幻の鉄道車両を語るスレ 2両目
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計画の頓挫した鉄道車両を語るスレです。
国鉄・私鉄問わず語りましょう。
例:187系電車、東海道・山陽緩行105系、長野電鉄パノラマカー3000系、
能勢電鉄自社発注新車、近鉄7扉車、阪神スーパージェットカー、
京急2100型流線型、野上電鉄80型、西武鉄道7000系etc
前スレ:1両目
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1378731633/l50?v=pc >>840
国鉄が最後のころ、新幹線電車について、「スーパーひかり」で時速260kmの運転をしたい、ってのがあって、そのへんの速度になると、サイリスタ位相制御は無理ってことがわかって、PWMコンバータとインバータという、主変換の新しい制御をしなきゃ、っていう方向性だった。
在来線電車は、大容量のGTOサイリスタで動くインバータ制御なんて、すっごく高価だし、1年間でかなりの両数を作ることが必要だから、総額が大変なことになるけど、そのまえに、それだけのGTOサイリスタを、電機メーカも用意できないし、って事情があったんだ。
電機子チョッパ制御を使った、201系の反省もあったし、価格も安くて、抵抗制御が基本だから、取り扱いがしやすい界磁添加励磁制御を、在来線電車のシステムとして、ドンドン使っていくことにしたんだよ。
そういう状況のなか、常磐緩行線のために、1編成の通勤型電車が必要になったとき、国鉄の最後に、私鉄や地下鉄で、営業運転される車両が増えてきた、大容量GTOサイリスタのインバータ制御を試しておきたいって声が、車両技術の責任者で、いつもは慎重なひとたちからも、あがったんだって。
ちょうど、ゆくゆくは新幹線電車のためでも、基礎的な確認をするのに、101系を改造して使った在来線での試験が、うまくいってたことも、それを後押ししてたんだね。
207系の900番台は、国鉄の本社や、車両設計事務所的に、量産車両とかぜんぜん考えてなかったんだけど、東京北鉄道管理局のなかで、新しい会社になったとき、207系の量産車両を作りつづけて、常磐緩行線の203系を取り替えたい、って話を進めてたんだよなあ。
そのあとも、在来線(の直流・交直流)電車を新しく作るとき、界磁添加励磁制御を、しばらく基本にするけど、私鉄や地下鉄で、インバータ制御の電車がつぎつぎと出てくるから、国鉄(新しい会社へ引き継ぐこと)として、安く、たくさん作るための、タネをまいておくことになった。
1987年の1月〜3月に、大船工場で、べつの101系を改造して、富士電機から持ちかけられた、(容量が小さい)パワートランジスタで動くインバータを使った試験車を、走らせてる。これはJR東日本になってから、901系のA編成のインバータ制御へ、むすびついたんだ。
だから、国鉄がずっとつづいてたら、作られる基本的なインバータ制御の電車は、209系みたいな車両なんだよ。 >>844
いやいや、>>746で言ったとおりだし、9000系を、新しく作るぶんとして考えられていたのは、歴史上の1000系の1次車に、あたるところまでだよ。
歴史上の1000系の2次車って、空港線を開通させるためのぶんで、このときから、"9100系"で試したことをまとめた、インバータ制御の通勤車を、作りつづけていこうとしてたからね。
空港線のために南海電車が、9000系を作るとか、ぜったいになかったわけさ。
それとJR西日本が、関空快速のために221系を作るとか、ぜったいになかったというのも、>>802のとおりだよ。
>>845
207系の900番台についても、>>851のとおりで、鉄道管理局が量産車両を作りたくっても、国鉄としては、209系みたいな車両の、設計ができあがるまで、インバータ制御の在来線電車を、増やすつもりはなかったんだよなあ。 >>165
というより新20と相鉄8000の時期がほぼ同じだったために似たようなデザインになった >>166
北急8000は後の東武20000/西武6000に影響されたと思う >>160
10000初期の中間車(新造として)も >>163
8000の段階ではむしろ減車を視野に入れていたから4連しか作られなかったと思う >>177
あくまで9000の後継ということで9100の予定だった >>467
泉北5000は泉北の直営化の影響だから… >>843
国鉄の大阪鉄道管理局・天王寺鉄道管理局が、東海道・山陽緩行線の103系をぜんぶ、さらに作りつづける205系で取り替えて、余った103系の冷房車を、クーラがない車両の多かった、阪和線へ回す、っていうことを考えていたんだ。205系の1000番台が、阪和線に登場するための、基本となる話だよ。
>>846
西武鉄道の6000系が、旧東急車輛が作るステンレス車体から、日立製作所の作るアルミ車体へ変わったとき、西武鉄道として、旧東急車輛が作った、車体のこまかい図面は、持ってたんだけど、日立製作所の技術者が、ステンレス車体の実物で、寸法を確認しにきたりしながら、組み立てていったんだよなあ。
阪急電鉄が、日立製作所と、"8010系"を作りたい、って話をまとまれば、あのころなら日立製作所が、A-trainのブランドを打ちだすまえだし、旧アルナ工機みたいな作りまでは、できなかったかもしれないけど、近いものを、作れたんじゃないかなあ。
>>849
阪急電車の1000系は、1300系も機器の配置や編成の組みかたなどが、できるだけおなじになるように、設計が考えられてる。1300系のほうが、密閉式の誘導電動機の出力的に、条件は厳しいから、8両編成のとき、動力車は4両にしなくちゃいけない。
1000系の永久磁石同期電動機をもし、255kWにすれば、性能を大きく変えなくても、編成の出力的に、動力車を3両にできるかもしれない。そのうちの1両は、8000系が、インバータ制御のシステムを取り替えるための、主電動機が4つ制御できるものを使ってさ。1600形か1650形のどちらかは、付随車にできる。
ただ、回生ブレーキと空気ブレーキを制御する、ブレーキ受量器のシステムも、変えなくちゃいけなくなるし、だんだん1000系・1300系で、仕組みがバラバラになってくる。それは、阪急電車がやりたいことじゃない、ってところだね。 >>213
600後期の結果が良くなくて2100はシーメンスになったとも >>298
600は2100への橋渡し的な要素を持っていたと思われ >>436
881は883の仮称だったのか、それとも北海道のために空けてあったのかは不明 >>379
223-9000は事業用車に改造される前はまた違うVVVFだった模様だが >>366
様々な試験を行うつもりだったということは暫く営業は見送るつもりだったのかな >>283
泉北は単に当時5000が線内専用だったために増備できる状況じゃなかっただけでは? >>270
0番代はそうかもしれないが1000番代は南アーバンにも投入を想定していた可能性 >>279
10Aは結果的に御堂筋線のままで良かったと思う >>281
20を中央に集約させた時点で10後期を谷町に転用はありえない >>390
今の9000/9300と同じ電動車位置か >>297
ホームドア設置計画との兼ね合いで一部置き換えになったとも思ったが… >>329
紀州路快速運転開始が数年早ければ0番代の増備があったかもね >>331
そもそも223-0自体が予定外だから近郊車置き換えは無かったと思う >>333
3000は元々一時的なものの予定だったから車番そのままなんじゃないかな >>335
最初は221が網干にまとまった数が投入されたけどね >>353
10000-4次車と11000がH4年度
50000がH6年度 >>879
10000系中間車は1991年度中、50000系は1993年度中の落成 >>876
223系で、0番台の68両は、なにかを直接的に、取り替えたってわけじゃないから、単純に増えたって感じに、近いんだよなあ。ただ、JR西日本の和歌山支社は、阪和線の快速(和歌山までの全線を走るものや、紀勢本線へ乗り入れるもの)を、221系・223系などの、新しい電車で運転したい、ってことを考えていて、本社に希望を伝えていたんだ。
>>878
国鉄の終わりに、113系のなかでも傷んでいた、クーラがない車両の一部と、試作でクーラをつけた車両を取り替えるため、211系を、東海道・山陽本線と関西本線のために、大阪鉄道管理局・天王寺鉄道管理局で、新しく作ろうとしていたのが、221系のもとになった話だね。
221系は、211系で考えられていた数よりも、たくさん作られたけど、山陰本線(京都〜園部)で電化の開業するために、113系をたくさん、ひねり出さなくちゃならないとか、福知山線のための車両の数を、増やす(117系など)とか、新快速を、6両編成から8両編成にするとか、七尾線で電化の開業をするために、113系をひねり出さなくちゃならないとか、傷んだ車両の取り替えより、そちらの理由で、けっこうな数が必要だったからなあ。 >>876
223系で、0番台の68両は、なにかを直接的に、取り替えたってわけじゃないから、単純に増えたって感じに、近いんだよなあ。ただ、JR西日本の和歌山支社は、阪和線の快速(和歌山までの全線を走るものや、紀勢本線へ乗り入れるもの)を、221系・223系などの、新しい電車で運転したい、ってことを考えていて、本社に希望を伝えていたんだ。
>>878
国鉄の終わりに、113系のなかでも傷んでいた、クーラがない車両の一部と、試作でクーラをつけた車両を取り替えるため、211系を、東海道・山陽本線と関西本線のために、大阪鉄道管理局・天王寺鉄道管理局で、新しく作ろうとしていたのが、221系のもとになった話だね。
221系は、211系で考えられていた数よりも、たくさん作られたけど、山陰本線(京都〜園部)で電化の開業するために、113系をたくさん、ひねり出さなくちゃならないとか、福知山線のための車両の数を、増やす(117系など)とか、新快速を、6両編成から8両編成にするとか、七尾線で電化の開業をするために、113系をひねり出さなくちゃならないとか、傷んだ車両の取り替えより、そちらの理由で、けっこうな数が必要だったからなあ。 >>351
西武も当時VVVF採用は有楽町線直通車だけだったが >>404
史実では関西初のIGBTは223-1000となった >>422
そもそも東の103が早期全廃になったのは98年頃の故障頻発が原因らしい >>421
813-300は815や817-0より後に製作されたものだが >>429
そもそも103故障頻発が無ければ209-500は出なかったと思う >>432
元々7000以降を大量増備の筈が8000増備を優先してしまったからなぁ >>409
西日本の205-0は分割民営化が無ければもう少し増備されていた可能性
(これは東海の211-0にも言えることだが) >>884
西武鉄道の6000系は、営団地下鉄へ直通するための系式だけど、そのための専用とかじゃなくって、これからの基本的な通勤車両、っていうことだったんだよねえ。
>>887
だからさ、そのまえに事故で除籍になった、813系の0番台・200番台から、サイリスタ位相制御装置・インバータ制御装置・主電動機をとりはずして、新しい車体(300番台)にとりつけた、ってことじゃん。使えるものは使う、それだけだよ。
>>889
京阪電鉄は、インバータ制御の通勤車(旧6014編成・7000系など)を、作るって決めたとき、いつかたくさん作りつづけて、2600系・1900系・2200系・2400系・1000系を、取り替えていく時期がくる、って考えていた。
でも、それは鴨東線が開通する=7000系を作るときじゃなかった、ってことさ。1900系は、更新工事が終わったところだし、2600系を取り替えるには、まだ5年くらい早かったし。さらにまだ、輸送力を上げるために、通勤車両・特急車両を増やさなきゃ、って状態だったんだ。
そのタイミングを、狙って作られたのが、歴史上の7200系なんだよ。インテリアや先頭車のエクステリアが、しっかり考えられてるよね。たけど、このときですら、まだまだ車両を増やさなきゃ、って感じだったんだよなあ。
7000系は、6000系を基本に、インバータ制御の通勤車を作る、ってことだけに集中してるから、車体が6000系と、ほとんど同じじゃん。同時に設計をやっていた、8000系のほうに、そのぶんの力を注いだ、っていうところ。8001編成を作ってるときには、3000系を取り替えることを、決めちゃってたわけでさ。 >>437
先に9300だけ作ってその後は1000を史実より早く登場というわけにはいかなかったのか >>443
阪神は車庫ごとやられたので車庫復旧まで車両を補充するわけにはいかなかったらしい >>450
阪神9000は車庫復旧に合わせて搬入された >>451
保安装置の問題で広島配置となったらしい >>458
旧8000も量産前提だったがコストの問題で見送り >>459
南海の新カラーデザイン検討に関して路線別(南海線が青、高野線が緑)とする案もあった模様 >>461
幻のビジネス特急が実現していたら10000は2連のままだったろうか? >>463
一応空白期間(97〜03年)に車両を作ることは考えていたのか >>469
ちょうど新カラーデザイン検討と並行して新造車の方針を検討していたみたいだからね >>899
普通に考えていたが、西淀川区中島の不動産投資失敗、減損会計導入で、
アルナごとあぼーん。 >>898
南海電車に、インバータ制御の通勤車両・一般車両に連結できる、「サザン」や「りんかん」に使う、インバータ制御の特急車両が登場していたら、10000系は、2両編成が10あったので、4両編成が5つに、改造されていただろうね。
>>892
阪急電車が、京都本線の特急車両として、9300系を作ってるとき、神戸本線・宝塚本線でも車両の取り替えを、やりたかったんだよね。
はじめのころは、5000系の更新工事だって、そのままの内容で続けられるか、わからない状況だった。それがだんだん、新しい車両を作れるかも、って感じが出てきたんだけど、"8010系"の設計も、9300系が登場したあとになると、古くなっていて、車体を日立製作所で、作りにくくなっていたし、GTOサイリスタで動くインバータ制御装置とかも、東芝が作ってくれる状況じゃ、なくなっていたし。
作るために、コストダウンがいろいろ考えられて、そのときは、9300系を基本に、神戸本線・宝塚本線で、使える通勤車両にするのがいい、ってなったんだ。それが、9000系だね。
もし9300系を、まとめて作りきってしまったとしても、そのときですら、待てる状況ではなかったし、いまの1000系を、作ろうとしたら、設計が(9300系と)ぜんぜんちがうから、コストダウンの意味がなかったし、永久磁石の同期電動機も、システムの全体で値段が高かったしね。 >>478
207-900だがあの時に103が火を噴かなければ延命していたかもね >>410
8000-7次車の車体が6次車以前とは違うものになっていたと思う
でその車体が総合で作れないと判断し近畿に鞍替え、同時に電装品を見直したことにより新形式8300になった >>484
国鉄時代は逆に関西から関東への転用もあったのか
となると201関西車/205関西車も国鉄分割民営化が無ければ関東に転用された車両もあった可能性 >>479
30000の貫通化は車体強度不足のため見送り >>493
新塗装化が史実より1年ほど遅かったかも >>495
阪急8000の塗装案に北急8000ぽいものもあった >>496
50000はラピート利用客数次第では中間車の増備があったかもしれない 車両ではないが、南海線も10両を運転する構想があったみたいだね >>904
南海電車の8000系で、8014編成〜8018編成のぶんは、契約的にオプションみたいになってたから、旧東急車輛として、追加で4両編成を5つぶん、作れる状態にはしておきますよ、ってところだったんだ。
2レベルIGBTのインバータ制御装置の、省エネルギー性能をうまく使って、走る性能の面で、加速がかなり改善されて、良くなっていたんだけど、車体のエクステリア・インテリアが、あんまりな仕上がりだったし、インバウンドの利用者が増えつつあったから、そのための設備を、整える必要も出てきてた。
さらに、全密閉式の誘導電動機が、使いやすい状況(買うのに補助金が出る)になっていたし、SiC素子のインバータ制御装置も、開発の動きが活発になってきて、車両の設計の全体をやりなおすには、ちょうどタイミングが良かったんだよ。
20両ぶんの新しい通勤車両は、どちらにしろ作るつもりだったから、オプションで8000系を作るってことを、しなかっただけだね。
>>905
国鉄にとって、201系・205系は、新しい通勤型電車だったわけだけど、大阪鉄道管理局・天王寺鉄道管理局において、東海道・山陽緩行線の、ほかの路線でも使いやすかったのは、205系だったから、使いまわすとしても、東京のほうへは行きにくかっただろうね。
あのとき201系は、大阪環状線(と山手線)ですら使いにくい、っていう考えかただったから、東海道・山陽緩行線のために、(E231系みたいな)インバータ制御の通勤型電車が作られていたら、東京のほうへ、まわされていたかもしれないなあ。 少し早いですが。
ワッチョイは自治スレを立てて板住人の意見を集約してからでないと導入できないそうなので悪しからず。 >>811
東武でも日立後期GTOを導入していたら東急2000が東武に乗り入れていたかもしれない >>891
そもそも西武が6000を今後の標準車としていたんだったら、9000なんか作らない筈だけど >>403
結局、西日本も201を全廃することになったから、
仮に東日本201が西日本譲渡されていたとしても323導入のタイミングで消えていたと思う >>512
そもそも当時南海線用に車両を増備する想定が無かったような >>522
これらは全て当時の財政難で立ち消えになったものだから >>593
新形式とは言っても史実9000に相当するものだったと思う
101の4ドア新造車体への載せ替えは4000登場段階で既に決まっていたらしい >>592
H特急(当時)が満席だったため座席数確保ということで高野線にも21m特急車を導入した模様 >>915
>>919
あれ?キミ、矛盾したこと言ってるよ。「101の4ドア新造車体への載せ替えは4000登場段階で既に決まっていた」わけでさ、9000系は、基本の通勤車両とかいう定義に、おさまらないわけじゃん。
西武鉄道の通勤車両としては、6000系が、もう基本になっていたけど、所沢工場で作るために、普通鋼製の車体じゃなきゃいけないから、新2000系のものに、近い設計を選んだんだよ。よく調べて、考えてから、モノを言うようにしようね。
>>916
そのころのJR西日本としては、大阪環状線・ゆめ咲線・大和路線・和歌山線(王寺〜高田)・桜井線・おおさか東線でしか、201系は使えなかったから、JR東日本から譲り受けても、JR西日本が持っている両数より、多く持ったとしても、使えるところがないんだよなあ。 >>913
名鉄はパノラマカーで10両の試運転が行われていたと聞いたような気がするが、
少なくとも京阪と西鉄の10両化は計画すら無かっただろ >>182
グリーンラインは最初の2編成が戸袋部のステッカーが青だったが営業開始前に3編成目以降と同じ緑に変更された 仙台市営2000系の初期デザイン案(メトロ新05系に似たような曲線だった) 福岡市営3000系の初期デザイン案(2000系を反転させたような前面で、少なくともドイツデザイナーではなかった) >>301
阪急8200は当時の結果次第にもよるね >>289
当時の大阪市営は電装品は三菱/日立/東芝の3社並行納入だったから東芝限定のPMSMを入れる余地は無かったはず >>291
泉北は5000以降を独自設計としたのは泉北の直営化が理由らしい
でその直営化に影響を受けて南海が塗装変更された >>922
いやいや京阪電車も、京都市内の地下線や鴨東線を作っていたころ、そして、中之島の新線も考えていくにあたって、10両編成の運転を、すこしずつ準備しだしていたんだよ。 JR東 E653系ひたち紫色版
イラストは筑波山の予定だったとか JR東 E653系ひたち紫色版
イラストは筑波山の予定だったとか 京都市営烏丸線に導入予定の新車のA案とC案もここに仲間入りなのかね? 大阪市営(当時)66系は完成予想図が公表された段階では新60系と仮称されており、パンタグラフも菱形の予定だった
(実車は下枠交差型となった) >>443
国鉄時代だったらむしろそれ以前に103のATC車が関西へ転用されていたかもしれない >>498
阪和線の通勤型の快速はロングシートが不評だった模様 >>559
9000のデザイン案の中に8000をステンレスにしたような案もあったからそれの可能性もあるのでは? >>671
阪急9300にロングシート版(9000の京都線版)の想定は最初から無かった模様 >>538
それ以前に東103は1997年頃に故障しまくったことが理由で全廃が前倒しになったとも
103全廃前倒しのために急遽作られたのが209幅広車 >>542
福知山線の事故が無ければ321を更に増備し(同時に片町線全線7両化)、207を天王寺口に転用していた可能性まであったと思えてきた >>568
当初予定では埼京E233と相鉄11000は同時期に並行して導入される予定だったが、急遽京浜東北をE233化することになり、結果埼京のE233化が遅れたためこうなってしまった
(ちなみに209は当初計画では全車に機器更新を行い京浜東北線に残留する予定だった模様) >>569
東急9000は当初計画ではメトロ7000/西武6000/東武9000同様に副都心線対応化を行い東横線に残留する予定だった
中止になったのらATOの停止精度を満たせないだけでなく、電機品の更新時期に来ており、総合的に判断した結果更新せず5050増備になったというもあると思われる >>570
阪神は3801登場時点で既に近鉄に乗り入れる構想があったのか >>566
むしろ抵抗制御の方が扱いやすいが省エネ効果には欠ける >>569
小田急2000は当時の小田急が迷走していたというのもあるので千代田線直通は最初から想定されてただけという可能性 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。