幻の鉄道車両を語るスレ 2両目
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計画の頓挫した鉄道車両を語るスレです。
国鉄・私鉄問わず語りましょう。
例:187系電車、東海道・山陽緩行105系、長野電鉄パノラマカー3000系、
能勢電鉄自社発注新車、近鉄7扉車、阪神スーパージェットカー、
京急2100型流線型、野上電鉄80型、西武鉄道7000系etc
前スレ:1両目
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1378731633/l50?v=pc スルガ銀行に罰として私鉄の新車代金1兆円分建て替えさせればあっという間に関西私鉄名鉄西鉄も地方私鉄も新車だらけになるよ。ついでに京成送電網の更新費用も払わせる。 >>131
つまり旧9100と新9100があって、前者が廃案、後者が1000に改称となったワケね >>129
首都圏だと京急の特急もクロスシートだったよね(もっともこっちは無料か)
冷房も鉄道車両に一般化したのは万博以降だった気がする。 956 回想774列車 2018/10/06(土) 11:20:27.22 ID:HmEiMPax
415-1900は1両のみで量産されず、僅か14年で廃車された
415-1900は6ドアの近郊型版みたいなものだったのか?
量産されていたらどうなっていたんだろう?
217 回想774列車 2018/10/06(土) 12:42:44.24 ID:HmEiMPax
415-1900は6ドアの近郊型版みたいなものだったのか? 亀レスだが
>>52
南海11000系は、30000系と共通化を優先したため、VVVFは見送りとなった。
>>56
>>64
H7年度予定の8010形の計画が出た時は、8020×6の8連化の想定は無し。
ただ、8010形との重複を避けるため8009×6に改番はあった可能性も。 阪急6300のパノラミックウインドウとか京阪旧3000の没案もここに入るんだろうか 名古屋市営N3000の没案
6050を反転させたような前面で、スカートは名鉄4000に似た形だった >>137
クハ415-1901の量産車は215系が該当する。今やライナー専用に落ち着いてしまったけど。 関西鉄道電化で投入予定だった電車
笠置付近は第3軌条で電化して架線と両対応させる案だった 明治時代の案件ですな。
インターアーバンの資料を斜め読みしただけの感がW 阪急9300のロングシート通勤型仕様(9000の京都線版みたいなもの)
実際にはコスト削減で1300(神戸宝塚線も1000に移行)になってしまったが 阪急の9300は
8010と8304の通勤車から派生した
京都線用2ドア特急車が前提だったが
その登場が形式1世代分も遅れたため
京都線特急施策を改め3ドアとした上
老朽通勤車置き換えも兼ねた計画に
また並行して
神宝線向けは8010量産が頓挫し
さらに8010自体の仕様が形落ちとなり
本来の長期計画にない9300派生形通勤車
つまり9000を企画する事態へ
特急車ベースのため過剰仕様は否めず
もともと9300が所要本数確保で
増備終了のタイミングと同時に
量産効果を失う9000も新造終了の方針
よってそういう意味で
9300派生形京都線用通勤車の企画はなく
9000計画の段階で9300増備の最終数本を
特急用としたままロングシートとする案が >>145
えっ9300って当初は8200と同じ顔になる予定だったの!?
更に9000って8000増備ができなくなったから企画されたものな!?
つまり9300は当初は2800みたいな立ち位置になるつもりだったのか
それはそうと、8200ももっと増備する計画が有ったのかね?
流石に8200車体の中間車はなかっただろうが
原計画で5200機器流用とか多扉にする案があったと聞いたような気もするが 6ドア車ネタ
サハ208-500
サハ208-900
サハe232-1000
サハe230-500の転用 >>146
>>145は改行厨とか妄想厨とか言われてて前スレから嫌われてる奴だよ
信憑性のないことばかり書くし対話ができないので相手しないほうがいい >>146
9300の意匠は当初より
8000と8300または8010と8304と別立てで
特急車として特別なものを用意する方針
それこそ2ドア仕様の検討時代から
現行の前頭部形状そのままの案が有力に
また多扉車は
それこそかつての9300企画が前提で
置き換えで捻出された6300の
中間車改造にて試作車製作と
8200派生形として
廃車の5200主要機器流用による
ワイドドア車が >>146
アルナ工機が存続していたら8010形が登場していたかもしれない。 阪急は8010形・8304F以降の無念を1000系・1300系で実現。
南海は1050系の無念を2000系や泉北高速3000系を南海本線に転属させて実現。
京阪は7200系の無念を13000系にて実現させようとしたが、何を血迷ったか5000系が先の置き換え対象に。
京阪の迷走はいつまで続くのか… >>152
南海1000-6次車以降が
本来置き換えるはずの対象は
後に同N8000新造にて対応 阪急8010形は実現しなかったが、2連の8040形は実現したから、
実質的には幻でないということだね。
中間車は幻だが。 阪急8304っていうのは8300の増備車だろうが、なぜ8304?
8304と8315の2本だけ登場したから幻の車両ではないけれど
それと8000増備のためにアルナのライン増設したらしいが、結局そのライン活用したのは8200と8315と8040だけだったよね
なんか無駄遣いにも程があるような‥ >>157
元々
830xの形式は8両編成
831xの形式は6両編成というルールがあったが
8315fに2両組み込んで8両になって形式はそのままだから C#8304とC#8315は
旧基準の形式が8304形で1つのグループ
ちなみに現基準は
前者がMc8300-1形で後者がMc8300-2形
-2は-1ベースに機器更新済の定義 南海1000-50の2両・6両
南海1000の4両
南海2000初期の2両
南海10000増備の先頭車
南海11000の2両 1000-6次車以降は
4連2連の設定のみで6連の想定ナシ
10000は
中間車のみの4次車で最終増備で
それ以降はVVVF特急車が前提
2000は
当初2連の想定ナシ デザインで思い出したが、大阪市の新20の没案に相鉄っぽいのがあってそれを見た相鉄の社員が怒ったという逸話があったような 日立が
大阪市の新20の主幹事として
意匠を含めまとめた後
酷似の意匠を相鉄へ同8000向けに提案
北急8000は
アルナ単独での車体と艤装設計製造だが
酷似の意匠を
旧東急が相鉄の同9000向けへ提案
特に前者の件は当時
後に知った相鉄が日立に抗議した
と言われるが
同9000の意匠選定を併せて考えると
むしろ相鉄が御堂筋線の形式を意識して
車両メーカーとの協議で誘導したとも >>19
若干スレ違いだが
2600の8連は最長でも8年という短期で終わったけど、
最初から一時的な運用で通勤車量産の余裕が出たら真っ先に置き換える方針じゃなかったかな。
5000形のような室内更新をやらなかったし。 幻の鉄道車両国鉄編があったのだから、私鉄編やJR編もほしいよな
ついでに幻の鉄道車両デザインも 千代田線06系・有楽町線07系・田園都市線2000系の増備車
小田急2000形の千代田線乗り入れ >>169
国鉄は消滅した企業だから失敗した車両計画を色々明らかにできるが
まだ存続しているJRや私鉄だと不都合らしい。 前スレより
>阪神も8000第13次車以降を新形式VVVF赤胴車とする検討もあったが、そこは国内大手でも西鉄と並び慎重だった
しかし今となってはその阪神が在阪大手で最もVVVF率が高い会社に
その気になれば他の在阪大手もVVVF率を高くできそうなのに 南海の仮称9100の編成構成は
6両ならモハ9101-サハ9801-モハ9301-サハ9601-モハ9201-クハ9701
2両ならモハ9101-クハ9901になっていたのかな
阪急8000の幻の神宝線増備車は
>>49の通りMc-M-T-T-T-T-M-Tcだと実際の8040のTcに8190を割り当てたのは納得できる
8790は8620と共に急遽作ったものだから増備車が実現していれば8020は6両のままだったろうし 実際に登場していたら1000系試作車になっていただろうけどね。 >>172
阪神8000系(8233以降)は塗装の変更も検討されるほどだったからね。 阪和用223は仮に1995〜1998年頃に増備が行われていたら223-1000ベースになっていた?
実際には1994年に登場後、1999年まで増備が無く、その増備車は223-2000ベースとなったが・・ 南海のクハ1900量産計画
実現していればこうや号は最初から頻発運転だった https://mobile.twitter.com/oer2000
>>179
何度も既出だが
207-1000と223-0と281は
681量産先行をベースに
西の標準仕様を志向して共通設計を採用
一方の
223-1000は
前代未聞の負荷変動が多い高速仕業対応で
新快速130km/h運転用特化形
207-1000と281の増備が
1次車仕様を基本踏襲している上
681-0すら
主回路機器は量産先行ベースで
223-1000ベースを採用した派生形は
283に285というある意味の特殊用途
そこから標準仕様への昇華は
223-2000まで待つことに
史実の223-2500までに
223関空快速形の増備を
要する局面があったとて
その仕様は223-0そのまま
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 神戸市営海岸線の初期デザイン案は、都営大江戸線に似たような感じだった
また、横浜市営グリーンラインはイメージ図では窓横の色が緑ではなく青だった >>181
主要機器は223-0と同じだけど、車体は223-1000の様にドア窓枠が太く、座席が扉間5列、戸袋窓無しの別番代(223-500?)になっていた可能性はある https://mobile.twitter.com/oer2000
>>184
207-1000や
新快速130km/h運転用特化形の
開発が進捗するなか
南海対策で急遽企画された223-0は
システムは207-1000派生を前提とし
意匠に注力され
車体外板の平滑確保に重きが置かれた
よってビードを極力排し
その分だけ厚みが大きめの鋼板を選択
短期間に製造しやすい工法が求められた
223-1000は外板ビードを許容していること
そして混雑対策を含め
関空快速形とは事情が異なり
223-0増備があったとて1次車そのまま
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>119
抵抗制御車置き換えがままならないならその抵抗制御車をVVVF化すれば良かっただけ 置き換えが滞っていた時期でも
寿命延長に手間がかかる普通鋼車体
といった事情の多くの形式では
一部や局部の更新工事がされていたものの
主回路システム一新は顧みられず
それ以前の在阪大手だと
南海の6000や6300
京阪の5000
阪急の6000×8など
抵抗制御車でも
車体がオールステンレスやアルミといった
普通鋼でない形式でVVVF化が検討され >>148
でも9300系より9000系が後に登場(8000系列・1000系列は同時、7000系列は京都線が後)であることを考えるとその可能性は高い。
窓配置も9000系は9300系と同じなのに対し、1000系列は8000系列までと同じ配置に戻っている。 223-0増備のかわりに221を関空快速に組み込んで
223-1000を本線に製造してどこかでつじつまを合わせる。 >>156
阪急8010形は一応図面までは書かれたらしい。
図面は9000系に引き継がれなかったが、9000系の機器は6000Fの改造に利用予定だったものを活用したんだっけ? それこそ幻となった
6000×8で15年以上前に企画された
VVVF化を兼ねた大規模車体更新では
具体の設計が進んでいた9300向け試用で
東洋IGBT-VVVFを搭載することも言われ 01系マレーシア譲渡
02系北陸鉄道譲渡
06系東西線転属 阪急8000・8300系くの字型の車番位置が額縁型と同じ場所にあった場合の前面 阪急8040系は実質8200系の2次車であり、むしろ8220系で良かったよね。 結果的に落成順から
仕様が8200の通常ドア版となっただけで
8040は付属として先行したが
幻となった8010基本8連口の2連口
よってあくまで汎用通勤車の位置付け
阪急における200番台の形式は
試作的要素が強いか廃車機器流用など
用途や仕様が標準でないことを
印象付けるための区分 8200は阪急の客がJRに流れなければ、もっと増備されて宝塚線にも導入されていたかも
また、8200の京都線版もあったかもしれない >>198
>>156と内容が被るけど、つまり8010が登場していたら8040は8000ではなく8010の中に入れられていたかも
つまり8010は実質6両だけいることね >>131
もしかして今の1000になった段階でも当初は南海線用だったから仮称9100のままだったけど、後に高野線でも運転可能に設計変更されたから結局1000になったとか? 仮称9100試作は
とりあえずの投入予定こそ
9000併結前提で本線だったが
ハナから設計が今後の標準車を意識し
本線高野線問わず運用可能な仕様 長電のパノラマカーは何で中止になったんだろう
あと小田急7000は展望席ではない6両のものも予定されてたみたいだが >>203 長野電鉄、パノラマカーで湯田中のスイッチバック、迅速に運転できるのかな?
運転士の移動に時間がかかるんでは? それとも、運転士が後方確認しながら後退操作するわけ?危険性が高そうだけど。 阪急8010系は1990年代末から3000系などの鋼製抵抗制御車置き換え用に企画されていたが、
そもそもGTO個別分散ベクトル制御という過渡的な仕様であり、実際には少数しか作られず、
2000年代になりIGBT素子を用いた9000系(機器は史実とほぼ同じだが、
車体はアルナでも作れるシングルスキンの旧世代)に移行していた可能性。 >>204
湯田中スイッチバックがあったから、スイッチバックしないといけない3両編成には
車掌が乗ってた。運転士は前に乗ったまま車掌が後方確認してバックしてた。 >>206 パノラマカーの運転台から編成後部にいる車掌の指示、きちんと確認できるのかねえ?
夜間や降雪時は特に。元小田急のロマンスカー、長野電鉄1000系入れるにあたり支障になったから、湯田中スイッチバック解消したのでは
先頭部二階部分にある運転台の横の窓から顔を出して確認って、しんどいのでは? >>205
確かに
東芝の汎用小容量1C1M-GTO-VVVFは
大容量GTOから3Lev.IGBTまでの
過渡的な仕様だったが
IGBTが普及しつつあった段階でも
こちらを新形式へ採用する例があるなど
鉄道事業者としても
成熟度が高い仕様という評価
JRでは
東の901Bと255
海の383と373
西の681と207-1000と223-0と281
特に海と西では相応の量産となり
仮に阪急が8010を登場させられていたら
8200や8040に続き
同仕様のまま増備していた公算が高く
費用対効果も高く
東芝も推奨していたことから
よほど事業者側が
3Lev.IGBTに挑む気がない限り
むしろ
VVVFを変更する動機の方が見当たらず >>205
8010形はH7年度登場予定だった。
8200系はH6年度末登場予定がアルナ在場中に震災に遭遇して、搬入がH7年度にずれ込んだもの。
ちなみに阪急は震災後、復旧の関係で新造車建造が抑制され、
H7年度の8315FとH9年度の8040形は例外的なもの。
前者は2800潰し、後者は日生エクスプレス開始に伴う10両運用増加のため。 >>208
四国の8000系量産車と6000系、
そして九州の813系(300番台まで)と883系(0番台)も東芝GTOの個別制御。 >>210
確かにそれらも
振り返ればJR向けを中心に
機器単位で相当な量産実績 思い出した
京急600-4次車も
東芝の汎用小容量1C1M-GTO 失礼
京急600-4次車は東洋1C4M逆導通GTO >>175とあまり変わらないが
南海仮称9100と阪急8010の車体はどのような意匠になる予定だったんだろうか
あと阪急8010ってもちろん3M5Tの予定だったんだよね?
8040と8200が3モーターだから
3M5T自体は後の9000・9300で実現したけど、制御単位は1C2Mの2セットになったね 失礼
阪急8010は
同8040をぼぼそのまま固定8連とし
3M5T
9300以降はベクトル制御のIGBTにて
粘着性能が改善され
3M5Tながら1C2Mと制御単位を緩和
南海の仮称9100試作は
主回路や制御伝送などシステム面が主眼
よって
車体の仕様に具体性があった訳でないため
軽量ステンレス前提ながら
2000的な無塗装ビード仕上げから
史実1000的な塗装試作まで様々 小田急EXEの製造前の様々なデザイン案では、RSE的な塗装や近鉄伊勢志摩ライナー的な塗装など様々なものが。
京急800形は計画時、前面窓の仕切りが真ん中ではなく、後の2000形同様にオフセットされたモックアップを製作。
京急では他に1500形1700番台の増備と並行して新世代4扉車を企画していた(あくまでも噂)が、
特急仕様車の開発が先になり、そこでその通勤構想を取り入れたので、結果的に頓挫。
(前面は1500形を非貫通にした感じであったとか)
東急8500系は小田急9000形的なモックアップを製作。
同8090系は丸みを帯びたデザインを東急車輛側が提案。
同9000系はパノラミックウインドウ案を同様に東急車輛側が提案したが、
いずれも当時の電鉄側のポリシーにより史実の形に収束。 ・205系ベースの70-000形
ただし、前面は非常扉が付く予定だった模様。
また、70-000形が209系ベースに決定された時も、当初は塗り分けが異なっていた模様。
臨海副都心線自体、当初は6連2本のみの投入で、JRから6連3本を貸し出して運行する案が出されたが、都市博中止により頓挫。
なお、都市博が開催されたとしても、終了後に先頭車増備で4連4本に組み換える予定だった模様。
・オリジナル設計のY500系とロゴマーク
ロゴマークについては子供の国線で採用された。
・常磐新線(つくばエクスプレス原型)
ダブルデッカーも組み込まれる予定だった模様。 阪急8010は8040と全く同じ。
ただ、京都線新型特急車(一般車2扉、セミコンパートメント有料座席車付?)の導入に少し遅れて、
その意匠を一部採用したデザインにマイナーチェンジされていたかも。
それがIGBT素子採用と同時になり、台車、制御伝送なども変更されれば、その時点で新形式移行だったかも。 8200・8040作らず8030がその分増備していれば良かったではなかろうか?
今思えば8200のために開発した新機軸が無駄になってしまったとしか
見えるラジオや、ベルト式ドアエンジンなど
ベルト式ドアエンジンは8020Fの増結中間車にも採用されたけど 阪急8010形が実現していれば
・製造メーカーはアルナ工機(アルナ工機が存続し、後に武庫川車両と合併したと思われる)
・台車はFS-369AではなくSS-139Aか新設計のモノリンク式ボルスタレス台車
・5000系のリニューアルは無し(そのまま廃車)
・車内は8040形準拠(見えるラジオも搭載)
・VVVFは8200系・8040形準拠だが非0.75M?
だったろうね。
実際に登場してたらサハが5両連続による乗り心地が悪いのをもっと早くから味わうことになっていたかもしれないけど。
あと、VVVFが8200系・8040形準拠ということは音もそれらと同じであり、
8200系由来の音が日中以降でも聞けるようになっていて、
朝ラッシュ時にわざわざ8200系・8040形を狙う音鉄が大量に発生することもなかったろう。
(実際7000・8000系などの増結2連の音の音源は少ないのに、8200系・8040形の走行音音源はかなりある) 相変わらず
同じ主張をツイと5chで並行か
https://mobile.twitter.com/oer2000
8200と8040へ移行した段階で
それまでの仕様は形落ち
8010がH8年度から量産開始されたとて
初のIGBTとなった史実の9300がH15年度
よって7年間は増備できるため
史実の9000と同じ製造期間で
結構な置き換えが叶っただろう
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>222
史実の9000系と5000系リニューアルの本数分が8010形になったとした場合、本数は19編成(8010〜8028F)
ただこの場合8020Fが重複してしまうので、8020Fを8009Fに改番があったかも。 先ごろ引退した営団6000系の元ネタになったとかならなかったとか言われているサンフランシスコのバート
実は量産車の偏った正面デザインのほかに、中央に貫通ドア風のカバーがついたデザインも検討されてたようだ↓
http://www.flickr.com/photos/walkingsf/4110417928/in/set-72157622518181915/lightbox/
横浜市営地下鉄はこれを参考にしたのかな?なんてね >>172
阪神8233増備がVVVFを止めたのは、近鉄特急や西鉄8000と同じで当時の優等にVVVFのメリットは薄いと判断したから? >>216(南海)
つまりデザイン案や図面まで通過した後に方針が変更されたわけね。
あと、新塗装化計画時は線区別に色を分ける案もあったとか。 >>218
臨海線が全通後しばらく6両の区間運転もあったのは当初の臨海線が6両で予定されていたからなのかな?
それと仮に博覧会が開催されていたらそのJRからの貸し出し車両は何になる予定だったのかなあ
当時埼京線とは線路がつながっていなかったから読めない >>225
当時の阪神では
他社で採用例が急増していたGTO-VVVF
の導入について
そのポテンシャルに期待がかかり
□系用新形車の企画ながら
従前区別している□系とJ系を
同じ新形式で機能集約できないか検討され
その発想は後に
9000で5500用とVVVFを共通化し
また1000の主要機器ベースで
5550を構成したことでも反映
VVVF採用の見送りは
□系だからJ系だからということより
阪神が求める仕様に対して
メーカー提案がまだ成熟度不足であったり
その頃も公的な導入補助はあったが
求める費用対効果が得られないと >>55 >>80
試作と量産の計画時代ならVVVFはもっと進化したもの(例えば汎用素子やら3Lev.IGBT)になっていただろう。
結局、南海のIGBT採用は1050系まで無かったが。
ちなみに史実の南海1000系の登場前のH3年度にJR西日本が207系0番台で汎用素子VVVFを採用しており、
9100系がその辺りに登場していれば試験的にその207系0番台や、
後のJR東日本901系A編成(史実の南海1000系のタイミングで登場)のような新型汎用素子VVVFだったろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています