【あさかぜ】20系固定編成客車スレ05【さくら】
いや日本でも真っ先に冷房がついたのは一、二等と食堂車だから 国鉄のはやぶさのオロネと、束のあけぼののオハネフでカニの連結車を乗車してるが、オロネ個室は全く静粛
しかしいかんことだろうがもう時効か、連結してるカニの扉を開けたら(施錠されてなかった)荷室からでもエンジン音がうるさかったな
オハネフも気にならんほどだったが、停車中やトンネル区間は反響して若干うるさかったな
まあカニに機関車も連結してたら、EF81の独特な高周波ブロワー音もよく聞こえてたが ちなみにE26のカハフ車内は?
外はかなりうるさいけど。 >>266
廃止直前の天の川のカヤの元荷室にも隣のロネからそのまま入ることができたよ
ディーゼル発電機の音よりも床上にそのまま鎮座していたC3000電動空気圧縮機
の稼働音の方が迫力があって五月蠅かった覚えが クハ181のCPを転用か
カヤ21は外からなら見たことあるけど、エンジン音しか気にならんかった
台車にエア送るから走行中がフル回転なんかね 臨時あさかぜ、玄海ではカヤのCP使わないんだっけか
そう言えばEF66から引き通してる写真撮ったぜ!などと息巻いてた人は
何時になったら画像出してくれるんだろうか >>270
西の66はブレーキ管しかないのにねぇ
是非とも見てみたいもんだね >>271
そうだよね
http://www.bbbn.jp/~taka/ef66/kaisetsu/page01.html
あり得るとすれば、
下関〜米原あたりの1988年からの繁忙期臨時列車、特に1990年代までの甲子園臨程度しか思い浮かばないわ 【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
@高添・沼田(東京都葛飾区青砥6−26−6)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
老義父は息子の嫁の痴態をオカズに自慰行為をし毎晩狂ったように射精をしている/息子の嫁をいつもいやらしい目で見ているエロ老義父なのであった
A井口・千明(東京都葛飾区青砥6−23−16)
※犯罪首謀者高添・沼田の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
B宇野壽倫(東京都葛飾区青砥6−23−21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
異臭を流し込んでくるなどの嫌がらせを何度も繰り返ししつこく行ってくる嫌がらせ犯罪者である
C色川高志(東京都葛飾区青砥6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志はyoutubeの視聴回数を勝手に短時間に何百何千時には何万回と増やしたり高評価・低評価の数字を一人でいくつも増やしたり減らしたりなどの
youtubeの正常な運営を脅かし信頼性を損なわせるような犯罪的業務妨害行為を行っています
※色川高志は現在、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
D清水(東京都葛飾区青砥6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
E高橋(東京都葛飾区青砥6−23−23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
F長木義明(東京都葛飾区青砥6−23−20) コピペで煙に撒こうとしたのかな
JR西の牽引予定機がトラブってJR貨の元溜め引き通し改造のEF66が代走
なんて未だメディアに発表されてない事例があったのかもしれない コピペしても無駄だぞ
貨物EF66元溜め別菅化1988年時点で、すでに20系の電源車はカヤ21だけになっている
つまり、繋ぐ必要がない
また、貨物EF66に予備がほとんどなく、貨物が暇な盆・正月・GW以外では貸出自体が不可能
コキ100系が多く投入され始めてからは、高速1200t以上のコキ編成は貨物EF66しか牽引できなくなったことから、なおさら
ほとんど貨物EF65ノーマルが貸し出されていた
西EF66故障時は、「あさかぜ3・2カニ24編成」もしくは「さくら」を西EF65PFにして代走させていた
(末期は別にEF65PFで運転できるため関係なくなったけど) >>276
前スレの終盤くらい
EF66+20系にご執心な人が居たんだよ
データは保存してあるから復旧してお披露目するとか豪語して消息不明 無能が書いたモノに釣られた変態がいるという事
http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1410584215/955 つまり前の前のスレ
955 :回想774列車:2016/12/08(木) 09:43:38.24 ID:KGZc70q0
おそらくコレだな
代走でEF66が使われたのか。
オレも知らなかった
http://dic.pixiv.net/a/20系客車
改造車>カヤ21型
>>変わったところではEF65の
>>検車の関係で、本来は高速貨物用に
>>空気元ダメ管を持つEF66が
>>『あさかぜ81号』に充当したときも、
>>EF66と空気元ダメ管が接続され
>>カヤ21のコンプレッサーは
>>使用しなかったという。
(抜粋改行)
https://dic.pixiv.net/a/20%E7%B3%BB%E5%AE%A2%E8%BB%8A 残念ながら1988年夏のEF66+あさかぜ81・82号はバカの勘違いが濃厚
鉄道ファン1988年9月号から1988年12月号まで確認したから >>274-275
>>273はマルポだから関係なさそうだ >>269
10000系貨車でEF66のC3000が短期の起動と停止くりかえして問題になったって
電気機関車EXだったと思うけど記述があった
最初は連続稼動だけど、空気バネに圧かかればほとんど動かないんじゃないかな
まぁDMFの方がうるさいな。ボンネットクハに乗ってC3000が気になるかって話 1988.8.17(8.16出)上りあさかぜ82号の写真はある
http://d51498.com/past/19880817/
引用>8026列車 (博多18:21→東京10:30) 臨時特急「あさかぜ82号」 EF651134 + 20系 >>283
スゲー自信満々な物言いだったからね
見てみたくなるものさね 懐かしなんだから記憶が曖昧になるのも無理はないよ。
242みたいな妄想も笑える。若い野郎どもが6尺褌履いてたら中年のおばちゃん
マダムも喜んだ事であろう。 JRになっても20系の臨時寝台特急はあったんだな
しかし寝台が52センチと狭くアコモ的に見劣りするので初っ端だけですぐ急行に格下げされた
最高速度を95キロに下げたわけではなくスジそのままで急行に格下げして寝台特急を彷彿とさせる最高110キロの「俊足急行」になってた? 110km/h運転の対象になる牽引機も区間も限られてたしな20系は
20系とブレーキも違うだけでなく高速運転の区間をJR化前後に拡大した14系・24系と比べると尚更 Rail No.110 20系寝台客車の魅力
値段が高い(3600円)ので購入するか悩んでる
ファンやピクなど20系に関する文献は揃えてるつもりだけど…
買いですかね? 最寄の書店で内容チェックして決めれば良いのでは
これまで未公開のカラー写真てんこ盛りとかだったら迷うね >>292
40年前だったかな、Railでキハ81系、旧客車、151/181系が連続して出たけど
今でも見てる。同じような本はいろいろ出たがこれらを買ったことに後悔はない。 買わずに後悔より
買って後悔
だから家に本が溢れるorz >>292
出版元には在庫がなくて、増刷しようかなってとこらしい。 >>292
出版元には在庫がなくて、増刷しようかなってとこらしい。 >>286
俺は当時まだこのスレ知らんかったけど
無関係おまえの粘着質も相当なもんだと思うよ
フツーのオトナなら287程度の心的余裕がありそうなもんだけどね。
シニアが意固地になるのは本当なんだなと きりしまに1度乗ったことがある
せっまい寝台車だったのが強烈に記憶に残ってる 小説「張込み」より
「張込み」は、2人の刑事が、東京目黒で起こった二人組の強盗殺人のうち、まだ捕らわれていない殺害犯を追って、
列車で九州へ向かうところから、物語が始まる。東京駅から乗車しなかったのは、顔見知りの新聞記者に見つかると
まずいと思ったからである。当然、汽車は満員である。2人は通路に新聞紙を敷いて、尻を下ろして一夜を明かした。
京都で下岡がやっと座れ、大阪で、柚木も腰をかけることができた。太陽が上る中、2人とも、欲もトクもなく眠りこけた。
岡山や尾道の駅名を夢うつつのうちに聞き、はっきり目が覚めたのは、広島あたりであった。
岩国で駅弁を買い、昼食とも夕食ともつかぬ飯を食った。
物語の冒頭、20数行でこれだけのことが語られ、当時の列車事情がよくわかる。
映画化は、昭和33年1月封切り、松竹映画(橋本忍脚本、野村芳太郎監督、大木実、高峰秀子、田村高広出演)で、これはDVDで観られる。
原作冒頭の列車の旅を、映画でもタイトルが出る前、えんえん12分間にわたって描き、
それだけでも、当時の鉄道事情がうかがえる貴重な資料である。
松竹映画「張込み」 の長〜い導入部 国鉄SLで長旅 渋いね
https://www.youtube.com/watch?v=-7p3OYYH7lA
舞台になった列車は急行「さつま」急行「筑紫」、特急「はやぶさ」の先代にあたる。
1956年11月に「急行筑紫」を改称して誕生した列車である。
東京21:45発、翌日でなく、翌々日の鹿児島5:46が終着という気が遠くなるような超長距離列車だった。
「急行筑紫」は、博多行きとして残った。ロケは、「急行筑紫」の1車両を借り切って、行われたという。
途中の広島、小郡駅では、停車時間中に降りて、弁当を買うシーンなどが撮影された。
昔の停車時間は長かったので、可能だった。
http://ameblo.jp/kyuzho/entry-11709963126.html
昭和33年10月、全車冷暖房完備の20系特急「あさかぜ」が東京⇔博多間を走るまで、
旅は楽しいものでも快適なものでなく、劣悪な環境で苦痛に満ちたものだった。 いきなり20系が出来た訳ではなく、いきなりあさかぜが出来た訳でもなくて、それが必要とされて出来るまでの前段階背景、経緯などあるんだから、あながちスレチともいえないよね。 過疎スレ見つけては知識自慢してくのが鉄懐板のスタンダート 10系寝台車を駆逐する前から、20系が廃車になっている
特急と急行の車両が一緒なのは困るからか?
そう考えると昭和47年あたりからの14系・24系投入方法はかなりいびつ 50-3改正のときは、寝台急行の特急への格上げがやたらあった。それで尾久などでは10系寝台車が大量に廃車された。20系の急行転用は「銀河」からで、S51〜2年ごろだったか・・ 314 座席主体の列車でも寝台主体の列車でも、
編成が旧型客車でも12系でも何でもありとつぶしが効くのが上野駅昭和57年まで生き残った理由だろうねえ。 ナハネフ20・21の座席車復元工事やって欲しかった
ナハ21はA寝台からの改造で419系みたいな内装だったがやたらシートピッチが広くて定員が少なかった 初期ロットは昭和50年付近からかなり廃車されている
ハ、ハフの座席については>>135さんが書いている
ナハネフ20 3両(元ナハフ20 2、3、4)
2、3、4 3両とも1975/6/10青森廃車
ナハネフ21 6両(元ナハフ21 1、3、4、51、52、53)
1 1976/11/1青森廃車
3 1977/10/17尾久廃車
4 1977/10/17尾久廃車
51 1978/5/20尾久廃車
52 1977/8/5尾久廃車
53 1978/5/20尾久廃車 >>320
ナハ21も419系も同じプルマン寝台の固定座席化な訳で
シートピッチは大差無くシート幅がナハ21の方が若干狭い程度では
定員64名はナハ20と同じで乗務員室か売店かの違いだけで客室面積はほぼ同じ ナハ21も座席を寝台に出来た?
食パンはすぐボルト留めされてしまったけど。 >>322
もともと一人で利用するためだったから、二人で座ると狭かった >>325
20系のプルマンA寝台下段と581系のプルマンB寝台下段では寝台幅違うよ >>325
お前バカだろ
>>151さんが書いているわ >>325
申し訳ないが。「だいせん」で数回乗ったのだよ 個人的には、だいせんにA寝台を残しても良かったんじゃ無いかという
気持ちがあった。 申し訳ないが自分も乗ったけど、どう狭かったのかわからん
寝台幅940mmだから1人の幅470mm、シートピッチ950mmを対面にした状態だから
並ロ、いまだとE231グリーンと変わらないんだけど、それで普通車なら十分だろ
583と比べて狭い狭いってアホか 鉄ヲタの中にはスペック酎ってのが居るからね
実際の使用感よりも数字が絶対だと言って譲らない (mm)
車 サハネ581 : ナロネ21 : オロネ14
ボックス間隔でのシートピッチ(ボックス境界幅を含む) 1970 : 1970 : 2000
ボックス境界幅 70 : 70 : 70
寝台サイズ(下段。時刻表記載分cm×10mm) 1900×1060×760 : 1900×930×1130? : 1930×930×1130 今だって飛行機のエコノミーとビジネスクラスの設備と値段差、興味ない人は驚くじゃろ 昔急行銀河の朝一便は羽田から関空への回送兼ねた国際線機材で前寄りの3等切符の座席だとビジネスクラスグリーン車の165系シート解放だった。 >>321
急行に転用されたの含めて昭和52年度以降も使うのは概ね昭和39年製以降という方針だったしな20系の廃車については
(それもあってJR化後の継承分も少数だが39年製があった) ナシ20-22・23は僅か7年で廃車とか不憫すぎる
1970年は大阪万博もあったし24〜29増備するほど世の景気が良かったんだな >>340
22・23は向町配置で彗星用、後に彗星14系化あけぼの2往復化で青森へ
24〜26があけぼの用、27〜29が下関あさかぜ用 ナシ20
1968/8/4 20-23(4両) 向日町新製配置
43.10のあかつき増発・彗星新設分
1970/6/17 24-26(3両) 青森新製配置
45.10のあけぼの新設分(ただし、臨時寝台特急「あけぼの」として45.7.1から食堂車なしで運転している)
1970/8/13 27-29(3両) 下関新製配置
45.10の下関あさかぜ新設分 東京-九州以外の食堂車は東欧やイギリスなんかにあった30人程度の座席+
売店ビッフェでも十分だったんじゃないか。 そのレベルの軽食でうまくいったのは東海道山陽急行ぐらいでな 食堂車従業員が絡むと荒れるので、専用の食堂車スレで話した方がよいかと
【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】5レ
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1560512057/ >>103
『大いなる驀進』は今見たらすごい映画だな
本作は黄金時代の鉄道を記録した映像として価値が高い。 元祖ブルトレ20系の詳細まで映ってる
この映画では東京を出て以来ひっきりなしに乗客の乗り降りがあるのに驚きます。
当時の20系がいかに貴重な交通手段であったかよくわかります。
国鉄の全面協力は大きく、映ってる列車の車両や車内は、セットではない。実物だ。
EF58特急色や山陽本線のC62、東海道本線の80系湘南電車などが
ゾロゾロ登場するというのも要チェックです
鉄道がメインの交通手段だった時代の記録として本作は間違いなくトップクラスの作品だと思います。
この映画は長らくVHSやDVD化されていなかったのですが、近年ついにDVD化されました。
http://shop.toei-video.co.jp/products/detail.php?product_id=16099&transactionid=5fd3b3fb057d43a3571bcb58e73083c08ce4fc97
↓がワンカット。↓の画質の映像として残ってるだけで見る価値は高い
https://pbs.twimg.com/media/CIMmI5BUEAAT8NQ.jpg
https://pbs.twimg.com/media/DP6cKcdVAAA87g6.jpg
https://pbs.twimg.com/media/CIMmI5HUsAA8z-Y.jpg
https://pbs.twimg.com/media/DP3wr70VAAA-vuI.jpg
20系黄金時代の昭和30年代は、カラー映像となると希少だと思います。 ワクチンをハンドキャリーする看護婦さんが一番美人だった。 >>347
当時はまだ国鉄も黒字で労使関係もまだそんなに悪くなかったから、
セットでない本物の車両を利用できたんじゃないかなと思う。 >>350
国鉄が撮影協力しなくなったのは「皇帝のいない八月」以降。
wikiに載っとるで。 >>351
新幹線大爆破はほぼ拒絶(拒絶されなかったのもニセ台本で許可を得たもの)したので、
東宝東京が新幹線車両部品メーカーに本物を発注したり、ニセの外国人鉄道技術者を作り上げて「外国人鉄道技術者」として内部を盗撮したものを使い、セットを作った
そんなことをやってしまったため、東宝は3年間国鉄への出入り禁止を食らった
皇帝のいない八月では、1/1スケールの車両を爆破したため国鉄が大激怒し、
製作元の松竹をはじめとした国内の映画各社には「以後、国鉄は映画の撮影には一切協力しない」との通達を出した >>352
皇帝のいない八月 の爆破シーン、14寝の台車にイコライザーが見えて、折角の見せ場なのに残念だった。
その辺の映画は一通り見たが、最終着地点は、喜劇急行列車だな。 それに昭和50年代は労使関係も悪かったために映画制作で国鉄の協力を得ようとしても、
労組の反対でできなかったというのもあったんじゃないかなと思う。 『大いなる驀進』予告編の動画があった
https://www.youtube.com/watch?v=VOfaXFcXKsQ
本作は黄金時代の鉄道を記録したカラー映画として価値が高い。
いくら素人が撮った代物じゃないとはいえ
1960年代の撮影機材は今より遥かに低性能だったはず
それなのにここまでの鮮明なカラー映像なのはすごい
このような作品を後世に残してくれた関係者、製作スタッフには感謝したいです。 >>356
甲子園球場の阪神戦で
7回裏の前に流れる曲があるネ 354 オレは東武野田線だーと思ったw
356 日本の総天然色映画はその10年前昭和27年の カルメン故郷へ帰る が最初だけど カラーはフイルムの感度低くて大変だったらしい。強烈なライトの熱で汗ダラダラ書いて撮ってたんだて >>358
日本最初のカラー映画としては1937年の『千人針』があったが、フィルムは国産ではなかった。
「カルメン故郷へ帰る」は昭和26年、草軽電気鉄道が映ってる
撮影に使用されたのは当時カラー撮影の主流だったテクニカラーでもなくて
富士写真フィルムが新規に開発したこのリバーサル・外式発光方式のフィルムだった
しかもASA感度は6程度しか無いから
できるだけセット撮影を避け、日光の強い夏を選んで撮影が始められた。
これでも当時主流のテクニカラーよりは1000倍マシだったんだろうな・・・
赤・青・緑の3原色に分解して撮影した3本のフィルムを基に1本のカラー映像にするのがテクニカラーだけど、
要するにコストが普通の映画の3倍かかるっていうこと
まだ欧米と日本では科学技術は天と地ほどの格差があった時代
大昔の日本のカラー映像
https://www.youtube.com/watch?v=A4fkX1SVT0A
https://www.youtube.com/watch?v=AlBYlWH5n0E
「テクニカラー」による世界初のカラー映画 花と木 (ウォルト・ディズニー製作)
https://www.youtube.com/watch?v=eDjyZ0FJpDU
https://www.youtube.com/watch?v=rH-OTZm0Xtk
著作権は切れてるので問題ない >>356
画質もすごいけど、カメラマンの技術力も素人が撮ったものとは雲泥の差だな
他のSL時代の20系動画は明らかに手振れがあったけど、
「大いなる驀進」では車内でも手振れが抑制されている
これこそ手振れ補正機能つきカメラでも使って撮ったようなレベル