地味な特急&地味な急行&地味な快速 2両目
>>64
相対的な話と絶対的な話があるから
どちらもおk 急行砂丘
岡山ー鳥取 だったかな
こりゃ地味
知ってる人おるの?ってレベルでしょ >>60
野球板に「地味な四番打者」ってスレがあったら
「原」って書かれそうなのと似たような印象 >>67
ケイブンシャの特急急行大百科に載ってたから、
名前は記憶にある
名前からして鳥取のどこかだろうなぁとも思うし スレチとは存じますが、平成3年夏に運転された快速サマーナイトライナー。実際、地味だとは思うのですが、あまりネット上でも見掛けないので。
車種は何だったのでしょう? >>69
それ書いたの俺だけど、あなたの説明は納得できた。なるほどな。 「きそこま」多治見〜長野とか。
なんでも多治見を朝の4時5?分に出てたんだって? おおとりは非地味?
東海道特急時代では一番格下感
北海道時代も主役はおおぞら
釧路行きの分割が無くなって逆に存在感が出てきたが おおとりは有名じゃない?
なんせ北海道に行ったことがない自分でも知ってるくらいだから 季節運転ということもあるが特急新雪。183系1000台で上越線を走っていた。
同じ季節運転でも特急そよかぜの方が知名度高いような。 >>74
高崎から熊谷?まで通過駅有
その先大宮までは各駅停車のやつですか >>79
厳密に言うと
高崎→深谷間が快速
時刻表も快速と表示されてた >>80
今の湘南新宿ライン快速とは逆の停車パターンだったんだ 国鉄時代のブルトレブーム全盛期だと東京ブルトレ>大阪ブルトレ>上野ブルトレという序列
東京ブルトレ内だと、あさかぜ>はやぶさ>さくら>出雲・富士>みずほ>紀伊
大阪ブルトレは九州に向かう方が上で日本海沿いを行く方は下(日本海>つるぎ)
上野ブルトレは未だ20系ながらA寝台2両の「あけぼの」か東北・北海道メールルートの「ゆうづる」かで拮抗
「北陸」はどのカテゴリーにも収まらず分割併合もないのに北オク14系という謎の鈍い光を放っていた・・・ 華やかさがないところが
逆に好きだった 上野ブルトレ というか、地味ならではの良さがファンを惹き付けてるね 富士も区間が短縮されてからは序列も急降下か
てつどうのほんではもっぱら富士が主役だったんだけどな 格という点で言うと単純に登場時期に比例してると思うよ
富士ってみずほの大分編成が独立した列車だろ
みずほ>富士なんだよ本来は
富士という名前と最長距離ってので過剰評価されがちだけど >>90
いやちがうでしょ。
富士は、電車特急や寝台列車に名付けられる以前に、すでに「名称の格」を持ってたわけんだよ。
あんたの言ってるのは「九州特急への命名」だけを分離して語ってるに過ぎない >>91
列車自体の格だからな
名称の格も列車自体の格によって上下するのは仕方がないしな >>92
そりゃそうだが今はそこを言ってるんじゃないの
90はあんたのそれを分かってないで同列で書いてるから >>93
> そりゃそうだが今はそこを言ってるんじゃないの
愛称そのものの格なんてお前言ってないだろ
後付で何言ってんだよ 仮に富士だとすると
戦前の「列車名称の格」重視の視点を持つ者が、東阪電車特急や日豊経由ブルトレを見れば格落ちと思うだろうし、
戦後命名列車の「系統の格」視点でしか判断しない者からみれば、単純に富士は格下だと強弁することは自然だし、
その両視点をごっちゃに同列で語ったらおかしいってことよ >>94
そもそもおまえ今以前はどのレスだよ?
それによっても変わるからちゃんと答えろ >>95
どちらも格が低いと思ってるんじゃん
問題ないなw >>99
おまいさんに合わせてやったんだよ。感謝しろw 鳥海は485系時代、24系時代ともに他の列車より地味に感じます。 『ひだ』→名古屋発着の『のりくら』
大阪発着の『のりくら』→『くろゆり』→『たかやま』
『たかやま』→『北アルプス』→特急『北アルプス』
名古屋発着の『加越』→特急『ひだ』 >>111
流してないと流す涙もないは意味が違いますなあw やっぱ『富士』はなあ。
少なくとも大分・宮崎に向かう列車には勿体ない感じよな。
似合うのは東京-博多の列車なんだが、既に『あさかぜ』が有ったし。
下関あさかぜが『富士』の系譜ではあるが、それも格落ち感だし。
新幹線の東京-博多の最速列車とかなら合ったかもなあ。
それか富士山に拘るなら東京-三島の『こだま』を『富士』とするか。 個人的には明星>なはだったんだが、明星はあかつきと併結になり早々に廃止になってしまった… 上野〜宇都宮の急行なすの
ギリギリ100キロ行ってたか行ってないかの距離 その『なすの』の中に白河まで足を延ばす謎の455系運用が特に地味だったな。
他は全部165系だったのに。 >>117
地味も何もそんな存在しなかったもの出されてもな
存在したのは上りの白河始発だけだよ
他は全部165系というのも違うしなあ >>112
↑バカはそれしきの脳味噌しか持ちわせてないんだな。哀れだね。笑
>>113
同感。戦後の九州特急の設定時、「さつま」スジの格上げが「はやぶさ」と命名され、
長崎行の新設は「さちかぜ(→平和→さくら)」となった。
このときモッタイぶって秘蔵なんかせず「富士」と命名しておけば良かったのにねえ。
戦前第一級の国際列車時代の富士とまったく同一のスジだったんだし。 >>120
一応そこそこの存在感がある快速はあったけどな。
福知山線非電化時代のキハ40系の快速とか。
赤幕の[快速]表示の名無し快速は他に意外となかったので 128(σ・∀・)σゲッツ!!
128キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
128(・∀・)イイ!! むしろ酒の名前とかぶらない愛称の方が希少なんじゃね? シートピッチが合っておらず
仕切り壁の上に隙間も有る
特急秋田リレー号 特急おおよど
鉄道で福岡と宮崎を結ぶ最短ルートだったにもかかわらず1往復。
まあ通る路線肥薩線とかスピード出せない山岳田舎線区だったから仕方なかったけど。
そのうち日豊線が便利になって廃止された。
でも今の高速道路のルートと丸被りであることを考えたら、もったいない気もする。 今思うと、特急あやめとすいごうがあったなんて、なんで2つも作ったんだろうな
今は2つともないという・・・ >>141 成田空港建設及び鹿島港→成田空港燃料輸送列車関連で、地元に飴を舐めさせるため。総武本線佐倉・銚子間、成田線成田・松岸間、鹿島線の電化に超赤字覚悟での鹿島臨海鉄道旅客輸送と同様。
特に燃料輸送列車において鹿島線、成田線沿線の自治体は中核派のテロを恐れていた。スカイライナー放火に千葉県土地収用委員会委員の襲撃と何でもやったからね。 まあ、よく考えると、すいごうの銚子とあやめの鹿島神宮で
当時は行先が分かれてたか
昔は、あやめは全て鹿島神宮行きだったからな
鹿島神宮まで乗車する人は、どのくらいいたんだかな
鹿島の工業地帯へ行くサラリーマンとか結構、乗ってたんか?
首都圏なのに、千葉は特急事情が寂しくなりすぎて、ありえんわ 千葉駅を通らない(外房・内房線)
通過する(成田線)というのがいくらなんでも。 途中から各停になるすいごうに特急としての存在意義があるのかと思っていた。
地元対策のため、あやめも4往復走らせてL特急にしたわけだが。 東武東上線特急の「かまきた」「くろやま」「たまよど」「さだみね」
秩父鉄道乗入れの「ながとろ」「みつみね」に比べると地味な存在。全て地味といえなくもないが・・ 派手要素何?
当時はキハ82にちりんもあったからなあ >>145
房総急行を全廃した82.11ダイ改で、「水郷」を特急格上げしたからなあ。
「あやめ」ともども佐原から普通列車化されるのは85.3ダイ改から。 昔は南海本線の急行和歌山市行きが多くあったが
今はほとんど特急と普通 それいつまでありました?
民営化直後らへんに
そこそこ乗りに行ったのによく覚えてない >>154
1980年12月号だと3737D快速姫路1249-西脇1337、3737D西脇837-姫路928ってのが載ってる
姫路-各駅停車-厄神-粟野-滝野-野村-西脇 >>155
わざわざありがとうございます。
道理で知らないわけです。世代がちょっとちがいました
「民営化後〜加古川色の登場前」という
おそらく非常に短い時期が初加古川線だったので 昭和42年
743D 加古川16:05-日岡-神野-厄神-粟生-社町-野村~<各駅>~鍛冶屋 17:20
┗~<各駅>~三木 16:34
732D 西脇8:54-野村-社町-粟生-厄神-神野-日岡-加古川 9:41
昭和43年
1745D 加古川16:37-日岡-神野-厄神-粟生-社町-野村~<各駅>~鍛冶屋17:47
1734D 鍛冶屋8:15~<各駅>~西脇-野村-社町-粟生-厄神-神野-日岡-加古川 9:23
どちらも快速とは書いていないので、通過駅のある普通列車。
通過駅のある普通列車も珍しくなかったし,関西本線には天王寺~王寺ノンストップとかありましたから。 美祢線の定期快速列車
60年3月急行廃止時に設定されて1-2年で廃止
当時各地に設定された利用状況で次期改正で定期化or廃止のα列車のマークは無かった ちどり
たいしゃく
路線自体は盛り上がって来ているが
時既にお寿司… 西武、小田急、近鉄、南海の急行は地味、というか中途半端な印象
特急ほど速くも快適でもない、かといって沿線のニーズを
きめ細かく拾うわけでもない
まして急行は特別料金不要で事業者からしたらうま味がない
減ったのも当然 >>63
近鉄の急行と南海高野線の急行は主役をはっている