最近見なくなった光景 増28号車
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【世界教師マ@トレーヤ】 ニート親子共倒れ、トレーダーはビルから投身自殺、貧富ダブルノックアウト
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1539828384/l50
株式をギャンブルにして企業経営を不安定にして失業者を増やした投機家は、その報いを間もなくうける! ききわけのない女を張り倒して背中を向けてタバコを吸う男 >>802
>>14の、動きはじめた汽車に飛び乗るは「喝采」の歌詞やんか
ききわけのない女を張り倒すという歌は無いと思うが、背中を向けてタバコを吸う男は有りそう >>798
大丈夫。日本共産党の演説会があれば、必ずがなり立てて妨害しに来るから健在だよ。 >>812
新木場での赤旗まつりで、街宣車が路上にいっぱい居たのを見たことがある
共産党員ではなく、なんとなく祭りを見たいという人間が、あれを見たら入りたくなくなるな 昔みたいなゴテゴテの装甲車まがいな外宣車が鳴りを潜めて観光バスそのものだったりアルファードみたいな
ミニバンそのまま外宣車だったりも増えた。
狭い道で道を開けてくれた車に「あっどうもありがとうございます」とかマイクでやってたよ。 >>814
それ何という吉澤ひとみへの皮肉(>_<) >>814
鳥肌実の街宣車を見た時、最高に笑った
だって、軽自動車なんだもんwww >>814
お巡りさんやアカには思いっきりいくけどな。 >>814
神奈中の観光バスのカラーリングそのままの街宣車を見たことがある ナンパする男共
最近はネットで出会い求めるヘタレな男ばかり >>768
大日本製薬って実績すごいよな。ヒロポン、サリドマイド、薬害エイズ、肝炎・・
いまだに薬の検索サイトにヒロポンと入れると引っかかるんだけど、なんのために
あるんだろう?
http://www.info.pmda.go.jp/go/pack/1151001F1020_1_02/1151001F1020_1_02?view=body
大日本製薬は国会議員にも金を配り、医師薬剤師にも圧力かけてたから誰も告発
出来なかった話きいたこともある。
人工血液なんてのも企んでいたみたいだね。 >>823
現在でも限定的ながら厳重な管理の元で医薬品として使用されている模様 KINCHOは今でも正式名称は「大日本除虫菊」らしいね。 美空ひばりが出演のコマーシャル 「金鳥の夏、日本の夏」 コレを見たことが
無い人は居ない。というくらいイメージが脳裏に焼きついている。昭和12年生まれ
だから生きていたら81歳のお婆さん! 平成元年に52歳で死んだ時も今の52歳平均
的な女性に比べると落ち着いていた(老けていた)ナア・・・
浪花千栄子・三宅邦子の「宅ではオロナインを使っていますのよ。」の宣伝もよく
覚えている。 古い話を挙げて実にスマソが 歌手 東海林太郎(赤城の子守唄・国境の町)が74歳で
死んだ時も、今の74歳に比べたら15歳位は老けていた。大阪万博 昭和45年に54歳で
死んだ岡晴夫も今でいう67歳くらいに見えた。現在の人は総じて元気だナァ・・・
今では街中で子どもの姿の方が珍しくなった。 オレの小学生時代(S43年頃)には
「あいつの家には60歳のお爺さんが居るそうだ。皆で放課後に見に行こう!」といって
5、6人で珍しがって見に行った。名実ともお爺さんだった。オレは「お爺さん・お婆さん
は田舎に居るか、桃太郎・舌切りスズメの童話の中のもの」と思っていた。・・・・ 桃太郎の童話で思い出したが、川で洗濯をしているときに上流から流れてきた大きな桃を
持ち帰ったお婆さんは現在では「占有離脱物横領罪」にどこかにカキコがあった。www
笠地蔵の童話で雪の降る年末に売れなかった笠を道中のお地蔵さん達にかぶせて帰宅
した深夜、老夫婦の家に訪ねて来たのはお礼品を持ったお地蔵さんではなく、役所の人
で「あんな事をしてもらっては地蔵を設置した作者の意匠に反する、直ちに撤去するように」
wwww これは先日、岡山駅の北側の桃太郎に服を着せた人が実際に市役所から言われ
た話だ。時代も変わるナァ・・・ 続きのカキコでスマソ。時代も変わる小話を・・・
今から9年前に仕事でストレスを抱えて誰かに当たり散らそうとしてチャリで走
って居たとき。天王寺近くの国道で警察がパトカーを留めてネズミ捕りをして
いた。道路沿いの女子高校と運動場を挟んだ小道路に5〜6台を止めていた。
オレはレーダーを出している横で、チャリを止めて見ていると 私服ポリが
「何か用事か?」という「何してるか見てるだけだ。みたらあかんか?」と言うと
「あっちへ行け」と偉そうに言うので。「コラァ〜 あんなとこにパトカー5台も
6台も止めやがって、駐車違反やないか〜」と言えば「正当な業務だ!」と言う。
オレは「アカンアカン アレはアカン」と言えばポリが掴もうとしてきたが、
着けているヘッドホンが邪魔して掴めなかった。そのときはそれで帰宅して、
1週間後にまた現地へ行ってみたら、パトカーは1台に減車され、さらに次の週に
行ってみたら、同じくパトカーは1台だけで、周囲に赤色の三角コーンを幾つか
置いて、後ろには三角の反射板を置いていた・・・反省したのだなァ・・・ オレが警察に言いたかったのは、5、6台のパトカーを止めていたことではなく、
横道の女子高から運動場へ渡る横断歩道の5メートル以内に2台、角の曲がり
角から5メートル以内に1台・路面上の消火栓の真上に1台を駐車の「法定駐車
禁止帯」には警察車両と雖も、緊急時以外だったのでアカン。また道路を車庫
代わりに使用した違反行為を咎めたかったのだ。 あれからしばらくして、そこ
でのネズミ捕りはしなくなった・・・ オレに「何か用事か?」と言ったポリ、
皆に叱られた事だろう。「お前が要らぬことを兄ちゃんに言わなければ皆、車で
資材を運んで、相乗りで乗って行けてただろうに!」と コレで最後、時代が変わったという話。鉄道の踏み切り部分から少しでも線路内
へ入ると、今は不法侵入罪になること。オレガ中学時代は線路傍で友人と野球を
やっていてよく線路に入ったボールを取りに入っていた。すぐそこに踏切警手小
屋が有って「入るな」と怒られていたが「ボールが入った」で済まされていた。
悪い時には「ボールが入った」と称して10円玉を線路上に置いて電車に轢かせ
ていたナァ・・(近鉄電車の河堀口〜北田辺の50年前の思い出・・・・ >>831
40年位前の小学生の置き石で京阪電車を脱線させた事件を思い出したわ
関西は線路に簡単に入れる雰囲気があったんだな >>832
置き石って言われているけど、置いたのはバラスト程度の石ではなく
側溝の蓋くらいの大きさだったんじゃなかったっけ?
ただの石なら車輪がはね飛ばすか踏んづけるかで済む話だし。 >>833
ああ、調べた
U字型側溝のコンクリだったみたいね
関西の事故なのに、新聞一面に事故現場の写真がデカデカと載ってて、事故の重大さに驚いたのを覚えている >>833
昔 昭和52年頃 宇部線の旧国の先頭にかじりついていて前を見ていたら、居能の辺り
、川を越えるため勾配を登った所で線路左右の両方にバラストの置き石が有った。速度が
出ていなかったのと発見が遅れたので其のまま車両が踏んでしまったが、「バリバリッ」と
固い音がしただけだった。停止して点検はせずに宇部駅へ走行していた。 「ヤンボー・マンボー天気予報!」 「テツちゃんテツちゃん カネてつちゃん
竹輪と蒲鉾ちょうだいな〜」のCM 「何も言わずにこのままそっと、汽車に乗ろうと思ったものを、駅の喫茶の公衆電話
いつかかけていたあ〜、莫迦ね 莫迦だわ私の未練 さようならあ〜 さようなら〜
公衆電話の最後の言葉〜」歌手 松山恵子 お別れ講習電話 八百屋等を主とした食品店の「本日 大勉強」という表示。子どものころ、大人になっても
勉強せなあかんのか、と弱気になったのを覚えている。勉強が必要なのは高校までだ。と
思っていた。 某私鉄駅ホーム横の踏切で小坊が置き石、そこへ電車が到着、置石した小坊は見ている、運転士は気が付き電車をゆっくりスタートさせ、ガリガリと石を潰して何事もなく走り去って行った。もう50年位前のおおらかな時代。 >>831 をカキコした続き、踏切警手の目を盗んで「ボールが線路に入った」と称してレール
の上に10円玉を置いた者だが、河堀口からカーブを曲がって来たのが、新車ラビットカー
だったので車両が軽いのを嫌がって、吉野行きの20メートル旧型鋼製車の重たい車両に
轢かせたくて再びレール上より除去し、置きなおすような余裕・気持ちがあったのが、今
考えると不思議だ。 同じような頃、阪和線南田辺北側の、高架が始まる付近では1円玉を
レールに置いて、クモハ60が轢くのを見届けようとしていたところ、石でもないのに阪和線
の運転手の顔がレール面を注視してこわばっていたのが、今でも覚えている。 あれから
48年経った今でもゴメンネ! 続いてのカキコ。幼児のころ、父親が真白いハンカチに棒を付けて「コレを振れば
踏切のおっちゃんだ。と言って一緒に遊んでいた。飽きると、今度は大きな赤丸を
書いて日の丸の旗だ。と言っていた。今では祝日どころかお正月でさえもどこの家
も掲揚しなくなったが・・・ あの頃は近鉄百貨店最上階の大食堂で「お子様ラン
チ」にキチンライスの小丘の上に日の丸旗が立っていた、それを食べるのが楽しみ
だった。 >>841
やっぱり雄ガキかな。
少女ならイタズラした罰でイタズラしちゃうよ。 「ナイター」 → 「ナイトゲーム」
「スロービデオ」 → 「リプレイ」
「ストッパー」 → 「クローザー」
他にある? 「アベックホームラン」→「(ただの)連続ホームラン」 ホームから「くあああ、ぺっ!」と線路に向けて痰を吐くオヤジ
仁丹臭いオヤジ
ポマードべっちょりオールバックオヤジ
傘でパターの練習をするオヤジ 加藤ロ(あきら)黒川木徳証券絡み仕手・是川銀蔵(是銀銘柄)・岩本栄之助
中之島公会堂を寄付 俺は偉人だなァ・・・と思う
今は個人で仕手相場を張っても、システム売買で思うように値が飛ばない。
昔はJRは1000円単位で値が動いた。今は100円単位 他の普通銘柄は
1円で1000株単位だ。今は100株10銭単位。面白くない・・・・・
つり掛け音が聞けない鉄道のようなものだ・・・・ 「証券レーダー 北浜ホットライン」大阪毎日放送が毎朝10時50分からやって
いた。司会は高井智彦・広瀬允昭・風間淳子 放送の最後に・・提供は、「摂丹証券・篠山証券・播陽証券・神栄石野証券 以上日本証券業協会大阪地区協会加盟
各社は今日も躍進しております。」の字幕。懐かしいなァ・・・ 「ディスコ」→「クラブ」
「ハードロック」→「ヘヴィメタル」 「クロスオーバージャズ」→「フュージョン」もあった。 B面ヒットなんて完全に死語だな。そもそも、A面、B面の説明から始めないと若者には理解できん。知床旅情に学生街の喫茶店とか。 >>848
アベックホームランってのは同じチームの2人の選手が1試合でそろってホームランを打つことだから
連続とは限らんぞ 19の坊やと某テーマパークに行った時、蓄音機のギミックがあったが説明するのに苦労した。 昔の歌で「女郎屋通いを自慢するー」なんて歌詞があったが、女郎屋って何なのかよくわからない >>861
かまやつひろし「我が良き友」の歌詞かな?
女郎は吉原を題材にした時代劇を見ればいい フランク永井「恋のビジネス特急」
曽根史郎 「公安さんだよ」
こういうのは両A面? 西田三郎商店(破産 昔から北浜の証券取引所前に在った まじめな正規の先物取引会社)
だが、炭屋・薪屋・氷屋 その他の個人商店や小会社に冠されていた屋号の店・看板
○○順太郎商店とか・・・・・ そこは、渡邊與助商店だな
少しは鉄道に関係ある話題をしろ >>874
確かにサラ金のネオンって一時期より見なくなった
CMもあまり見かけないし サラ金も大手都市銀行グループになって昔みたいに無茶なことできなくなったね逆に大手都市銀行で操作ミスでうっかり◯ロミスで借りそうになったことあるw >>876
むしろ逆じゃないかな
規制が厳しくなって、と言うかまともになってサラ金が単独での生き残りが難しくなって
銀行傘下に入るしか無くなったんだよ 銀行が個人向けカードローンの審査・回収をサラ金に丸投げしている。
おまけにサラ金は総量規制で年収の三割迄しか借りられないが、銀行ローンは総量規制されていない。 >>876
サラ金も借りようによっては、預貯金を下ろすよりも良い場合がある
時間外手数料を取られて預貯金を下ろすより、サラ金を借りても期間内に返せば無利子 >>873
そこは、渡邊與助商店だな
少しは鉄道に関係ある話題をしろ
オレにだけ言うな!! みんな音楽や、サラ金のカキコしてるじゃないかい。
なぜオレにだけ言う? いっそのこと、JR西日本商店。または日本国営西日本商店。
超高速度特急商店にしたらどうか。現在90歳位の人でも、何を商っているか
明瞭で親切だ。 登記所の定款に「旅客輸送サービス、貨物輸送サービス・
その他付帯事項に掛かるサービスの提供」
輸送サービスは、生産される場所と消費される場所が同一の地点でなければ
ならない。また生産される時(瞬時)が消費される時(瞬時)である。
生産者=運転士 消費者=乗客 で移動しながら生産・供給・消費が同時に
行われている。 また将来の消費を見込んで予め生産して置く事が不可能であ
る。年末の賀状のように前もって生産してストックして置く事が出来ない。と
いう特性の点から輸送サービスは(即時財・瞬時財)とされる。朝方、夕方の
ラッシュに大勢の乗客が見込めるからといって、事前に早くから車両を走らせて
ばかりいても全く意味を成さない。(駅ホームで注文を聞いて作る駅そば・うどん
にかなり近い。←これは2、3分時間的ずれが有ってもよいが、場所は同一地点
であることを要する)
鉄道輸送・路線バス輸送は殆どが既製服の発売と一緒である、オーダー服によ
く似たものはハイヤー・タクシーによる輸送である。これは行き先を聞いてか
ら輸送サービスを作る。 オーダーメイドの輸送サービスは バスならば一般的な観光旅行バス、鉄道ならば
団体臨時・宗教臨時があるが、こちらは予めそれ用のスジが引いてある、従って
100%オーダーメイドとは厳密には言えない。昔は個人旅行の場合、JTBなどで
宿泊の希望等を聞いて旅館・ホテル・列車を組み合わせてプランを作ってもらい、
乗車券を購入していた。そういった意味ではオーダーメイドの輸送サービスとも言えよう。 京阪沿線のデパート
天満橋の松坂屋、北浜の三越など 定期乗車券の運賃が普通乗車券のそれよりも割安なのは、商品大量購入者の方が
商品代金が安くなるのと似ている、魚屋で秋刀魚1匹200円ならば、3匹では450円と
なる場合が多い。 しかし、朝夕の満員ラッシュで立って乗車しても、昼間に座って
乗車しても、同じ運賃というのは不公平な感が強い。 上記の輸送サービス(即時財)とよく似た(場所・時間的な)ものには、講師に依る講演。
僧侶による読経があるが、これはテープレコーダーを使用すれば、場所、時間の多少の
ずれを補うのは可能であるが、有り難味がなくなってしまう。 また通勤輸送サービスへの需要は非弾力的であり、一般輸送サービスへの需要は
弾力的である。観光輸送サービスへの需要は極端に弾力的となる。
(弾力的とは運賃の値上げに対して、需要が変化的で減少する。非弾力的とは運賃の
値上げに対して需要があまり変化・減少しないことを言う、たとえば観光旅行は運賃が
2倍になれば需要が10分の位に減少するが、通勤・通学は運賃が2倍になったからと
いって、会社や学校を辞める、変わるということが殆どない) そこで前記の各段においてはこのスレの本題とは外れたことばかりを記したが、最後に
本題の「最近見なくなったこと」として(かなり以前に見なくなったこと)を記する。それは
鉄道輸送が国内の旅客・貨物輸送を独占していた時代の名残として、貨物運賃の10
等区分制度である。 近時の一般的貨物輸送においては(クロネコ・佐川)において
同一の距離であればその重量・大きさのみで決定され中身を煩く問われることは無い
(有っても割れ物か・植物か その他参考に記入する程度)が昔は同じ距離を鉄道輸送
する場合はその中身が詳しく問われた、同じ距離を輸送するにも、石炭、米、麦わら、
鉄鋼、ダイヤモンドとその内容により10等級に分かれていたことを忘れてはならない)
それはその輸送物が負担でき得る金額により、変化を持たせていたものである。 都市部における大盤振舞い 擬制キロ運賃
都市部である東京山手線内・大阪環状線内の運賃を低減する制度として、実際の
営業キロを割引した「短縮キロ」が1942年4月 - 1961年3月に制定されていたことも
あった。例えば、東京駅 - 上野駅間が実際の営業キロ3.6kmのところ、2.1kmで計算
されていた。これは同区間内の運賃表を別に設定することにより廃止された.
大阪環状線は地下鉄と競合する区間であるために 大阪〜天王寺10.7kmを5.0km
だった。たしか大阪環状線は戦前からこうだった筈。
(↓以下は参考、換算キロ・擬制キロ・運賃計算キロ )
その後、電車特定区間の制度と換算キロ・擬制キロは、営業キロに賃率比 (1.1) を
乗じて算出する(小数点第2位で四捨五入)。賃率比 (1.1) は、1997年4月1日以降、
(JR東日本・JR東海・JR西日本)の地方交通線の第1地帯の賃率17円80銭/kmを、
幹線の第1地帯の賃率16円20銭/kmで除した(小数点第2位で四捨五入)ものである
。JR四国・九州以外で地方交通線のみを利用する場合の運賃は、地方交通線の営
業キロで地方交通線の運賃表に当てはめて算出する。となっている。 上記に記した諸々の事項は、川島冷蔵庫の得意とする話である。TVに出演している際は
こんな話をしたことはないが、東海大学で彼の授業を受ければ一通りの説明がある筈で
ある。勿論小生は別の学校の講師について習った。
交通輸送サービス(用役)はストックができない。他の工業製品や、シーズン到来のために
製造するビール等のように需要を見越して予め生産して倉庫に置いてはおけない。また生
産地と消費地が遠隔に離れたものではない。(場所的一致が要求される) 交通業はその
特異性からくる職員・要員配置が必然となるが、しかし民営化以前の国鉄は他の産業に
比べて職員数が多すぎるだの。と特にマスコミを通じて批判ばかり受けていたのは気の毒
なことであった。 >>871
出入り口の落書き「右を見ろ」
右側の壁の落書き「左を見ろ」
左側の壁の落書き「トイレの中できょろきょろするな」 ハロウィンにブリーフ1枚とマントで参加して「安心して下さい。はいてますから。」と言いたい 正面の落書き「右を見ろ」
右側の壁の落書き「左を見ろ」
左側の壁の落書き「前を見ろ」
正面の落書き「きょろきょろするな」
だと意味怖(意味が分かると怖い話)になるな。 駅前の大谷石でできた蔵を持つ運送屋というのも、あまり見なくなったような。
先日、烏山に行ったが、ここにはあった。で、今はAccumの充電用装置が置かれている辺りに、SLの転車台があったのかなと。 鉄道旅行をすれば荷物扱いをする駅には必ずと言って良いほど有ったもの、
それは黄色い壁に大きな赤丸・白抜きの文字で「通」と書いた建物や小屋。
それは日本通運であった。昭和12年に日本通運法により全国の鉄道荷物
を扱う中小業者も統合して、設立された国営企業だった。戦後の昭和25年
に民営企業となった。 バブル経済の頃、マルツーと称され「全国の駅前に
多くの土地を有するとして再開発・資産的評価だ。」と囃されて東京湾岸
に工場を有する東京ガス・東京電力と共に株価は大きく上昇していった。 >>896
>それは日本通運であった
日通とは限らんけどな >>898
誰も「駅前に全部あった物が日本通運であった」とは言っていない。
文章の読解力が無いのか? え!
黄色い壁に大きな赤丸・白抜きの文字で「通」と書いた建物や小屋が日本
通運であったといっているのだ!! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています