幻の鉄道車両を語るスレ 2両目
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計画の頓挫した鉄道車両を語るスレです。
国鉄・私鉄問わず語りましょう。
例:187系電車、東海道・山陽緩行105系、長野電鉄パノラマカー3000系、
能勢電鉄自社発注新車、近鉄7扉車、阪神スーパージェットカー、
京急2100型流線型、野上電鉄80型、西武鉄道7000系etc
前スレ:1両目
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1378731633/l50?v=pc >>178
8233/8235/8237にそれぞれ試験塗装を施していた >>130
合ってる
1000の設計時の仮称が9100だったが新塗装化後初の新形式ということで1000に変更された >>576
東武はそんな早い段階でステンレスを積極的に採用するつもりがあったのか >>59
で結果3050と3000の混成編成が3050ごと廃車になったと >>79
幻の紀勢線用は681-3000だったのかな >>736
いやいや、ぜんぜんちがうよ。南海電車では、21mの車体の4ドアで、インバータ制御の通勤車を作るのに、いろいろ技術的なことを試そうとしたのが、"9100系"でさ。
その結果を使って、空港線が開通するときから、作りつづけられる新しい系式の車両を、設計しようとしてたんだけど、"9100系"を作るとき、はじめに使う機器でも、作りつづけるのに問題なさそう、ってことになったんだ。
"9100系"で試験しているあいだ、9000系を新しく作る、って方針をやめて、"9100系"のまま、増やしていくことになったわけ。
それで、新しい系式の通勤車(一般車)で、使おうとしてた"1000系"を、"9100系"として設計した車両に、そのまま、あてはめることにしたってところ。
>>739
そのクレイモデルは、いまの塗装で作られていたもので、阪神電車の、歴史上の9300系にあたるものだよ。 >>107
側面は似ているが車体幅が違うんだっけ? >>111
あの中に南海11000みたいな10030のデザイン案があったような 京成3400には2扉クロスの図面があったとも言われているが真偽は不明 >>200
8040は3モーターだけど幻の8010は4モーターの予定だったからあくまで別形式 >>631
池多摩を全部新7000にする計画も没になった >>594
2000の機器更新が必要だから支線置き換えは先送りされたんかな >>599
恐らく足回りの違いによるギクシャクが酷くなる可能性があって8300と12000の連結が中止になったんじゃないかな? >>600
1050は量産前提で作られたが当時の南海の財政難で量産が見送られた >>607
元々2000は3本のみの予定で後は複線化が完了した後に史実2300相当のズーム車を導入し21000を置き換えていく予定だった >>601
7000/7100/22000置き換え用こそVVVF車になっていたと思われるが、
それは史実の1051的(但しVVVFは泉北7000的)だった可能性 >>602
9000増備は2000の21m版みたいな外観になっていたと思う
(2000登場後に実在する9000そのままは考えにくい) >>541
史実12000的なビジネス特急車と史実2300的な新世代ズーム車ね >>78
当時高野線で電気指令式ブレーキは30000しかなく、
その30000を運転できる人が限定されていたために
11000は30000と共通化を優先したんだろうね >>762
2000系は、2001編成〜2003編成のあと、21000系を消滅できるぶんの、2004編成〜2008編成まで作ることを、はじめに考えていたんだよ。
2000系のつぎに考えられてた、"新しい系式のズームカー"は、21m車体でインバータ制御の通勤車(一般車)が、新しい標準の設計を打ち立てられたら、そのグループとして、登場するということだった。
だけど、2300系みたいに、2両編成で、バックアップのものもふくめて、重要な機器を床下におさめきるメドが、たってなかったんだ。
インバータで使えるIGBTも、まだ3レベルしか難しくって、機器を小さくするのも、限界があったし。
21000系・22000系の取り替えと、河内長野〜橋本の複線化ができたとき、利用の増加が期待できるぶんで、新しく作る2000系と1000系(と新しい系式のズームカー)の両数を、どう振り分けるとか、未知数みたいなところがあってさ。
いまみたいに、なんば〜橋本を1000系で、橋本〜極楽橋を2000系・新しい系式のズームカーって、わけてしまうだけじゃなくって、2000系をなんば〜橋本で連結して、なんば〜極楽橋で新しい系式のズームカーを通しで運転するとか、いろいろ考えられてたね。
>>763
いやいや、2000系が完成したころは、21mの車体でインバータ制御の通勤車(一般車)について、技術的にやりたいことが、もりだくさんになってきてたころなんだ。
"9100系"でいろいろ試したあと、作りつづける新しい系式は、1000系の6次車というより、塗装されたステンレス車体に、泉北高速鉄道の7000系みたいなインバータ制御装置と制御伝送システムに、180kWの誘導電動機、って感じだよ。 >>764
"9100系"も、9000系で新しく作るぶんも、ってところ。
2000系を、21mの車体で4ドアにした感じ、ってのは、"9100系"のほうかなあ。
9000系で新しく作るぶんは、それまでのコルゲート処理から、ビード処理にするくらい。
>>766
11000系は、10000系の4次車なんかとあわせて、南海本線・高野線の両方で使える、インバータ制御の特急車として、考えられていたわけだね。
それが、実際の使い勝手とか要望で、それぞれの路線の事情に合わせた、抵抗制御の系式として落ち着いただけでさ、電気指令式ブレーキを使うほうが、はじめの話からすれば、自然だったんだ。
30000系とそろえる、という意味で、大事なことは、電気指令式ブレーキを選んだことより、抵抗制御・2両のユニット・すべて動力車、といった設計に、なったことのほうだからね。 >>138
当時は須磨浦公園乗り入れがあったから神戸線の6連も増備するつもりがあったんでは? >>158
アルナが維持されていれば8915/8995を新造して8連化という手もあったかもしれないけどね >>377
だが阪急の車両予算が確保できなかった時期があったから仕方ない >>219
元々8040/8315の仕様が当時の標準仕様とする計画だったため幻の8010は8040と同じで合ってる >>220
元々その仕様が標準となる予定だったが、車両予算が確保できなくなったために結果的に少数派になってしまっただけ >>608
ということは登場時は史実1000的な仕様だけどすぐIGBTに改造されるような感じ? >>598
ビート処理ということは史実1000の旧塗装版みたいな?
史実1000が塗装になったのは新塗装との兼ね合いがありそうだが >>596
ということは新塗装化は史実より1年ほど遅かったということか >>161
2000は4両の編成構成が2種類あることと付番からして当初2両は予定されていなかったと見ていい >>134
つまり史実1000的なのも1本だけ作る予定だったのか >>164
8000が登場した時は減車も視野に入れていたからあえて2連は設定しなかったんだろうな >>554
2200置き換えは2000の機器更新が必要ということもあり先送り >>563
東芝のショールームというわけではない
単にデモンストレーション >>560
ただ8000登場前にステンレスを積極的に採用するつもりはあった模様 >>783
阪急電車ほど、主制御装置の分野で、東芝を主に使ってきた大手私鉄は、ほかにないんだけどさ。
自然と、東芝のものとしては、初めてのケース、ってものが出てくるよね。
2000系では、回生ブレーキのために、抵抗制御で、マグアンプを使ったとか、2200系では、(それまで研究していた、直並列チョッパ制御じゃない、三菱電機のシステムに近い)電機子チョッパ制御装置を、はじめて使ったとか。7000系も、はじめての界磁チョッパ制御装置だったしね。
ただ、インバータ制御については、大阪市交通局(日立製作所・三菱電機といっしょに)が早かったし、主電動機を1つずつ制御するのは、JR東日本の901系のB編成が、早かったからなあ。 >>502
MMは検査が東急委託だからオリジナル設計は困難だったと思われる >>167
相鉄9000は単に西武6000/東武20000に似てしまっただけと思う >>244
8001の試験VVVFはSiCではない >>438
6300は史実では走行距離が長かったのが大量廃車となった理由だけどね >>190
当初の計画通り8000が増備されていたら9000は欠番だった可能性 >>191
221は当初宮原と日根野にも新製配置検討だった模様 >>192
先頭車は8040に活用されたからこれはこれで良かったんでは? >>202
史実1000が両線共通になったのは高野線に回生電力吸収装置が設置されたのが影響しているが >>211
西日本の場合は1M2T基本だから故障時の対応を考えて個別制御が好まれた可能性 >>791
阪急電車の6300系は、大阪市営地下鉄堺筋線で、動物園前〜天下茶屋が開通したあと、南海電車の空港線が開通したら、天下茶屋〜河原町を直通できる、新しい特急車に、取り替えることが、考えられてたんだよね。
それが、あとの"9300系"で、"8010系"とかの話もまとまってきたころ、6300系は使いつづけずに、消滅させるつもりだったんだ。ただ、そのときに5ドア車に改造して、試験するとか、そういう余生の使いかたは、話としてあった。
はじめに考えられてた計画でも、走行距離がそれなりになってるから、消滅させる方向だったのに、取り替えがドンドン遅くなって、変わるはずないじゃん。でもさ、幸運だったのは、阪急電鉄のなかに、6300系を残そう、って思ってたひとたちが、少なくなかったことだよ。
嵐山線と快速特急のために、消滅がまぬがれたのは、取り替えが遅くなったことは、良かったかもしれない。
>>795
阪急電車の"8010系"が、計画どおりに登場して、作りつづけられたなら、番号が足りなくなって、"9300系"のほかは、使うことが考えられてなかった、9000番台の車両が、"8010系"に登場していたかも、しれないんだよなあ。
東急線の5000系に、4000番台の車両があるみたいにさ。 >>797
JR西日本は221系を、東海道・山陽本線の快速・新快速や、関西本線へ作りつづけたあと、つぎは、阪和線と福知山線に、入れていくつもりがあったことは、間違いないよ。
ただ、221系を作ってるあいだに、207系の0番台の設計が進んで、221系のつぎの近郊型電車は、もちろんインバータ制御にする、って方向性にはなってたわけさ。このときは、阪和線・福知山線のために新しく作るぶんが、221系のままか、そのつぎの新しい系式になるのか、どっちかって言うと、新しい系式のほうになるかも、って感じにはなってたんだよなあ。
いよいよ、207系の0番台を作りだして、221系を作り終えてしまったから、そのとき、インバータ制御車の高い性能を使って、新しい車両で、JR神戸線・JR京都線の新快速の、スピードアップをする話が、出てきていたんだ。これで、阪和線・JR宝塚線のために、新しく近郊型電車を作るってのは、棚上げになっちゃってたし。
その話がよみがえったのは、福知山線の脱線事故のあとだね。 >>801
いちいち主語がないけど主語付けてくれないか? >>794
なに言ってんの?国鉄という組織が、生きながらえるとしたら、それは経営的に持ちなおす、ってことなんだよ。
歴史上の国鉄の終わりのころ、積極的に営業をやっていたし、絞るところは絞っていたから、大都市圏で、並行して走る私鉄に、利用者が流れるようなことは、なくなってたし。
30年くらいまえの東海道・山陽本線だったら、新快速は117系・213系で、快速は113系・211系なんだけど、普通は205系でそろってる、ってところ。関西本線の快速に211系が使われて、阪和線の103系は、ほとんど冷房車になってる。
あとに901系で使われる、インバータ制御のシステムも、国鉄の終わりに101系を改造して、試験されてるし、209系・E231系・E233系みたいな電車が、大阪鉄道管理局・天王寺鉄道管理局の路線に、走っていたかもしれないねえ。 >>195
01がマレーシア輸出を見送ったのは恐らく架線集電式に改造が必要だったからと思う >>267
10連化中止も当時の小田急の迷走によるもの >>341
恐らく30000の10両固定版が幻の30050だったと思われる >そう考えるとVVVF試験車をいきなり編成単位で新造した近鉄と東武はやり過ぎだったかもしれない
>(実際、東武は10080での試験結果が良くなかったため日立GTOの本格導入は100系のみに留まった)。
>東武、10080が成功していればこちらも日立後期GTOを導入していたかもしれないのに…
>(相鉄8000も実質日立後期GTOの延長みたいなものなので)
>恐らく東武10080の段階では1C8M用はまだ開発されていなかったと思われる。
>↓登場時期
>東武10080…88年3月
>西武145…89年3月
>東急8799-0802…89年11月 10080系が、日立製作所の大容量GTOサイリスタのインバータ制御装置を、使ったわけだけど、失敗だった、っていうのは、まちがってるんだ。
10030系を作るときに、インバータ制御を使いたい、だけど、インバータ制御装置の値段が高いので、これから東武鉄道として、新しい通勤車を作りつづけていくのに(実際に、8年間で350両くらい)、金額が大きくなってしまうのと、大容量GTOサイリスタが、東武線の車両のために、そのペースで、日立製作所が用意できないかも、という状況だったんだよね。
営団地下鉄の日比谷線と、相互直通運転するための車両は、加速・減速を繰り返すので、値段が高くても、東洋電機のAFEチョッパ制御を、使うしかなかったし、使っても、効果があるって考えられてた。
だから、特急車として、加速・減速と高い速度で、高い性能が必要だった100系には、インバータ制御を使うけど、地上だけを走る10030系は、しばらく界磁チョッパ制御を使うことにして、いまのIGBTみたいなものが、登場して、インバータ制御のシステムの値段が、大きく下がることを、待つことになったわけさ。
10030系の10050番台を作るときも、インバータ制御が使えるか、考えられたんだけど、ちょうど、はじめて3レベルのIGBTを使った、営団地下鉄の車両が出てきたところで、東武鉄道の車両のために、作りつづけられる感じじゃなかった。だけど、東洋電機の逆導通GTOサイリスタで動く、インバータ制御のシステムがやっと、地下鉄へ乗り入れる通勤車なら、コスト的に使える状況になって、20050系で取り入れられてる。
そしていよいよ、営団地下鉄半蔵門線と相互直通運転をするためと、10030系のつぎの基本的な、新しい通勤車を作る話になって、やっと30000系で、本格的にインバータ制御を使えることになった、ってわけ。 >>812
10080で価格の問題に気付いたということか。
東急9000ガイジは技術面で失敗と勘違いしてるようだな。 >>358
そもそも223-0は急遽計画されたものだから増備は考えなかった筈 >>140
N3101Hが日立に決定された時点で当初デザインは使えなくなったんだろうな >>268
中間2両をダブルデッカーとする検討もあった模様 >>242
JR西日本は個別制御なのが好まれた理由なんだろうね >>245
8200は幻の8010に採用予定の新機軸の試験も兼ねていたんだろうな >>820
「先行試用の意図」とか、「採用予定の新機軸の試験」っていうことより、阪急電車の8200系は、"8010系"のシリーズのなかで、たまたま先に登場することになった、って感じだけどなあ。 >>303
地下鉄に二階建てとか最初から無理だったんじゃない? >>312
いずれもJRとの乗り入れのために仕様を合わせるつもりだったんじゃないかな >>476
京阪旧3000は1900の3扉化が高くついたことに懲りたため京阪から撤退となったらしい >>278
西鉄8000も走行距離の問題で改造見送り >>575
6050/9000/10030/30000のデザイン案 >>689
仮に連接通勤車が登場していたら小田急は連接通勤車が基本になっていた可能性もないとは言い切れない 東武30000の頃は、190kWx8は1C8Mでは無理だったので
1C4Mで各M車装備だったね >>720
幻になった"105系"は、国鉄の赤字経営とか、コストダウンとか、関係ないんだよなあ。
国鉄の臨時車両設計事務所では、現場に近いところからの、求めに対して、そういう通勤型電車を作ろうと考えたのは、間違いなくってさ。
113系の走行機器を使うとか、主電動機だけMT54型を使うとか、165系の走行機器を使うとか、考えられたんだけど、加速・減速も、速度が高い運転も、両立するような通勤型電車って、結局はできなかっただけなんだ。
国鉄の電化区間は、電力供給に余裕がなくって、あまり大きなパワーを出す電車を、使えなかった事情はあるんだけど、大手私鉄の通勤車とくらべて、主電動機のパワーは小さめで設計されてたから、加速・減速か高速か、ってところは、どちらかしか選べなかったね。
編成のなかで、動力車の割合を大きくする、ってこともやりにくかったし。そして、条件を精査していったら、結果的に、103系でも使えないことはない、ってことにもなったし。
幻になった"105系"を、別のカタチで実現したのが、201系だからね。 >>227
単に70-000が最初から6連で投入されていたと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています