懐かしの西武線 第3編成 [無断転載禁止]©2ch.net
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セ・リーグにおける巨人V9時代よりも凄かったな、西武黄金時代。
でもこのスレだと別の意味になるw
みんな運行されるのが好きだなww よく勘違いされるが西武池袋線は「西武鉄道本線」ではないんだよな。
と、いうか西武鉄道に本線はない。
あるとしたらどこだ?
路線としての歴史なら国分寺線になる。
さらにそこから別れた新宿線も本線の支線といえる。
あのいつまで経っても地下鉄乗り入れしない、新宿駅にも乗り入れしない、埼京線大江戸線と新しい路線が出来る度に客を奪われる線が。
会社としては多摩湖線になるが。
東急も「東横線」はあってもやっぱ「東京急行本線」は存在しない。
東武も伊勢崎線日光線、どれも本線ではない。
強いて言えば亀戸線が「元本線」
線路は繋がっているが、野田線は東葛北葛の東上線って感じ。
東上線なら越生線と比較して「東上本線」と便宜上よばれることはあるが。
石橋貴明もネタにしてたな、東上線は越生線って子分がいると。
何か関東の大手私鉄で「本線」が明確に存在するのって、京急とか相鉄とか系統も入り込んでない、合併の歴史も激しくない、路線延長も中小規模のところだね。
京王は京王で軌間の違う、小田急系列からの編入路線も抱えているが。
ここもあんなに渋谷駅が改良工事行われているのに地下鉄とは無縁だな。 >>381
堤康次郎が買収した武蔵野鉄道が合併存続会社ということを考えた場合は、
一般的な見方と同じで、西武池袋線が本線、ということになるんだろうけどね。 >>381
東上線は正式名称が東上本線で、越生線と総称して東上線と呼ぶわけで、その書きぶりだと逆ですね。 >>383
東上鉄道 本線 と呼んでいたって事かな そういえばプリンス・スカイラインはあってもダットサン・スカイラインはないんだな。
もうサニーもブルーバードもダットサンからの伝統のセダンはない。
フェアレディZはかろうじてあるけど。
ダットサンではなく日産としてオースチンと提携していた頃の流れのセドリックもない。
日産で昔から今も名前残っているのってスカイラインぐらい。 >>358 何か新2000系の増備も89年度で終了し、以降は新形式に移行する噂があったらしい。
実現していたらそれが8000系を名乗っていたかもね。
(7000系は>>360にあるハイデッカー車の仮称) 路車板によると9000系がVVVFになった時点では、同じく機器流用車の4000系や10000系もVVVFに改造する構想があったそうな。
10000系は10112FがVVVFで登場したことと、10000系の通勤車版的な9000系がVVVF化されたことを考えると、
10101〜10111FのVVVF化は可能だったかもしれないが、西武車両の解散が影響しているんだろうか… VVVFを採用した10112Fの台車がFS542/042でなく、FS372/072に格落ちさせた西武に
当時はとても落胆し、ものすごく呆れたのを思い出す。 >>389
9000がVVVF化されても電磁直通ブレーキのままだったことも FS-542/042 は、軸箱支持がゴムになって、揺れを吸収するという事で採用してみたけど、
実際は FS-372/072 よりも乗り心地の向上が芳しくなかったから改造しかなったと聞いた事がある。 9000は所沢工場が2000年代でも残っていたら、VVVF化ではなく廃車になった3000の機器を流用して界磁チョッパ化だったかもね >>181
西武は冷房化率100%は早かったけど、真夏でも朝ラッシュ時しか使わなかったらしい。 >>393
昼も使ってたけどなぁ…冷房
子供の頃、1970年代後半の夏休み期間中に昼間の拝島線や多摩湖線に時々乗ったが、
客少ないのに冷房強烈にかけてて、すごく寒かった思い出がある。
で、電車を降りると真夏の湿った熱気が暑すぎてこたえた… >>392
新2000のVVVF車も所沢工場が存続していたらもう少し処遇について考えたかもしれないが・・
例えば3000の廃車発生品で界磁チョッパ化とか
3000が9本で、新2000VVVF車と9000が合わせて9本だったし 80年代に学生だったけど、夏休み中の部活の練習の帰りの電車はキンキンに冷えてた憶えがあるよ。
駅に着いて降りようとすると、外の暑さはもちろんドア下の抵抗器から上がってくる熱気にやられる。 こっちも80年代の記憶だが、池袋行きに乗っていると、
国鉄のガードのに差しかかったら、すかさず冷房を切っていたな 池袋線・新宿線とも石神井を起点に冷房の入切してたな。 >>399
その前は練馬だった。涼しい風が出始めた頃に池袋に着く。
その頃は朝の下りでは冷房は使っていなかった。 >>401
変電所の容量の関係ですかね?
2000が省エネ電車ったって、劇的に電力消費が減ったとも思えないし、当時の冷房の消費カロリーも半端無かったんじゃないかと 80年代半ば、新宿線花小金井から通勤していたが、花小金井で普通に冷房効かせてたぞ。 >>394
そもそも年間通じて冷房を使うようになったのってまだまだ最近の事じゃん。
JRも20年くらい前まで「この車両は通年冷房が使えます」なんつうステッカーが乗務員室内に貼られていたじゃない。 >>398
そして発車間際に投入。
昔の冷房機って起動するときにボイン!って大きな音がしたからスイッチ入れたのがよく分った。
そして、ああ、そろそろ発車だな、と。 https://www.youtube.com/watch?v=NKbsBh4xfcs
7:09
江古田-桜台の環七通り道路橋付近てこんなだったんだな。
それにしてもモラル低すぎ。
こんな大人たちが「今の若いもんは・・・」って言っていたのか?! >>399
いつの時代よ?
東村山や田無に住んでいたけど冷房はいつでもどこでもかかっていたけど
ただ遠足で飯能に行ったときの帰りが101分散式冷房+扇風機で効きが悪くて
ワガママを言って
クラス毎併結されていた集中式冷房+ラインデリア車に移動したら涼しかった
事はあった(問題児行動だけどオタ的読みが当たり周囲から感謝された) >>407 401や601は、101に比べると冷房の効きがよくなかった感じがする。車体が古いからか。80年代後半の話 801以前の元赤電って冷房化された後も、101に比べると内装で劣っている、安っぽい感じがしたな。
前者が国鉄の101系、後者が103系に相当するようなものか。 101も車内更新でシートが新2000と同じ明るい色のものに換えられたり、網棚の端の天井に伸びる支えの部分が白く塗られたり、
車端部だけ化粧板がピンクっぽい色だったりしたのは汚らしく見えたな。 冷改701はピンクの化粧板とエンジのシートで元赤電だなと分かった 701冷改って臙脂の赤電シートってのあったの?
101と同じ茶色しか知らない 小平駅の先の突っ込み線みたいなところに移動変電車サヤが留置してあったのを
かすかに覚えてる。下落合駅の横が定位置だったらしいけどすでにご用済みだったんだろうなあ‥‥。(1970年代) >>415
エンジのモケットは昭和52年冷改車まで。
昭和53年冷改車から茶色に変更されたと記憶。
エンジのモケットのままの車両は、昭和57年頃からの検査入場で順次茶色に取り替えられた。
と同時に、プラスチック成形物入りのものに交換されたのもいた。
そう言えば昭和57年頃の765Fは、1765-765が茶色、766-1766がエンジの時期もあった。
逆だったかも、ちょっとうろ覚え。 >>419
おおーすご〜い
他の旧性能車って最後の頃どうなっていましたっけ?
遅くまで残っていた351 451 551 571 1651
記憶にないや >>419
ありがとう、それで思い出したが運転席扉窓も客席と水平面が平行なまま
だったな、ゴルフ急行で乗った想い出がある
ステンレス製クーラーカバー、プラ型入り座席と同時に一段高いのに交換された へっぺろぺっぺろべろべろべーろ へっぺろぺっぺっぺ
ほしゅ >>420
NRAは6000ベースのVVVFを採用した完全新造車として登場していたらよかったと思ったが、完全新造車が高価な時代だったから… 山岳線向きのVVVF車を開発したくなかったって事らしいからね
当時金が掛かりすぎると
6000まんまじゃ不安だったって事なのかな 今年で西武秩父線開業50周年ですか。当時の売り出しは5000系レッドアロー・101系ASカー・E851電気機関車の3本立てだったね。
謳い文句が「西武で秩父へ特急83分」 今でも覚えてる。 そして
呪い文句が「五月蠅い特急83分」 今でも言われてる。 6000系はJR901系と同期だし新造車が高価だったというよりは、当時の秩父線は回生車が定期運用ができなかったから
足回り流用に関しては特に何も思わなかったな。
企画倒れになった観光特急7000系も足回り流用の計画だったからね。
ただいざ10000系の実車を見たら、華があった5000系と比べフラッグシップを担うには地味な外観だとは思った。 6000の試運転は空制だけで走ったのかね?
6101Fは今の所西武秩父線を走った唯一の6000系かな >>428
6000は有楽町線直通用だからやむなく完全新造となっただけと思われる
当時の西武は部品使い回しが得意であり、あくまで6000は東武9000/20000的なものだったんじゃないの? >>430
配備当初から新宿線にも入ってなかったか? 池袋線が先行するものの、6000は94年から新宿線に入っている。池袋線とのバランスを取ったのではのだろうけど 6007Fが新宿線では初の配置だったけど、池袋線に新製配置されて1ヶ月弱走って、新宿線へ来た。
新宿線での走行では乗客に強いインパクトを与えてた。何これ?みたいな反応してた学生もいた。
その後に6012Fと6015Fは新製配置された。 6107Fについてなんかの記事で1か月となっていたが、もう少し走っていた。
1994年2月竣工、正式な転属は6月
正式な移籍前に貸出扱いで移動する事もあるけど、自分もその頃まで走っていたのを見ているから、正式な転属日と実際の移動は同じとみて間違いない。
よって1か月と言うのは誤り。 >>428
NRAの10101Fと10202-10302は幻の7000に使う予定だった機器を使用したと聞いているが してるぜ
オーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 501系の台車は、FS-542Bと刻印されてるものが該当するんじゃないか、と。
401F,405F,407F,409Fも、10000系の台車に流用されてる。
10000系の種車は制御器を基準にしていると思うけど、台車はぐちゃぐちゃかもね。
701が履いてたクハの台車もN2000や10000に流用されてるけど。
台車の履歴は、武蔵丘に残っているんだろうか? 3件隣のお向さんのそのまたお向かいの3件隣に決まっているじゃん >>438
701系っていろんな意味で部品取りの見本市みたいだな。
・冷房改造時に不要になった低出力MG→赤電のMG交流化に転用(これは101系や801系についても共通だが)
・廃車による転用→クハの台車だけではなく、客用扉やMG等も転用 今日も暑かったな
みんな元気か?
頑張って乗り切るぞ >>441
701の冷房化って手が入れられていない車両から優先的に行ったらしいから、転用したいような交流MGになっていた車両は冷房化後回しで、
結果的にその辺の車両が冷房化されたときにはMGを転用する先の旧性能車も無くなってたんじゃないの?
赤い電車のMG交流化に用いられたのは101非冷房のが主体じゃなくて? >>443
101系の冷房改造って70年代初期にちょこっとやった後、70年代中期からは701系・801系・411系(→401系)の冷房改造を優先させるために
長いこと(701系・801系・411系の冷房改造が完了するまで)中断していたんだよな。
だから、赤電の交流MG化は101系からの発生品だけでは(主体と言い切るには)不足していて、701系や801系からの発生品も使われていた。 そういえば、101系の10両(6両)編成って、冷房化するまでなかったよね。
池袋線の10両編成は赤電グループの独擅場だったと記憶してる。 赤電の交流MGって、初めから交流の801と冷房化前の一部の701を除くと
451の6コテと551 571 と411?程度でそんなに数要らなくないですか? >>446
必要なMG数を考えてみた。
351系
3連×3本:3台(1台/編成)
451系
6連×4本:8台(2台/編成)
2連(Mc451-Tc1471)×7本:7台(1台/編成)
2連(Mc451-Tc1651)×6本:6台(1台/編成)
※2連(Mc451-Tc1411)はMG交流化対象外。
551系(571系分離前)
6連×5本:10台(2台/編成)
4連×1本:1台(1台/編成)
411系(401系改造前)
2連×16本:16台(1台/編成)
※冷房改造まで直流MGのままの編成を除く
旧性能赤電で最大51台だな。
新性能4連換算で51編成分…結構あるなぁ… 411の冷改前に交流MGになっていた編成と冷改同時に交流MGになった編成の正確な数が分ると言う事は、具体的な編成も覚えているのですか。
すごおーーーい
101系前期冷改車
121~129(4コテ) 5
141~147 4
163~169 4
183~189 4
17台 全然足りないな
非冷房701の交流MG化がどれほど進んでいたか、旧性能車の交流MG化がいつごろまでに行われたかにもよるが、旧性能車への直接新品取り付けも否定できない? >>445 赤電、415や411の2連ユニットが相当数あって、ラッシュ時に2連を増結して10両にするなど、編成両数を変動させやすかったからでは?
だから、701に1411にとチンドン行列式10両編成というのが出てくる。 それと、加減速性能に優れた101をなるべくラッシュ時の各停運用に回し、赤電を優等列車に回したのか。そのため、赤電新性能車の冷房化を優先させたのでは >>448
> すごおーーーい
鉄道ファンってのはこんなのばっかりだな >>449 >>450
>>445は単に、101系は冷房車が登場するまでは6両固定が無かった=4両固定しかなかったから、10両は必ず赤だったな、と言ってるだけだろう お盆なのに、赤や黄色の3ドア車は戻って来ない。
向こうの運用で忙しいのかな。 3000/9000作らずその分旧2000/6000増備すればよかったと思ったことがあったが今思えばむしろ旧2000/6000が当時は特殊用途だったと思えてきた… 9000だがVVVF化後に何かしらの不都合があったかもね
小田急2666/東急7915も電装化(VVVF化)したが結局共に長持ちしなかったし 多分、中の人かそれに近い人だと思うけど、前に書いている人いたよ。
VVVF+全電気ブレーキ+HSC
の組み合わせが悪く、独特の衝動があって停めにくいと。
これはホントの気がする。 わざわざ東急車両まで持ってったんだからブレーキも電気指令に改造すればよかったのにね >>462
近江鉄道ですら、西武の中古抵抗車をHRD化して使ってるのに。 ぺけぺけぺけぺけぺけぺけぺけぺけぺけぺけぺけぺけぺけぺけぺけぺけぺけぺけぺけぺけぺけ 今日は雨だね
こんな日101は空転しまくってた
でもそのまま加速していた
へ―きへーき ってな 雨降るとマスコンを小刻みに動かして手動進段で加速度落としていた むかしの池袋線は準急が石神井までノンストップ、急行は石神井、大泉、ひばり、所沢だったって、隣のお婆ちゃんのネコが教えてくれた。 >>469
冬の時期で積雪が深くなると、電制切り替えSWをOFF、さらにブレーキレバーを緩めても
残圧する(完全緩解しない)様にゲタを装着して、圧着運転をしてた101系と5000系。 西武鉄道は悪天候に強いイメージが有るな。
東横線事故のとき、結構話題になった。 >>472
昭和の時代の雪の日の田無で追突事故を起こしてからは弱気になって
大雪の日は徐行する様になったけど、それ以前は最強だったらしい。
>>470
昔は、今の通急と通準の種別がなくて、朝は今の急行と通急、準急と今の通準が
混在してたみたいだよ。
通急は急行の種別で、通準は準急の種別で走ってたみたい。 新宿線も同じ急行でも鷺ノ宮通過と上石神井通過があった。 >>470
時代とともに変わっている。
それによって同じ停車パターンが時代によって違う名称だったりもしている。
だが>>470の停車パターンは資料で確認できていない。 >>461
小田急8000はブレーキまでECBに改造したのに西武9000はそれをやらなかったということは、やはり急を要す改造だったんだろう
本来はNRA等と同様に抵抗制御のまま使い倒すつもりだったろうけど >>471
俺が覚えてるのは、乗務員室内助手席側の前面カバーに「降雪電制解放SW」と記載されたプレートが貼ってあって、ONににすると
運転席前のパネルも該当するランプが点灯する、というのだったなあ。
で、どうなるかっていうと空制のみになって、なおかつブレーキシューが常に車輪踏面に押し付けられていて、それで雪の噛み込みを
防ぐ、というのだったと。それらがスイッチ一つで行われる。なんで、その時はノッチオフするとみるみる速度が落ちていく。
でも、俺が西武線に乗るようになったのは昭和48年からだから、それ以前はゲタをかましていたのかしら? >>471
俺が覚えてるのは、乗務員室内助手席側の前面カバーに「降雪電制解放SW」と記載されたプレートが貼ってあって、ONににすると
運転席前のパネルも該当するランプが点灯する、というのだったなあ。
で、どうなるかっていうと空制のみになって、なおかつブレーキシューが常に車輪踏面に押し付けられていて、それで雪の噛み込みを
防ぐ、というのだったと。それらがスイッチ一つで行われる。なんで、その時はノッチオフするとみるみる速度が落ちていく。
でも、俺が西武線に乗るようになったのは昭和48年からだから、それ以前はゲタをかましていたのかしら? あ、ごめんなさい、二回書き込んじゃった。すみません。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています