廃線跡をたどる
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線路の残る路線、道になってしまった線、断片的な遺構の残る線、等々。
語り合って面影を繋いでいきましょう。 横浜みなとみらいの貨物線跡
20年位前まではかなり残ってた 科学万博の少し前、荒川沖から陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地に行く線路はもう使われてなかったが、かなり残っていた。
駐屯地前の貨物積み下ろし用のホームや踏切の跡などがあった。 >>5
なるほど面白そうですね。
以前ローカル局で中川礼二が廃線跡をたどってたな。
あれはどこの線だったか。 >>3
山下公園内のスロープは“汽車道”が整備される頃まであったのかな?
末端〜埠頭への繋がりを確認しないうちにブチ切られてしまったな。
あとたまたま歩いた東高島駅の踏切そばに石積みガーター橋があって、なぜこんな場所に…と驚いたわ。
昭和30年代半ばまで東神奈川から南に貨物線があったのね。
航空写真ならなんとなくルートは判るが、京急との交差をどうしてたのかちょっと不思議。 長く残ってた横浜ドリームランドモノレールの廃線跡もなくなってしまった >>10
廃線跡といっても遺跡はプラットホームだけじゃないかな。
そこまで奥に一般者が立ち入れるかどうか。 北鉄加南線の廃線跡を歩いた時、山の中の線路跡を辿っていると、道端に何やらダンボール箱が置いてあって、何気に開けてみたら、なんと捨て猫が5〜6匹、それも子猫!
誰だこんな所に捨てたのは…!
歩く後をミャーミャー鳴きながらついてくるのだが、時々前に回るのがいて、うっかりすると踏んづけてしまいそうで「頼むから前には回るな〜!」と言ったところで聞くわけでなし…。
荒木の辺りまで歩いて、ようやく人のいる所にさしかかると子供が寄ってきて「わー可愛い!この猫どうしたの?」と聞いてきた。
かれこれこーゆーわけで…と説明すると、猫ちゃん達と子供達が遊び始めたから、そそくさとその場を離れた。
あの時の猫ちゃん達、その後どうなったか…。
そんなわけで、拾ったも同然の捨て猫を、体良く知らない子供達に押し付けてばっくれたのは私です。あの時の荒木町の子供達、どうもごめんなさい。 紀和〜新在家(和歌山機関区)間の旧和歌山線跡は
建物が建って影が薄くなっているが、紀伊中ノ島駅
本屋跡や阪和線との交差部分にまだ面影が残ってる。 碓氷峠の旧線を探索するのに、横川から登る形で歩いたから、結構しんどかった。
後で思ったのだが、軽井沢から降りる方が楽だった。
まだ信越本線の横軽間が現役の頃の話。 都心部の廃線といえば、東の東横線横浜ー桜木町と、西の片町線京橋ー片町ですね。
どちらも、メインルートが他線に移ってしまいましたね。 >>17
東横線は手前の東白楽〜横浜地上部も忘れちゃいかん。
手が加えられた遊歩道だが、複線トンネルや跨道橋などかつての車窓は偲べるよ。 >>17 新宿ゴールデン街辺りの都電の廃線跡や、京王線、初台・新宿間の地上線時代の名残もあるぞ。 俺は長野の池田鉄道が好きだな
大昔に廃線になったのに未だホームが残ってるって何か味わい深い 12月にBSプレミアムでやっていた内藤大助の大冒険という番組の第5回が、アメリカのニューファンドランド島にあった鉄道跡をマウンテンバイクで辿るという企画だった。
海外の廃線跡をじっくり見られる貴重な機会だったが、岩の多い島の山々を削って16年もかけて敷いた鉄道が、廃止され線路はほとんど道になってしまっている。
運営当時の関係者が今も生きていて色々な苦労を証言してくれるのを聞いているうち、もったいないというか惜しい気持ちになったよ。 その鉄道は1067mmゲージでね。
アメリカ製電気式ディーゼル機関車の天国だった。
日本にも釧路で今だに活躍している奴の兄貴分と見ていい。
優秀機だが、国鉄は存在さえ無視して試作機ナンバーを与えたり試験したりしようとはしなかった。
DD51の低性能が露見して、国産化、量産に水を差すだけだったからね。
貿易障壁とは、こう言うものだ。 東京モノレールは1993年のビッグバード開設以前の、旧ターミナルの羽田空港駅が埋まってるんだよね。
鉄ファン誌だったか、ショベルローダが土砂をホームやレールの堀に積んでいる、ショッキングな写真が記憶にある。
現・国際ターミナルの西側、環八の新道の地下にトンネルやホームが埋まってるわけだ。
その1993年に延伸開業した部分も、2010年秋に国際ターミナルが今の場所に移転した際、道沿いから大きく迂回したので一部が廃線となった。
解体撤去には半年以上掛かってたと思うが、そびえ立っているコンクリの脚や桁が徐々に消えていくのは異様な光景だったな。
見上げ見下ろされながらの並走が楽しかったんだけどね。 北鉄能美線の廃線跡は比較的辿りやすく、僅かではあるが線路跡が残り、後は歩道整備がされているものの、駅名票のレプリカが駅ごとにあって、周りの風景と相まって往時を偲ぶ事が容易にできる。
距離的にも歩きやすいが…もし途中で挫折した時は、バスの便がないので要注意。 かの武州鉄道跡が岩槻〜埼玉スタジアム付近に点在するのはご存知のとおり。
目白大学正門通りもそうだとよく紹介されるが、入り口の交差点北側に個人の畑を挟んで築提らしき雑木林があるのよ。
航空写真で見ると南北へ続く延長線上だから廃線跡に間違いない。
とはいえ私有地をかすめる完全なブッシュだから、さしもの平沼氏でも入らんだろう。 大島一丁目(現在の大島四丁目団地)ー亀戸(旧サンストリート)の都電跡や、北砂の越中島貨物線跡(単線化による余剰分)など、江東区は廃線跡の宝庫。
また、どちらも、廃線跡が公園や遊歩道になっているため、かつて線路があったことを印すモニュメントがある。 1985年の映画「赤毛のアン」撮影時には
舞台となった駅と路線はもう廃止されていたんだっけ?
CNが当時プリンスエドワード島の旅客営業から
撤退していたことは分かっているんだが… >>17
横浜のはずれだが、神奈川臨海鉄道本牧線、高架道路工事でかなり埋まってきた。 日光の馬返しが、いつの間にかなくなっている!
いつなくなった? >>35
10年前にはトイレだけになってたよ。
最後に行ったのはいつ? 荒川沖から霞ケ浦駐屯地までの路線、廃線になった後も85年頃まではレールが路上に浮き出たままになっている所があった。バイクだとスリップし易かったのでは?
路面電車の廃線の場合、レールはスリップ事故の原因になりやすいし錆びるからすぐ撤去するのだろうが、枕木や道床はどうするんだろうか?問題なければ、そのままコンクリートで蓋しておくのかな? >>35
もしかして明智平のケーブルカー駅の事?1月20日頃壊してたらしいよ。 >>36
30年くらい前かな。
>>38
違うけど、そっちもないのか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています