幻の鉄道車両を語るスレ 2両目
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計画の頓挫した鉄道車両を語るスレです。
国鉄・私鉄問わず語りましょう。
例:187系電車、東海道・山陽緩行105系、長野電鉄パノラマカー3000系、
能勢電鉄自社発注新車、近鉄7扉車、阪神スーパージェットカー、
京急2100型流線型、野上電鉄80型、西武鉄道7000系etc
前スレ:1両目
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1378731633/l50?v=pc >>580
山万って何時まで今の車両走らすのかね? 「VONAを運用し続ける限り」って感じだな
後継はこのようなのに置き換わるのかも?
ttps://www.itmedia.co.jp/news/articles/1704/24/news106.html
ttp://ai-topics.com/toyota-e-pallet-experiment/ ややスレ違いだが、E501の当初計画。
本来は上野〜大津港・水戸線で使用するつもりだったのだが、県南沿線自治体と緑電延長を要望したせいで便所無しオールロングになり、そのせいで上野〜土浦間の限定化。
もしこの二つが無ければ時期的にE217ベースだったのかな。 >>584
となればE501ではなくE511を名乗っていたかもね… >>583
山万はバスに転換する気満々で、ユーカリが丘線の運転士は大型二種免許を
持っているくらいなんだが、VONAがあるから家を買ったんだ、って老人が
まだ死んでいないため、ユーカリが丘線が存続している。
そんな無人運転システムだったら、ユーカリが丘線に丁度良さそうだけどな >>586
近い将来、実現しそうな公共交通システム
DMV × BRT × 無人運転 を融合した軌道交通機関 >>581
5700系は機器を流用して5000系増備車化はできなかったのかね?
足回りはパノラマスーパーと同じだったし。 まぁ、1000-1200,5000,6500系の部品取り車となったけどな 南海1000は南海の塗装変更が無ければ2000初期車を20m4ドアにしたような意匠になっていただろうか‥
もちろん無塗装で ハイハイ、東急9000ガイジちゃん
今までササクッテロに教えてもらったことをコピペで貼り付けてみましょう 南海30000系は85年頃に増備が考えられていたとか。
(RP南海特集85年版より)
恐らく今の31000系に当たる分だろうが、その時代で高野線特急8連運転の構想はあったのかね? 西武も新2000系の増備は89年度で終了で、その後は新形式になる予定だったらしいが… >>553
N8200つまり後の8300による置き換えは
2200や3000セミステンレス車もだが
主たる対象は7100だった訳で
7100の両数が多く年数を要する一方
車体の老朽化が全体で進行しており
廃車計画が後半の編成群を局部更新した
というだけで
7100の老朽代替を
決して先延ばしするためではない施策 >>132
史実の1000-1次車の落成はH3年度
これが
当初通りの仮称9100試作として
検証後に1000量産とする場合
量産開始の想定はH5年度 >>47
仮称9100試作は
史実の1000-1次車より1〜2年前を予定し
試作を経た1000量産はH5年頃で
史実の1000-2次車のタイミング
空港輸送準備のタイミングというより
VVVFと制御伝送など技術動向の判断 >>55
南海1000-1次車の落成はH3年度内
>>550
阪急8040の車籍登録はH9年3月
よってH8年度 >>214
南海の仮称9100試作は
無塗装となる可能性こそあったが
軽量ステンレス車体でも側面が
旧来のコルゲート処理でなく
2000同様にビード処理
そして前面の意匠も9000と一線を画し
>>241
1000量産は
VVVFが3Lev.IGBTで三菱TISで
車体は史実1000-2次車のイメージ
>>250
仮称9100試作は固定6連を予定
VVVF試作企画当初での検討において
9000同様の4M2Tも
>>272
仮称9100試作はVVVFだけに留まらず
車体や艤装関係を含め
車両全般の新機軸を検証する使命
よって2000がGTO-VVVF車として
先行して登場する計画だったのは変わらず
しかも冷改更新完了が近い6000へ
続いてGTO-VVVF化する検討も始まり 8300と12000の併結は見送り
12300量産にてサザン統一段階で
12000は小検転出
りんかんと泉北ライナーで
1つの運用グループへ集約し
こうやとは各々独立させるため
高野線特急網用として安定した体制へ
通勤車一般車新形式の高野線投入分と共に
新形こうや用の主回路システムは
どうなるか注目
残る6200-6連口について
車内のみとか中途半端なことはなく
VVVF化を伴う更新改造を
完全に実行するかしないかの選択だけ >>311
仮称9100試作と1000量産
そして1000-6次車以降の増備
これらはある意味の堅実な基本計画で
後者の頓挫は実際
7000と7100の置き換えが遅れる要因に
一方で前者は単に当初より
新機軸を盛り込みながら1000増備と
VVVF車早期増強へ方針変更のため
むしろ車両関係予算の充実を志向しており
その流れで本格的な規模の更新を目指した
1000-6次車まで漕ぎ着けたとも言え
7000更新工事は
車齢35年程度までの寿命延長だったため
単純に本来H10年辺りから
そういう意味では3年程度の誤差で
ほぼ順調だったと 南海について
>>74
その時点では仮称9100試作
>>90
2000で
1次車が2001×4
2次車が2002×4と2003×4
>>91
9100のままかを含め検討中の段階
>>92
方針を含め検討が続いていたため
仮称9100試作としての段階だと
発注までは至っていない
>>175
9000踏襲で1C8Mの4M2Tとする案もあり
新形汎用素子VVVFの試験も想定
登場時の仕様は
史実の1000-1次車相当だったろうが
当時の情勢から積替で試用も実施と
さて
仮称9100試作と1000量産の場合
当初より1000量産が3Lev.IGBT標準に
そして22000山線運用追放分も
1000量産で置き換えが叶っていた
という方針徹底の意味では残念 >>277
南海の9000増備の車体は
1〜3次車そのままということはなく
少なくとも側面の仕上げは
コルゲートからビードに >>201
関係ナシ
仮称9100試作の段階で
とりあえずの投入先は本線ながら
本線高野線問わず運用可能な前提
>>494
全然違う
仮称9100試作はH2〜3年度
1000量産はH5年度 ハイハイ東急9000ガイジちゃん、コピペ改変よくできましたね
次からササクッテロのコピペを貼り付けるときは、路車板の103系スレみたいに、キチンと引用符>をつけましょう! 南海について
2000は南海初のVVVF車だが
既存の技術で採用可能な要素を集めて構成
つまり大容量GTO-VVVF初採用なだけ
一方で仮称9100試作は
VVVFや制御伝送だけでなく機器全体で
研究段階など実用化されていない要素を
様々試用して評価する使命が念頭
>>299
仮称9100試作ではVVVFを
とりあえず大容量GTOとしておき
換装しながら様々試用した後
1000量産では決定版を志向していたため
採用されるVVVFは世代的に3Lev.IGBT
>>334
1000量産の車体は史実の1000-2次車相当
あくまで南海の2000は
電鉄の技術史で過渡的な存在
また高野線複線化延伸用増備が発端
1000量産の派生形で
新たなZ車の登場も想定されており
史実の2300の原形 >>50
南海の仮称9100試作は
登場時は日立の大容量GTO-VVVFでも
中途にて換装され
例えば
三菱の汎用素子や日立3Lev.IGBT等を
試用していた可能性も
また仮称9100の試作と増備の件は
2案が並列していたのではなく
時期により当該形式の使命が遷移した ハイハイ東急9000ガイジちゃん、ササクッテロがいなくても、自分のカキコにセルフでササクッテロの過去レスを付けてお芝居できてますね。
もしかして、予めササクッテロの過去レスに合わせて、自分のカキコを作ってるのかな? ほんとこのガイジ、口を開けば南海9100、南海9100しか言わねーなww
南海9000の写真でも見てシコってるクソガイジなんだろーなwwwww また南海のアスペの壁打ちかよw
しかし、9100系に関する執念と言うか、妄想は異常だな。 西武は9000系がVVVF化改造された時点では、同じく機器流用車である4000系/10000系もVVVF化改造する計画があったらしい。 >>579
もし近鉄名古屋線にモハ63が割り当てられてたらモ6700、ク6750という形式が付けられてただろうと思う。
昭和40年代にラインデリア車の車体とシュリーレン式車体直結ダイヤフラム台車に載せ替えられて、
モ1060、ク1160に形式変更され、昭和50年代後半に1000系と同じく冷房改造と高性能化改造を施された・・・と思われる。 >>619
参照
ttp://holidayy.naganoblog.jp/e1461869.html スーパーひかり
オレンジカード図柄として売られていた 近鉄7ドア車は確かに全長が一般的な20m車より1m長いから可能性はあり得たけどかなり無茶でしょ?
中止になってよかったよ >>557
205-5900はあくまで当時の2chで出た噂だったが まず、大手私鉄の通勤車は国鉄の通勤型電車と近郊型電車の性能を兼ね備えていて、空気バネの台車で、バーニアノッチが付いていて、主電動機の出力が大きく、発電ブレーキがないことから東武8000系でもないし。
さらに主電動機の出力が大きくなってることが加わった、南海の6000系・7000系でもないし。
バーニアノッチが付いてたり、起動加速度が高いことは違うけど、主電動機の出力とか、コイルバネ台車だったりするのは、小田急2400形に近いって感じだったでしょ。
主電動機の出力がかなり大きかったりして違うんだけど、国鉄が幻の105系で目指したイメージとしては阪急の3000系とか、発電ブレーキがなかったり、主電動機の出力は103系並みなんだけど、阪神の7801-7901形とかね。 ゆいレールの塗装案
少なくとも3つの塗分け案があった? 東急2000は2002Fまで登場した当初はあと5本の増備が考えられていた模様だが… 東急8000・8500系のVVVF化改造計画
8799-0802はこの計画も兼ねての試作改造だったようだが 富山地方10030は当初阪急2000の車体を再度2ドアに戻したものが予定されていたというのはよく聞くけど本当かね?
史実では京阪旧3000の車体となったけど >>633
失礼
ただ、富山10030の車体の当初案が阪急2800の予定だったというソースはどこかね? 近鉄の楽の塗装案では黄だけでなく赤と緑も検討されていた模様 琴電は新京成800の車体を切り継いで短くしたものを購入する噂があったらしいがこれも本当かね? >>634
鉄ファソだったかの鉄道雑誌だった記憶がある >>637
RFの譲渡車の特集の京阪の部分と、別の号の阪急2800の記事の複合だったな。
京阪3000譲渡の記事では阪急の、阪急2800の記事では京阪の、
相手の社名はどちらも伏せていたけど。 >>638
>>634の拘る正確なソースはそれ以上は出せないしな
今のご時世で詳細な内容書けば情報流出で訴訟される案件だしな >>548とあまり変わらないが
西日本の南アーバンは207系1000番代と321系をそれぞれ新製投入する計画はあっただろうが、
前者は阪神淡路大震災、後者は福知山線脱線事故の影響で中止になったと予想
西日本は福知山線脱線事故が起きるまではスピード重視であり、高速に弱い103は当初は早期淘汰のつもりだったと思われる Twitterより一部引用だが
>>571
伊豆箱根7000のJR乗り入れが中止になったのは、信楽高原鉄道事故が一番の原因かと思われる
※事故後、JRと直通する地方私鉄が一部見直された
(もちろん信楽高原鉄道とJR西日本との直通運転は廃止、JR側と信楽側でしっかり連絡が取れておらず、あのような大惨事になってしまったことが事故原因で、それを受けてJR東海としても直通運転は特急踊り子のみに留めたのではないかと思われる) >>454
京急車の譲渡が中止になったのは、高架の車庫が壊れて使えず、その車庫が復旧するまで車両を貰っても置く場所が無かったかららしい
※車庫など設備が復旧し運転区間が延びるのと並行して、被災車両の復旧工事をして車両を揃えていった
復旧不能と判断された分の補充は、設備と使用可能な車両の復旧が完了した後に新造車で補った >>640-642
不謹慎な話ばかり連投してスマン >>641 JR東海としては三島で新幹線に乗り換えてほしいし、東京まで直通でなく熱海や静岡までしか行かない直通列車動かしても、どれだけ需要があるのかね?
そもそもJR東海は乗り気でなかった。 >>640
もし尼崎事故がなかったら環状線にも321系が投入されてたかもしれないと思う >>645
もっと言えば、95年の震災が無かったら大阪環状線は207系1000番代になっていたと思う
207は東西線開業前は片町線(0番代のみ)、東海道山陽緩行(1000番代のみ)、福知山線(両方とも)に分散配置されていたが、帯色は全て同一であり、
仮に大阪環状線に投入されていたとしても帯色は上記3線と同一だったと思われる
(環状線=オレンジという概念が無くなっていた)
また、関西各私鉄も今頃VVVF車ばかりになっていたかもしれない >>645-646
結果、南アーバンで民営化後の4ドア車新製投入は205系1000番代が最初で最後になってしまった
その205系1000番代にしても奈良線に転属する位だが >>640
阪神大震災の前に、207系1000番台をJR神戸線・JR京都線の系統以外へ、入れていく計画なんてなかったよ。
大阪環状線を24時間の自動運転にする構想も、公安当局から治安上の問題が言われて、やっぱり設備投資が莫大になってしまうことも大きいので、すぐになくなったから、車両の計画をするところまでいってないし。
福知山線の脱線事故の前に、321系をJR神戸線・JR京都線の系統以外へ、入れていく計画もなかったよ。
大阪環状線の103系を取り替える目的もあったので、直接入れることも選択肢としてあげられてたけど、やっぱりJR東西線に対応できる車両を、必要なぶんそろえることが、計画をたてるうえで優先されたんだ。
あのころJR西日本は、いまと違って、103系の体質改善車はしばらく残す前提だったし、321系の224両のほかは、新快速を140km/h運転で運転するための225系で、223系2000番台を転用して、対象の103系を取り替える計画だったしね。
福知山線の脱線事故があった後のほうが、103系の消滅は早まっているよ。 >>403
電機子チョッパ車を増やすのを嫌ったと予想
あの近鉄でさえ匙を投げた位だから電機子チョッパが扱い難いのはガチ >>649
近鉄は、サジを投げたというより、試作的な4両しかなくって、しかも電機子チョッパ制御装置は、1つしか編成になかったわけでね・・・
なのに、更新工事を挟んで、33年も保有しつづけたのは、頑張ったはうじゃないかな。
JR西日本として、201系を大阪環状線などへ転用することを決めたのは、福知山線の脱線事故の前で、このときは、当時の森ノ宮電車区の8両編成を、基本的に201系でそろえることを考えていたわけ。
阪和線の普通だと、主電動機やチョッパ制御装置のサイリスタが冷えにくいので、使えないって判断がされていたってことや、塗装が必要な普通鋼製の車体ってことも、わざわざ201系を増やさない理由として、大きかったし。
そして、>>648でも言ったように、223系2000番台を阪和線・大和路線へ転用して、103系の快速とかを取り替えていくと、残りをまかなうにしても、ほとんど103系の体質改善車とかにできる状態が、目に見えていたからねえ。 近鉄3000系は京都市営地下鉄烏丸線の開業遅れのため量産されなかった。
(開業した時は既にVVVFの時代になっていた)
だから予定通り開業していれば地下鉄乗り入れ用の主力車になっていた。
4両しかなかったとはいえ、VVVF改造されていれば今も現役だっただろうが。 西武だがハイデッカー車(7000系)だけでなく制御付自然振子式特急車の構想まであったらしい
ソースは今月発売のRM >>653
ソースは?
>>646下段追記
元々、VVVF導入は関東より関西の方が進捗していた
1990年当時では関東大手でVVVF導入が積極的だったのは東急と小田急くらいだったが、この時点で既に関西大手では阪神以外の4社が早々にVVVF車を量産開始
地下鉄も営団(当時)より大阪市営(当時)の方が約10年早くVVVFを導入
そしてJRも東日本より西日本の方が1年早くVVVF車を量産開始していた
※当時は相鉄は準大手、準大手と合わせても関東のVVVF量産は東急/小田急/相鉄/新京成くらいだった
しかもその頃の関西のVVVF量産導入は全て新造車だったことが特筆される
(関東では東急7700/相鉄5000のように量産導入でも改造車があった) >>45
高野線の新車は新形式という噂もあったが、結局8300の増備になったね
ということは計画変更があったのかな >>7
野上80形が登場していた場合、叡電デオ810の登場は史実よりも遅れていた
(80形の中止によりデオ810の製造が前倒しになった説があるため) 近鉄7ドア車
阪急5ドア試作改造(6300のサハ改造?) 西武7000系
阪急8010系(都市伝説)
南海9100系(都市伝説) 阪急8010系は2連は実現しているから(8040系)、厳密には幻ではない。 >>262
>>565
西は震災と尼崎事故で113も全廃できないんだろうな
震災前の計画では、223-1000を新快速に投入し捻出された221等で113を置き換えるつもりだったろうが >>661
なに言ってんの?103系は諦めて、こんどは113系って・・・
阪神大震災があった後、223系1000番台を
前倒しで作って、さらに増やしていったんだよ。
ただし、山陰本線の園部〜福知山の電化開業がひかえていたので、それに必要な113系も生み出されたし、大和路線で103系の快速を取り替えるために、221系も少なからず回されたんだ。
つまり、このとき113系を大きく取り替えていくとか、そこまで考えられてなかったわけ。
だけど、阪神大震災からの復旧で勢いづいたJR西日本は、223系2000番台を計画して、相当な両数を作って、113系の取り替えをドンドン進めていくことと、JR神戸線・JR京都線で将来も残りそうなぶんの113系は、体質改善工事をやっていくことを、決めたんだ。
だから、まだ113系を取り替え切れるところまで、メドなんて立ってなかった。
尼崎の脱線事故の前にやっと、JR神戸線・JR京都線の快速から、113系が消滅したけど、阪和線・きのくに線や嵯峨野線とか、まだまだって感じだったし。
時速140kmで運転する新快速に使う225系を作って、223系を別の使いみちへ回すにしろ、113系の消滅なんて、とんでもなかったよ。
湖西線において、681系・683系を時速140km〜150kmで運転するために、普通電車を221系でそろえる、って話もあったけど、ほかの使いみちと、取り合いになっただろうなあ。
福知山線の脱線事故があって、さらに223系がたくさん増やされたし、225系が普通の近郊型電車として、設計しなおされたものが、これもたくさん作られたよね。
これによって、嵯峨野線は221系・223系だけで、そろえられたし、阪和線・きのくに線からは消滅して、広島などの山陽本線で、古い115系などを取り替えてる。
事故の反省から、車両に対する投資が、安全性向上計画のなかに組み込まれて、ジャンジャン新しい車両が作られるようになったんだ。
それでも、113系については、まだ京都と岡山に、たくさん残ってるわけ。とは言っても、2022年から取り替えが始まって、ほぼ消滅のメドが立つんだけど。 >>662
あと、福知山線そのものが、脱線事故まで、113系の運用が消滅させられる感じじゃなかったし。
おおさか東線の開業で、直通快速を走らせる構想はあって、223系2000番台の4両編成が、時速120kmで運転するために改造されて、転用(もしくは新しく作る)される話はあったけど。
それでも113系を無くせるところまでは、考えられてなかったしなあ。
>>663
223系1000番台は、車体の設計が短い時間になってしまったりしたから、作り続けるのに、経費の面からも工夫が必要、ってことになってた。
283系は、もともと車両の長い期間の計画になかったもので、これを試験的に使い続けることで、問題点の洗い出しや、新しい技術の開発とか、将来に向けた、叩き台的な存在だからなあ。 >>590
南海1000は新CI制定計画の一環であり、
新塗装が無い場合は阪神8000みたいにしばらくは9000増備だったんじゃない? 近鉄ACEの増備計画
ACEは、最初の12両が搬入された時点で100両を増備する予定だった模様だが、結局は74両しか増備されなかった >>665
>インバータ制御が出てきて、それで通勤車を作る話が出たとき、新しいコーポレート・アイデンティティの話が並行していたわけだから、それがなかったら、とかは変だよ。
>新しいコーポレート・アイデンティティの話が出ていても、ひょっとしたら、9000系を(次は車体の外板が、ヒモ出し加工になって?)作り続けてたかも、ってところだし。 阪急9300系ってロング仕様作ってたら中間車の車番が9999まで…いかないか。(9990は実在する)
あと「鉄道ファン」誌に京阪旧3000系の新塗装案が載っていた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています