懐かしの速度超過
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速度超過に、法的なものはないのかな。
速度超過してもすぐに危険な状態につながるわけでもないし、
鉄道会社としては、遅れを取り戻すための方法として
黙認していたのだろうか。 1996年3月10日未明の上り大垣夜行。
沼津〜三島の間の踏切で自動車の脱輪事故があって沼津で足止め。
三島を22分遅れで通過したあとも、走行速度は回復運転と思えるものではなかったが、
小田原から急に爆走が始まり、東京到着時には遅れが10分に縮まった。
爆走のおかげで俺は高崎線の初電に間に合って助かったが、
どう考えても速度超過があったと思う。 歴史的経緯を含めた難しい問題もあるが、今は「鉄道だけ」やたら厳しい
安全規制をかけられてる感じ。 >>23 鉄輪と鉄の線路の組み合わせだと摩擦係数が低く、ブレーキかけてから停止するまでの距離が長い、そして自動車のようにハンドル操作で進路変更することもできないという、鉄道の短所を考えるべきなんでは? 戦前、軽便レベルの規格で人口密集地域を曲がりくねった路線で最高時速60q程度で走っていたのが、多少改良されたとはいえ基本的に同一の路線を最高100qで走るようになる、なんてことは道路では想定できないよなあ。
騒音問題もあるから人口密集地域さけたバイパスルートにするか、立体化して高速道路にする。鉄道はそんな改良を最小限で済ませてきた。 昔、片町線の忍ヶ丘駅の長尾寄りの下り勾配から殆ど速度を落とすことなく
左カーブを曲がって東寝屋川駅を猛スピードで通過した207系に乗ったときは
ちょっと怖かった。
遅延していたのかしらんが、明らかに通常よりも飛ばしていた。
この運転手は、後年の尼崎事故の運転手だったのでは?と今でも思うときがある。 青山事故の時の近鉄特急は120km/hで単線のトンネルに突っ込んだらしいからな あちこちの路面電車 あきらかに時速40キロオーバーで機敏に走っていた >>30
横浜市電の小港ー本牧三渓園間は、両側に米軍のベースがあった関係で、
停留所間が1キロ以上と長く、子供の頃の記憶だけど、結構飛ばしていたと思う。
そもそも横浜市電には速度計が無かったので、何キロ出てるのかは判らなかったけど、
市営バスに乗車中、同区間で市電と並走した時にバスのスピードメーターを見たら、
丁度60〜55Km/h位でピッタリ並んで走っていたのを覚えている。 横浜市バスもデジタコがとてもうるさく
今おいそれとそんなスピード出せない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています