あくまでストロイエは
南海の電鉄サインピクトグラム担当で
50000専用として追加が必要なサイン類を
若林広幸からの指示で制作

若林氏はその段階で既に
たち吉から独立し個人事務所を構え

南海もJRとの競合は当然承知の上だが
空港特急車を大胆な意匠とする動機は
JRの動向が影響したというより
むしろ電鉄社内間で刺激された高揚から

JRは当時681量産先行車を登場させ
南海もある程度の手の内は見えていたが
JR関空特急形にて近車と検討されたのは
当初ステンレス車体でスポーティーな印象

南海が既存のビジネス特急車ベースと
対外的に説明していた方が不自然で
どちらかというより間違いなく
JRの方が南海の注力を警戒しており

そこは物量作戦で急遽
関空快速形新造を決断したほど