夜行列車総合スレ★14
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懐かし板への移行の要望が多かったのでこっちに次スレ立てたよ
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http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/train/1505558733/ >>101レ 八甲田
何でもブルトレ派にとっては八甲田もブルトレになってしまうのだろうか 夜行でいいんだよ、夜行
寝台車連結、かつ設備を使用しているのは夜行列車で問題ない >>88
自分はまあ、許容範囲だと思うが、厳密にいえば銀河のような寝台急行でさえブルトレからは外れるからな
概ね寝台特急ですっきりしてたのに、いつの間にここまで乱れてしまったのだろうか 急行銀河は国鉄末期から20系の専用テールマークがあったから
他の夜行寝台急行に比べて 一線を画した感じがした。25形を
初めて導入した定期寝台急行でもあったから。 >>102
>>103
落ち着け、12系末期までは急行八甲田の列車番号は103レ 104レだったよ 20系以降の定期寝台列車、客車、特急これが本来で、あえて定義というなら、社会的に通用するのはせいぜい臨時寝台特急や寝台急行列車までだろうし
新系列の座席主体の寝台付き普通急行までそう呼称するのは、やりたい人が勝手にそうしてる世界だってことで問題ないはず
同じメディアでも、報道レベルになると主観的で都合のいいようには書けないから、北斗星で区切ったのは当然のこと
ブルートレインはまなすなんて見たことないし、もし仮にあっても週刊誌や児童書レベルのマイナーな世界の話だろうな 俗称だし、積極的に使う表現でもない
どちらかというとニワカ的な人が好んで使う言葉
むやみにブールトレインとか言ったり、書いたりしてるの目にすると、それだけでどこか俄かや子供じみた雰囲気に見えてしまうね ゆうづるが何号かによってブルトレだったりなかったり 事情のよくわからない家族連れがブルトレに乗ろう、乗ったといって、ゆうづるの電車の方だったなんて話はありそう しまいには14系座席車の快速海峡や50系の海峡までブルートレインと呼ぶ輩も現れた 寝台主体なのか座席主体なのかで全く列車の性格が異なるのに、
結局、何でもかんでもブルトレブルトレって言っちゃう人って、車体が青けりゃ全部ブルトレなんだよな
かつての夜行急行だと10系寝台の方は旧客だからブルトレでないのに、12系自由席の方はブルトレになってしまうみたいな変な話w ブルトレを批判する俺カッコイイ病がたくさん湧いて草 あと、同じ14系で全車寝台はいいとして、全部座席だとブルトレでないのに、1両でも寝台が付くとたちまちブルトレになってしまうみたいな珍妙な見解も
寝台急行列車ではない、座席主体の一般急行に過ぎないはまなすをブルトレという話もその発想から来てるんだろうね 0系新幹線を「だんご鼻の愛称で親しまれてきた」などと書くのがメディアだからな、少なくとも俺の周りの人で「だんご鼻」などと言ってた人はいない >>116
過渡期の車両だが実質的には旧客扱いが自然
とくにブルトレの定義(20系〜)からすると完全に旧客扱い 草はやして見下ろしてるオレ余裕
おまえらと違うだろドヤ
ですか? 広田尚敬のヤマケイ本はナハ21の十和田だいせんまで載っていた。
(全盛期のあさかぜですらオール寝台でなかったのだから寝台専用列車説でもここまではセーフとすべきだろう)
保育社のカラーブックスでは20系+12系も扱っていた。
「ブルートレイン」の言い出しっぺとされる竹島紀元は礼文もブルートレインと呼んでいた。
>>115
車両主体で見る人もいるからな。
昭和58年ごろの「北陸」と「能登」って寝台料金払って乗る分にはどこが違うんだ?って感じで。
車両研究者からすれば、電車時代のスシ24に興味は無くても気動車組み込みのスハネフ14は気にする。
>>116
10系も広義の旧客に入る。
特にブルトレ関係の文章だと特定の編成システムに属していることが重要になるので。
ところで誰か、トワイライトとホリデーパル玄海に言及してくれ >>124
ジャーナル増刊の「急行列車ジグザグ日本縦断」(だったっけ?最近復刻されてる)では
道内での14系急行を公式に「ブルートレイン」としたポスターがあったような >>124
列車主体だろうと車両主体だろうと、寝台主体かどうかで見れば同じこと
トワイライトは、青くないブルトレ、形と中身だけブルトレみたいな感じだが、もう末期的な存在でどうでもいいかな
あくまで例外的な存在だし >>125
一時期、北海道総局がやってたけど、あれは公式見解ではなく、一種の宣伝文句の類だろうな >>126
分割民営化前後の臨時「彗星」をブルートレインじゃないと言われてもな。
寝台車は定期列車と同じ車両だし。 ずっと定期寝台特急で来た列車が末期に臨時になったり座席車が1〜2両付属してもブルトレで差支えないだろうな 583系の寝台列車といえばゆうづる以外に金星、明星、彗星、なはがあった。
581系や583系の色は東海道新幹線乗り継ぎで連絡する九州方面の寝台特急を
イメージして0系新幹線の塗装と帯を真似てるからブルートレインとは離れた
ものがあるけど素人目にすれば寝台特急=ブルートレインみたいな固定観念
があったから仕方がないよ。 >>116
ナロ10やナハネ10の時代は旧客・雑客とは思えないけど冷房化や緩急車化で
10系客車の形式が変わると微妙に否定したくなるけど>>116の気持ちも分る >>116
鉄道ジャーナル 1982年12月号(No.190)特集: 10系 軽量客車の足跡
内容: 列車追跡「津軽3号」上野→青森 オハネフ13の別れの朝/RJ系列シリーズ
10系軽量客車/10系客車 編成列車の思い出/の何れかの記事で10系ハネを旧型
客車と書いてる記事があるよ。 >>131
581系と583系は0系新幹線の塗装と帯のデザインを引き継いでいるんだ この時期の夜行は、窓ガラスが暖房との気温差でビタビタになってたなあ 昼の赤塗装に対して、夜の青塗装にしたと考えるのが自然だろうに
どこから0系を継承したなんて妄想話が出て来るんだ?w 外観をみれば昼行特急型を踏襲してるのは一目瞭然
青15号は10系20系客車やスカ色など国鉄で広く使われてる(ちなみに0系や14系客車は青20号)
一応、配色にあたり0系も考慮されてるらしいが、ネタ元がRFらしいので・・・ >>139
夜など暗くて車体の色などわからないだろうが、
なんで昼間の赤色にしなかったのだ 昼は赤くして目立たせた方が安全上もよいけど
暗くて大差ないなら尚の事、夜はイメージ的にも客車に近い方がしっくりくるだろうな もし本当だとしても0系云々はオマケみたいな話だな
583とは使ってる色も違うし やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ >>137
それは気温差ではなく、天気や混雑の度合い(湿度)でそうなるのではないか >>137
583系の二重窓はすぐに結露するからね
オシ14やオシ24などの窓も同じだった 583系塗装:青15号とクリーム1号
0系塗装:青20号とクリーム10号
新幹線0系開業と581・583系の色は微妙に違うけど>>131の
言うようにイメージした色なのだから一般人には分らない。
そういえば故星 晃氏の文献でもそのような事が書いてあった。 基本的な特急の塗装を踏まえたまでで、別にわざわざ0系をイメージした色ではない >>148
Wikipediaの583系でググるとこう書いてある
塗色は(中略)当初は新大阪で東海道新幹線に接続するため新幹線と共通するイメージを持たせた なんか、どうしても0系由来でないと困る人がいるみたい。 なんか都合のいいように切り取って、あたかもそれが理由であるみたいなレスしてるけど、
「塗色は在来特急車の窓周り赤色(赤2号)に代わって窓周り青色(青15号)とした。この色は20系客車などの寝台車に使われているものと同じであるほか、当初は新大阪で東海道新幹線に接続するため新幹線と共通するイメージを持たせることも考慮された」
全体読めば、あくまで副次な理由に過ぎないのはわかるのに>>149の恣意的な書き込みはなんだろう? 昨日、10系についてドヤ顔で住人を馬鹿したレスでも、旗色が悪くなると急に同情するレスが出て来たし、今度は、そいつの0系の見解に不利なレスが続くとまた必死なレスが出て来た。
ID 変えてご苦労だねw wikiその引用元が鉄道ファンが情報源というのがなんとも頼りないな
もう少し、どこかにしっかりとした情報はないだろうものだろうか 520×1900×600の空間は、子供にとっては十分快適だった。
大人になってからは700mm二段か個室にしか乗ったことが無い。 >>131
>>147
>>149
その続きは予土線関連スレでやれよwww いっそ583系は481系、485系と同じ塗装の方が特急らしくてよかった
最初は583系に特急色は似合わないと思っていたけど485系原色ムーン
ライトえちごや急行能登の原色489系が使われ以外に夜との相性もいいと
思ったのは俺だけか? 583は0系のコピーだの、赤が良かっただの
なんでこんなに荒れるやら? 大阪で銀河を待ってるとき、入線してきた581系電車(列車名は忘れた)を見た幼稚園児くらいの子が、
ねえ、これ新幹線?この新幹線に乗るの?と親に訊いてた。
581系は0系のイメージを…説はその子には有効だったようだw 総合板の粘着保守同様、ここにはここの粘着w
まあ、どこにもアホはおるよ 行きはつかり485(〜北海道はでっかいどう〜)帰りみちのく583だと昼間特急なのにおやって気持ちになったり
昼間は重心の関係で変な揺れの583だけど広々してた、ブラインドカーテンも珍しい感じ
そして東京に近づくと空が赤黄色い、空気か汚いんだろな 青函連絡船の上り深夜便を下船して青森駅ホームに降りると大阪駅行きの上り特急白鳥(483系)と
上野駅の特急みちのく(583系)が並んで停まっていたシーンが想い出として甦る。自分は都内に
住んでいたので帰路は特急みちのくの利用が多く、特急なのに4人ボックス席だし、天井が異様に
高くて収納した中段寝台と下段寝台が頭の上にあって重苦しい感じがして好きにはなれなかった。
必死になって583系を擁護する人が見受けられるけど寝台でも座席車でも583系は避けていたよ。
寝台特急になるとはくつるはマキシムで飛ばすからリネン類が入ってる場所のシャッターが高速
運転の横揺れ現象でシャッターが煩くてなかなか寝れない事があった。それなので583系の急行
津軽やきたぐには一回も乗っていない。 訂正
×高くて収納した中段寝台と下段寝台が頭の上にあって
○高くて収納した上段寝台と中段寝台が頭の上にあって 583って、昼夜両立の運用や効率を狙った分、設備的には中途半端になってしまったね
輸送力が不足してた時代の産物の感がなくはない
構造上、客車みたいに2段化改造も無理だろうし >>166
> 構造上、客車みたいに2段化改造も無理だろうし
サロネ581「あ゛?」 >>164
「はつかり2号」は使わなかったのですか。
あの狭い座席で上野まで8時間乗り通すのもそれはそれでしんどいが。 >>169
急行あおもりになる前の日本海51号なら20系で乗った事がある >>168
特急みちのくの次発だった485系の特急はつかり2号でも青森から上野ロングランした事があるけど
狭かったし、200番台以降でないと簡易リクライニングシートがなかったので0番台などは避けていた。
北海道ワイド周遊券or道南ワイド周遊券は新潟回りも可能だったので帰路のみ青森から特急白鳥で
新潟に出て特急とき(181系と183系)の乗り継いだ時もあるし、秋田まで白鳥に乗ってそこから秋田
始発の特急いなほで上野まで乗った事あった。特急いなほは特急つばさと共通の秋アキ車1000番台で
乗り心地もよかったけど上野駅に着くのが夜だった。 >171
1990年から1992年にかけて新宿−秋田間で運転された臨時急行あきた、編成は
編成はオハネフ25+オハネ25+オハネ25+スハフ14+オハ14+オハ14+オハ14+
スハフ14の8両編成で運転 >>172
「はつかり2号」が青森発4時50分で、「みちのく」は3分後の4時53分じゃなかったか。
昭和53年10月改正。 ゴッパの青はブルトレ(=寝台特急)、クリームは電車特急の意味じゃないの?
新幹線とか聞いたこと無いな。 基本的にはそうなんだろけど、それを認めたくないのが約一人居てID変えて暴れてる模様 >>172
「みちのく」のほうが常に停車駅が多かったけど先発していたのか? >>174
勤務先から帰宅して詳しい資料を見てみたら自分が乗った時は青函航路12便と2便に接続して
いたのは青森4:50発の特急はつかり1号と青森4:53発の特急みちのくではつかり2号は青森駅
を9:00に出る特急になっていました。因みに1973年12月号でこの時期の事を1978〜1979年の
事がごっちゃになっていますが>>172の文中に出てくる特急つばさはキハ181系、いなほは
キハ81系で運行していました。
北海道〜本州方面乗換え時刻表https://dotup.org/uploda/dotup.org1470037.jpg >>178
何となく話が噛み合わないと思ったらそういうことか。
>>174が書いているのは上りも下りも1号2号の時代だから、「はつかり2号」は2本目の上野行き「はつかり」、当然「みちのく」より後。
自分は偶数が上りと決められて以降のつもりで書いてたから、「4時50分青森発の『はつかり』には乗らなかったのか」と聞けば誤解もなかったかな。 >>175
ゴッパの青はブルトレ(=寝台特急)、クリームは電車特急の意味じゃないの?
新幹線とか聞いたこと無いな。
星晃氏がどこかに書いてたような気がする。
RJだったか、単行本だったか・・・ チェリッシュだっけ、はつかり号は北国へ
食堂車で帆立のグラタンでも食べてモチツケ >>178
そのURL見たけどゆうづるやはくつる、あけぼの、出羽に食堂車が連結している
夜行ではないけどいわて、もりおか、まつしま、ばんだい、あずま、いいでの
急行に食堂車が付いてる。ビュフェの時代なら知ってるけどすごいな。
>>183
帆立のグラタンは日本食堂青森営業所が担当する特急なら食べられたような? >>184
あのマーク、食堂車じゃないだろ。
とはいうものの何だっけ? >>184
ビュフェでなくてビュッフェだよ
buffetはフランス語の発音ではブッフェだったと思う
時刻表に掲載のビュッフェはティーカップに皿がマーク フランス語の「u」の発音は日本語には無い。
口を尖らせて、その形のまま「イ」の発音をしてみそ? ビュッフェとうきょうと言うのもあったしのう、まあどっちでもいいけど
深夜にレチが来て乗船名簿紙に記入してると一抹の不安と本州北海道にさよならの侘しさ 時代が違うとはいえ、夜行列車でビュッフェなんて営業するかね? 昔の夜行急行には食堂車やビュッフェも連結されていたよ
夜行急行の食堂車はオシ17が多かったけど夜行急行電車は
ビュッフェの連結が主だった
ttps://blogs.yahoo.co.jp/orofure2001/GALLERY/show_image_v2.html?id=https%3A%2F%2Fblog-001.west.edge.storage-yahoo.jp%2Fres%2Fblog-33-7f%2Forofure2001%2Ffolder%2F572475%2F01%2F12025701%2Fimg_1%3F1512910268&i=1
上のURLには急行十和田2号・3号に食堂車のマークが付いて
急行いわて1号にはビュッフェのマークが付いてるのが分る
夜か朝に営業しない列車なら時刻表にマークつけないから 大昔の「はくつる」が宇都宮まで食堂車の営業してたとかジャーナルで読んだことある。
編集長がウナギ食った由。 >>194
コンビニがなかった時代夜に食料を調達するのは困難だった。
駅弁屋と立ち食いうどんは早じまいだし、キオスクは開いていても売ってるのは菓子パンや土産用饅頭
近隣のスーパーだって19時頃閉店だった。 駅弁屋はそんなことないだろ
列車に合わせて調製していたというし
大垣夜行で静岡で弁当立ち売りしてたって話もある 夜行列車に合わせて深夜や未明にホームで駅弁を売っていたのは一部の駅だよ
旭川、函館、青森、一ノ関、酒田、福島、郡山、原ノ町、平、静岡、福知山、高松
鈍行夜行相手だと函館(41レ)と静岡駅(747M・344M)に福知山(山陰)が有名 一部訂正
函館(43レ)と静岡駅(347M・344M) 夜のキオスクでの食料調達
三色パン、ザラメ砂糖のドーナツ、ポテトチップ
あとはおつまみで空腹をしのいだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています