幻の鉄道車両を語るスレ 2両目
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計画の頓挫した鉄道車両を語るスレです。
国鉄・私鉄問わず語りましょう。
例:187系電車、東海道・山陽緩行105系、長野電鉄パノラマカー3000系、
能勢電鉄自社発注新車、近鉄7扉車、阪神スーパージェットカー、
京急2100型流線型、野上電鉄80型、西武鉄道7000系etc
前スレ:1両目
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1378731633/l50?v=pc 8200・8040作らず8030がその分増備していれば良かったではなかろうか?
今思えば8200のために開発した新機軸が無駄になってしまったとしか
見えるラジオや、ベルト式ドアエンジンなど
ベルト式ドアエンジンは8020Fの増結中間車にも採用されたけど 阪急8010形が実現していれば
・製造メーカーはアルナ工機(アルナ工機が存続し、後に武庫川車両と合併したと思われる)
・台車はFS-369AではなくSS-139Aか新設計のモノリンク式ボルスタレス台車
・5000系のリニューアルは無し(そのまま廃車)
・車内は8040形準拠(見えるラジオも搭載)
・VVVFは8200系・8040形準拠だが非0.75M?
だったろうね。
実際に登場してたらサハが5両連続による乗り心地が悪いのをもっと早くから味わうことになっていたかもしれないけど。
あと、VVVFが8200系・8040形準拠ということは音もそれらと同じであり、
8200系由来の音が日中以降でも聞けるようになっていて、
朝ラッシュ時にわざわざ8200系・8040形を狙う音鉄が大量に発生することもなかったろう。
(実際7000・8000系などの増結2連の音の音源は少ないのに、8200系・8040形の走行音音源はかなりある) 相変わらず
同じ主張をツイと5chで並行か
https://mobile.twitter.com/oer2000
8200と8040へ移行した段階で
それまでの仕様は形落ち
8010がH8年度から量産開始されたとて
初のIGBTとなった史実の9300がH15年度
よって7年間は増備できるため
史実の9000と同じ製造期間で
結構な置き換えが叶っただろう
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>222
史実の9000系と5000系リニューアルの本数分が8010形になったとした場合、本数は19編成(8010〜8028F)
ただこの場合8020Fが重複してしまうので、8020Fを8009Fに改番があったかも。 先ごろ引退した営団6000系の元ネタになったとかならなかったとか言われているサンフランシスコのバート
実は量産車の偏った正面デザインのほかに、中央に貫通ドア風のカバーがついたデザインも検討されてたようだ↓
http://www.flickr.com/photos/walkingsf/4110417928/in/set-72157622518181915/lightbox/
横浜市営地下鉄はこれを参考にしたのかな?なんてね >>172
阪神8233増備がVVVFを止めたのは、近鉄特急や西鉄8000と同じで当時の優等にVVVFのメリットは薄いと判断したから? >>216(南海)
つまりデザイン案や図面まで通過した後に方針が変更されたわけね。
あと、新塗装化計画時は線区別に色を分ける案もあったとか。 >>218
臨海線が全通後しばらく6両の区間運転もあったのは当初の臨海線が6両で予定されていたからなのかな?
それと仮に博覧会が開催されていたらそのJRからの貸し出し車両は何になる予定だったのかなあ
当時埼京線とは線路がつながっていなかったから読めない >>225
当時の阪神では
他社で採用例が急増していたGTO-VVVF
の導入について
そのポテンシャルに期待がかかり
□系用新形車の企画ながら
従前区別している□系とJ系を
同じ新形式で機能集約できないか検討され
その発想は後に
9000で5500用とVVVFを共通化し
また1000の主要機器ベースで
5550を構成したことでも反映
VVVF採用の見送りは
□系だからJ系だからということより
阪神が求める仕様に対して
メーカー提案がまだ成熟度不足であったり
その頃も公的な導入補助はあったが
求める費用対効果が得られないと >>55 >>80
試作と量産の計画時代ならVVVFはもっと進化したもの(例えば汎用素子やら3Lev.IGBT)になっていただろう。
結局、南海のIGBT採用は1050系まで無かったが。
ちなみに史実の南海1000系の登場前のH3年度にJR西日本が207系0番台で汎用素子VVVFを採用しており、
9100系がその辺りに登場していれば試験的にその207系0番台や、
後のJR東日本901系A編成(史実の南海1000系のタイミングで登場)のような新型汎用素子VVVFだったろう。 >>222
8010形はH7年度を予定していた。
ちなみに8200系はH6年度分だけど震災に遭遇して搬入が遅れた。 西武の秩父鉄道乗り入れ特急
分割して3両で三峰口と長瀞に向かう予定だった
軽井沢延長すればさらに別のができたかも >>216
つまり阪急8000系列は、くの字2次型(車番電照式)の前面が決定版になる予定だったのか。
まぁ額縁の失敗もあるからね。 >>233
仮にH7年度落成予定だったなら
H6年度中には
一部の主要機器が完成しなくてはならず
8200と似たタイミングで登場する展開に
早くて8040と同じH8年度 ★★★金の心配ばかりしなくても生きられれる世の中にしたい(根税制●)★●★★
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http://jbbs.livedoor.jp/st●udy/3729/ →リンクが不良なら、検索窓に入れる! >>208
阪急8200系が登場したH7年度の時点で、東芝では既に旧営団が3Lev.IGBTを積極的に納入しており、
またH8年度初頭の小田急EXE車も東芝3Lev.IGBT。
つまり阪急8200系は3Lev.IGBTでもおかしくなかった訳で。 >>232
いや仮称9100は実際の1000と同じVVVFだろうな
仮称9100が実現していた場合の1000は車体意匠がどうなっていたのかは不明だが、機器は実際の泉北7000みたいなものになる予定だったらしい
それとなぜ「仮称」9100なのかね?
その場合の1000は「仮称」ではないのに >>240
当時の営団では東芝日立三菱の3社にて
3Lev.IGBTを供給
まだ歩留まりが良くなく高価な状況で
他は特急車や小規模量産など
新機軸に意欲的な形式への適用が多く
阪急もJR西と同じ
大規模量産には汎用小容量GTOが最適と
判断したのだろう 200番台(試作車)ということで、IGBT採用もあり得たが(小容量GTOとの比較検討も)
オートカーの頃とは異なり、近年の阪急は新技術に消極的で、熟成された技術を石橋叩いて採用する傾向はある。
1000系のPMSMは近年にしてはわりと頑張った方。それでもC#8001で試験採用のSiC-SBD使用VVVFは本採用されず。 8200では
小容量汎用GTO-VVVF先行試用の意図
またよく勘違いされるが
C#8001試用のVVVFはPMSM用4in1だが
SiC-SBDいわゆるハイブリッドSiCでなく
既存のSi-IGBT >>149
(8010形が実現し、8300系ももっと増備されていた場合の)9300系のデザインが
現行通りなら製造メーカーはどうなっただろう。
まさか9300系だけ日立製とは思えないし。
あと8200系派生で5200系機器流用車?
史実の8030〜8034F・C#8035(これらは5200系の台車を流用)のワイドドア版なら分かるけど…
>>145
8010形が型落ちになったというより、
アルナ工機が解散して、アルナで製造ができなくなったから9000系が計画されたというのが実態じゃない?
>>151にもあるがアルナが車両製造継続していたら8010形(但し機器は2Lev.IGBT)だったかもしれない。 アルナ工機が縮小前から
山口翁による
現行9300のベースとなる意匠案は存在し
構体仕様は別として
日立でなくともアルナで具現化可能な内容
5200廃車発生品の抵抗制御装置も流用し
8200同等のワイドドア車体に乗せると
アルナが縮小再編したとて
仮に新造再開が数年内にできておれば
それこそ
一部はアルナ車両でのノックダウンを含め
日立か近車に8010などを造らせることも
2Lev.IGBT-VVVFを標準採用する段階には
アルナの事業規模の推移に関わらず
8010から新世代形式へ移行 ササ喰い
5200系発生品使用の車体新製車(N5200)という記述は定期的に見かけるけど、
ソースあるの? 8010や8304から派生する前提の9300が
登場した後を念頭にした企画として
捻出6300のT車による改造5扉試作など
表沙汰にならない野心的な着想が
された時代 >>175
仮称9100系試作車の段階では編成両数までは定まっていなかったんではないかな。
編成両数が定まらないまま1000系に計画変更。
阪急8010形は今の9000番台と同じ電動車配置(T車5両連続)だったろうが。 6両基本までは確定
そこからユニットがMTかM1M2なのかで
組成の展開が変わり >>205 >>208 >>222
いや、H12〜13年度辺りの増備車からIGBTに変更はあったんじゃないかな。
ちなみに小容量GTOを相応数量産してきたJR西はこの辺りから正式にIGBTに移行している。 JR西はH10年度の223-2000の段階で
既にVVVFは3Lev.IGBTへ移行し
CVCF切替対応の車両制御装置が標準に
H12〜13年の辺りは3Lev.IGBTに並行し
日立三菱東芝東洋とも
本命の2Lev.IGBTを普及させ出した頃
仮に阪急の車両新製が
当時も継続していたとして
8010や8304などの増備が進んだ状況で
主素子に係るVVVFの技術動向に
阪急がどう応じていたか
3Lev.IGBT採用を見送り
2Lev.IGBTの熟成を待っていたため
それこそ時期的にも
幻となった6000×8大規模更新での試用が
実質のキックオフだったと >>253
8300系に関しては、同じ東洋の大容量GTOを採用している京成3700形が、
H14年度の最終増備まで機器はそのままだったことを考えると、
こちらも最終増備までGTOは無理は無かったが。
阪急では他に1000系も3M5TでOKと確信を得ていたものの1300系が何らかの事情で、
4M4Tにならざるを得なかったため、最終的には1000系も4M4Tになったという説が。
>>230
阪神9000系は震災急造車のため、機器を新設計する時間が無かったためVVVFは5500系と共通になっただけでは。
5550系も予定外だった模様だし。 京成3861編成の落成はH14年3月で
残念ながらH13年度の話
一方
GTO-VVVFを最後まで採用し続けたのは
名古屋市2000でH15年度最終増備
そう考えると
阪急9300×8車籍発生はH15年度のため
前年度まで阪急が強く望めば
6000×8更新改造で2Lev.IGBTを試用しつつ
8010や8304の増備をGTOのまま継続
という展開もやはりあったのだろう
そして阪神について
チョッパー車世代までは□系J系にで
到底主回路機器共用など望めなかったが
8000第13次車の原形となる幻の新形車で
VVVF採用検討の段階から
両系の設計集約を意識して仕様策定
というかVVVFの冗長性で
区別のため特化せずとも構成できたから
9000や5550のような即応が叶ったとも >>255
H15年の段階で東芝小容量や東洋逆導通を量産できたかは微妙だけどね。
名古屋市営地下鉄2000系は三菱のDC600V用大容量GTOだから。 阪急9300もH9〜10年での検討のまま
2扉車として登場していたならば
8300の一部や8304と同じく
東洋の逆導通GTO-VVVFとするしかなく
この場合
8304量産車と9300-2ドア車とも4M4Tだと
同時期の東洋3Lev.IGBTは
東急7715編成や京阪800で採用されたが
各鉄道事業者の評価は決定版とみなされず
そこで6330×8など
6300の一部をVVVF化を伴う大規模更新し
特急車として9300と並行して運用する
次の段階の検討だとどうだったか
ちなみに東洋2Lev.IGBTの嚆矢となる
京阪10000の登場はH13年度
>>257
名古屋市2000のVVVFは
主幹事が確かに三菱ではあるものの
最終増備2本分の当該は日立製
三菱から様々な要素の供給を受けて
東芝製も含め製作されている訳だが
それこそ阪急の場合も
継続して発注し同仕様を強く望めばだと >>188
阪急はせめて3300と5000だけでも界磁添加励磁制御化はできなかったのか?
8000増備がままならなかったからこの2つを大更新して続投ということになった筈だし >>254
9300や9000は
1C2M-VVVFと200kW開放形IMの3M5T
これをトレースして
4in1-VVVFと200kW全閉PMSMの3M5T
という設定は可能なものの
内扇形全閉IMの最大出力が190kWまでで
9300同等の編成出力を確保できず
外扇とすれば230kWまで可能だったが
全閉度が高いモーターによる
長期間手入完全不要の魅力には敵わず
そこで
T車連続による乗り心地の問題解消や
M1M2ユニット方式への回帰で
編成内の制御装置削減による経費抑制と
7000や7300の大規模更新工事と機器共用
を始め発想を転換し
割り切って車両設計の方針を相当変更
>>259
確かに同時期の京阪5000は
更新工事にて界磁添加励磁制御化されたが
阪急は当時の限られた車両関連予算を
既存の鋼製車更新工事に関して
接客に関わる車体の修繕に充てたいと
ただし主制御装置は
断流器遮断器の新調など一部更新を行い
最低限の手当は実施 >>258
6330Fはほんと勿体なかった
せめてこれを京トレインにすれば・・
中間2両廃車は避けられなかったにしても
結局関西の大規模鉄道事業者は大阪市営(当時)が30を全廃されるまで非回生車全廃を達成した事業者が皆無だった
私鉄各社は仕方ないにしても、酉まで非回生抵抗の40年選手を2010年代半ばまで残存させていたのはどうかしてたと‥ 大阪市
御堂筋線専用10000新造計画
10A他号線転用案
https://mobile.twitter.com/oer2000
便器ヲタ兼業とは恐れ入る
JR西も近畿圏幹線に113が残存しており
まだ非回生車全廃まで年数を要し
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 関西も阪神大震災とバブル崩壊が無かったら、抵抗車は各社とも00年代中に第一線を退いていただろう。
JR西日本は東西線開業分以外にも207系を導入して大阪環状線・大和路線・阪和線に新製配置していただろうし。
阪急も8000系・8300系量産による従来車の置き換えを90年代中に行う計画だったし。
京阪も7000番台や10000系による2000番台置き換えを進めていたはず。
南海もズームカー置き換え完了後は1000系量産で南海本線の鋼製車廃車はもっと早くに行われていたと思う。 JR西は207を
JR東西線に関わる系統と
自動運転構想があった大阪環状線の他は
投入する具体の検討をしておらず
というか
北陸新幹線の規格を巡り二転三転したため
在来線車両更新計画に影響し
特に通勤形は片福連絡線開業準備用を除き
103置き換え完遂の長期の目処が立たず
103新製冷房車グループは
延命N40工事を開始していたが
最大車齢60年も視野に入れざるをえず
そこで企画されたのが
VVVF化などを伴う体質改善工事試作車
そして>>263の主張を繰り返し
阪神大震災の影響ばかり強調していたが
近頃は便器ヲタ兼業の垢
https://mobile.twitter.com/oer2000
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>262
113は京都府内
それを言ったら117だって同じ 何を言っているのか
>>261は大阪市内だと書いていない 小田急2000形は登場時は中間車2両を組み込み10連化の計画があったが、複々線工事の遅延により中止。
また、京王8000系の8連も10連化の構想があったが、中止になったとも。 新京成8900形の当初の設計は6M2T編成が考えられていた模様。
実際の8連は8800形と同じ4M4T。 東急5000系は35編成目まで作って8500系前期車を一掃する予定だったが、JALの影響により中止。 >>228
臨海線は長大トンネルなのに、わざわざ地下鉄規格対応車を使うつもりだったのか
>>264
そもそも酉の207はJR東西線が地下鉄規格のためにわざわざ開発されたものであって
仮にJR東西線が長大トンネルだったら207は出なかったと思う
というか海みたいに発足後設計の4ドアが出なかった可能性すら https://mobile.twitter.com/oer2000
仮に山岳隧道規格だったとしても
既に各種インフラが埋設された大阪都心の
地下を通過するには連続急勾配を要し
さらに完全な新線として
所要車両が数十両単位の純増を要し
結局は何らかの新造車を量産せざるをえず
特急形乗入も織り込まれた東京隧道と違い
純粋な通勤路線としてコスト抑制からも
断面が小さな地下線規格となったのは必然
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>232 >>241
南海1000系の原型となる試作車はH4年度(実際の1000系と同じ)に登場が予定されていたようだが、
そもそもVVVFが目的の試作車となれば2000系より前(S61〜63年度辺り)に登場していてもおかしくなかったはず。 登場予定は
史実の1000-1次車同様にH3年度かつ
汎用素子VVVFの採用は
新機軸の1要素でしかなかった >>216
南海9100は9000に試作のVVVF積んだだけでデザインはほぼ変わらなかったと思う。
というか9100がGTOで1000がIGBTとあったような。 仮称9100試作の車体は
9000ベースのビード仕上げから
2000的な無塗装など様々検討 11000系当初案(南海線・高野線両用のVVVF車)
高野線専用21m4扉VVVF車
また、50000系も1000系と11000系の計画発表の段階では、11000系を基本としたデザインになる予定だったとか。
更にハイデッカー案もあったような。 南海9000増備車
>>274の9100の場合は1本のみで他に増備が必要ならば9000を増備するつもりだった模様。
2000登場後なら従来の9000車体は型落ちなのでマイナーチェンジされていたかも。 >>261
阪急6330Fは走行距離が長かったため、京とれいんに改造できる余裕が無かったかと。
それと幻の9300系2扉では梅田方2両がロングシート主体で
車体中央の1〜2箇所だけボックスシートになるという構想。 南海1000も当初は2000の大型4ドア版という意匠が考えられてたとか
>>262
仮に10A転用したって余剰廃車出るから意味なかったでしょ
更に10がいなくなったらその次は20置き換えだろうが、20が終わったら当然10Aだろうからね 当時の南海で
2000的な無塗装ステンレス車体の検討は
仮称9100試作のみ
現在の大阪市で車両更新は
10チョッパーの次が
繰り上がって10Aその次が2000
30000試作の企画段階で
1号線注力のため32000でなく
当初より31000のみ大規模量産とし
まず10形材車捻出にて10A-6連化の上
2号線転用で新30冷改車を全廃し
その次に10チョッパーを直接置き換える
という検討がされたこともあった >>280
南海の仮称9100が無塗装の予定だったという事は、なぜ実際の1000は塗装になったんだろうね
方針変更なら車体は変更前のままでもよかったような
10Aを谷町にもっていったとしても10Aは10本しかない(谷町30は13本だった)から
いずれにしろ谷町30000が3本必要になっていただろうな
あと30000試作ってPMSMも検討されてたとか聞いたような 南海において
仮称9100試作の車体が
無塗装の予定という訳でなく
あくまで検討の1つ
1000量産の想定で視野に入った
ステンレス塗装車体も選択肢に
大阪市において
確かに
新30冷改車と10形材車で本数は揃わず
ただし
中期的に予定された車両工場一元化により
2号線3号線は運用効率化で
所要本数削減見込みもあり
新20転用と併せた新30冷改車全廃も >>282
つまり南海1000は方針変更前から塗装車体は決定されてたのか
あと泉北5000も最初は1本だけで、南海1000が登場した時に増備されたよね
もしかして泉北も方針変更? 幻ではないが比較的短命に終わった国鉄機関車EH10。
若い人は知らないかもしれないが。 EH10(マンモス)、よかったなあ。
小生が幼稚園の時か、もっと前だったか、によく見たが、迫力満点で、かっこよかった。
車輪が8対あるので、だだだだだだだだん、というレール音が重戦車のようで、また最高だった。
機関車の顔つきもよかった。
今はたった1両、大阪は阪急淡路駅近くの公園の一角に静態保存されているだけ。
残りは全て廃車スクラップとなって久しい。
なんか寂しい。 >>262
御堂筋線専用10000系?
今の御堂筋線用30000系じゃなくて? >>283
泉北5000も
当時の同社からすれば新機軸満載かつ
とりあえず輸送力増強用だった訳で
和泉中央延伸の計画は具体化していたが
その準備には尚早で
精力的に増備を要する状況でもなく
第1編成で不具合の洗い出しを進めたと
それこそ5000自体が近い将来の
100や3000セミステンレス車の置き換え
つまり史実の7000や7020を意識して
仕様を成熟させる意味合いも
そういう意味では南海も並行して
似た展開を辿っていた可能性が
大阪市10000は
第三軌条用新標準の30000から派生させる
というより史実の31000以上に
1号線特化を極端に強めた特別仕様で
新機軸満載の設計が想定されていたものの
30000試作は
これまでの大阪市独特の設計から脱し
業界標準を積極的に採用する新方針ながら
結果的に業界内新機軸の採用は抑制され
むしろレガシーで堅実な仕様に
PMSMはまだ2in1-VVVFすら登場せず
システム全体が効果で量産採用事例もなく
東芝しか取扱えず
80採用のメタル線制御伝送も見送られ
しかし初期不良も少なく運用上安定し
逆に31000で10Aまで一挙に置き換える
方針決定の強い動機に >>288
まぁ世代的には
南海1000=泉北5000
南海1000-50=泉北7000
南海8000=泉北7020
なんだけどね
あと北急8000も当初は8006のような改造を全車にやる予定だったとか・・
幻の30000PMSMって今の北急9000がそれに近そうだけどね 幻の南海1000量産の対が泉北7000
南海1000-6次車の対が泉北7020
北急9000のVVVFは4in2だが
大阪市30000試作で
検討のPMSM用VVVFは1C1M4群で
装置筐体も大きくなり
IM用とは艤装配置変更のため留意と
しかし
2号線用のMT比は具体にならなかったが
将来の1号線用を念頭に同じ4M6T想定で
近車仕様の車体ベースと共に
北急が結果として多くをトレースする形に >>290
つまり実際の1000=泉北5000
旧方針では仮称9100=泉北5000
だったワケか
PMSMのVVVFは結局は2in1または4in1であり1C1M用は実現してないけどね
装置かなり大型だったかもしれないが JR西U@techのVVVFが
PMSM制御用に1C1M4群
これが同社において
新世代形式の標準になる可能性もあった >>292
ええそうだっけ?
考えてみたら、223-9000って1Mだけど1台辺りの主電動機出力は321・225・287等と同じなんだよね
つまり0.5Mじゃない321以降が出る可能性があった? KQ900形。
営団8000系とKQ800形の合の子風・・・ 京急と言えば
両開4扉新車と1500形1400番台(数年前の京急車両スレに載っていた、1700番台の4両バージョン)が気になる。 >>280
>>288
御堂筋30000で10Aまで置き換えとなれば10Aは改造から10年余りで廃車ということになるが、事情があれば仕方ないな
あと北急の8007は当初予定だったドア交換と車内表示器新設が行われなかったが、これも8000全廃に計画変更のため? >>296
新造でない既存車の更新工事は
北急の経営体力だと予算化しにくく
限られた額で局所的に手当していくため >>295
それが>>217で挙げた新世代4扉車。3扉クロスシート車の開発が先になり、
そこでこの通勤構想を取り入れたため、三代目600形はあのような形で登場することになってしまった。
ただ、あの時は迷走していたから…
サハ1900を1700番台に集約するつもりだったのに実行は1回限り、
600形4次車仕様の機器を搭載したものが増備は1回限りとか。 >>205
阪急が更なる8000増備を計画していた時はまだIGBT本格化とか考えていなかった頃でしょ
つまり当時だったら2000年代前半までGTO車増備はありえたかもしれない
>>273
南海は>>241にも書いたけど、仮称9100は実際の1000と同じVVVFだったろう
旧方針の1000がPTrやらIGBTだった可能性はある 仮称9100試作が登場時にGTOで
途中のPTr試用があってとして
1000量産の仕様策定時には3Lev.IGBTへ
https://mobile.twitter.com/oer2000
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >その背景として1900は更新工事を終えた直後のため
>仮に旧3000を更新工事で引き続き特急車として運用し
>7000量産で車齢30年超の2600置き換えという展開もあったのだが
>車両状態から不急で本格的な置き換えは将来の決定版つまり史実の7200相当を登場させる5年程度後まで棚上げと
というより2600-0は昇圧時に車体以外の機器を新調してるから90年代前半に7000で置き換えは無理があったろう
実際の8004以降みたく7000の車体に2600-0の機器を載せた機器流用車が出ていた可能性はあったにしても
結局実際の7200も7000同様純増で終わりになっちゃったじゃん
あの時に9000出てなくて7204〜7208が出ていたとしても純増だったと思うが >>258
つまり9300の2ドアは
9300-9900-9850-9950-9980-9870-9800-9400だったワケか
それと8304量産車?今ある8315がその量産車じゃなくて?
8304Fは試作車的だけど 当時の異様な景況感に加えて
自社商圏で鶴見花博を控え
京阪に限らず
大手各社は各々遠大な目玉事業を打ち上げ
積極投資する強い動機があったのだが
>>302
S36年以前に登場した
高度成長期本格化前の
大手各社の通勤車一般車形式は
仕様成熟前の作ということもあり
ちょうどその頃に置き換えが進められ
在阪では同世代の京阪2600-0が
昇圧対応と冷改で装備一新されて浅い年数
という特殊な存在に
しかし車体や台車がやはり旧状で
維持管理や接客面において
新形と比べれば見劣りする面は否めず
S53年改造車は既に13年近く運用され
S57年改造車も6年後のH7年に
やはり法定耐用年数を迎えると
前述の通り
電鉄を巡る環境と他社動向を鑑みれば
構想通り7000で置き換え開始
または8000増備完了後に
決定版新形つまり史実の7200で
となっても何ら不思議はない状況だった
しかし7000の段階で押し留めたのは
置き換えるには惜しい2600の状態
それより3000で何らかの更新が急がれ
そして指摘の通り
車両全体の増強継続が必要だと 車体と台車が経年で遜色するとの理由より
2600-0主要電機品流用で
7000の車体と台車を組み合わせた形式
というのも
当時の展開からして面白い発想だが
新造において当面は
特急車が界磁位相
通勤車がVVVFとの方針ながら
新6014-6064と7004-7054の整理で
H5年に最後の界磁位相の通勤車を増備
しかしあの段階で
2600-0の更新に着手する決断ならば
不急の対象が故の野心的な意図にて
車体と台車のみの新調に留まらず
新造VVVF車へ置き換えに加え増備だと 阪急も8304を増備していたら2300引退はもっと早かったかもしれないが >>310追加
南海も仮称9100と旧方針1000だったら7000番代置き換えはもっと早かったのかな
どうも8000は遅れていた7000置き換えが急務で7000置き換えに2000や3000も動員するほどだから 209系ベースの相鉄10000系
E231系ベースの小田急4000系 >>307
9300が企画段階から早期に具体となり
8304ベースのGTO-VVVF踏襲ならば
4M4Tだったのだろうが
先の>>258でも触れたが
車両新造見送りの時期が長く
その間の検討において
2ドア前提時代の最後に
6330や一部の6300を更新改造で併用し
新造両数抑制の案が出た頃は
東洋3Lev.IGBTが小規模ながら量産され
東急7715編成は難儀していたが
京阪800や海外案件の実績もあり
タイミングに依っては
9300に適用されていたかもしれず
東急用が1C2M2群だったことから
3M5Tに踏み切っていた可能性も 遜色は「遜色する」というようには使わない。
事情通を気取って、日本語も理解出来てない。
頭が悪いのだろう。同じ話題の繰り返し。 >>262
>>265修正
>>261の酉は4ドア通勤型のことを言っており、113などの近郊型はカウントしてない しかし関西各社の平成初期のVVVF車も本来はもっと増備する予定だったみたいな書き込みを見ると何か切なくなるね
今は関東ではこの世代の車両まで普通に廃車になる時代になっちゃったからな
こちらはその後に出た標準車体が安いとか、メンテナンス技術力にもよると思うけど 阪急では他に5200の制御器を換装して7200系を構成するという話もあったとか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています