幻の鉄道車両を語るスレ 2両目
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計画の頓挫した鉄道車両を語るスレです。
国鉄・私鉄問わず語りましょう。
例:187系電車、東海道・山陽緩行105系、長野電鉄パノラマカー3000系、
能勢電鉄自社発注新車、近鉄7扉車、阪神スーパージェットカー、
京急2100型流線型、野上電鉄80型、西武鉄道7000系etc
前スレ:1両目
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1378731633/l50?v=pc >>296
新造でない既存車の更新工事は
北急の経営体力だと予算化しにくく
限られた額で局所的に手当していくため >>295
それが>>217で挙げた新世代4扉車。3扉クロスシート車の開発が先になり、
そこでこの通勤構想を取り入れたため、三代目600形はあのような形で登場することになってしまった。
ただ、あの時は迷走していたから…
サハ1900を1700番台に集約するつもりだったのに実行は1回限り、
600形4次車仕様の機器を搭載したものが増備は1回限りとか。 >>205
阪急が更なる8000増備を計画していた時はまだIGBT本格化とか考えていなかった頃でしょ
つまり当時だったら2000年代前半までGTO車増備はありえたかもしれない
>>273
南海は>>241にも書いたけど、仮称9100は実際の1000と同じVVVFだったろう
旧方針の1000がPTrやらIGBTだった可能性はある 仮称9100試作が登場時にGTOで
途中のPTr試用があってとして
1000量産の仕様策定時には3Lev.IGBTへ
https://mobile.twitter.com/oer2000
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >その背景として1900は更新工事を終えた直後のため
>仮に旧3000を更新工事で引き続き特急車として運用し
>7000量産で車齢30年超の2600置き換えという展開もあったのだが
>車両状態から不急で本格的な置き換えは将来の決定版つまり史実の7200相当を登場させる5年程度後まで棚上げと
というより2600-0は昇圧時に車体以外の機器を新調してるから90年代前半に7000で置き換えは無理があったろう
実際の8004以降みたく7000の車体に2600-0の機器を載せた機器流用車が出ていた可能性はあったにしても
結局実際の7200も7000同様純増で終わりになっちゃったじゃん
あの時に9000出てなくて7204〜7208が出ていたとしても純増だったと思うが >>258
つまり9300の2ドアは
9300-9900-9850-9950-9980-9870-9800-9400だったワケか
それと8304量産車?今ある8315がその量産車じゃなくて?
8304Fは試作車的だけど 当時の異様な景況感に加えて
自社商圏で鶴見花博を控え
京阪に限らず
大手各社は各々遠大な目玉事業を打ち上げ
積極投資する強い動機があったのだが
>>302
S36年以前に登場した
高度成長期本格化前の
大手各社の通勤車一般車形式は
仕様成熟前の作ということもあり
ちょうどその頃に置き換えが進められ
在阪では同世代の京阪2600-0が
昇圧対応と冷改で装備一新されて浅い年数
という特殊な存在に
しかし車体や台車がやはり旧状で
維持管理や接客面において
新形と比べれば見劣りする面は否めず
S53年改造車は既に13年近く運用され
S57年改造車も6年後のH7年に
やはり法定耐用年数を迎えると
前述の通り
電鉄を巡る環境と他社動向を鑑みれば
構想通り7000で置き換え開始
または8000増備完了後に
決定版新形つまり史実の7200で
となっても何ら不思議はない状況だった
しかし7000の段階で押し留めたのは
置き換えるには惜しい2600の状態
それより3000で何らかの更新が急がれ
そして指摘の通り
車両全体の増強継続が必要だと 車体と台車が経年で遜色するとの理由より
2600-0主要電機品流用で
7000の車体と台車を組み合わせた形式
というのも
当時の展開からして面白い発想だが
新造において当面は
特急車が界磁位相
通勤車がVVVFとの方針ながら
新6014-6064と7004-7054の整理で
H5年に最後の界磁位相の通勤車を増備
しかしあの段階で
2600-0の更新に着手する決断ならば
不急の対象が故の野心的な意図にて
車体と台車のみの新調に留まらず
新造VVVF車へ置き換えに加え増備だと 阪急も8304を増備していたら2300引退はもっと早かったかもしれないが >>310追加
南海も仮称9100と旧方針1000だったら7000番代置き換えはもっと早かったのかな
どうも8000は遅れていた7000置き換えが急務で7000置き換えに2000や3000も動員するほどだから 209系ベースの相鉄10000系
E231系ベースの小田急4000系 >>307
9300が企画段階から早期に具体となり
8304ベースのGTO-VVVF踏襲ならば
4M4Tだったのだろうが
先の>>258でも触れたが
車両新造見送りの時期が長く
その間の検討において
2ドア前提時代の最後に
6330や一部の6300を更新改造で併用し
新造両数抑制の案が出た頃は
東洋3Lev.IGBTが小規模ながら量産され
東急7715編成は難儀していたが
京阪800や海外案件の実績もあり
タイミングに依っては
9300に適用されていたかもしれず
東急用が1C2M2群だったことから
3M5Tに踏み切っていた可能性も 遜色は「遜色する」というようには使わない。
事情通を気取って、日本語も理解出来てない。
頭が悪いのだろう。同じ話題の繰り返し。 >>262
>>265修正
>>261の酉は4ドア通勤型のことを言っており、113などの近郊型はカウントしてない しかし関西各社の平成初期のVVVF車も本来はもっと増備する予定だったみたいな書き込みを見ると何か切なくなるね
今は関東ではこの世代の車両まで普通に廃車になる時代になっちゃったからな
こちらはその後に出た標準車体が安いとか、メンテナンス技術力にもよると思うけど 阪急では他に5200の制御器を換装して7200系を構成するという話もあったとか。 5200は車体と冷房が独特やったんが嫌われて全廃されたのに、それらを残して制御を換装するとかないわアホ。 >>311(南海)
あまり変わらなかったと思う。
そもそも仮称9100系の段階では7000系の冷房化改造が完了し、7100系の更新に着手した頃だから。 283と四国の6000は1997年頃に増備が発表されていたらしい
長電OS10の2本目も雑誌に載ってたとか
最も長電はOS10登場時は殆どの車両をOS10にする構想があったらしい
それが変更となり青ガエルの譲渡車になったとか >>319
阪急5200の車体だけ8000相当に変えて走らせるというのは定期的に出て来る妄想。
5200の機器は発火するほど状態が悪かったけど。 国鉄72系920番台ベースの5ドア車案
それと、22メートル車案もあったな。 >>324
5000に方向幕付けるとき、5200はやらへんという判断をした。それは車体と冷房が独特やったから、この車両を長くは使わんという意味よ。
制御とモーターは5000と一緒ながら駆動だけ変わっとったんやけど、そこはWNに変更できたしあんまり問題なかったからな。そやから8000の増備で台車を流用できたんや。発火するほど問題あったんなら、もっと早くに全車運用外されてるし、5000もおんなじ症状出てる。
8200は朝晩しか使わんので、増備するなら5200から残る制御とモーターを流用してって話やったんやけど。 >>322
北283ならその頃に量産車登場であるし
西283なら増備の予定や計画はナシ
西283は381置き換えに時期尚早で
仕様も決定版に程遠く
やくもを含め増発での所要両数増加が
確実に見込めない限り
容易に増やさない方針だった
四6000は
西213マリンライナーの距離精算も兼ね
同快速編成へ組み込む目論見があり
相応に増備を企画していたが一旦見送られ
後の同5000と223-5000にて結実 >>181
>>186
223-0増備があったとしても実際の2500番代1次車の分に当たる2連2本だけだったかも
当時の阪和線は近郊車統一なんか考えてなかっただろうから 223-2500-1次車は
6連2連を3連5連へ再編するため
6連9本に対し2連7本だったのを
9本ずつで揃えるための新造だったが
-0の時代に増備する動機があるなら
仮に関空快速の増発かヒネ国鉄形置き換え
よって基本6連だった可能性が高く >>330
1990年代に阪和線の国鉄型を置き換えていたら113置き換えが223-0増備で、103置き換えは207-1000ベースの阪和用だったかも
関空快速は1995年に特快ウイング、1996年にO-CAT絡みがあったとは言え増備は無かったが 207は片福連絡線開業準備で
-0や-1000の量産は続いていたが
まだまだC電運用全体で充足できておらず
24時間自動運転構想が持ち上がった
大阪環状線用も俎上に乗せられるなど
優先順位から
阪和線への投入など到底できるはずなく
それ以前だと
阪和線用新造車は205-1000の次に
221が福知山線用と共に想定されていたが
207-1000と281の設計段階で
通勤形両立も志向の関空快速形を急遽企画
通勤形快速の新世代近郊形への置き換えは
当時から意向としてあり
223-0なら221以上に通勤形運用にも適当と
ただしJR西はまず113など
国鉄近郊形の老朽化や陳腐さを問題視
長野以遠着工への機運が強まるものの
北陸新幹線の動向が流動的で
区間や規格が判然とせず
在来線車両更新の長期計画が見通せず
103の直接置き換えが最も後回しに
片福連絡線用207も
新線区間の結構な所要増が必要
さらに221や223の新造も113廃車優先で
やはり223-0も所要増の分が少なくなく
103置き換えは余力でしか叶わず
103体質改善試作が寿命60年志向の背景 南海7200(6200の南海線版)
実際には7100増備完了から9000(8200南海線版)まで南海線の新造は無かったが
後に3000が泉北から転入したがこれは何故7200にならなかったか不思議 >>290
旧方針の南海1000は実現したものとしては営団06・07、小田急2000、東武30000がそれに近い感じ?
それと車体意匠はどんな感じになっていたのかな?
>>332
酉も90年代前半の段階では60年代に登場し、80年代まで製造された形式の初期車(非ユニット窓)は実際より早く全廃するつもりだったように見える ツイ垢oer2000は自爆で消滅したが
ココでは相変わらず
>>334
いや全然違う
321が登場した頃から
ようやく国鉄形の旧延命工事車について
置き換えの目処が立ってきたくらいで
尼崎事故後の安全性向上計画の原形となる
事故直前の中期経営計画すら
国鉄形体質改善車の全廃は見通せず
関空開港辺りまでは
国鉄近郊形非ユニット窓世代を
コツコツ置き換えていくのが精一杯
繰り返すが
北陸新幹線計画が不透明だったため
国鉄形のまとまった何かに
置き換えの目処を立てるなど
到底できないほど在来線車両計画は混沌 まぁ大阪環状線自動運転化による207-1000ベース車が投入されていたらそれによる103の整理で初期車は実際より早く全廃だったかもね
というより酉103の初期車は先頭車中心で、中間車は束ATC車と同時期製造のものが多かったが >>336
大阪環状線用は企画こそ浮上したものの
当分207増備はC電へ集中せざるを得ず
その頃
いよいよ嵯峨野山陰線電化完成が近づき
とりあえず485を捻出するため新造するが
681量産車の仕様を策定するにも
北越北線の開業も遅れ
160km/h即応とするか準備とするか
また中長期的に経年劣化しつつある485も
延命しない方針だったため
置き換え規模の見込みすら立たず
しかし来るべき特急形更新へ向けて
681かフル規格新幹線車両かの何れにしろ
経営面で準備しておく必要もあり
既存ベースながら技術調査も必要な上
相当な投資が見込まれる
大阪環状線24時間自動運転など
優先順位は上がらず
これにて通勤形置き換えが進捗するとか
車両更新計画に想定を盛り込めるはずなく 能勢電の自社発注新車って、阪急8000増備車の神宝用がベースの予定だった?
最近、1200という自社発注新車の噂があるらしいが 相鉄10000の209ベース案と日立案
相鉄20000の前面意匠のボツ案 東武30050系
東武9080系
東武200系貫通型案 南海8000の近車案
8000は、計画時は近車での製造も考えられていたようで、近車からもデザイン案があったらしいが
結局8000に関しては従来通り東急車両で製造となった
8300は近車になったが
また、その8300も仮称は新8200だったらしい
VVVF通勤車の方針変更でも当初は9100のままで、製造時に1000に変更されたとか >>52 >>75 >>276
南海11000がVVVF採用しなかったのは、多分小田急や近鉄で特急車にVVVFをしばらく採用しなかったのと同じ理由? oer2000が各スレで暴れているな
>>343
理由は異なる
併結相手となる形式派生元の1000が
量産で9000と合わせて
まとまった勢力となるまで
年数を要することが見込まれたこと
H3年の時点では
まず7000や7100と併結できる10000を
固定4連化した方がベターだと
11000は車両部が
本来のVVVFビジネス特急車として
登場させられる技術的環境だったが
運輸の組合支部が難色
近鉄21000や小田急10000と
南海のVVVFビジネス特急車企画は
時期として5年以内の差だが
この間にGTO-VVVFの普及や
IGBTへ繋がる汎用素子VVVFの蠢動が
一挙に起こったことは事情として大きい
近鉄21000と小田急10000の数年後の
東武100やJR785は日立GTO-VVVF
近鉄標準軌特急車は主回路全て三菱
小田急は
特急車の多くは主制御が東芝で
MMが東洋と三菱そしてTDカルダンだが
通勤車は主回路全て三菱
つまり両者の車両仕様選定は
三菱の影響が大
そこで南海は一部を除き主制御が日立
これも特急車のVVVF早期採用を
後押ししたのかもしれない
また近鉄は21000の頃から
大阪線特急の高速化を志向し
ここではVVVF採用を見送ったが
22000にて5年越しで理想を具現化し
高速化の方針は23000まで踏襲 >>55や>>74でも書いたが、南海は2000が出た時点で既に4扉についてもVVVF車を登場させる予定はあったらしいがその時はまだ旧方針だった?
旧方針でもメーカーは東急車両だったのかな?
同時期に泉北が川重になったから、東急車両じゃなかった可能性もあるけど。 >>345
三菱かそれ以外のメーカーかによって特急にVVVF採用しなかったのは関係ないと思う。
東武は通勤車がチョッパで特急がVVVFという逆転事象があったが。 >>348
地下鉄乗り入れ車は比較的早めにVVVF採用したが、
地上通勤車のVVVF採用が遅れたのは10080系での併結試験結果で相性悪かったためらしいよ。 >>348
東武は新技術が大好きな会社。
でも、あまりに新しすぎる技術を採用して大火傷をしてトラウマになり
のちにその技術が主流になってもなかなか採用しなくなる。
直角カルダンもそうだったし、ドア上のLCD次駅案内装置もそうだ。
失敗して総取り替えってことになっても、特急車だったら編成数限られるから
足回り機器作り替える費用も限られる、って経営判断もある。 >>348
三菱はVVVFについて
逆導通サイリスタRCTに拘り
大容量GTO適用の判断が一足遅れ
東芝と日立が先行しており
特急車や新幹線への拡大もリード
>>349
10080試作に続く標準通勤車へ
当時の大容量GTO-VVVF適用は
品質への信頼こそ得られたものの
東武の量産規模だとコスト面で難が
よってまずは
予算に余裕がある特急車からと >>48
>>273
南海だが
史実の1000-1次車登場はH4年度
史実の1000-2次車登場はH6年度 >>354
違う
クソボケoer2000よ
1000-1次車はH3年度内に落成し
営業開始が年度を跨ぎH4年度
1000-2次車と50000もH5年度内に落成し
営業開始がH6年に
車籍登録が営業開始日のケースがあり
経営上の実質予算措置年度と異なる >>275
>>277
となると9000増備車が前面はそのままだが側面はビードプレスに変更になっていた可能性がある。
実際には南海9000系はS63年度で増備終了となったが。
>>186
223-0のままだったとしても座席が国産製に変更、ドア窓が複層になる等1000番代の影響を受けた変更があったかもしれない。 >>264 >>332 >>337
94年頃では大阪環状線用207-1000ベース車だけでなく大和路快速用の223系(0ベースなのか1000ベースなのかは不明)も計画されていたらしい。 まだ星のようなUFOを見てないのか? 世界教師マYトレーヤが現れるぞ! oer2000は何を思いついたのか
>>355
223-0のエクネス社製座席に
影響を受けて採用した京急2100も
H12年の増備終了まで踏襲しており
また京阪8000の
ダブルデッカー8800でも採用
223-2500登場までに
仮に-0増備の機会があっても
側引戸窓が複層になったとて
座席はエクネス社製のまま
>>356
223-1000は元々
-0の企画以前から
新快速130km/h運転特化形で開発され
実際そうなのだが
223-0量産開始後に
大和路線用近郊形増強が検討され
こちらは新快速130km/h運転用と同形車を
充てたい運転関係の意向も強く
223-1000-1次車を先行してナラに投入
という方針が一時示されたこともあったが
そもそもの用途に立脚すれば
結局2次車もホシとなるのは当然で
そこから玉突きで捻出の221をナラへ転用
にて収束させ決着 なんかさ、スレタイは面白いんだけど、誰とは言わんが根拠なし長文をダラダラ書く人のせいで、何だかねって感じ。
他のスレだけど神戸917発スーパー雷鳥が通勤を意図したものだ、とか、北摂ライナーが福知山まで行ってた、とか書くから信用度ゼロだし。せめて訂正くらいしろよ。全ての文章が信用できない。 >>296上段続き
10Aまで置き換えは御堂筋線のホームドア設置の関係?
21更新は最近になって追加で運転台改造してるらしいが 旧大阪市営つながりで
30の短命廃車になった先頭車は千日前線辺りで使えなかったものか 3レス連投になってしまうけど
>>145(>>146修正)
>>216(>>237修正)
つまり当初予定では阪急は8000の8200顔(車番電照式)が幅を利かせていて、9000は出なかったという事になるのか >>360
大阪市では橋下が局長として
京阪から藤本を押し付けるまで
可動柵設置に伴うR1のATO+TASC化でも
10Aは再改造にて対応の計画だったが
藤本の判断でR1について
可動柵全駅展開とATO+TASC化を見送り
21中間更新の仕様も可動柵対応を簡略化
一方インバウンド対応の要請から
N20中間更新全体で車内LCDを採用
藤本が醜聞で更迭された後
R1の旧計画が復活したものの
この時点で当然10Aは余命減少で
車内LCD追加など再改造規模の拡大から
費用対効果が不均衡として
遂に計画の対象外となり置き換え前倒しで
2000よりも先に全廃へ
しかし新会社発足で
可動柵稼働予定が更に強引な前倒しとなり
10A置き換えが間に合わず
相当数が残るため簡易な対応を検討
また21中間更新において
-07が旧仕様の可動柵対応準備車
-12と-13が新仕様の即応車
それ以外が新仕様の簡略準備車
よって-12-13以外は
ワンハンドル化や大形LCD化へ統一など
新仕様の即応車化で順次再改造中だが
車内の意匠は変更せず >>361
何を以って短命なのかが判然とせず
R5も25統一が早い段階で達成され
oer2000よ
>>362
その通り >>363
藤本氏が御堂筋線ホームドア全駅展開を見直した、という話にソースあるのかな? >>216 >>275
>>274でも触れたが、南海の仮称9100試作は9000と同じ車体にVVVF積んだだけ(東武10080試作・近鉄1250試作みたいな感じ)だったと思う。
試作と量産の予定が、試作が無くなっただけで1000量産は史実通りの仕様だったと思う。
また>>277にもあるが、仮称9100試作で1000量産に向けてのデータ採取中は9000も更に増備する予定だった模様。
こちらは側面がビードになる変更はあったかもしれない(>>355も参照)
>>237
8010・8304の量産が実現していたら8033・8303の意匠が少数派として浮いた存在になっていたかもしれない。 南海について
仮称9100を試作として造るということは
空港線開業と高野線複線化完成の増備や
7000と7100と22000など
将来の置き換えに備えて
決定版の一般車1000量産を意識
2000があるためVVVF試用は必要なく
車体や主回路に制御伝送など
車両システム全体の技術動向を探る目的
よって試作車の軽量ステンレス車体は
2000ベースの無塗装から
史実1000-1次車的な試験塗装まで
そして1000量産は
史実1000-2次車の車体と台車とモーターに
泉北7000の3Lev.IGBTと制御伝送
阪急について
8000と8300はその通りH5年度分が異端
ただし
形式上の区分から8010や8304の方でなく
初期車の一部という定義 >>221でも似たようなことを触れたが、
阪急8010は史実8200・8040と主電動機は同一(200kWのSEA-350)で、
制御装置は8200・8040用ベースに4群制御用としたもの(SVF018-B0?)だったろうから、
実現したものとしてJR西207-1000が一番近い(主電動機200kW・個別制御GTO)だろうけど、
仮にJR西で207-1000の貫通8連が実現していたらこちらも3M5Tになっていたんだろうか?
(史実で一時的に見られた6+2や4+4ではいずれも4M4Tだった)
ちなみに阪急8200・8040のVVVFは3群制御用のSVF018-A0。
同8000はVVVFがINV032-A0で主電動機は170kWのSEA-317だが、3M5T可能だったとか。 JR207-1000の基本組成
というかJR西の1M2T方式において
0.75M車混結を除き固定8連は3M5T設定
仮に大阪環状線用が新製されたなら実現
2連4連そして207-1000では6連もMT同数
よってその組み合わせだと8両も同数
阪急8000の仕様は
基本4M4Tだと将来志向するところが
α=3.0km/h/sと120〜130km/h運転
そして1Mカットで3M5Tとしても
α=2.6km/h/sと105km/h運転の性能確保 >>370
ということは環状線にもし321-1000?が導入されていたら0.5M×6両+T車2両の実質3M5T相当だったということか。
223-2000の一部M車が0.75Mになったのは阪急8200の影響だと思うが、
仮に阪急8200登場がJR西の個別制御GTOより前だったらその影響を受けて207-1000や223-0の2連が0.75Mになっていたかも。
(その後の組み換え時に1M化容易だったろう)
というより阪急8200はH3年度位に(東芝個別制御GTOの試験を兼ねて)登場でも良かったんじゃないかな。
車体部分の設計の参考になったとされるJR東サハ204や小田急1500-1次車が共にH2年度だからね。 >>290 >>300 >>367
南海だが1000量産がH5年度想定だったとすれば、JR西223-1000を抜いて関西初のIGBT車だったのか。
(史実で関西初のIGBTとなるJR西223-1000登場はH7年度)
H3年度登場のJR西207-0は三菱PTrだが、
仮に南海がH3年度に仮称9100試作を登場させていたら日立PTrだったかもしれない(>>232も参照)
>>371追加
史実の東芝個別制御初採用例となったJR東209-910とJR西681-1000は共にH4年度登場だが。 >>372
三菱は
H2年度にJR207-0量産先行車用で
小容量GTO昇降圧チョッパー+PTr-VVVF
H3年度にJR901C用で
小容量汎用GTO-VVVFを供給
日立は一方で
旧営団向けとして
H4年度に3Lev.IGBT-VVVFを供給しており
PTrに関して表立った試験例もなく
南海の仮称9100試作で
汎用素子ベースのVVVFを試用するなら
取引がある三菱も交えたのではないか
>>371
後に209-910となる901Bも含めて
JR901はH3年度に登場
阪急8200は
そもそも8010や8304や9300といった
一連の形式群の派生形としての位置付け
まだH3年頃だと新造は従来の8000を踏襲
そして近い将来に
2300や3000などを置き換え始めるため
大規模な車両更新へ向け次世代仕様
つまり後の8010等を策定しだしたところ
0.75M車の発想自体は東芝提案で
阪急の動向を問わず
JR西が必要なら同207-1000と派生形にて
採用していた可能性もあるが
阪急が3M5T基本を志向したのに対し
JR西が1M2T基本とした違いは大きく
しかし後者は本音でMT同数を志向し
徹底できた訳ではなかったため
当時は0.75Mは参考程度の認識
とは言え
管内の電力事情や経費節減で後々に展開
また321も本来は完全0.5Mのところ
前述の当時の状況から実質3M4T相当
よって
仮に大阪環状線用が設定されたならば
実質3M5Tとなっていたのだろう >>363
メトロ02・8000や神戸市1000-02・2000-02等、最近は更新改造しても簡単に置き換える例が多くなっているが大トロも例外ではなくなるのか。
>>193 >>373
つまり南海の仮称9100試作と阪急6000FのVVVF改造は慣例の制御装置メーカーとは限らなかったのか。
まぁ南海は高野線のチョッパ車で(AVF・界磁とも)三菱製を採用したし、
阪急は2200登場前に5300のサハで東芝の電機子チョッパを搭載したことがあるから…
>>153
南海1000-6次車が予定通り60両程度量産されていれば南海線に2000と3000セミステンレスは走行していない。
そして7000引退はもっと早かったろう。 南海では
昇圧後に休車とした21201×4を
電機子チョッパー試験車化する検討があり
AVF方式を三菱と日立で比較のため競作
旧8000の増備が続けば
日立製AVFの編成も登場した公算が
仮称9100試作のVVVFは
新造時に日立の大容量GTO
そして三菱PTr試用から日立3Lev.IGBTへ
また阪急2200も設計段階は
1ユニット毎に東芝と東洋で
電機子チョッパー装置競作の方針が 南海と言えば幻の6000のVVVF制御改造で大容量GTOを採用する予定だったらしいが、
それは史実の1000-1〜5次車用の装置がベースだったんだろうか?
>>292
えっ、223-9000ってPMSMだったの!?
まさか(旅客用ではないとは言え)JR西にもPMSM車が居たとは…
>>375
南海の仮称9100試作は1000量産が出た後は新造時の大容量GTO(史実1000-1〜5次車用と同じ?)に戻っていただろうね。
(>>81も参照)旧営団が06・07とその派生型の試作として造られた05-14FがH3年度の新造時に三菱の大容量GTO(同9000-1次車と同じ)で、
H4年度に3Lev.IGBT試用があったものの、3Lev.IGBT量産となった06・07とその派生型の登場後には元の大容量GTOに戻っていたからね。
(現在は東芝の4in2VVVFとPMSMに更新改造済み) >>261
確かに堺筋線は今は日本で唯一非回生抵抗制御車が乗り入れる地下鉄路線だが、
本来ならば阪急車も8304量産等で今頃は7300以降に統一されているはずだったと思われる。
まぁ3300の一部を体質改善しちゃったのが…
そもそも堺筋線直通車はH7年度の8315×6からH26年度の1300登場まで19年間も新造無し。
似たように京阪もH7年度の7203編成新造からH26年度の13020登場まで本線用ロングシート車新造無し。
(9000は元々セミクロス車のため例外)
南海もH7年度の1036×2からH28年度の8300-2次車まで4扉車の2連新造無し。 >>376
Mzc223-9001はU@tech化当初
開放形IMだったが
当初よりVVVF変更込みでPMSM化予定 >>350
20000だけでも最初からVVVF採用できなかったのではないかと。
東武20000はH3年度車までは同9000のAFEチョッパを踏襲したが、
東武20000と同じS63年度登場の東急1000は東洋逆導通GTO-VVVF。
しかし東武20000についてもH4年度車以降(20050・20070)で東急1000と同じVVVFになっている。
そう言った意味では阪急8300も最初は同7310に搭載された装置の量産型で、
8302以降から逆導通GTOになったが、阪急8300より東急1000の方が登場が前だったので、
こちらも最初から逆導通GTOで良かったんじゃないかな。 JR西Mzc223-9001の
開放形IMは全0.5M車用のベースとなり
次のPMSMは160km/h運転対応仕様
よって後者も特急形までの適用が視野
仮に阪急が同8304を量産していたとして
現時点で5300は残存と考えられ
また堺筋線直通用形式を
7300以降に統一する必然性もなく
>>380
東洋の逆導通GTO試作器登場はH1年
東急1000の東洋VVVFは
当初のH線直通用が大容量GTO
そして後に増備の短編成用が逆導通GTO
つまり逆導通GTOへの移行は
阪急8302×8と大差ない時期で
同8300が当初より逆導通GTO採用は不可 >>381
阪急だが当初計画では8010で3000・3100・5000置き換え、
8304増備で2300・3300置き換え、
9300(史実とは異なる)で6300置き換えは決定されていたろうが、
仮にそれらが実現していたとしても
史実9300登場時期に相当するH15年度には8000シリーズの設計が古いので、
2Lev.IGBTの新形式に(神宝線・京都線とも)移行していた可能性がある。
その新形式群にて神宝線用で5100・6000を、京都線用で5300を置き換えていた可能性。
尚、8010・8304量産が行われていた場合は史実のような空白期間は無かったので、
史実より置き換えが進捗していたのは間違いない。 >>382
史実のN1000N1300の新造規模と
老朽車置き換えの進捗を見るにつけ
8010と8304などが同等に量産されたとて
次の新形式へ繋ぐ7年間では
2300と3100と3000と6300を対象に抱え
このなかで3000全廃は厳しく
結局そこから15年後に
5300や6000で廃車こそ発生していても
全廃という状況には至らず >>251
前スレ等では南海の仮称9100試作は6200・旧8000・旧8200・9000を踏襲した1C8Mの4M2Tとする案もあったとされるが、
主電動機出力が史実1000相当だとして180kWの4M2Tでは少し出力過剰じゃなかったのかな?
史実1000-1〜5次車は3M3Tとなったが。
また阪急8010の編成構成において>>175や>>49では片側Tcと記したが、
8010-8560-8660-8760-8680-8580-8510-8110(史実9300と同じM車位置)の案もあった模様。
ただ8010を>>223の通り19編成量産すると8020×6と車番が重複してしまっただろうから、
この場合8020×6を8009×6に改番とかあったかもしれない。
また8620と8790は当初の増備予定には無かったし。 >>131
南海1000-1次車の設計図には9100と書かれていて、
10000-4次車や11000と共に計画発表する際に1000に変更されたとか。 3レス連投だが
>>367
つまり旧方針では1000量産はいきなり幅広車体になっていたのか。
史実1000は1次車だけ幅広ではないけど。
あと幻のVVVFビジネス特急の車体意匠はどのようなものになっていたのかな?
1000量産の派生型となれば幅広車体の可能性だったろうが。 私の気のせいかも、だが、ササクッテロ氏とレス付けてる人って、同一人物の自作自演?
文章のクセとか同じなんだけど。まさかね。 幻の車両とは違う妄想話だが
南海について
9000が旧1000置き換え用だけで増備終了するくらいなら旧1000置き換えは21000とほぼ同時期にした方が良かったと思う。
新造車についてはS63年度まで高野線8200を増備し、
H1年度から旧1000・1521・7000置き換え用にVVVF車を最初から量産した方が良かったのでは…
(機器は史実1000-1〜5次車的だが車体は史実2000-1・2次車を21m4扉にしたような意匠で)
ただその場合南海線特急の運行形態がどうなっていたのか想像がつかないが… 南海においてH1年度と言えば
2000登場と7000冷改更新完了
よってこの段階で
7000置き換え開始は早くて9年後の計画
高野線複線化完成が遅れている上
冷房化率100%達成に向け
1521や1201など支線用非冷房車は
処遇と置き換え用形式の目処が立たず
また検討中のVVVF通勤車は
他の新機軸もまとめて採用する方針のため
2000的な仕様のままは念頭になく
史実の1000-1〜5次車は半端な状態で
よって本線用の当面の増備は9000
高野線用はZ車の方が勝手がよく2000
それこそoer2000が好きそうな例えだと
小田急の同3000が
H15年の増備車から制御伝送TIOS導入で
大きく設計を改めたように
南海の史実の1000-1〜5次車は
方針変更後も新機軸を随時採用し
形式を進化させていく必要があった >>384
阪急8010は
Mc1-T2-T1-T1-T1-T2-M1-Mc2
の想定しかなかったはずだが >>370
考えてみたら223-0のかつて存在した2+6や5+3が3M5Tだったな。
南海でN8000の原計画となる高野線専用S車は操舵台車も検討されていたとなればやはり0.5Mだったろう。 >>380
東武初のVVVF車は10080なんだが、それの製造年度と20000製造開始の年度は
どちらも昭和63年。
チョッパ制御試験車サヤ8001みたいな車両を用意してVVVFの試験をしてたわけでもないし、
新しい技術大好きな東武でも、いきなり量産する勇気はさすがにない。
10080で実績ができたから、スペーシア・20050とVVVF車新製に切り替わっていった。
昭和から平成に変わるタイミングって、電車は革命的進化をしてたんだよな。 >>318
>>120にもあるが、H7年度以降も新造が順調なら、
在阪大手各社の'90年代製VVVF通勤車は相応に量産され、
史実のように'10年代になっても老朽通勤車が大半を占めるという事態は回避されていただろう。
JR西も大阪環状線用に207-1000ベース車を投入していれば、
それに伴う103整理で老朽車は'00年代初頭までに全廃だった可能性。
>>311 >>321
南海7000は本来ならH10年度から7100-1次車と並行しての置き換えが考えられていたため、1000-2〜5次車も史実より量産されていただろう。
また本線に2000や3000セミステンレス車が走るという事態は無かったと思う。 >>212-213
京急600は全車とも逆導通GTO。
但し-1〜3次車が同1700踏襲の1C8Mに対し、
4次車は1C4M。
>>313
東洋逆導通GTOでもJR東E127-0や京王1000-1・2次車奇数編成は1C2M2群。
よって阪急9300(史実とは異なる)に東洋逆導通GTOながら1C2M2群を搭載し、
3M5Tに踏み切れたんじゃないかな。
東急7715編成に関しては
当該編成の故障多発の影響で同社は東洋を制御器取引から外し、
さらにオールステンレス車を解体しない方針を諦めた。
(同8090以降の軽量ステンレス車を中心に解体発生) >>387
たぶん同一人物。脳内で別人格と対話しているのだろう。 >>393
南海において
7000冷改更新後の計画寿命である
H10年頃の状況は
7100-1次車全廃を目指すと共に
1000の後継となる新形一般車
いわゆる新形式の設計を進めた時期
これが後の1000-6次車
そもそも
7000から7100-2次車の置き換えは
1000-2次車ベースで対応させない方針
よって
史実は1000-6次車登場を待ったと
仮に
H10年頃から7000置き換え開始の展開は
当初方針通り
仮称9100試作から1000量産の流れ
または史実の1000-3次車以降にて
IGBT-VVVFと制御伝送を採用する流れ
でしかありえず
JR西において
仮に207-1000大阪環状線投入の展開は
一時実際に想定されていたものの
やはり京阪神区間優先の方針から
C電用が207で充足の後でしかありえず
史実は新造が207-2000から321の世代
つまり
201と205の追放まで年数を要しており
支障する様々な外的要因がなくとも
大阪環状線用通勤形新造車が叶ったのは
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