カニ22に関する興味深いやり取り
ttp://twitter.com/Tamon0703/status/1331970421789364226

当時のディーゼルエンジンの信頼性が低いことによる電源機関としての信頼性向上が目的だったとの主張

↓の文献の37ページに「DD502」の項があり、その心臓であるDMF31Sの惨状について、「当該機関は“回している限り必ず速やかに重要
部品の損壊へと至る”とでも形容されるしかない機械であった。」とまで書かれているが、20系電源車のエンジンであるDMF31S-Gは、この
DMF31Sの定速運転バージョンで実質同一のものだったとのこと

別府鉄道資料から観た非電化地方鉄道におけるディーゼル車両検修実態
ttp://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBb1180101.pdf より

 言うまでも無く,国鉄制式機関車用ディーゼル機関の伝統は気筒ブロック一体式クランク室の剛性不足に由来する主軸受の損傷にあり,
国鉄線上におけるクランク軸折損事故についての言及も残されている。多噴孔型の予燃焼室を有する機関が噴孔中隔部溶損の持病を
託っていた事実も一般論としては首肯される。
 従って,以上に見たような損傷・修理実績は定性的には理解し易い事案ばかりである。然しながら,大物小物とりまぜた重要部品の交換
頻度は極めて高く,年中行事のようにこれらが交換され続けて来た有様は由緒正しき制式機関としては恥辱とするに足る状況である。
 制式機関のメリットは交換部品入手の容易さにあったとは思われるが,かかる状況を有難がっておれるのも所詮,損傷の頻度次第である。
実態として他にもっとマシな国産エンジンが入手不可能であったのなら未だしも,時の日本が左様な状況下に置かれているワケでは決して
なかった。しかも,1961年の末に製造された当該機に載せられていた DMF31S型は1957年12月製のDD1351のそれに等しい習作段階の
機関ではなかった。何となれば,DD13の量産は既に1958年には開始されていたからである。
 それにも拘わらず,当該機関は“回している限り必ず速やかに重要部品の損壊へと至る”とでも形容されるしかない機械であった。かような
モノを押し付けられた運用現場の徒労にも近い辛苦の程が偲ばれる。
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