【最南端】南薩鉄道・一草目【薩摩湖】
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利用客はやはり伊集院から遠くなるほど少なくなってたわけ? >>32
基本的にはそうですね
やはり国鉄幹線に近いエリアは乗降客が多いですし西鹿児島からの直通列車も走っていましたので 桜島YHが廃業を決めました
南薩鉄道愛好家諸氏には懐かしい吹上浜YHも遠い昔となりにけり 間もなく廃止から35年目の春です
思えばハイティーンだった小生も五十路となりました
伊集院、日置、伊作、加世田、枕崎
かつての主要駅も様変わりしてしまいました 関西にある某模型店の御主人さま
自転車道は吉利・永吉付近を近所の御高齢者の皆さんが朝夕の散歩に使っております
が他の区間は人気も無く雑木や竹の枝が伸びて(やや)サイクリングには不向きな状況になりつつあります
白亀陸橋付近は辛うじて2000年頃の状態を保っていますが あの赤い気動車が走らない平成が間もなく終焉を迎えます
この30年間に鉄道跡は変貌はげしく痕跡探しも苦労が増しています
因みに加世田の小湊に九州最後となったうどん自販機が健在です
廃線巡りの際には是非とも御賞味ください 時代は令和となりましたが私たちの南薩鉄道は永久に不滅です >>39
亀だけど阿久根商店かい?
バーガー自販機はもう無いの? >>43
回答遅くなり恐縮です
はい「阿久根商店」です、バーガーは休止となって久しいです >>45
おお、ご丁寧に有難うございます。
バーガー自販機休止になってしまっているのですか・・・
当方関東住みで鹿児島交通線知識でしか知らないのですが
興味あったので覗いたら興味深いレスが有ったので。
鉄壊板で自販機バーガー&麺類自販機の話が出来るとはw 廃止前は保線が1人しかいなく、枕崎〜伊集院を1人で歩いていたとか。
その保線の方も廃止前日にリストラされ、廃止日には立ち会えなかったとか。
保線の費用はすべてグループのホテル建設費に消えた模様 オークションで記念展の時に販売された缶バッジやクリアファイルを売るのは止めましょう
惨めなだけですよ ついに…RMライヴラリー
南薩鉄道・下巻 買った
もちろん最初に買った上下巻を保存用とし徹底的に読み込む「ボロボロ」になってもいい
気持ちで買った訳だが表紙のキハ300形を見ていると…初志が揺らぐ
まるで南薩鉄道の軌道だ
揺れ揺れ、揺れ揺れ 男はつらいよ 寅次郎真実一路
いまBSテレ東でやっとるで こんなスレ有ったのね
短尺レールの交互継手
凄まじいジョイント音+頻繁に鳴る警笛
多くの音持ってるけど
ここのが一番やかましい
対して、車掌のおとなしい放送が好対照
……次は阿多でございます…… >>55
録音しに行ったの?
貧乏私鉄ならではの保線の悪さなんだろか >>56
録鉄…昔はそんな名前付いてなかったけど
乗鉄…昔はそんな名前付いてなかったけど
するときは、基本マイク持っていった
博多から夜行有明で伊集院、連絡バスで日置
日置〜加世田間でキハ300で録音しながら
加世田〜枕崎バス、枕崎〜西鹿児島
この後、鹿交線は廃止された
録鉄的に、いい環境だけど
これほど凄まじい音、揺れを体感出来る路線は他には無かった
枕崎にキハ100が幽閉されてたけど
乗ってみたかった
仲間の
鹿島のキハ600は何回か乗ったけど、静かでイマイチだったけど >>54
キャンプ場のダルマ?
とロープウェイ?
どっちも鹿児島交通の多角経営だったのかね >>61
さすが趣味人は凄いな
これだけ調べてあるんだ 加世田市は平成の合併で「南さつま市」となったが、南さつまはないよな
南さつま市は旧薩摩郡の南端ではなく旧川辺郡と旧阿多郡から成っている
県内には「さつま町」というのもあるが、同町の南端と勘違いされる恐れがある
これこそ僭称地名だ
かといって「加世田市」のままでは1ヶ所だけに限定されてしまう
南さつま市は「阿多市」に改称すべきだ
ついでにさつま町も僭称地名なので「宮之城町」に戻すべきだ 加世田駅前には観光バスが整然と並んでいた
みんな綺麗で手入れが行き届いていた
鉄道との格差を感じた 薩摩湖なんてあるんだ
>薩摩湖(さつまこ)は、鹿児島県日置市吹上町中原にある湖沼である。古くは中原池と呼ばれていた。東シナ海から吹上浜を隔てて約1.5キロメートル内陸にある。吹上浜の砂丘により海が区切られて取り残された、砂丘湖あるいは海跡湖である。
知らなかったので池田湖の別名なのかなと
薩摩半島の東寄りで南薩鉄道沿いではないけど 最近は台風がよくくっどん大丈夫けな、南薩線が無くなってもう30年くらい
たっどん、あの洪水が無ければもうちょと南薩線も長生きしたかも、
もう一度南薩線が走る姿を見たかど、今オイは東京におっどん毎朝電車で
ギュウギュウ寿司詰め、疲るっど、南薩線みたいなほのぼのしたディーゼル
に乗りたか。 東京はちょっと線路に人が入っただけで電車ストップ、
ギュウギュウ電車に閉じ込められたオイは死にそうじゃど、子供ん時は
万之瀬川の鉄橋を歩いて渡った事もあったどんディーゼルが止まることは
無かったど、田舎が懐かしか・・・。 こんな南の果ての小さな小さな超ローカル非電化私鉄にイチャモン付ける馬鹿は西濃鉄道へ行ってみろ、あれより更にローカルな私鉄だったんだから そろそろヤバいと友人に聞かされて昭和58年の5月に乗車
直後の6月に大雨で休止になったからギリギリセーフだった
伊作や加世田での撮影記録は大切に保管 >>74
> 死ぬまで未公開のまま保管してろ
お前はもう死んでるけどな ボロ鉄道に比べバスは高水準なデラックス車両だったのも過去の話
あちこちから買い集めた中古を爺さん運転手がかっ飛ばす、車齢20年超えたものばかりで
30年になりそうなのも居る。鹿交バスの平均車齢と運転手平均年齢はどれくらいだろ
余所で稀に居る若いのと女性を見たことが無い、車は小綺麗に手入れはされているけど もう持たないと言われ始めてから結構長生きできたと思ってた 初めの方にもどなたか書いておられるがすでに昭和40年代から経営方針は鉄道からバスへ転換されていたので
延命させる発想はなかったことでしょう >>16
俺も記憶がある
子ども心にもヤバさを感じさせる何かがあった
胸騒ぎがしたもん 朝でも一時間に一本しか来てくれないから使えないわな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています