当時は西が
海から新幹線100-Gヘセ7本を中古購入
これは距離精算など現在に繋がる事例
また383量産に伴いシン381-100も検討

JR各社とも
阪神大震災での応援を契機に
共通の国鉄形などを融通しあう機運が
高まっていた時期というか
西が一時的に活路を見出したとも

ちょうどヤテ205も償却完了時期を迎え
甲種輸送費も陸上トレーラーと比べれば
経費は相当抑制でき

>>407
阪急において
H3年頃は8000や8300の登場から少し経ち
2000全廃に続き5200や2800の置き換え
そしてJR221に影響され
一部転換クロス導入に加え
額縁状の前頭部の問題顕在化など
成熟へ向け試行錯誤する一方

将来の大規模な車両更新を見据えて
各本線毎の塗装設定など
従前の印象から脱却する方針が打ち出され

東京圏のワイドドアや多扉の動向は
当然把握していただろうが研究段階で
まだ8030へ即反映するという情勢でなく