夜行列車総合スレ★14
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
懐かし板への移行の要望が多かったのでこっちに次スレ立てたよ
前スレ@鉄道総合板
夜行列車総合スレ★13 [無断転載禁止]©2ch.net
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/train/1505558733/ >>211
583系はくつるのグリーン車?
583系も25形のはくつる普通座席車は連結してなかった筈
もしかして20系時代のはくつるか?
20系時代は2等車は連結してたけど1964年10月01日から
1968年9月30日の期間だけど50年以上前だよw
あんたおじいちゃんか? >>213
1993年ごろ、583系「はくつる」の1両か2両は寝台を組み立てずにボックスシートのまま、指定席車として走っていた。
学生でグリーン車や寝台に乗る金はないから、節約できた。583系の座席の経験はあのときだけだな。
まだ40にもなってないよw Wikiによれば1993 年12月の改正から翌年12月改正までのわずか1年のことらしい。 >>213
93年12月にゆうづると八甲田と津軽が臨時になって、その影響で
はくつるが1往復から2往復になって、そのときに5号車が普通座席指定車になった
尤も1年後の94年12月にあさかぜ廃止で、それを転用して客車化したから
座席車は1年しかなかったレアな運用だった訳だけど
https://www.youtube.com/watch?v=BKFYEvBm_RA
↑1:10頃 流石に50年以上前の20系はくつるに乗った神はいない
定期急行八甲田・津軽の廃止は本当に痛かった 583のbox利用は
はつかり(21M)の上野-青森 #1980頃
パン下でそこだけ解体できたあおもりの酒田?-青森 #2005頃
きたぐにの新潟-大阪
くらいかなぁ
みちのくの上りにも乗ったような気がするけどよく覚えてないや・・・ 東北夜行急行廃止の苦肉の策として、束が同区間寝台特急に申し訳程度に座席車一両だけ設定したわけだ
しかし安い急行を利用する層にとって、高い特急料金になった時点でもう利用せんわな
ここにいる人々でも知らんくらい認知度も低かったし
バブル以降、東北には夜行高速バスのネットワークが確立して行ったから、東北夜行急行廃止で利用層は更に移行して行ったな
583はガキの頃、仙台〜青森座席利用したが、とにかく疲れたな
関東からなんて到底無理ゲー ミスターと大泉もノクターン号だしな
八甲田で深夜の一戸だかどっかで弁当バカ売れしてた昭和のあの日はいずこ 急行八甲田で北海道へ行ってた旅行者にとって、八甲田廃止になる前に12系から14系に
なった時点で終了したと思っていたよ。つまり1985年3月14日ダイヤ改正で、大幅な
ダイヤ変更を行い上野〜仙台間を夜行区間に変更すると同時に、仙台〜青森間は十和田の
ダイヤを継承して14系座席車に変更した急行八甲田改悪とも呼ばれたダイヤ改正。
上野発車時刻が約2時間20分遅くなり、青函連絡船も1便遅くなった影響で青森から日着
できた網走や釧路まで函館始発の特急おおぞら3号や特急おおとりに接続できたのに八甲田
のダイヤ改正で接続しなくなり札幌圏や旭川圏までしか行けなくなった弊害。 >>220
東北夜行急行廃止で俺はゆうづる・はくつるのB寝台に意向したよ
青森駅へ行くのならあけぼのの寝台車も利用したけど北海道へ
行くなら北斗星の個室限定だった。八甲田や津軽(電車期間除く)は
それなりに客車・座席夜行の雰囲気はあったけど寝台の方が楽
八甲田や津軽の座席車は学生時代は数えられないくらい利用したけど
社会人になると時は金なりだし、予算的にも往復寝台利用が多かった >>220
寝台特急<はくつる>のB寝台やグリーン車にも乗れない底辺貧乏人のために作ったのが24系に変わった<はくつる>
ゴロンとシートなのかも知れないが<北斗星>に「ゴロンとシート」なんて貧乏臭い席が設定されなくて本当によかったわ >>220
寝台特急に連結した「ゴロンとシート」や「レガートシート」は本当に貧乏臭い席だと思う
寝台特急が衰退したのはこの貧乏臭い席のせいではないかと思ってしまうくらいだ >>222
そもそも乗り鉄のために列車を走らせてるわけじゃない そして夜行列車は廃止された
なのにバカなキモクズ鉄は夜行列車復活だと喚いている 下りサンライズと上りサンライズの離合の通過駅間知ってる人いたらよろ >>230
2016年12月にサンライズへ乗った時は5031Mと5032Mのすれ違いは名古屋〜岐阜間で2:30〜2:33だった >>231
ありがとうございます
3月2日のSR出雲に乗車します 最近サンライズに乗ってないなー
関東からだと手軽に乗れるけど
中京圏だと関東に戻ってから乗るのが
なぜか面倒w 快速ミッドナイトは快適だった
でも周遊券利用以外は中山峠越えるバスのが安い、ちょい速い(ミッドナイトが一時間位調整で止まってる)
そもそも貧乏旅行する若者も減った、いい思い出になっちまった なんといってもカーペット車のゴロ寝はバスには真似出来ないからな >>234
> そもそも貧乏旅行する若者も減った、いい思い出になっちまった
若者の数自体が減ったのと、本当に貧乏な若者は
旅行さえできない時代になった…のと、両方なのかなぁ…
スマホ時代にまでなってしまって、コミュニケーション等の根本も
大きく変わってしまったんだろうけど(あくまで良し悪しは別として)
これで、「わざわざ時間をかけて遠出するものでもなくなった」って要素まで含まれてたら、
色々と寂しい気がする… 超豪華いらねー
A個室で九州北海道復活してよ
飛行機恐いし、新幹線は背中が痛くなる >>234
函館〜札幌間の夜行といえば普通41レと46レ、シーズンになると
カーペットカーが連結されて雑魚寝ができて便利だった
自由席なのでたまにタコ部屋になる事もあるのがご愛嬌
>>237
北斗星のSA1ロイヤルだって1988年開業の時は超豪華だった
北海道方面の夜行はクルーズトレインしか走らないのだから無理 >>238
俺は1986年8月17日、札幌発の46列車でタコ部屋経験あるよw
確かオハフ46 504のカーペット車で今は無きTTTT主催イベントで
当時は学生だった自分も稚内から関西まで参加したけど1987年の
夏休みで41・46列車のカーペットカー連結は終わったみたい >>236
昔の若者は海外旅行と自家用車、そしてフリーS○X目的の女に夢中だった
今の若者は旅行にも行かない、そして車も興味ない、女性と付き合っても
S○Xレスが多いから日本がおかしくなってる。
スマホって本当に本当によくないわ 恋もリアルでしないでネットでするし
結婚しない(できない)奴も増えて日本は狂ってるぞ。
からDTが増えているらしい。 >>239
道中での大きな車内移動が難しい(できない)移動手段だよなぁ…
夜行列車にゆったり揺られながら、見知らぬ地の夜明けを車内から眺める…
夜行列車がまだある程度走っていた頃には、それを実際に体感してたこともあるから
鉄道でそれを再び経験するのが、一部の例外を除いて不可能になったってのは
非常に寂しくもある… >>237
そのA個室がいい、という需要にこたえた結果が、茶・金・緑の3本なんやで 確かに20代の童貞処女率は増えているらしいね。自分がそのころはセックスしたくてたまらなかったよ。(今でもだけど)
乱交グループや、真面目にセックスグループと、全くしないグループに二極化しているのか。
もっとも30年前とかの童貞率はわからんからこれ以上は何とも言えんが。
旅行先は、20代とかは北海道とかではなく海外に行くってだけではないか。安いし。
海外に行けないような貧乏若者が昔と比べて増えているかはわからない。ただ、明らかに昔に比べてみんな気軽に海外に行くようになったのは確か。 ちなみに、ちょっと調べてみたが、性体験のない未婚者の割合は、25歳以上では年齢層によらず20年以上前から一貫してほぼ1/4くらいらしい。
童貞率が一番低いのは2005年のようで(高校生でも大学生でも)、今はバブル期と同じ程度らしい。
ここ10年では童貞率が増えたのは事実だけど、もう少し広く見ると決してそんなことないみたいだな。 童貞率や性体験もそうだけど結婚しなくなったのは確実に言えてる
給料が少なくても共稼ぎなら何とか生活できるけど性欲減退や
異性に興味がないのではないのかな?生身の女性よりネット彼女の方が
いいとか、フィギアがいいとか気持ち悪いのが多そうな昨今のオタクw 女子より男の娘のほうがかわいいしな
マンコよりケツマン >>246
それはそれで10年以上認識が遅れているサブカル文化理解 正社員じゃないから年収少なくて結婚できないとかすぐに収入の所為にする人を見かけるけど
お互いに働けば結婚は可能なのだと思うけど今の女性は一緒に苦労してまで頑張る人も少ない
のだと思う。若い男性がだらしないのも一因あるが女性の給与水準も上がったから仕方ないさ。
今は若者よりシニア世代(50〜60代)の方が元気だし、海外旅行や国内旅行もこの年代のニーズ
が一番多く、先日車検でトヨタのディーラーへ行ったら50代が一番多くて20代や30代を全く
見かけなかった。当然車の購買層も50代が一番多いって担当の営業から聞いた。 率云々もさることながら、そもそも人数が違うわな。団塊ジュニアが今の40代後半だし。
介護とかそういうのを別にすれば、殆どの業種でこれからパイは縮小していく。 >>249
俺なんか25歳の時に22歳だった彼女と結婚したけど貧乏生活
だったけど会社の安い社宅に住んで何とか生活できたもんな
人間死ぬ気でやれば何とかなるものさ >>247みたいなガチホモ最悪キモっ( ';゚;ё;゚;) >>251
結局、死ぬ気で貧乏暮らしをしてまで結婚生活を維持しようとする若いひとが減ったのだろうな。
ひとりでも世間の目が厳しいわけでもないし、普通に生きて行けるし、稼いだ金を自由に使える。 社会では結婚しない独り者は一人前に見てくれないケースが多い
俺の勤務先は課長(35-45才)や部長(45-59才)はみな結婚して
いるから独身だと出世できずに万年平社員の可能性はあるかもな 青函ブームが終わった後にブームになっていたグアム・サイパンも
日本人はすっかりいかなくなったそうだな
中韓からの観光客でにぎわいはあるそうだが
サイパン線に至っては最後の直行便運休だそうだ
観光需要なんて所詮は水物、廃れ始めたらもう止まらん
なくなりそうになってから慌ててももう手遅れ >>254
何十年前の価値観だよ、と思ってしまうが、会社や公務員は意外にまだそんなもんなのか?
こちらはいわゆる専門職なので、独身だろうが何だろうが大して関係ない。雑談でついていけない話題があるかもしれないという程度だと思う。
ひょっとして、未だにダブル不倫の仮面夫婦の方が離婚よりマシという職場あるのか? 一部の大手企業と公務員は10年以上考え方が遅れているだろうね。
自分は大手製薬会社の開発部門勤務だけど上に上がるのは実力100%。
だから30歳代の課長が多いし、20代で主任にならないと負組とまで
言われてるけど同じ正社員でも格差があって頑張ってる人には手厚く
ヤル気のない人にはそれなりの評価が与えられるけど結婚する人は
20代後半でするし、しない人は30代になっても40代でも独身で社内では
偏見視で見られて働きずらい環境下になるようである。
それでも人並み以上に仕事を頑張り、人並み以上の成果を上げて
いる人はそうでもないけど仕事も頑張れない、結婚もしない変人と
思われると上司もみているもので・・・(以下自粛)。
結婚だけが全てではないのは理解できるけどどうも結婚しない人は
コミニュケーション能力が劣っているように感じてならない。 >>257
そのあたりは、ある意味「運」も左右すると思う
いくら大学でインカレに入っていようが、なぜかサークル内の飲み
(合コンにあたるのか?)には、望んでもないのにとことん顔を出せない
事態だってある可能性が…(恨)
急遽女子会に変更されて、門前払いにされたりとかw
…ここは何のスレなんだよw >>259
『花嫁』 はしだのりひことクライマックス
昭和46年の名曲ですね 夜行列車が一番栄えていた時期
昭和46年は14系14形寝台車が製造開始された年ですよ 「なごり雪」は臼杵か津久見から夜行に乗るんじゃなかったっけ。
「東京へ行く」とあるけど、そのころ「富士」は停車したんだろうか?
まさか「彗星」に乗って姫路や新大阪乗り換えではあるまい。 夜行列車に因む曲は多くありますから
それをイメージして考えるのも楽しいものです >>261
伊勢正三さんの歌詞にはそんなこと書いてないが
別の歌があるのか? >>263
すまん、うろ覚えで勘違いした。
何かと混線したのかもしれない。 >>261
なごり雪のリリースは1974年3月12日なので、その頃に臼杵か津久見から夜行列車に乗る
シチュエーションなら急行「桜島・高千穂」(日豊本線経由は急行「高千穂」)の可能性は大きい
西鹿児島11:52発(門司で桜島を併結)→名古屋10:48着53発→東京16:06着
このダイヤなら臼杵・津久見から東京へ行くのに使えるから多分この列車ではないかと?
ちなみに1970年代の寝台特急富士は貧乏人や学生には不向きだったので違うように思える >>262
個人的には、さだまさしの天狼星(シリウス)へを思い出す。
リリースの時期からして、旧客より12系あたりっぽいが。
煌々と光る蛍光灯と白く輝くシリウスの連想もある。 >>265
急行「桜島・高千穂」は幼少の頃に東京駅で見たことあるけど
ナハフ10?の座席車で西鹿児島まで乗り通したいと思ったが
夢は叶わなかった。
首都圏発着の旧客夜行で乗れたのは越前と妙高くらいだった。 夏の雨中の旧客夜行急行、暑くても窓が開けれない。
ぬるい空気をかき混ぜるだけの扇風機
直角シートで全車座席指定の満席車内
眠れなくても我慢比べのように目を閉じ続けるのみ。
朝の待ち遠しいことと言ったら。 冬の北海道旧客夜行ではネットに入れたミカンを窓の外に吊るして冷凍
ミカンを食べたけど暑いくらいの暖房に冷凍ミカンの美味しかった事。 >>269
袋が破れて落下するのが怖くて俺はやらなかったが、その体験談は聞くなw 旧客で走っていた急行八甲田は夏だとまだ暑い時間帯だったから暑くて地獄だった。
下りは上野19:10から宇都宮20:39まで真夏は本当にクーラーがないと地獄で
上りは宇都宮9:22から上野11:07は朝の時間を過ぎて上野着なんて昼に近かった
から暑かったけど今となっては懐かしい思い出。クーラー完備の12系になった時は
嬉しかったけど夜汽車の風情は旧客の方が断然よかった。
青函連絡船乗り換えを考えて下りはいつも先頭11号車のスハフ42によく乗った。 >>246
社会が高度化するとどこの国でも
そういう傾向になりがちのようだよ することが無い途上国は子供多いだろ? でも子供の死亡率も高い。 >>272
2017年度GDP上位5位内の国で晩婚化や結婚しないのが多いのは日本だけ 一人当たり国民所得がOECD下位に落ちてるからだろう 独身=可処分所得独占=合理的
なぜ、配偶者や子供が欲しいのか? 起きてる時間が長く、かつヒルネのための片づけをしない寝台車で
上段の客が下段に座ってトラブルになった話ってない?
ちなみに鉄道ジャーナルでは竹島編集長が20系の下段に寝て
ボックスは自分以外グループというときにオバサンがカーテンを開けて
竹島氏の寝ているベッドに座ったという記述が。
(終着が7時前なので解体しない列車) >>275
OECD(経済協力開発機構)は先進国間の自由な意見交換・情報交換を通じて
経済成長、貿易自由化、途上国支援に貢献することが目的の機構・組織だから
この場合にOECEを引用するのは不適切だと思うのだが?。 OECDなんて中途半端な物差しを持ち出すのは自称先進国の半島人だけだから相手にするな >>277
あるよ、1988年8月15日の北斗星6号(札幌19:19→11:12上野)のB寝台開放に乗った
際に6:30開始のグランシャリオ朝食から自分の寝台に戻ったら上段寝台のババアが
勝手に閉めたカーテンを開けようとして勝手に座わったので文句言ったら7時を過ぎたら
座っていいのだと言ったからそれは寝台を立席特急券でヒルネ営業する列車だけだろと
注意したら文句言いながら梯子に登って上段に戻って行ったよ。
一言くらい断われば下段寝台を開放したのに勝手に人の寝台のカーテン開いて座るなんて
マナー違反もいいところ。オバサンは遠慮もしないから嫌われるんだよ。北斗星6号は
上野着が昼に近い時間帯だったけど仕方がないけどさ。このままでは大人気ないと思って
8時にカーテンや寝具を片付けて座らせてあげたけど今となっては懐かしいよ。 >>277
それ、今から50年以上前の「あかつき」の「ゴキブリ家族」だっけ。
読んだときは、こんな非常識な連中いるんだと思ったが、今の中国朝鮮同様、何十年前の日本もそうだったんだよな。
さすがに車両の床にゴミ放置はまだいいにせよ、ジジイがやってるみたいな、吸い殻ポイ捨て痰吐き捨てはいい加減にしてほしい。 旧客時代は車両にゴミクズ入れが無かったから駅弁とか食べ終わると
席の下に置いていたのが当たり前の時代があったけど、1978年に
急行きたぐに(大阪22:10→大阪17:10)へ乗ったら翌朝の長岡駅と
昼過ぎの秋田で車内清掃の人が乗り込んで床のゴミ回収に乗り込んで
いた。列車移動中に3回食事するから洗面所横にあった12系のゴミ
入れでは対応できなかった。 翌朝の長岡駅と書いてあるから下りきたぐになのかな?
上りきたぐには確か青森発が午前中で長岡が夜やった きたぐにといえば、乗り通す時に寝台券発行してくれないバカ駅員いなかった?
急行券を青森までと新潟までの寝台券をリクエストしたら
「急行券と寝台券は一体じゃないと発売できない」と言って新潟で急行券区切って発行されたり。
あるいは「言いたいことはわかるけどマルスで出てこない」と匙投げられたり。
(実際、平成初期にはやぶさソロで熊本からヒルネは対応できなかった) >>283
下りきたぐに 501列車です
>>285
自分は全区間自由席利用だったけど
1989年の富士ソロで大分〜宮崎間は
別途車内でヒルネB特急券買いましたよ >>287
車掌区発行の手書きの車内補充券でした。
事由欄の所に立席が無いので、自由席特急券に○を入れた上で、記事の所に立席である
事を示す「立」と記入。原券は横線、収受又は変更区間は熊本⇒西鹿児島と記入。
駅扱いの出札補充券・改札補充券と形状や記入欄などは同じでした。 >>288
ああ、ゴメン
きたぐにの扱いの方
窓口で急行券と寝台券を乗車区間ごとに別々に発券かな
と思って
自分にはそういう経験がなかったので 下段の寝台については、3段式のベッド作業があった頃は、中段設定後から、そして翌朝
解除後までという認識でよかったと思う。ところが、2段固定式になったせいで、下段はそ
の利用者が下車するまで所有権があるみたいな認識なんだろうな。 25型2段固定式になっても東京発ブルトレみたいに一部の数号車を7時になると
係員が乗り込んで寝具やリネンは上段寝台に投げて下段のカーテン立たんでヒルネ
立席特急券で乗る人用に対応すると上段の客も下段に座るしかないので国鉄時代は
それが当たり前だったけど何も片付けないJR時代に入ると放置だったからね A寝台を2両連結していた1984年の急行天の川に乗車したけど
自分が乗ったA寝台ナロネ21はあつみ温泉から全車ヒルネ扱いに
なるためA寝台もたたまれてグリーン車になったけどA寝台まで
解体してグリーン車ヒルネにするのは如何かと思ったよ。
幸い自分のボックスには誰も乗って来なかったから前の席に足を
伸ばして秋田まで寛げたからよかったけど・・・ >>291
国鉄末期から一部ブルートレインの2段ハネのヒルネは片付けてなかったよ 2段化は省力化も兼ねていたのかな
たまたま時代が重なっただけかもしれんが >>295
当然そうでしょ。
快適性を求める風潮はもちろんだが。
あとは客の減少。 25形がデビューしたと同時に寝台客が大幅に減って凋落化が始まった B寝台を2段化しなければ居住性で商品にならない、けど安価で提供しなければならない
このあたりで既に寝台列車は破綻しているだろ
普通の感覚の経営者なら、常時満席で走ってトントン、乗車率8割で赤字なんていう列車を走らせたりしないわな 公営企業だからと国民の要求がめちゃくちゃだったんだとしか 2段ハネ化初期は上段の昇降スイッチがあり、
車掌補の操作による寝台・座席転換も視野にあったが
乗務員の合理化で、それもしなくなったな。 1974年に投入された24系25形-0番台は初のB寝台2段で「あかつき」に使われたのが
最初だけど最初の頃は関西発着ブルトレの一部だけどヒルネ区間になると係員が乗り
込んで上段の自動昇降機スイッチを入れて上段寝台を一番上まで移動、B寝台コンパ
ートメント空間を広くしていた。自分が見たのは「明星」だったけど上段寝台が一番
上まであがった広い空間に0番台特有である大きな窓(100番台から小さくなる)から
景色や差し込む光が眩しくてまさしく新時代の新型寝台車だと思った。 25形を使った寝台特急で真っ先に廃止になったのは特急安芸
特急安芸廃止で余剰となった25形を広ヒロや広セキに移動して
下関発着のあさかぜが誕生したのは有名な話。
25形100番台を使いながらすぐに5年未満で廃止ってw >>276
職場や友達から変わり者って言われるだろうw
それとも無職でリアルの友達もいないのかw 昭和49年に20系の下関あさかぜを撮影しているが・・・ 夜行列車はいらんけど、東京から100キロ圏内の
高崎、宇都宮、水戸、熱海あたりまでは
終夜運転にしてほしい
これは確実に需要があるから >>306
昼間と同じサービスを同じ値段で供給できません >>306 深夜、駅に着いても家にたどり着くまでタクシーしかないというのでは不便でしょうがないわな。接続する私鉄等の路線も動いてないわけだし。 水戸に午前2時に着いてもねぇ…
それに合わせて迎えに来てくれるのはごく一握りではないか。
前にAmtrakに乗ったときは夜中の2時3時でも乗り降りあったようだし、車で迎えに来ている人もいた。 >>297-298
東京口で二段寝台化された際に、「出雲」が三段寝台でも乗車率良かったので、
定員減による寝台券の取りづらさが懸念されていた。 >>305
ついでに、下関あさかぜが先に25形化して、その後博多あさかぜが25形化したはず。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています