大阪鉄道管理局内〜広島鉄道管理局内双方を寝台車に乗って利用するのは確かに中途半端かも知れない。
特急安芸の末期なら14系座席車だった夜行急行雲仙、西海、阿蘇、くにさきで充分なような気がする。
そもそも特急安芸を呉線廻しにしたのは呉線沿線の利用者を計る(下り停車駅・広4:28 呉4:38-39・上り
停車駅・呉23:58-59 広0:09 竹原0:48)ためと瀬野〜八本木間を越える急行荷物列車や貨物列車が安芸が
運行時間帯にセノハチは補機連結や開放で集中しているために混雑緩和を目的で呉線へ迂回した話を当時の
広島機関区機関士(現在の機関車運転士)から聞いた事がある。当時のあかつき・彗星・明星・客車夜行急行
はEF58が牽引していたから当然セノハチはEF59の補機を連結しないと峠を克服できないので山陽本線の
ネックになっていた。