでしょ 京阪の場合はちょうどいい具合じゃないよ
路面電車が郊外電車のショバに乗り込んで行ったんだ 名鉄鳴海のデキ
黒+ゼブラが似合ってたのに晩年は青に塗り替えられガッカリ >>46
青も似合ってたしかっこよかったよ
貨物残っていたら絵になっていただろうよ 同じ場所にじっとしたままのことがあったな
定位置だったのかな あまり注意深く観察しないから定位置がどこなのかも分からない 青は青でも国鉄〜JRの直流機関車のような青が良かったな >>39
東改札(ホテル側)から少し歩いた所からよく見えた
定位置があったんだろう
例の京阪寝屋川の入換用が原型を留めないくらいに改造されてるのに対して、
こちらは色以外は当時のままで、車体中央に寄ったドア位置が印象深い。 コストかけずに転用する趣旨でいうと京阪のやり方はヘンだな
そもそも軌道線所属車を鉄道線の車庫に転属させるのも違和感あるし… 懐古ファンへのサービス込みなら原形維持のまま入換用に使えば良い
また、機能性を求めるならモーターカーを買う方が合理的
今は後者が圧倒的主流 福井鉄道デキ3
貨物→失業
除雪→失業
で入換に転職したレアケース 近鉄高安に居たダブルルーフでオープンデッキ化された旧大軌木造車が人気だった
2回撮影させてもらえた >>61
私鉄電車のバイブルと言われた慶応大学鉄研のガイドブック近鉄編には
「アメリカのインターアーバンを思わせる優美なスタイル」と評されていた
インターアーバンという単語をこのとき知った 1990年以前の出版物だとインターバンと表記されてる >>61
もうすこし長生きしてれば保存されてたか・・・ 京阪近江神宮前にもオープンタイプの入替用兼事業用がいた >>46
名鉄のELは貨物牽いたり入換やったり、果ては新線の踏み固めまで引き受ける万能選手だったらしい 門司にDB10のなれの果てが居たとは気づかなかった >>67
カラーブックスの解説文に記されているから間違いではない
白井御大の著作であるぞ >>72
カラーブックスといえば尾西鉄道引き継ぎのデキ1が紹介されていた
まさに入れ換えにピッタリサイズのB型 自分が見に行ったときにはもう動いてなかったが岳南501が元名鉄さらに元を辿れば上田丸子電鉄が自社発注した電関とは興味深い 岳南のELといえば入換用ではないが松本電鉄から譲り受けたデラックスな新鋭機があったな
今はどうしてる 豊橋鉄道のデワ11は現役時代によく撮らせていただいた
引退後はサンテパルクたはらで展示 豊鉄に帰属して良かったな
名鉄のままだったらずっと早くお釈迦にされてしまってたかもしれない 自然発生的にファンが増えるのが理想
会社がことさらプッシュして客寄せパンダにしようとするのは萎える >>86
京福電鉄福井支社のことは言わないでくれ! フルスペックの機関車を入換用に充てている会社を見ると贅沢だなと思ってた
それが一面的な見方とあとから気づいた というか、
貨物輸送全盛期に専用の機関車導入→貨物輸送衰退で失業→有効活用策として工事事業用・入替用に転職
大体の会社はこういうプロセスをたどったように思われる。
初めは貨物輸送目的だからフルスペックになるのはしごく当然。 いくらでもある
てゆうか箱型と凸型を分ける意味が分からない 奇遇にも名古屋市地下鉄の鶴舞線日進の入替用DLも名鉄入替用ELと同じ青一色
車号ロゴは市電時代の伝統を引き継ぐ 3000系よりも小さいしそんなにでかく見えなかったけど 追伸
機関車に詳しくないので出力に見合う車体寸法の相場が分からない スレから逸れるが地下鉄は車庫の立地に苦労する。
日進は名鉄線内。入出庫のために他社線を通過せざるを得ない。 1970年頃、大阪駅に停まっていたのはEF-59かな? 1960年代頃田端区にビューゲルのEBクラスの機関車見た覚えがある。
動いている形跡がなかったので、保存機だったのだろうか? 入替という言葉じたい知らなかったが、池袋ではDD13が一日中走り回っていた >>105
あの横向き運転席が入換には便利そうに見えたが、高速で本線走行中は違和感ないのかなって思っていた。 >>102
地下にある赤池の構内で豊田線とは分岐するから
乗入先路線に隣接して基地はあるけどいわゆる植民地車庫とは違う
運行上日進出入庫では通常中線しか入線しないしから
通常豊田線とは通る線路が違うし >>100
言わんとしてることは分かる
入換用というとB型の小型機という刷り込みがあるわ
多分学研の図鑑の影響と思う USATC TM55 1268
www.chartertoconductor.com/wp-content/uploads/2019/06/Operation_and_Maintenance_of_Diesel_elec-1.pdf
80t、670 hp
www.militarynewbie.com/wp-content/uploads/2013/11/US-Army-Operator-and-Unit-Maintenance-Manual-Locomotive-Model-B-B-160-and-160-4GE747-A1-TM-55-2210-224-12.pdf
DD12
www.1999.co.jp/image/10782372
4サイクルディーゼル機関の技術系統化調査
sts.kahaku.go.jp/diversity/document/system/pdf/044.pdf 実質的に入換用だが車籍がなくて書類上機械で使われていた動力車があったんだね ノスタルジック鉄コレ4弾の凸型DLのネタ元となった東室蘭の移動機
岩堀氏のブログか昔の鉄ピクしか画像が出てこないな
どこかにカラー画像が残っていないのかな? 岩堀氏の所蔵資料はすごいな
移動機械までカバーできている おおおっ
これは見たことなかった
まさにトタン車両だな