>>825
(別人で)小生は戦後のベビーブーム生まれの団塊一世ですけど、
819氏よりもちょっと若い。

それでも混雑には悩んだものの鉄道黄金時代の経験は重なる。
・父親の任地北海道〜東京との往復は鉄道+青函連絡船が標準。
本州は急行「北斗」寝台で北海道は急行「まりも」特2に接続。
一回だけ沈没した洞爺丸の1等船室も乗船しました(役員出張の乗船券が余って?)。
・その後内地気動車特急「はつかり」+深夜の青函連絡船+気動車特急「おおぞら」の時代に。
・たまには奥羽線の「しらゆき」に乗り継ぎ新潟周りで上京。
・都内からのスキー遠足では信越線の各停でスイッチバックと駅ソバを楽しむ。
・墓参りに行く時は婆様が横須賀線の2等車(現グリーン車)に乗せて呉れた。

前後して、
・新幹線開通前の東海道線では電車準急「東海」で各地を行き来する。
・同、広島まで電車特急「つばめ」で食堂車では伯母が優雅にランチメニューを注文。
・就職してからは、東北各地への往復夜行の弾丸出張で、
客車寝台急行や寝台特急を普通に生活の場としていた。(後期に電車化)

給料が安い若い頃は、
各駅停車で下田の国民休暇村に行ったり、
ボーナスが沢山出た夏には、
寝台特急「富士」日豊線周りで西鹿児島行きに乗り、
西鹿児島〜博多は夜行急行で、ようやく開通した山陽新幹線で帰京するも、
台風で博多を朝出たのに東京に夕方に着く経験も。
・関西〜北陸に交直両用の急行電車が登場して、
ブッフェで初めて蕎麦を試食する。

何が小生に夜行列車経験のピークかと言うと、
常磐東北「北斗」「十和田」「ゆうづる」「はくつる」奥羽「あけぼの」
九州向け「あさかぜ」「富士」「さくら」位しか縁が無かったのが残念。