【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】4レ [無断転載禁止]©2ch.net
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前スレ
【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】3レhttps://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1358611883/
かつてほとんどの特急列車に連結されていた食堂車。
かつて多くの急行電車に連結されていたビュフェ。
新幹線にもビュフェや食堂車が当たり前に連結されていました。
流れる車窓を眺めながらいただく食堂車での食事、
今となってはごく限られた列車でしか楽しめなくなりました。
このスレッドでは、食堂車、ビュフェにまつわる懐かしい話を楽しみましょう。
新幹線や九州ブルトレなど、JR化以降も営業していたものから、
新幹線開業までの東北本線、山陽本線、東海道本線等々の特急列車の食堂車から、
場合によっては戦前の食堂車の話まで、
皆様の記憶と知識等々披露しあいながら語り合いましょう 小田急はVSE導入時に走る喫茶室を復活させたけど、すぐ無くなったの? >>833
カウンターの隣の車両に連結面挟んでテーブルやいすのあるコーナーがなかったっけ 787系のビュッフェは西鹿児島発着のつばめしか使ってない。
今思えばもう少し利用しとくんだった。
薩摩大川−西方間の海岸風景を眺めながら高菜ピラフ(わかめスープ付き)食べたな。 787系「つばめ」ビュッフェと言えば
黒豚チャオファンと地鶏照り焼チャオファン
ビールのツマミに頼んだ鶏の唐揚げや
ソーセージ、そして海老餃子も美味かった。 >>834
すぐとは言わんが、11年後の2016年に廃止されている。
>>835
あれは完全なフリースペース(ブルトレのロビーカーに相当)だからなあ
そもそもキハ72系(1.2.5.6号)にはついてないし。 サシ481
年度製 両数 最終廃車年度
1964 4 1980
1965 10 1983
1968 6 1986
1969 6 1986
1970 3 1986
1972 33 1986。ただし、スシ24への改造車あり
50→508
52→3
1973 12 1986。ただし、スシ24への改造車あり
64→504
67→501
68→502
1974 2 1985。すべてスシ24へ改造
75→502
76→503 サシ489
1971 4 1986。ただし、スシ24への改造車あり
3→1
4→2
1972 4 1986。ただし、スシ24への改造車あり
7→507
1973 2 1985
10→サシ481 81(1978年度)
1974 2 (1978年度にサシ481へ改造)
11→82
12→83→スシ24 506
サシ489 101と102はサシ181からの改造(1972年度改造編入、1986年度廃車)
1966年度 サシ181 102→101
1966年度 サシ181 103→102
サシ181で新製されたのは上の2両と下の2両だけ(1980年度廃車)
1964年度 サシ181 43
1966年度 サシ181 101 サシ581
1967 5 1985
1968 14 1985
1969 2 1985
1970 8 1985
1971 6 1985
キサシ180
1968 2 1980
1969 5 1985
1970 5 1985
1971 1 1985 オシ14
1972 14 うち5両がオシ24 100番台となる
オシ24
1973 5 のちに全車オシ24 700番台となる 電車特急では全区間3時間くらいでも食堂車を営業させていた(雷鳥)
そして、特急の大衆化によるマナー低下が極端すぎた
昔から食堂車で粘って急行料金どころか運賃すら払わない「食堂車キセル」が横行していた
でも、新幹線は食堂車の営業をする必要がないと思っていたのだろうか?
そう考えると、やはり昭和44年に旅客局がまとめた「今後の旅客営業」で"車内サービスは検討する"として放置したツケが一気に噴き出た感じ
※「車内サービス(併食等)のあり方の検討を行い、これらと車両サービス改善との関連を検討する。」原文ママ >>846訂正
電車特急では全区間「4」時間くらいでも食堂車を営業させていた(雷鳥)
すまぬ >>847
「雷鳥」だけでなく、そんな食堂車付き特急は当たり前にあった。
北陸線特急では「しらさぎ」「北越」も同様だった。
「ひばり」「とき」もその分類。「あいづ」「ひたち」「やまばと」「あずさ」も。
新幹線博多開業前はそんな特急の宝庫だった。
上記以外に「はと」「しおじ」、岡山開業前なら「うずしお」も。
また気動車特急で走行距離200キロ以下で、天王寺~白浜の「くろしお」、岡山~松江の「やくも」、
京都~城崎の「あさしお」でも食堂車営業してた。
今ではそんな特急に、食堂車どころか車内販売すらないのがorz そもそもが乗車時間が4時間も5時間も(それ以上も)拘束されれば途中で飯を食う必要がある
なので供食サービスとして食堂車や駅売りの弁当などが必要とされた
スピードアップや長距離を乗りとおす客の減少でそれが必要となくなって消えていくのは必然
新幹線の乗車時間が最長で3時間10分なので食堂車でなくてビュフェでいいんじゃね、となったのもそのため >>850
3-4時間以上の乗車区間は軒並み空路に転移して、鉄道の役割は中距離輸送となったから
供食需要がなくなるのは当然
食堂車は長距離輸送が鉄道によって行われていた時代の設備でしかないからなあ 「今後の旅客営業」にて
食堂車連結基準
日中7時間半以上走る座席特急列車
15時間以上走る寝台特急列車もしくは夜行特急列車
ただし、編成両数の半分程度を切り離す場合は、その切り離す駅までの時間
新幹線は早さと輸送力を重視するため、食堂車は設置しない
半室ビュフェ車連結基準
日中3時間半以上走る座席特急列車
日中5時間以上走る気動車を除く座席急行列車
気動車を除く食堂車を連結しない寝台特急列車もしくは夜行特急列車
寝台車を連結する夜行急行列車
新幹線
と決定していたら、ダダ余りの食堂車は発生しなかった
また、身障者設備付加も求められていたため、合わせて設置していたら変わっていたかも(急行を除く) 新幹線27型(食堂車36型とペア)と37型ビュッフェ車でよかったっけ国鉄時代の身障者対策車両って 昨日、京都鉄道博物館のナシ20でカレー食べてきたのだが、
外の弁当売店の方が売れていた感じ。
食堂車は駅弁に負けたのだと思い知らされた。
ゆふいんの森のビュッフェも主力商品が積み込み弁当だし、
昔の鉄道ジャーナル読むと食堂車廃止直前の「白山」でさえ
ライターが釜めし食ってるからなあ。 この流れでグランクラスの軽食サービスも、いつまで続くのやら… >>855
それが目玉なのに、なくなるならグランクラスなんてガラガラになるだろう。
あんなバカ高い料金で何も付かないなら、飛行機利用にするだろう。
または普通車でも苦にならない所要時間なので、グランクラスの利用理由が無くなる。 >>855
車内販売廃止、削減のついでに縮小してきてるしなあれも
思えば東の車内販売も新青森開業の前後辺りから担当の人数減らしたりで質落ちてたここ10年ではあったけど 飯の内容は縮小だけどドリンクの内容やアメニティはあんま変わらんな
アテンダント付き列車は金沢開業以降増やしてないみたいだから
E5,E7の投入列車が増えた分、席のみグランクラスが増えてる そりゃ静態保存されてる動かない食堂車の中で普通にカレー食っても感動は薄そうだよな
だったら駅弁のほうが雰囲気出る感じがする 酒より飯派にはグランクラスのサービス縮小は悲しいねえ
まだ乗ったこと無かったのに >>859
あそこで売ってる弁当は駅弁ではないんだが 新グランクラス弁当は、写真の内容とは別にご飯がついてくるものと思っていたら
ほんとにあれだけというかご飯の上におかずが乗っかってるんだよね
路線と方向によって寿司飯でちらし寿司風のもあるけど白ご飯のメニューもある
ついでにサービスの方法もグランクラス開始当初は先に食事物を持ってきて
そのあとに希望すればデザートをもってくる分けてサーブする形式だったのが
今は弁当とおかきとパウンドケーキを一度にもって来る 京都の梅小路にナシ20移る前、大阪弁天町時代に入ったけど
淡路屋の駅弁を売ってた時期があった。
閉館決まって調理室は使わなくなって駅弁を持ってきてた。 カレーはともかく豚丼てw
あれはアメリカのBSE騒ぎでメジャーになった食いもんであって食堂車関係ねえ
逆に食堂車メニューとしては見られたものであっても
スパゲティペロネーズみたいに知らん人には伝わらんパターンもあるが せめてハチクマライスとサンドウィッチはお品書きに入れとかなきゃ。 クラブハウスサンドイッチなくなったの?
移転して間もない頃に入った時には食べたんだが
ハチクマライスは本館のカフェテリアのメニューにはある ビーフステーキ定食 2000円
ビーフシチュー定食 1600円
フライ盛り合わせ定食 1700円
うなぎ長焼定食 1700円
ハンバーグ定食 1600円
和定食 1600円
ビーフカレー 850円
カキフライ 900円
スペシャルサンドウィッチ 650円 フライ盛り合わせと鰻が同価格か。
価値観も随分変わったんだな… 食堂車での食事はプライスレスな思い出
といいたいが景色を楽しみつつ舌鼓を打つなんて器用なことは出来なかったよ
どっちか片方に印象が寄ってしまったな >>869
ここ4,5年の値上がりが激しいね
車内で登亭のパックうなぎを使ってた時期があったから
同じ味はそこで食べられるんだが今は一人前3000円くらいする 鰻の蒲焼をあてに一級酒を飲み、三段寝台に潜り込む
昔は鰻は安かったな >>867
あのハチクマライスは本来のハチクマに比べていろいろのせすぎてるんだよな。
まあ、一般の来館者にとっては目玉焼きをのせただけのどんぶり飯では物足りないだろうけど。 >>874
非鉄系の店ではロコモコ丼と称して供される食べ物だよなあ 上田のおかんの実家に行くのに白山も乗ったが、混んでてラウンジまで行ける状態ではなく、そのまま。
画像サンクス。 特急乗車時はエクスプレスアロマカフェを飲むのが楽しみだったのに(´・ω・`)
缶コーヒーでは気分が出ないからせめてコーヒールンバの自販機を置いて欲しい。 寝台特急富士の食堂車でカツカレー食べたけど、カツは車内で揚げてたのかな?
カレーはレトルトだろうけど >>880
揚げたてと作り置きの違いは判るのでは?
>>881
末期だと業務用のレトルトか缶詰では?
食堂車全盛時代だと厨房からカレーの匂いが漂っていたけど。 >>882
日食内製だろ?
業務用買ってくる方が割高だと思うが 末期でなくてもカレーは缶詰だろ
それに1個単位で買うわけじゃなく日食の営業所で営業全列車分(新幹線も)をまとめて調達するんだから仕入値は知れてる
その業務用カレーの缶詰(1缶5〜6人前)をタッパーに開けて湯煎して注文が入ったら出す
1回の営業で1缶単位の数が出ないことが見込まれないようになると1人分単位のレトルトになる
ちなみに新幹線はSANTAのカレーだった 近頃駅前などに乱立してる個店のカレーもレトルトと疑りたくなるような画一化された風味 >>887
基本はジャー積み込みだよ
途中駅や折り返し駅で補充するときもジャーを積む(で、空を下ろす)
米は積んでいるが非常用
そもそも米から飯炊いて供するまで小一時間かかるだろ
かつてのブルトレの朝食用は車内で炊いてたかもしれないが 1993年ころ?の繁忙期の夏前にビュッフェとうきょう博多営業所で3ヶ月ほどバイトしてた経験しか
ないけれど、ごはんは巨大なジャー2個積み込みで、使い切ることなく
捨てることが多かったかな
一回だけ積み込みご飯が無くなりそうになって、車内で炊いたけど
炊いたやつは結局はほとんど捨ててた
カレーもレトルトしか出したことが無い。缶詰は見た気がする。 スパゲッティの麺は湯煎でミートソースはレトルトだろ
ナポリタンはフライパンで炒めていたんだろうな
昔鉄道ジャーナル誌で食堂車の特集を読んだけど、カツサンド用のパンとカツはサシ581車内で調理してたみたいだね
調理師さんも大変な仕事だったんだろう >>889 >>891
そもそも1993年に、まだビュッフェとうきょうは存在してたか?
国鉄民営化前後に、吸収されたような気がするが・・ >>893
77年に乗ったひかり145号の食堂車には行列ができていたので隣のビュッフェとのドアも
開けっ放しだったから厨房からの煙で客室内が煙っていた。
ナポリタンを炒めるオニオンとバターの匂いにコーヒーの香りが交じり合ってたのを
覚えている。 >>893
サシ581なら、今から40年前「はつかり」の列車追跡だったか?
確かウエートレスの1人がサザンオールスターズのファンだったような。 >>896
そうそう
揺れていた方が包丁は優しい、だっけなwhitew ビュフェとうきょうといえば大阪駅のアクティ大丸が開業したときにスパゲティ専門店を出店してたんだよな
ただ時代が早かったのか当時はスパゲティ専門店など流行るはずもなく早々に撤退
それに合わせたわけじゃないだろうがこだまのビュフェのメニューにもスパゲティ(ミートソースのみ)登場した
もちろんスパゲティはレンチン
あとビュフェとうきょうといえば青酸コーラ事件 ブルトレ食堂車のハチクマライスって、食べてみたかったな ハンバーグが載っかってるなんて滅多になかったっていうよね >>903
鉄道博物館のハチクマライスはハンバーグが載ってロコモコ風のもんになってた そりゃお金取るんだから体裁は整えるだろ
明日の大宮公開でも工場の食堂のメニューにあるぞ。おまえら文句いいそうなやつだけど ハチクマライスは当時はベーコンが乗っかていたのが最上級だろ?
その他の従業員はその日の残り物だったんだろうな
都ホテルとか日食は賄いは豪華の賄いだったんじゃないの その昔、テレビで紹介されていたハチクマライスはハムエッグ乗せ丼飯にみそ汁と香の物だった。
さくら号の乗務員を追いかけたドキュメンタリー番組で、いまでもこっそり動画サイトに上がってる。 >>908
しかし山陽本線は、昭和40年頃から特急に自由席があったけど、それはどうなんだろう?
「しおじ」は初期の頃から自由席があって、そのままエル特急に移行していった。
また九州に乗り入れていた「みどり」「なは」「日向」も自由席があり、これら全特急に食堂車はあったけど。 >>911
その頃は多客期には全車指定席にしていたので、自由席に溢れた避難民に粘られることもなかったのでは。
岡山発着のエル特急になっていた「つばめ」もお盆休みは全車指定席だったから。 >>911 新幹線も自由席と食堂車両方繋げてたしね。70年代後半以降、在来線特急乗客の平均乗車時間が短くなってきたからなんでは?
この頃から飛行機との競争が激しくなり、北海道行くために、青森まで乗りとおす客は少なくなる。
70年代前半だが、特急しなのは電車化されスピードアップされたときに、食堂車廃止 4時間〜6時間以上、乗り続ける乗客が相当いないと、食堂車はやっていけないんじゃないかなあ。
40年代の山陽本線だったら、大阪ないし岡山から博多まで4〜6時間以上かけて乗車する客が相当数いたのだろう。しかし、70年代後半の東北本線となると、青森行き特急であっても福島や仙台など途中で下車する客が多い。仙台以北に大都市ないからね。 >>912
一理あるが、等級制廃止前後はそんな施策がされてなかった。
ただ当時、そんな客は急行に乗っていたか?
急行も昭和40年半ばまで食堂車連結列車があったけど、自由席からあふれて粘る客層はいなかったか?
>>913
新幹線は岡山開業時はビュッフェだけだよ!急行電車と同じ。
食堂車連結は、博多開業の半年前。
それに「しなの」電車化と、北海道連絡を同列は支離滅裂!
北海道連絡の客が激減したのは、76年国鉄大幅値上げ後。 鳥塚氏の話に出る時代だと、白山から外されたのが運用の都合とはいえ
非常に残念だった頃。 57-11で復活して嬉しかったね。
上野-長野間乗車のときでもあさまじゃなくこっちで食べたことがある。 乞食客が理由としてよく言われるが
繁忙期には確実に居たが全国通年居たとは思えず
食堂需要自体があるなら規制の方向とるだろ 「地方ローカル線は地域輸送をあきらめて遊園地の乗り物に徹すべき」とか主張するやつの
言うことだから話半分で >>920
>>922
レス913、915ですが同感。
昭和30年代〜40年代にかけてビュッフェ営業している急行列車があったが、鳥塚の説だと、その当時、自由席の客に粘られてたんでは、何故、その頃に急行ビュッフェを休業、廃止させなかったんだろうな?と疑問を抱く。
特急食堂車縮小の理由として、他には人件費高騰も。 >>918
山陽特急に自由席が連結された頃は等級制廃止前後ではないろ
訳分からん
狂ってんの? >>923
急行ビュッフェの全廃は、鳥塚氏が食堂車でバイトした同年だった。
ビュッフェは半室で、デッキや座席車に抜けやすい構造で、粘りづらかった。
営業全廃後がかえって自由席から溢れた客の巣窟になっていた。
その1976年は小規模なダイヤ改正などで、列車設備にかなり変化があった。
食堂車に影響あったのが
3月:北海道連絡以外の日中の全車指定席の特急に自由席を設置。
7月:向日町の「雷鳥」「北越」「はくたか」1両増結。
10月:「富士」「はやぶさ」「出雲」二段寝台化
11月:国鉄運賃・料金大幅値上げ。急行ビュッフェ全廃。 せっかくだからマジレスしとくと乞食客そのものが問題なのじゃなくて乞食客が粘ることによって
一般客が食事にありつけないまたは逃げることが問題なのであってこれは食堂従業員が追い立てればいいこと
現に新幹線食堂では「お客さん、並んで待ってられる方がいるので…」と普通に声をかけていた
もっとも列車食堂は街の食堂みたく食ったらすぐ出ていく、というわけではなく
大概皆ケツは重かったが(東京発車後食堂に来た奴はたいてい富士山見るまで粘る。この間約1時間)
大きな理由は営業内容のわりにかかわる人間が多すぎたこと
鳥塚の例でいうとたとえ白山3往復で最低8チームはいる(6時間半ともなると折り返し乗務は不可能)
コック3人ホール3人でもこれだけで50人近く必要になる
それ以外にもセントラルキッチンから駅や基地へ食材を運ぶトラックの運転手とかその駅や基地から
列車に積み込み終着駅で下ろす台車のおっちゃんとか見えない人たちもいるし >>914
鉄ピクの70年12月号にあった今後の国鉄車両に関する記事に591系を元にした新型特急車の図が載ってるけど
それには概略程度とはいえ中間車に食堂車らしいもの(同記事中にあったセルフ式食堂車の配置に酷似)があった
結局このままの形で量産に移ることなく381系になったからいいが実現してたらあんま想像したくないな… Fastech360Sにもビュッフェカウンターの試作区画があったんだよね >>927
新幹線食堂車は側廊下式で食堂が仕切られて、声をかけやすかったのはある。
在来線の食堂車はテーブルとテーブルの間が通路なので少々厄介だったが、
末期の「北斗星」朝食やパブタイムは、そのように声をかけてたようだった。
あと「白山」3往復なら6チームでなくて?
折返しで日帰り乗務は不可でも、2日間で同じチーム数の論理になる。
当時「つばさ」「いなほ」も類似の乗務パターンだったような。
本来それらの列車に食堂車の必要性があったけど、乗務効率なら「ひばり」「雷鳥」の方が良かったか? 鉄ピク2018年4月(944号)153系特集ではグリーン車を2両のサハシ153でサンドイッチして
(片方は方向転換してビュッフェ側がグリーン車に向くように)グリーン車客優先を醸し出していた。
新幹線も食堂車を2両のグリーン車でサンドイッチしていたら乞食客が入りにくかったのでは? >>930
「白山」3往復で6チームだと休みなしかよ、って話だろ
実際は他の列車と組み合わせて乗務行路組んでたはずだが >>894
1993年4月にジェイダイナー東海に吸収合併されたようだね。>>889は 1992年のことだったようだ レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。