夜行列車総合スレ★14
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懐かし板への移行の要望が多かったのでこっちに次スレ立てたよ
前スレ@鉄道総合板
夜行列車総合スレ★13 [無断転載禁止]©2ch.net
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/train/1505558733/ 2段式と3段式、客車と電車、それぞれに特性や役目の違いはあったね。 14系と24系の混結って具体的にどんな問題があるのか?
電源系統を独立させてCLブレーキだけ繋ぐというのは素人でも考えそうだが
北斗星にヒルネ専用のスハフ14を増結したら放送が繋がらず車掌が別に乗ったそうな。
晩年の九州ブルトレでは連結面に放送用回路の対策したとか。
かいもん日南は前任の20系参考にして変換装置でもつけてたのかな?
>>56
14形と24形が二段化された後もしばらくは15や25と使い分けられてたけど21世紀にはいると有名無実化したな。
青森持ち日本海は建前24形だったけど晩年はロネ以外全部金帯(あさかぜ崩れ)だった。 >>58
>青森持ち日本海は建前24形だったけど晩年はロネ以外全部金帯(あさかぜ崩れ)だった。
いやさすがにそれはない
必ず白帯のオハネ/オハネフ24が1〜3両混ざってた オリンピックは金銀銅
まあこれは順当
寝台車は金銀 白
差があり過ぎ
う〜ん オリンピックは金銀銅
ブルーダイヤのプレゼントは金銀パール
寝台車は金銀白
常に三つめは固定されないものなのだよ
尤も寝台車は白がオリジナルだがな 要は混ざらなければいいんだけどね・・・
もう過去の話だがw 帯の色が揃ったとしても、塗装が剥げ落ちて錆むき出しじゃあなぁ はまなすは酷かったな
塗装が剥がれザラザラの下地の上に直接ブルーの塗料を塗ってる所が何か所もあったし、斜めから見ると車体がペコペコだった >>59
2010年12月12日発の上り列車の記録
EF81 107 青森→敦賀 ローズピンク色
EF81 44 敦賀→大阪 トワイライト色
1 オハネフ25 117 金折戸
2 オハネ25 152 金 折戸
3 オハネ24 3 金 引戸 元「北斗星」用
4 オハネフ25 125 金 折戸 ビス穴の腐食防止のためナンバーが白ペンキ
5 オハネ22 16 金 折戸
6 オハネ25 147 金 折戸
9 オハネフ 25202 金 折戸
10オロネ24 4 白 折戸 現在は京都鉄道博物館で保存
カニ24 511 金
1両だけオハネ24があるにはあったが北斗星用に金帯化されていた。
これ以外にも大阪で回送を何度か見たが金帯ばかりだったのを覚えている。 >>65
ラストの3ヶ月の編成記録持ってるが、ハネが全車金帯だった事は一度もないから >5 オハネ22 16 金 折戸
信用度が知れますな ほれ
これが現実だ
24系ブルートレイン通過集1 寝台特急日本海他
ttp://www.youtube.com/watch?v=WttxI7gBcdk
24系ブルートレイン集2 寝台特急日本海他
ttp://www.youtube.com/watch?v=hb1rNO1jjKU
24系ブルートレイン集3 寝台特急日本海他
ttp://www.youtube.com/watch?v=iJw6RQZIjyc
24系ブルートレイン通過集4 寝台特急日本海他
ttp://www.youtube.com/watch?v=M9P0ibZ49TU 日付が明記されてないから却下
おそらく廃止直前に全検切れをあけぼの車でカバーしたのだろう
確か日本海廃止後に実乗したあけぼのは個室以外白帯。
青森車両センター的にはは24形はあけぼの、25形は日本海が正規だったのだろう。 >>25
旧客の急行"まりも"は1951年4月1日〜1968年9月30日までの運転と、
石勝線が開通した1981年10月1日〜1982年11月14日までの運転のみだが
>>25が乗車したり、見かけたのはいつくらいであろうか?
寝台車が10両くらい連結されてた頃ならすごいだろうなぁ。
因みに1968年10月1日〜1981年9月30日は急行"狩勝"として運転され
自分が始めて急行"狩勝"には自由席の連結がまだなかった。 >確か日本海廃止後に実乗したあけぼのは個室以外白帯。
>青森車両センター的にはは24形はあけぼの、25形は日本海が正規だったのだろう。
天地がひっくり返ってもねーよ
寝言は寝てから言え >おそらく廃止直前に全検切れをあけぼの車でカバーしたのだろう
じゃあ晩年は全車金帯じゃなかったってことじゃねーかw ニコニコ動画で向谷氏が白帯でそろえるとか大見栄切ったけど実現しなかったくらいだしな
リバイバル富士では白帯そろえてきたけど 日本海は寝台車が全て25形で電源車のみ白線の国鉄末期が好きだった
奥羽本線はまだ秋田機関区のED75-700が牽引していた頃
赤い貫通扉機関車のED75に日本海ヘッドマークによく似合ってた
大釈迦〜津軽坂 4002レ
https://dotup.org/uploda/dotup.org1466687.jpg 2009年秋時点のごろんとシート仕様車(あけぼのの1号車と8号車限定)
オハネフ24 2 7 12(金) 19 22(金) 25 27
オハネフ25 205(金)
>>68の動画は全て2009年以降のもの
オハネフの屋根に増設されたデジタル無線用のアンテナがそれを物語る ことごとく混在してますなあ
2009年6月29日 2021レ
EF81 138
EF64 38
カニ24 23
オハネフ24 12(金)
スロネ24 551(金)
オハネ24 554(金)
オハネ24 553(金)
オハネフ25 121(金)
オハネ25 38
オハネ24 44(金)
オハネフ25 205(金)
2009年11月6日 2021レ
EF81 136
EF64 1051
カニ24 23
オハネフ24 19
スロネ24 552(金)
オハネ24 552(金)
オハネ24 554(金)
オハネフ25 201(金)
オハネ25 215(金)
オハネ25 211(金)
オハネフ24 25
2011年10月23日 4002レ
EF81 107(敦賀〜大阪)
EF81 113(青森〜敦賀)
オハネフ25 129(金)
オハネ25 148(金)
オハネ25 210(金)
オハネフ24 27
オハネ25 220(金)
オハネ24 19
オハネフ24 21
オロネ24 4
カニ24 511(金)
2012年1月19日 4001レ
EF81 107
カニ24 112(金)
オロネ24 2
オハネフ24 15
オハネ25 220(金)
オハネ24 19
オハネフ25 202(金)
オハネ24 44(金)
オハネ25 38
オハネフ24 10(金) >>75
その時代って臨時の日本海51号や日本海54号がまだ20系で走っていた頃では? 「ブルートレイン」の定義って何なんだろ?
北斗星廃止で盛り上がってる頃、「最後のブルートレイン」というのを聞いて
あれっ「はまなす」は?って思った。
国鉄末期はヒルネの「宗谷」「天北」でさえブルートレインとして扱われ児童書にもグリーンシートのことが載っていた。
同書には「廃止されたブルートレイン」の項目に60.3で14系座席車オンリーになった「津軽」が入っていたが、
特定形式の寝台車の連結が条件ならJR北海道の気動車夜行もブルートレインになる。
昭和50年代のブルトレブームのころには「10系も幅52cmの青い寝台車という点では
20系と変わらないのになぜブルートレインと呼ばないのか?」と疑問に思った人も多いだろうが
それに対する答えを「トワイライトエクスプレス」とホリデーパル「玄海」に当てはめるとどうなる? 寝台専用列車のこと(後から座席車が追加されたあかつきのような例外はある) >青森車両センター的にはは24形はあけぼの、25形は日本海が正規だったのだろう。
いったい普段何を喰えばこんな頭が出来上がるんだろう… >>12
自分が当事者ではないけどその当時の出雲1号の米子発着が7:07-13なので既に食堂車は
営業してるので日食米子営業所のスタッフがライトバンか何かで和朝食用の食材を運んだ
か米子駅で積み込んだ和朝食の準備が調うまで洋朝食のみで対応したのではないかな?
>>18
>>19
夜行列車とキヨスクとの相性が良かった。特に青森駅の優等列車ホームにリアカーみたい
なので売っていた風情は急行八甲田とピッタリ。昔は上野駅の地平ホームにも移動可能な
リアカー式の売店があったけど国鉄時代までだったよ。国鉄といえば、まだキヨスクの
名称はなく。「鉄道弘済会」の売店。
>>30
>>32
紀勢線夜行921レは天王寺〜名古屋を14時間28分かけて走っていた(1978年ごろ)。
抜粋時刻 天王寺22:40 和歌山23:39-50 紀伊田辺2:05-24 串本3:51-55 新宮5:10-50
熊野市6:28-33 尾鷲7:27-51 多気10:10-14 亀山11:24-33 四日市12:06-10 名古屋13:08
>>36
急行出羽は新庄〜余目間が非電化区間の陸羽西線経由だからキハ28・58・キロ28の編成
だったよ。ルートは東北線〜奥羽線〜新庄〜陸羽西線〜余目〜羽越線〜酒田。 >>47
>>36
定期のディーゼル夜行は下りか上り、どちらか片方の運行が多く、1980年秋の時刻表によれば過去に
「うわじま14・16号」(宇和島→高松)・「あしずり17号」(中村→高松)・「紀州5号」(名古屋→紀伊勝浦)・
「きのくに28号」(天王寺→新宮)、「むろどう」(名古屋→富山地鉄/立山)くらいだと思うが往復走って
いたディーゼル夜行の方が少なく、「出羽」(上野⇔酒田)・「ちどり5・6号」(米子→広島・岩国→鳥取)・
「のりくら9・12号」(名古屋→珠洲・金沢→名古屋)・「731D・764D」(高松→中村・窪川→高松)の3本くらい。
1983年の夏に寝台特急瀬戸で四国に行った時は深夜の高松駅ホームに下り夜行急行「うわじま」も入線
していたような気がしたのだが。
>>43
14系14形寝台車と24系24形形寝台車の相違は電源供給方式や緩急車の切妻形状などありますが確か14
系は全車輌が両栓構造(24系は片栓両栓)で、編成中の車輌の向きが変わっても差し支えないのに対し、
オハネフ以外は方転できない事が上げられます。更に車体構造も微妙に違い、14系(以下15型は除外)
の場合、床の根太は木材なのに対し、24系では金属製になっています。内装材にも14系はFRPが
使われているのに24系では使われていないなどがあります。
>>53
14系と24系の併結なら1990年〜1992年に新宿〜秋田間で運転された臨時夜行急行「あきた」で実現組済み。
編成は24系ハネが3両+14系座席車が5両の合計8両。定期列車なら貴君の記述とおりで間違いないよ。
1982年だが臨急あきたの編成が分る参考動画 https://www.youtube.com/watch?v=U5B2WGlHb-U
>>80
第一次ブルートレインブーム(1976年頃〜)だった時の「ブルートレイン」の定義は青い色した固定
編成の寝台特急だった。当時急行銀河は1976年2月1日から103レと104レが20系投入され、同年10月には
急行新星と急行天の川が20系化。その後も急行十和田3号・4号と続き、1978年には急行だいせんと異
色の20系と12系座席車の混編成になった急行かいもん、日南、ちくま、さんべが増えてブルートレイ
ンの定義が微妙になる。
急行銀河や急行天の川のような寝台専用列車ならブルートレインの一員に入るだろうが座席車も含む
夜行急行はどうかと思う的な意見も多かった。終いには14系座席車や12系座席車の夜行列車までブル
ートレインに入れてしまう時期もあったがこれはひとえに情報が乏しいマスコミュニケーションの
弊害だと思うのだが・・・。 こっちの鉄道懐かし板の夜行列車総合スレ★13の方がスレに活気があっていいな >>86
その趣旨でこっちにスレを強引に立てたんだしw
(現役列車がほぼ壊滅したってのもあるけど) 元々、客車寝台列車を指すネーミングだったのを、勝手に拡大解釈しただけ
座席主体列車は本来のブルトレとは別モノ そうはいっても交流電機が引く赤い50系列車もレッドトレインとか言ってたしなあ
所詮は通称なんだから厳密な定義なんてあってなきがごとし >>85
1986年の頃でも宇高連絡船23便接続で高松0:43発の急行うわじま1号が
走っていました。本四架橋(のちの本州四国連絡橋・瀬戸大橋線)が開通
するまでは宇高連絡船の23便に接続していたのだと思います。
1986年の時刻表抜粋
https://dotup.org/uploda/dotup.org1467631.jpg 定義がないからってはまなすまでブルトレとかw
もうなんでもありだな
50系がレッドトレインは特に違和感ない マスメディアっていっても
報道から絵本までピンキリだしね
児童書なんてそれこそなんでもありの世界 ヲタみたいに自己流にどんどん拡げるのと違って、寝台特急の北斗星で最後と言ってるあたり、報道はやはり定義づけが堅実そう >>101レ 八甲田
何でもブルトレ派にとっては八甲田もブルトレになってしまうのだろうか 夜行でいいんだよ、夜行
寝台車連結、かつ設備を使用しているのは夜行列車で問題ない >>88
自分はまあ、許容範囲だと思うが、厳密にいえば銀河のような寝台急行でさえブルトレからは外れるからな
概ね寝台特急ですっきりしてたのに、いつの間にここまで乱れてしまったのだろうか 急行銀河は国鉄末期から20系の専用テールマークがあったから
他の夜行寝台急行に比べて 一線を画した感じがした。25形を
初めて導入した定期寝台急行でもあったから。 >>102
>>103
落ち着け、12系末期までは急行八甲田の列車番号は103レ 104レだったよ 20系以降の定期寝台列車、客車、特急これが本来で、あえて定義というなら、社会的に通用するのはせいぜい臨時寝台特急や寝台急行列車までだろうし
新系列の座席主体の寝台付き普通急行までそう呼称するのは、やりたい人が勝手にそうしてる世界だってことで問題ないはず
同じメディアでも、報道レベルになると主観的で都合のいいようには書けないから、北斗星で区切ったのは当然のこと
ブルートレインはまなすなんて見たことないし、もし仮にあっても週刊誌や児童書レベルのマイナーな世界の話だろうな 俗称だし、積極的に使う表現でもない
どちらかというとニワカ的な人が好んで使う言葉
むやみにブールトレインとか言ったり、書いたりしてるの目にすると、それだけでどこか俄かや子供じみた雰囲気に見えてしまうね ゆうづるが何号かによってブルトレだったりなかったり 事情のよくわからない家族連れがブルトレに乗ろう、乗ったといって、ゆうづるの電車の方だったなんて話はありそう しまいには14系座席車の快速海峡や50系の海峡までブルートレインと呼ぶ輩も現れた 寝台主体なのか座席主体なのかで全く列車の性格が異なるのに、
結局、何でもかんでもブルトレブルトレって言っちゃう人って、車体が青けりゃ全部ブルトレなんだよな
かつての夜行急行だと10系寝台の方は旧客だからブルトレでないのに、12系自由席の方はブルトレになってしまうみたいな変な話w ブルトレを批判する俺カッコイイ病がたくさん湧いて草 あと、同じ14系で全車寝台はいいとして、全部座席だとブルトレでないのに、1両でも寝台が付くとたちまちブルトレになってしまうみたいな珍妙な見解も
寝台急行列車ではない、座席主体の一般急行に過ぎないはまなすをブルトレという話もその発想から来てるんだろうね 0系新幹線を「だんご鼻の愛称で親しまれてきた」などと書くのがメディアだからな、少なくとも俺の周りの人で「だんご鼻」などと言ってた人はいない >>116
過渡期の車両だが実質的には旧客扱いが自然
とくにブルトレの定義(20系〜)からすると完全に旧客扱い 草はやして見下ろしてるオレ余裕
おまえらと違うだろドヤ
ですか? 広田尚敬のヤマケイ本はナハ21の十和田だいせんまで載っていた。
(全盛期のあさかぜですらオール寝台でなかったのだから寝台専用列車説でもここまではセーフとすべきだろう)
保育社のカラーブックスでは20系+12系も扱っていた。
「ブルートレイン」の言い出しっぺとされる竹島紀元は礼文もブルートレインと呼んでいた。
>>115
車両主体で見る人もいるからな。
昭和58年ごろの「北陸」と「能登」って寝台料金払って乗る分にはどこが違うんだ?って感じで。
車両研究者からすれば、電車時代のスシ24に興味は無くても気動車組み込みのスハネフ14は気にする。
>>116
10系も広義の旧客に入る。
特にブルトレ関係の文章だと特定の編成システムに属していることが重要になるので。
ところで誰か、トワイライトとホリデーパル玄海に言及してくれ >>124
ジャーナル増刊の「急行列車ジグザグ日本縦断」(だったっけ?最近復刻されてる)では
道内での14系急行を公式に「ブルートレイン」としたポスターがあったような >>124
列車主体だろうと車両主体だろうと、寝台主体かどうかで見れば同じこと
トワイライトは、青くないブルトレ、形と中身だけブルトレみたいな感じだが、もう末期的な存在でどうでもいいかな
あくまで例外的な存在だし >>125
一時期、北海道総局がやってたけど、あれは公式見解ではなく、一種の宣伝文句の類だろうな >>126
分割民営化前後の臨時「彗星」をブルートレインじゃないと言われてもな。
寝台車は定期列車と同じ車両だし。 ずっと定期寝台特急で来た列車が末期に臨時になったり座席車が1〜2両付属してもブルトレで差支えないだろうな 583系の寝台列車といえばゆうづる以外に金星、明星、彗星、なはがあった。
581系や583系の色は東海道新幹線乗り継ぎで連絡する九州方面の寝台特急を
イメージして0系新幹線の塗装と帯を真似てるからブルートレインとは離れた
ものがあるけど素人目にすれば寝台特急=ブルートレインみたいな固定観念
があったから仕方がないよ。 >>116
ナロ10やナハネ10の時代は旧客・雑客とは思えないけど冷房化や緩急車化で
10系客車の形式が変わると微妙に否定したくなるけど>>116の気持ちも分る >>116
鉄道ジャーナル 1982年12月号(No.190)特集: 10系 軽量客車の足跡
内容: 列車追跡「津軽3号」上野→青森 オハネフ13の別れの朝/RJ系列シリーズ
10系軽量客車/10系客車 編成列車の思い出/の何れかの記事で10系ハネを旧型
客車と書いてる記事があるよ。 >>131
581系と583系は0系新幹線の塗装と帯のデザインを引き継いでいるんだ この時期の夜行は、窓ガラスが暖房との気温差でビタビタになってたなあ 昼の赤塗装に対して、夜の青塗装にしたと考えるのが自然だろうに
どこから0系を継承したなんて妄想話が出て来るんだ?w 外観をみれば昼行特急型を踏襲してるのは一目瞭然
青15号は10系20系客車やスカ色など国鉄で広く使われてる(ちなみに0系や14系客車は青20号)
一応、配色にあたり0系も考慮されてるらしいが、ネタ元がRFらしいので・・・ >>139
夜など暗くて車体の色などわからないだろうが、
なんで昼間の赤色にしなかったのだ 昼は赤くして目立たせた方が安全上もよいけど
暗くて大差ないなら尚の事、夜はイメージ的にも客車に近い方がしっくりくるだろうな もし本当だとしても0系云々はオマケみたいな話だな
583とは使ってる色も違うし やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ >>137
それは気温差ではなく、天気や混雑の度合い(湿度)でそうなるのではないか >>137
583系の二重窓はすぐに結露するからね
オシ14やオシ24などの窓も同じだった 583系塗装:青15号とクリーム1号
0系塗装:青20号とクリーム10号
新幹線0系開業と581・583系の色は微妙に違うけど>>131の
言うようにイメージした色なのだから一般人には分らない。
そういえば故星 晃氏の文献でもそのような事が書いてあった。 基本的な特急の塗装を踏まえたまでで、別にわざわざ0系をイメージした色ではない >>148
Wikipediaの583系でググるとこう書いてある
塗色は(中略)当初は新大阪で東海道新幹線に接続するため新幹線と共通するイメージを持たせた なんか、どうしても0系由来でないと困る人がいるみたい。 なんか都合のいいように切り取って、あたかもそれが理由であるみたいなレスしてるけど、
「塗色は在来特急車の窓周り赤色(赤2号)に代わって窓周り青色(青15号)とした。この色は20系客車などの寝台車に使われているものと同じであるほか、当初は新大阪で東海道新幹線に接続するため新幹線と共通するイメージを持たせることも考慮された」
全体読めば、あくまで副次な理由に過ぎないのはわかるのに>>149の恣意的な書き込みはなんだろう? 昨日、10系についてドヤ顔で住人を馬鹿したレスでも、旗色が悪くなると急に同情するレスが出て来たし、今度は、そいつの0系の見解に不利なレスが続くとまた必死なレスが出て来た。
ID 変えてご苦労だねw wikiその引用元が鉄道ファンが情報源というのがなんとも頼りないな
もう少し、どこかにしっかりとした情報はないだろうものだろうか 520×1900×600の空間は、子供にとっては十分快適だった。
大人になってからは700mm二段か個室にしか乗ったことが無い。 >>131
>>147
>>149
その続きは予土線関連スレでやれよwww いっそ583系は481系、485系と同じ塗装の方が特急らしくてよかった
最初は583系に特急色は似合わないと思っていたけど485系原色ムーン
ライトえちごや急行能登の原色489系が使われ以外に夜との相性もいいと
思ったのは俺だけか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています