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小田急1500形・1700形
>>191でも書かれているように、90年代の朝ラッシュ時の混雑が激しく、高架複々線化工事も大幅に遅れていて、
ピーク時の輸送力増強が困難だった為、1列車の輸送人員増加目的で1991年に投入された。
同年に登場した京王6000系最終増備車(6721〜6724F)が5ドアなのに対して、小田急は、整列乗車の観点から、
4ドアのまま、ドア幅を、2メートル(運転台直後は1.5メートル)に拡大、車内の座席を減らし、乗車人員を増やすことを試行した。
(座席定員は中間車で20名減少、ドア間の座席は収納式)
結果は、収容力は向上したが、ドア幅を拡大したことにより、駆け込み乗車を助長させてしまい、列車遅延発生を増やしてしまったこと、
小田急では、乗客の平均乗車距離が長く、座席数減少で着席機会が減ったことから、乗客の評判も悪く、期待したほどの効果が無かった。
収納式の座席は営業運転では一度も収納して使用されることはなく、1992年の増備車(1500形のみ)では、
通常の座席に変更して各車とも座席定員を6名増加、1994年には1次車の座席収納機構撤去を実施したが、
1997〜1999年に東急車輛製造でドア幅を2メートルから1.6メートルに縮小して、車内の座席定員を増やす改造工事を施工した。
(運転台直後のドアは1.5メートルのままで、座席定員は中間車で1次車は12名、2次車で6名の増加となっている)
その後、2004年に、3000形の大量増備に伴う、旧4000形・9000形などの置き換えに関連して、
8両固定の2000形・3000形を優先して、新宿口各停に使用、8000形・1000形の4+4の運用を置き換えて、
4連を急行などに転用するのと併せて、加速度3.3に上げられない1500形も、新宿口各停の運用から外すことにした為、
再度東急車輛製造に入場し、4連6本を6連4本に改造、急行や江ノ島線などの運用に転用された。
(同時に1700形に編入され、1500形は消滅した。これは当時の鉄道誌に書いてある) >>198
軽量ステンレスは、東武ではすでに9000系第1編成で採用してます(これが、東急以外の軽量ステンレス解禁第1号です)。
したがって、10000系も当初から軽量ステンレスです。
ただ、当時は、さまざまな事情で、軽量ステンレスと感づかれないように、従来からのコルゲート車体で艤装(偽装)していました。 >>200
軽量ステンレスであることは別に9000でも10000でも隠してはいないはず
最初は垂直断面ではビード加工にする技術がなかったからコルゲーションにした
京王7000や京成3600もそう
東急車輌がが全く製造に関わってない場合に名目上セミステンレスにすることはあったらしいけど >>200 >>201 >>202
25年ほど前のRF誌に、当時の東急車輛のお偉いさんが回顧録を連載で執筆されていたが
、東急8090系の開発〜製造に関する記述の回の中で、「東急8090系の実用化により、東武
鉄道が軽量ステンレス車体に興味を示して、地下鉄有楽町線直通用の9000系で採用する
ことになったが、東武には当社(東急車輛)の他にA社(おそらくアルナ工機)も納入していた
ため、当社とA社の共同設計ということになった。そのため車体の外観はコルゲートとなり、
旧世代のステンレス車のようになった。それでもA社は当初は大変苦労されたことと思う。
(一部要約)」と書かれていた。
>>202最下段
住宅・都市整備公団2000形(→9000形)だっけ? >>203
10年くらい前のRF誌にもその回顧録載ってたよね それと日比谷線が遅いというが、遅くて当たり前
日比谷線は拠点間を最短に結ぶように設計されてない
中目黒から、霞ヶ関に行くのに、遠回りして急カーブで六本木に寄るし
東銀座から大回りして、急カーブで築地、八丁堀と寄る
銀座から上野ならJRが最速
まあ、どんどん減って下さいとは思わないだろうがが、適正規模ってあるからね
日比谷線の場合、これ以上輸送力を増強するには、かなりの投資も必要だからさ
ソコソコでいいと思ってるだろうよ
これは、銀座線、丸の内線も同じだろう 大船渡線みたいなもんだな。直線距離で246は霞ヶ関から欅坂→六本木と行くが、日比谷線は
東京タワー近くの神谷町に寄るために港区ながら飯倉あたりに大きく外れる。しかもトンネル区間
ながら意外に長い。
千代田線は町屋〜北千住間の隅田川を潜る辺りは小竹橋通りが狭くて複線トンネルが掘れず、
上下で小竹橋通りと別の道路下に単線シールドで掘ったためにかなり離れる。
総武快速線・横須賀線の新橋〜品川もしばらく旧海岸通りを通って田町は浜離宮下をぶち抜いていて
そのまま田町の車両センターがあったあたりに入り込む配線。 >>205
>>206
それらの路線はよく乗るけど、全然どこ走ってるのか認識してなかった
勉強になりました
ありがとうございます >>196
モハ5720形(東芝)や、モハ5800形(日立・汽車)の駆動系不良は
・減速機(ギヤボックス)の油漏れ
・ベベルギヤの破損
・高回転が起因するフラッシュオーバー
上記の他に
モハ5720形(5700系C編成)が日光線を走行中
プロペラシャフトが脱落する事象まであったとか
花上氏情報によると?
すぐに乗務員が気づかずそのまま走行し続けたため
部品の回収に手間取ったらしい(日光線を歩いて探す羽目に)
一方、モハ5800形は
駆動系不良により1954〜1957年の間
旧車号のモハ5424(初代)、5325に改番(形式変更を伴う)
台車交換の上、釣掛駆動に戻された
そのため、東武における直角カルダンの実用化はなかった
のちに、東洋が開発した「中空軸平行カルダン」を1700系が採用
それ以降、電車用パワートレインにおいて東洋と日立の2社が納入
一方、東芝は、一貫生産の機関車以外
電車用機器においては補助電源や空調などに専念 おい!東芝は電車用の
主制御器と主電動機は連綿と作り続けているのだけど?
駆動装置は、中空軸平行にもWNにもTD継手にも乗っかれる様になっておる。 >>208 訂正と補足
モハ5800形とモハ5320形(5324、5325)が同一車両
モハ5800形の形式と車号の変遷
クハ550形(550、551):1951-1952
モハ5320形(5324・初代、5325):1952-1953、1954-1957
モハ5800形(5800、5801):1953-1954、1957-1975 >>209
あくまで、東武向け車載機器の東芝納入事例だから
付け加えてパンタが2000系や電機で採用されたくらいかな
他者(国鉄・JR、私鉄、公営など)向けでは、東芝が
パワートレイン(制御装置、主電動機など)の納入は多数ある >>209
>>211のつづき
しかし・・・
東芝のおひざ元である関東において
パワートレインの大手私鉄向け納入事例が少ないこと
小田急ロマンスカーや、近年の東急ですら
制御装置のみで主電動機は皆無
かつて
東急初代5000系や、初代6000系B編成では?パンタを含む一式納めてたし
8000系列(8500、8090含む)での東芝製MM(日立・東洋の互換品)採用があった
だから関東では?
東芝製「鉄道車両用駆動機器」が
事実上の官公系(国鉄・JR、公営)御用達的な感じ 東武1700に使われたTDK823は、名鉄5000〜5500辺りも使ってたよね確か そういえば名鉄3850と東武57も、ES系制御装置にTDK528、住金のゲルリッツ台車を使った兄弟車だ まあ、その時の財政状況だろうが・・
半蔵門線のメトロ車両入れ替えは相当後になるんじゃね?
8000は全車更新して機器揃えたんだし中途半端に新車種入れて、3社間の乗務訓練、保守の手間増やしたく無いだろうよ
東急の2020の導入後評判にもよるだろけどさ
でも、それなら2020に相乗りする形で8000は初期車を更新せず、18000系=2020系として新製だろう
東急だって、スケールメリットによるコスト低減はしたいだろうから、メトロに事前に話は持っていってる筈
7000後継は、そんな早い時期は無理でしょ
8連作らなきゃいけないし、その分は副都心専用になるわけだからね
7000がそんな早く置換えなら10000の8連新製でしょ、その方がコストメリットは高い でも、東急東横線のウンテンシもたまらんと思う
自社の5000の他に、西武6000、東武50500、9000、メトロ10000、7000と運転しなきゃいけないだしな
それぞれ、微妙にクセが違うだろうしさ、そのうち相鉄も入る
まあ、田園都市線も同じだが・・バラエティに富むの自社だけだからな
東急8500、2000、8590、メトロ8000、08、東武30000、50000 東急が将来的に
総車ステンレスではなく
東武やメトロと共通設計のアルミ車を
入れたりする日もくるのだろうか >>217
入れるわけないだろ。
東急と京王はアルミ車嫌いなイメージだし。 小田急もロマンスカーはアルミ採用しそうだが通勤車にはこの先も採用しないし、京成も通勤車はステンレスに拘り続けるイメージ 現役のステンレス車に全面塗装しようとするバカ会社も出て来たしな。 >>221
JR九 883系「真ん中はアルミなのよ」 お値段張ったとされる301系だけど
後の車両製作にどれほど役立った? >>225
アルミの車体の製造では381系の製造に役立っただろうけど、量産コストが高額過ぎて昭和45年以降は
走行系は同じだが既存の技術を生かした103系での製造にシフト。 >>226
でも台車はコイルバネに戻っちゃったけどな
東西線では「ゲロ電」と馬鹿にされ見送る乗客もいたらしいな >>228
301系も乗り心地は空気バネとは思えないほどひどかった記憶
国鉄の在来線としては珍しいダイレクトマウントだったが横剛性の足りないベローズ空気バネに荷重の大きい通勤形は荷が重かったのか >>225
301系の最大の欠点は側窓。
地下鉄乗り入れだから、全開できないのはわかるとしても、上窓の洗濯バサミ止めは、両手を使わないと開け閉めできないのは使いにくいし、親指が汚れるのが何より困る。
また、アルミだから特にそう感じるのか、ガタガタ音がひどい。
営団5000系も、開け閉めしにくいが、持ち上げ式のため、まだまし。 >>230
ドアもアルミだったから発車直後やすれ違いはバタバタガタガタ超うるさかったからね。
ドアは更新時に取り替えられたけど、恐らく103系らの共用品だろうね。
窓は更新後もうるさかったからガタは直らなかったんだろうね。
ちなみに正面の行き先幕は103系が冷房改造時の側面幕追加時に交換したとは対照的に
更新まで変えてなかったので汚れてボロボロだった。しかも手回し式だった。 走行距離の調整が大変で発狂するだろw
副都心線の精算運転って大変そうだよな
西武と東武の車両は10両のみだから、東横は優等のみ運用
しかも、東武と西武が東横で精算運転しようとしたら、必ず副都心線にも入線しなきゃいけないから
その分の精算もしなきゃいけない
だから、今まで3社乗り入れの場合、両端の会社は終端まで行くことは無かった
東横の日比谷にしても、小田急の千代田にしても・・
それが可能になったっていうのは精算運転の新しいルールでも出来たのかね 確か横浜高速の車両使用料は東急が負担し、東急は同社の分も合わせて使用料相殺していると聞いたことがある そもそも精算運転って線別じゃないよね?
面倒なら差額払えば良いだけだし >>233
千代田線を例に取ると
小田急はメトロに対して、小田急の車両がメトロ・JR線内を走った距離と
小田急線内をメトロ・JR車が走った距離が同じになるよう精算する。
JRはメトロに対して、JRの車両がメトロ・小田急線内を走った距離と
JR線内をメトロ・小田急車が走った距離が同じになるよう精算する。
真ん中の会社が精算するとき、反対側の会社の車両も自社車両って
ことにして計算するのがミソ。
都営浅草線の精算の計算はややこしそうだよな。4社跨がりな上に、
北総線は京成のスカイアクセス線でもあるからまた更に計算がごちゃごちゃ。 >>237
それで都営車の京急のエアポート急行があるんだ? >>237 >>238
1980年代の時点で、京急1000形は都営浅草線を通り越して京成小岩まで乗り入れていた一方
で、京成3000系列は都営浅草線の西馬込までの乗り入れで京急には乗り入れていなかった。
これも走行距離調整のための措置。 小岩での折り返しは下り本線上でやってたんだよな確か 浅草線直通では、北総車は全て京成車と見なして、車両代精算は京成・都営・京急の
3社だけでやっていると思う。
京成と北総の2社間の精算は、これとは別にやっているのだと思う。
っていうか、俺が当事者だったら絶対そうする。難しすぎ。 >>239-241
1号線(浅草線)関係の清算は、都が立替てたから
京成車(K)は京急線に乗り入れなくても、帳簿上は問題なかった
下記の理由による調整措置でもある
(京成線に京急車(H)で都の肩代わりする必要がある)
でも?かつて
度重なるダイヤ改正による運用数の問題から
※T急行の京浜川崎→逗子海岸への延長に伴う
81年ごろには帳尻が合わなくなって、京急は都に
通常では処理できないほどの運用数の借りを作ってしまい
それを調整するため、1000形を浅草線の区間運行に投入
一時、泉岳寺では4線全て京急1000形が揃うこともあった >>238
5300形が120k出せず本線快特に使えない絡みもあるのでは?
5500形になったら解消できるが。 アレは精算というよりも折返しの関係だな
羽田〜成田の単純往復ができなかったし >>239
京成車の三崎口行って、数年しか走ってなかったんだね >>243
運用種別に制約のある都保有車両じゃ
T急行の短縮後(新逗子→京急川崎/(羽田→)羽田空港)では
京急との運用バランスが逆転したんだろうね
ラッシュ時のT特急運用だけじゃ、調整しきれないのだろう
青砥発着のTエアポート快特という、5300形御誂えもあるし・・・
5000形や5200形の頃ならまだしも?
何でも都は、5300形を蛇足のまま作っちゃたったのか >>246
あれは、京成側の事情で発生した珍事
京成上野発着との接続(利便性)向上を目的にダイヤ改正
夕方ラッシュ時以降、H特急(泉岳寺から普通)押上行を
青砥方面に延長したため、三崎口行の片道1本分が不足
京成は
高砂出庫の1往復だけK特急を振り出す羽目に・・・
(復路:京成成田、泉岳寺からK通勤特急) >>248
高砂1852K〜(泉岳寺より特急)三崎口〜2151K(泉岳寺まで特急・押上まで普通・押上から通勤特急)〜成田
終着駅成田23:30過ぎ。
運転開始時は3150形や3200形8M車又は3500形4両×2の8両
どころか京急側からポンコツ車のブレーキ利かない スピード出ないのを寄越すなと出禁にされ、
なけなしの3700形専用列車になった。後に3400形も加わる。
廃止後は都営車運用に鞍替え。
都営車には三崎口発成田空港行きや芝山千代田行きまであった。
(泉岳寺まで特急・泉岳寺からは快速特急) 某急のステンレスに全面塗ったくり車も、早晩このスレの代表車両になること確定である。 >>249
浅草線から直通する
京成・北総方面や、京急方面などの下り優等列車って
浅草線内でも直通先の優等表示してなかった? >>249
性能の関係で3700形か3400形優先運用になったけどまだ車両数が少なかったのもあって他の車両も運用に入っていた 5300は、入札の関係とかで
1号線規格を最低限満たす以上の
仕様が作れなかったとかあるんかな
京急が速く走りたいからって
公金で買ってる都営車のコスト増容認したら
都議会にやられるとか >>242
82年に休日ダイヤで日中の急行が京成小岩−逗子海岸での運転となり、都営5000形の
多くの運用が京急に乗り入れたため、その代わりに京急1000形が都営浅草線内の折り
返し運転に使用された。
>>244 >>245
京成高砂−京成上野間の普通で京成上野への送り込み・送り返しを行うこととなって、京成
は日暮里−青砥間の普通停車駅のホームを8両対応に延長した。現在は「アクセス特急」
の送り込み・送り返しの8両編成の普通が数本設定されている。
>>246
91年3月〜95年3月までの4年間
>>247
かつて、京急の快特運用に入れることを想定して、最終編成の5327Fは120km/h対応にて
製造され、既存の編成も120km/hへ改造される計画も出ていたが、結局実施されなかった。
>>251
出しているよ。
>>253
最終日(95年3月31日)は3150形で運転された。(各鉄道雑誌に写真付きの投稿記事あり) >>249
列車番号は京成高砂→三崎口が1950K〜三崎口→京成成田が2151Kだよ。また、この運用
は京成の北総乗り入れの87K運用と絡んでおり、687Kで京成高砂→千葉ニュータウン中央
と出庫して、その後千葉ニュータウン中央−京急川崎間を3往復後京成高砂行きで夕方に
高砂車庫に一旦入庫後、87K→51Kへと運用変更して1950K〜2151Kで三崎口まで往復した
95年4月1日のダイヤ改正で2151Kは泉岳寺で分断されて西馬込発京成成田行きとなり、
京成高砂→三崎口1950T〜三崎口→泉岳寺2151Tは都営5300形での運転となった。
なお、当時の京成3500形は全車両が未更新車で、先頭車の先頭側台車にはモーターが
無かったため京急には乗りれていなかったので、この運用には入ったことは無い。ただし、
平日の夕方に西馬込発千葉ニュータウン中央行きに京成車の6両運用が1本があり、この
運用には3600形と共に3500形も入っていて、北総には入線したこともあった。 >>164
京王の5ドアが6000だったのは最初から長く使うつもりがなかったからなのかな
小田急のワイドドアは複々線化が絶望的に先だと分かってたから1000ベースらしいが >>258
埼玉高速も、開業初期は、線内専用の独自のICカードを出していた(後のPASMOとの互換性もない)。
開業当時、ただでさえ利用者が少なかった埼玉高速に、線内専用のICカードを出したって、利用者が増える訳がない。
しかも当時は、パスネットでさえ、導入まもない次期で、利用者もとまどうこと間違いない。 >>259
当時の京王は、優等列車は6000系、各駅停車は5000系と7000系とで使用区分がなされ、
異系列同士の併結もしていなかった。
そして、6000系で運転されていた急行のうち、朝ラッシュ時の新宿行きは先頭から2両+5両+
3両の10両編成で運転されていたが、明大前駅での井の頭線との乗り換え客が多くて乗降
に時間がかかって遅延が発生していたため、明大前駅の井の頭線との連絡階段がある
ホーム中央付近に停車する5両編成を5扉車に置き換えることにしたため、5扉車も6000系で
新造された。 >>261
5ドアは仮に7000系だったとしても今頃は廃車になっている。
ホームドアに対応できないため。
むしろ使い難い5ドアを4本だけ6000系で作って翌年には8000系を導入したから正しい判断だと思う。 なんで7000が各停専用だったのかとか
意味あるんかなあ
6000と性能同じなのに >>263
7000系が登場した時点では既に優等列車はすべて6000系に置き換えられており、各駅停車
に使用されていた2000系・2010系などの旧型車を置き換えるという目的で、各駅停車用として
7000系は5両編成で投入された。 なるほろ
優等は6000で必要数揃っているので
動かさずということか >>260
京急のルトランカードも
関東私鉄などの磁気ストライプカードとは互換性がなかった
阪急のラガールカードがベースで
関東では唯一、初乗り運賃の前引きをしない方式を採用
他者が、パスネット参加時すでに
JR東のイオカードと互換性がある規格を採用していたが
※あくまでも規格上であって、JRとの共通利用は不可
※一部、初期のカードでは他社利用ができない(交換、返金対応)
異なる方式の京急では、機器の対応に手間取った
他にも、横浜市営の
Yカード(地下鉄、市バス)
マリンカード(地下鉄、※県内バス共通)
※バス共通カード参加事業者
・横浜市(横浜交通開発)
・川崎市
・神奈中(相模、湘南、津久井、藤沢、横浜)
・江ノ電(藤沢、横浜)
・フジエクスプレス
(上記以外の県内バス事業者では利用不可)
などもパスネットとしては利用できなかった >>266 あまりにも巨大かつ複雑な運賃計算システムが完成し互換可能となるまで待つか、互換性をある程度犠牲にして、より簡単なシステムを早期に導入するかという経営判断上の問題なんでは?
後者のやり方が失敗とは限らない。暫定的に独自のシステムを早期に導入し、後でイオカードとの互換可能など、より巨大なシステムに切り替えるという戦略もあり得る。
あまりにも巨大かつ複雑な電算システムを開発しようとして、頓挫ないし失敗に終わった例は、大学病院の総合管理システムなどいろいろとある。 >>266
箱根登山は登山電車もバスもPASMOが使えない時期がある。つまり小田原から箱根湯本は
IDカードが使えないためにロマンスカーどころか急行等もあった小田急の車内にもたかが4駅なのに
告知して周知しなきゃならず、停車駅案内にも小田原から先は使えないの告知してあった。
伊豆箱根は参加すらしてなかったんだっけかな。
まあ小田原市内と足柄上の大井町 松田町 山北町の御殿場線はPASMOもSuicaもTOICAも全線一切ダメ路線があるが。 >>268
秩父鉄道、芝山鉄道、流鉄は、東京近郊路線にもかかわらず、PASMO、Suicaが全く使えない。
特に秩父鉄道、芝山鉄道は、大手私鉄と乗り入れしているにもかかわらず。 >>268
>箱根登山は登山電車もバスもPASMOが使えない時期がある
これ「時期があった」と書いてくれよ
今、一年のうち使えない時期があるのかと勘違いしちゃったよ >>269 駅の窓口にPASMOで乗ってきた客のための清算システムがあれば、特に問題ないのでは? 利用者が多くないのに、PASMO対応の自動改札入れるコスト考えると。
今はどうか知らんけど、2001年ころの西武多摩川線も各駅の改札にSUICAで乗ってきた客のための清算機が置いてあった。 >>271
乗り越し精算機にそんな機能があればいいけど芝山千代田にはそれがない
東成田出場、東成田〜芝山千代田の運賃を支払いという感じのやつがあればいいのにと思う ま、芝山鉄道自体が空港拡張のための地元自治体へのばら撒き公共事業として行われた、失敗作みたいなものなんだけどね。そんな路線に余計な金かける気がないんだろ。 芝鉄は空港拡張の見返りのためにある路線だから仕方ない
そういえば成田国際空港反対派の奴が死んだみたいだな
これで変わればいいのだが >>267
導入のタイミングが悪すぎる
すでに、関東の鉄道業界(特に営団や都)では
JRとストアードフェアシステムの互換性を考慮する動きがあった
現に、京急が導入した翌年(1995年)新京成は互換性のあるSKカードを導入
京急がルトランカード導入時(1994年4月)
すでに都は、地下鉄用Tカードを一部導入(1993年11月、12号線用)していた
営団のNSメトロカード(1991年11月、南北線用)と共にイオカードとの互換性があった
1994年6月、都営地下鉄全線利用可能になる
1996年3月、営団と都はストアードフェアシステムを共通化
これにより、TカードとSF(NS)メトロカードは相互利用が可能に、パスネットへの布石となった
だから、京急は完全に判断を見誤った格好
(導入時点において、すでにガラパゴス化が確定的)
ほかは、規模的問題から
営団と都の対応を見定めてからストアードフェアシステムを導入している 一方の阪急はラガールカードのシステムの完成度の高さ(w)にこだわり過ぎて、
レールウェイカードなるものを継続販売。
ICカードでは完全に出遅れている格好。 >>276
阪急は中国みたいにQRコード決済にするんじゃないの? 磁気カード使ってたけどもう10年以上Suica使ってるからよく覚えてないや 技術の完成を待てずにつなぎとして採用したものを失敗作と言われてもな。 失敗ではないけど18切符は
客層的に本来の役割を終えたな >>247
5300形デビュー時点では京急からの乗り入れは終日特急で、
SAもまだ具体化してなかったから120k対応の必要性薄かったんでしょ。 >>280
10代の利用より60代の利用の方が遥かに多いらしいね >>282
青春18のびのびきっぷ発売時の18歳は34年後の今52歳ですから
そもそも小学生や中学生はターゲット外だろうし
分母が違いすぎるわな 夜行の普通列車が壊滅してもう格安の長距離移動手段としても失格してるからな
昔の感覚が残ってる年寄りしかこんなオワコン切符なんか使わないってことだろう 715-1000が東北線を走っていた頃が最後の輝きだった
廃車になって来年で20年か。鈍行旅行がつまらなくなったな JR東が車両をボンボン使い捨て過ぎなのもただ単純に総合車両製作所(新津と横浜)を止めないためだけという気がする
231系500番台が営業運転開始する辺りまでは普通に103系が走っていた 首都圏の一般車両が約8000両だっけ?
更新周期が25年で年平均320両、30年で270両ぐらい造らないといけない
新津が年産250両だったか
新幹線なども継続的に代替が必要だし、新津も横浜も暇にはならないのでは? >>168
それはない
201の例を見るに205もインドネシアからの声が無ければそのまま長野で解体だった
201も西日本103置き換えに使われず1両除いて長野で解体だったし
103の西日本譲渡だって、207が例の大事故で1編成廃車になった為の代わりの車両として急遽譲渡されたものだったらしい
仮に西日本が大事故を起こしていなければ、103の西日本譲渡もなかっただろう
しかし、なんで207事故廃車の代替が103だったのか?813みたいに207代替新造は駄目だったのか?
まさか、当時の西日本が古い車両好きだったから? 207系が製造終了してて321系が計画鋳�セった時期じb痰ネいか >>262
その京王7000系も廃車が出たみたいで >>291
とにかく早く車両が欲しかったんじゃないの?
>>293
ほぼ同時に製造していた東武10000は、未だに修繕せずに東上線で走り回っているというのに。
廃車にするなら東上線に寄越せ。 >>294
まあさらに長く東上線に居座ってる9000系がいるしね。9101Fが落成した時は8000絶賛生産中で、
本線のスペーシアすらなかった。
9101Fだけ副都心線のホームドアに対応出来ないので地下から地上に追い出されたが。
それよりか半蔵門直通にらんで6+4の欲張り過ぎな早とちり生産で、結局50050使うからってんで
地下鉄直通使わずに地上に追い出した挙げ句東上線に放り出した30000系のが失敗生産だが。 >>295
30000は一時的には全部半蔵門線直通に使ってなかったっけ >>296
それで中間運転台に東急が文句言ってきたんだよな
東急8500や東上線に8両編成突っ込む方がどうなのよと言う感じなのに >>295
8000系をダラダラと作り続けたことこそ失敗。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています