【あさかぜ】20系固定編成客車スレ05【さくら】
分割編成になった後のさくらは、二等三等ではなかったのでは? 1.食堂車を除く各車両に列車給仕もしくは車掌ないし客扱専務車掌が居たので、車掌室の案内は不要
2.1959年7月20日(多少のずれはある)から1960年6月30日までしかこの放送は使えない
3.「東海道線」が抜けている 日本映画専門チャンネルでやってた「大いなる驀進」で初期の20系を堪能した
昭和30年代の駅はどこも味があるねえ >>390
他にも結構面白そうな作品があるな
大いなる驀進は地上波アナログの頃にKBS京都で録画したのがあるが
もう一回録画するか
情報d 今月の鉄道ピクトリアルに読み入ってしまった。
子供の頃は品川界隈、聖地だったな。 >>394
京浜東北線南行だと、157系の観察。
北行だと、高架線通過時に徐行するので全体を見渡せる。20系のツルっとした屋根が美しかった。
東海道線の下りは田町を通過後、東京機関区に居るEF58を参拝してた。
EF65が居るとガッカリした贅沢さw 俺が通ってた頃はまだゴハチは元気だったかな
> EF65が居るとガッカリした贅沢さw
よく分かるw 昭和40年くらいから終焉まで、東京機関区にEF65がいなかった時代なんてないだろ
なんでがっかりするのかわからん。61がどこにいるのかとか臨時踊り子のHMがどれに
ついてるかとか目を皿のようにして探してたのは確かだけど 品川駅港南口付近は新幹線の車庫もあったな
客車が留置されてた線路も木造建物無くなり、
変わってしまった。。。 博多発18時21分、あさかぜ82号に乗り込んだ。車中の乗客がみんな寝台に収まった時間を見計らって、20時35分、下関の先の小郡で降りる。そこで1時間11分待った 山陽・東海道殺人ルートか
やっぱ三橋達也&愛川欽也だね
でも観た記憶が無ぇ>< 鋳鉄制輪子で増圧して110キロ対応って無茶してないか?
牽引機関車が限定されるしブレーキシューの交換頻度が増す
12系・14系からレジンシューで110キロ対応にしてて機関車が限定されない どれだけの区間で110km/h運転が可能だったんだろうか?
'72-3以降は山陽線内が95km/hに引き下げられてるよね ほとんど主要幹線は対応(ただし北海道・四国を除く)
ただし、交流区間は100km/hが限度 国鉄時代の常磐線で、20系『十和田』が走っていた頃だと思う。
下りの普通列車(客車)の最後尾にナハネフ22が連結されていたのを見た。
あれは一体、なんだったのだろう? 転配か工場入場じゃないかな。よくやってた。55.10の前後は色々転配あってRFでも
特集してた
>>403
PかFかPFが必要だから20系で110km/hできるのは東海道山陽、東北線黒磯以南
なんだけど、東北線はやってたんだろうか。53.10で東北線も山陽と同じことになったし
北星は58だったから、該当するのはあけぼのだけなんだけど
>>402
北海道のキハは苗穂の鋳鉄製輪子で130km/hだしてたけど >>406
燐とかを配合して摩擦係数を高めた特殊鋳鉄制輪子
合成制輪子と遜色ないレベルの性能を誇る
20系は普通鋳鉄のはず
北斗星とトワイライトの24系は本州の110キロ運転と両立すべく焼結合金 懐かしの20系ブルートレイン
7両編成で運転
外見を似せてあるだけで中はほぼ違う
1.電源車 カニ21
電源装置とCP、それに食堂車荷物室
2.食堂車 ナシ20
食堂と調理室とスタッフ用ベッドルーム・トイレ。調理室横の通路はスタッフ専用
3.寝台車 ナロネ20
2人用個室を基本として3室で、うち1室は身障者用。スタッフ用ベッドルーム・トイレ
4.5.寝台車 ナロネ20
2人用個室を基本として4室/両
4・6号車のうち2室は4人利用可能な続き部屋
6 寝台車 ナロネ22
1人用個室を基本として12室/両
7.復活寝台車 ナハネフ22
ナロネ22形を基本として、1人用個室から3段B開放寝台まで一通り入れる
車掌室と全室展望区画 誰でも一度は通る道だけど人目に晒しちゃダメだね
一晩寝て読み返したら首吊りたくなるよきっと
息してるかな 20系使用
シュプールは1994年春のシュプール白馬・栂池7/6号が最後
臨時寝台急行「桜島」1996.3まで
あとは団体臨時列車だから、乗車は難しい ナハネフ23のテールマークについてですが、ひらがな(or漢字)表記とローマ字表記が列車により左右逆になってたりしますが、規則とかあるのでしょうか?
見た感じでは九州方面はローマ字表記が向かって右側、東北方面は左側にあるようですから、行き先により決まっているのかもしれませんが… >>418
上野発着と青森発着については、左漢字ないしひらがな・右ローマ字で国鉄末期まで統一。それからはどちらとも漢字ないしひらがなとかも入るようになる
九州ブルトレ(関西も含む)は、1976年あたりまでは左ローマ字・右漢字ないしひらがなで統一されていたものの、その後からはずっと混合され、年を追うごとに左漢字ないしひらがな・右ローマ字の比率が高まってくる
まあ付け間違えて走ったところを写真に撮られてしまった例はあり、2本線時代の「おが」が左右付け間違えて走ったことはある
https://ameblo.jp/791p39m160/image-12544052304-14636356772.html >>419
そんな感じなんですね。九州方面と東北方面で違っているのが?です…
ちなみに急行ちくまの12系+20系編成にナハネフ23が入っているときには右側に急行、左側にEXPRESSが入った写真をネットで確認してます。 カニパンは架線溶断事故多かったな
停車中に大電力を吸い取ると架線のパンタとの接触点が発熱してヤバい状況になるのでEV-E301は剛体架線でないと急速充電禁止 >>421
ナハネフ23ちくまか…
ブックケースまだ入ったかな…? スーツ氏の動画で新得のナロネ22の様子を観た
サンライズのシングルツイン上段と上窓無くして洗面台付けた感じかな >>403
あの時の山陽線寝台特急の最高速度引き下げは、関西発着列車のみ対象だったと記憶している。
理由は、関西ブルトレと貨物列車の増発ダイヤとの兼ね合い。
お陰でEF65増備の必要がなくなり、EF58が関西ブルトレの牽引に復活した。
あと、EF65の牽引では、直線が長く続くか築堤等からの下り勾配を利用しない限り、
110km/h出すのは難しいから、山陽線で110km/h出せるのは倉敷以西では殆ど無い。 >>430
EF58も余剰が出るようになっていたからなあ、
急行瀬戸2往復と出雲廃止、紀伊は銀河に併結、客レの電車化等
ED73・75・76やEF70・80でも110km/h出していたんかなあ、多分無理だと思うけど。 >ED73・75・76やEF70・80でも110km/h出していたんかなあ、多分無理だと思うけど。
1車(ED76 551)を除き最高速度100km/hを上回っているがな
EF65の増備というより、EF65PFを回さずに済んだ
110km/hで運転するには、
機関車その物が110km/h運転可能・編成増圧ブレーキ装置・電磁指令ブレーキ回路(KE72)・元空気溜管(MRP。20系に限る)の4つが必要
国鉄時代に電気機関車で110km/h運転可能なのは、EF65P/F/PF、EF66、EF81、EF79基本の6つのみ >>431
それらのELはEF60と同様な低速型のギア比のため、100km/hが最高速度で。
20系牽引時は、ブレーキの増圧装置装着が100km/h運転の条件だった。
直流区間では110km/h運転できるEF81も、交流区間では100km/hが最高速度だった。
あと、九州内ではELの出力が低い関係で、フル編成のブルトレはEF65よりも速度種別が低い設定。
なので、最もスジの立っていた東京ブルトレでも80〜90km/h程度で流すような走りで、
ダイヤも余裕を持たせてあり、100km/h出すことは回復運転時位しかなかった。
フル編成のブルトレで軽く110km/h出せたのは、90km/h以上の速度域に生息するEF66だけ。 >>432訂正
○ED79基本
×EF79基本
>>434サンクス 最後尾用と途中分割用で二種類の緩急車を造るなんて贅沢というか。
『あさかぜ』はともかくその後切り離しがある寝台特急が発生した時点で、
「車両の遣り繰りが楽になるから緩急車の車掌室側は全部ナハフ21仕様に統一しちゃおう」とかならなかったんだな。 >>436
さすがに看板列車だったからなあ、当時の国鉄では特急は別格、やはり最後尾はこだわっただろう。
ただ、最後尾がナハネフ23の写真は時折見かける(所定ではないナハネフ22の代用として)。
ナハフ21仕様に統一となると、電源車も切妻にしてしまえとなるか。
そのあたりは一旦12・14系になって合理化したたものの、
24系25型100番台登場時に、>>436氏の説?のようにになってしまったんだよなぁ。 貫通路付きに変更としてもデザインによるだろう
全部ナハフ21仕様に統一したらまあ多くの人が劣化と捉えるだろうけど
キハ81からキハ82になっても劣化したと思う人はあまりいないだろう オハネフ25はね
オハネフ24と比較して、2段化による0.5区画増で車掌室とは反対側の乗務員室が52cm?も削られてしまい、かつ椅子があるから、
かなり苦しい姿勢でドア扱いをするハメになった
それで車掌からクレームが上がったため、配電盤とかを移動させて28あたりから22cm程度復活した
しかし、折妻だから狭いことには変わりなく、結局100番台でほぼ切妻としてだいたい側面側でオハネフ24とだいたい同じ大きさへ戻った
だが、その分解結作業部分が狭くなって解結屋から苦情が上がり、200番台ではその妥協である半折妻となった 事実に想像を混ぜ合わせて事実のように語る人には注意しましょう カレチ氏たち、狭さが身にきりつまされたんだろうなあ
なんちて >>437
25形100番台は国鉄も赤字・合理化で緩急車の方向転換さえ面倒臭くなってしまった感じ。
下手するとオハネフ25はオハフ50の様にトイレ・洗面所が廃されて両端が車掌室となり、
カニ24の妻面も機関車側・編成側の区別なくマニ50の様に窓もない外観になっていたろうな。 >>440は何が書きたいのか知りたいところ
ぜひとも真実を書いてもらいたいねというか書けよ ナハネフ22なんか展望室の半分は車掌室だもんな
あれと比べたらどんな車掌室でも文句出るだろ
客からすれば特等室。どうにかならなかったんだろうか
>>433
EF81は交流でも最高速度変わらないだろ
出力が落ちるから到達時間が伸びるのと出せる所がないだけで >>443
その前にお前が本当のこと言ってるって根拠を示さないとな 否定できないクズが2匹も人間様に文句を垂れるとは、さすが日本の一条校での教育を受けていないのがよくわかる 否定できないクズが2匹も人間様に文句を垂れるとは、さすが日本の一条校での教育を受けていないのがよくわかる 夜行列車スレで突っ込まれてブチ切れしてたアホ爺と同一人物かな 大事なことは二回書き込めと教えてるなんていったいどこの一条校なんですかね?
>>446
ホントそれな
>>449
いきなり教育云々言い出してマウント取ろうとしたあたり、おそらくそいつかと 一体何処が自己紹介なんだか
これで一条校で教育受けたってホントなのかね ソースが出せないのがわめいているらしいね
ソースが出せないのがわめいているらしいね
良くわかりました
やっぱり根拠など持ち得てなかったのが 当時の国鉄車両設計事務所の方が書いた200番台に関する記述を置いときますね
>なおオハネフ25の200番台については,再び運用上の都合から転向可能な構造となったが,後位の車端形状は
>50系客車,40・47系気動車などとの車体形状標準化を計るため従来の折妻より後退角が浅い形状になっている.
>>457
当時の国労の主張でもを出してくるのかと思ってたらそれ以前でした はたから見てたら根拠ガーのほうが真っ赤になってる感じ。
咎めるなら冷静に始めたほうが効くよ >>459
> はたから見てたら
笑うところかなw 本当にそうだから書いただけなのに意味わからん
納得いかないなら許可受けてIPアドレスでも確認していい。
何をいつまで言い合ってるんだと思う
俺みたいに第三者がレスしたら当該認定されるし、認定したいなら好きにしたらいいけど、やめてくれ。あんただけでなく二人ともスレ民に迷惑 >>461
な、冷静じゃないだろw
おかしなこと言ってる人が中立を装ってもすぐ分かるw 事実かどうかは気にしますが相手に効くかどうかを気にしてるのはだた一人しかいませんけどね 疑義を唱えられるといきなり怒り出してマウント取りだす老害が全ての元凶だろ 1984年夏の朝早く、筑豊線の14系15型のあかつきを撮るために、その少し前の50系客車に乗ったんです。駅に着いて跨線橋からパチリとその乗ってきた50系の後ろ姿を撮った。綺麗な順光で、ハフの弱折妻?の1枚が丁度朝日を浴びて輝いてる。立体的に浮き出て良い感じ。
で、駅から歩いたあとにあかつきが来たんだけど、もう〜もろに逆光でしょうもない写真になってしもうた!ありゃ曇りの日に撮らんとつまらんばい 。結果50系の方が良い写真になった。あかつきも同等にケツ狙えばいい写真撮れたんかもなー。しかしなんと言ってもDD51の
ヘッドマークが目当てだったからね。
あの50系のハフもオハネフ25-200もオハネフ
15も共通性のある折妻だと思うと面白いですね。確か製造は昭和53年のはず? 途中で分割・併合がある寝台特急は、20系の編成だと緩急車と中間車隣り合わせで連結されていたけど、
14系客車以降の編成ではそういうのなくなったね。
車掌室の向きはどうあれ必ず緩急車同士が連結されていた。 14系の場合は発電機積んでるキハネフを、
発電容量の関係で分割編成の両端にしないとならなかったのでね。 鉄ピク・国鉄形車両の記録・20系固定編成客車入手した。
ここのスレの住民で入手した方いるでしょう。 通常号で特集したの15年も前だしね
明日買いに行くよ とりあえずGET
ナハフ20の改造中の写真とか初めて見たわ 電源車にパンタグラフとMGを乗せたのも、試験的な意味もあったんだろうな。
重量の問題で入線不可な線区があり結局撤去された。 2冊げとした
懐に重い一撃…うぐぅ…
(たい焼き食ってないよ) マヤ20を造らずに付属編成の端にある緩急車(ナハフ/ナハネフ)の床下に燃料タンクと発電エンジン取り付けて
基本編成から分割されている間だけその改造緩急車から発電すれば・・・と考えたことがあった。
区間は門司ー大分、熊本ー長崎、肥前山口ー佐世保と短いし、走る時間帯も日中だから客室への騒音も問題ナシかと。
ただそうするとタンクとエンジンを付けた改造緩急車の車重が上がって機関車の負担が増えるし、
付属編成反対側の車両も緩急車に改造する必要が出てくるから、
やっぱマヤ20で良かったのかな。 末期のさくら はやぶさがそれやってたよな。25型編成のはやぶさと15型のさくらの併結
同時期にマヤ20と同系列の発電エンジンでキサシ80は床下搭載やってたから、技術的に
出来ないことはないんだろうけど、改造期間もかかりそうだし、予備車もいるからカネは
かかりそう。運用上も定数超えるから15両編成できなくなるね >>477
難燃化その他もろもろの工事で定数超えてたがw >>477
キサシに発電機関付いてたっけ?
ちなみにキハ181搭載の機関はDMF15系だから、マヤ20搭載のDMH17とは別物。 >>479
キサシ180でなくてキサシ80のほうでしょう>477は
気動車時代のはつかりが9両(後年は10両)編成組んだのはキハ81×2+キサシで電源確保する形 キサシ80はDMH17H-GエンジンとDM63形発電機が1つずつ付いている
キシ80 900番台にする際、水タンクを床上配置にして、発電セットも撤去。他のキシ80と似たの床下配置となる
カニ22は当時の日本には早すぎた
コイルを巻き直したカニ25って24系をどれだけ給電できたのだろうか? 現在はパワーエレクトロニクスが発達しているので、インバーター・コンバーター等を
駆使すればMGよりはるかに軽量化・防音化できただろうな。 >>481
カニ25はフル編成給電出来るはずだと思う
マヤ20と違って本務電源車として使えるし写真も見た >>480
>>481
あっ、よく見たらキサシ80って書いてたね。ボケ老人ですまぬ。キサシ80で納得→それなら解説されなくても十分理解できますわ… 地元の書店巡って4軒目でやっと確保
鉄ピク2005-07の特集でも触れられてたけど
ナハネ20 513はやはり写真が見つからなかった様子だね
編成記録にはあったけど >>483
カニ25-1は長崎より向日町時代のほうが長いもんな