>>36 都電のネットワークが大体完成した1940年頃だと、下北沢や蒲田周辺はまだ住宅がそれほど建て込んでなかったからね。
その代わり、都心、下町に密集、風呂なし、共同トイレの狭小な長屋に住んでいる者も少なくなかったわけで。
戦後復興期を経て昭和30年代前半となると、都電廃止し地下鉄やバスに転換する構想が本格化。
その当時でも、西武池袋線なら石神井公園辺りまで行くと田畑が広がっていたわけだが。
要するに、昭和30年代になって山手線より外側に都電の路線を延長させる予定はなかったってわけで。