【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】4レ [無断転載禁止]©2ch.net
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【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】3レhttps://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1358611883/
かつてほとんどの特急列車に連結されていた食堂車。
かつて多くの急行電車に連結されていたビュフェ。
新幹線にもビュフェや食堂車が当たり前に連結されていました。
流れる車窓を眺めながらいただく食堂車での食事、
今となってはごく限られた列車でしか楽しめなくなりました。
このスレッドでは、食堂車、ビュフェにまつわる懐かしい話を楽しみましょう。
新幹線や九州ブルトレなど、JR化以降も営業していたものから、
新幹線開業までの東北本線、山陽本線、東海道本線等々の特急列車の食堂車から、
場合によっては戦前の食堂車の話まで、
皆様の記憶と知識等々披露しあいながら語り合いましょう 例外は当時、生で観ていはいても
入ることが出来なかった(中学生とかでね)悔しい思い出とかはあるかな >>565
食べさせてもらえなかった体験というのも体験だものね 最近の懐かし板は、スレタイの対象の時代には生まれてもいない、懐かしむことができないガキの書き込みが多すぎるんだよな。
ふた言目には老害としか言えないらしいし。 戦前・戦中とかの話なら本のネタや爺さん婆さんの
思い出ばなし受け売りでも良いが、(マスコミだってそうだ)
昭和後期頃の話題を想像で書くようなのは要らんよな。
老害と言われようと実体験を優先したくない? 早速570みたいなガキが湧いたな。
当時を知らないのが悔しいらしい。 美味しそう
ttps://static.adroute.focas.jp/tmp/bannars/20631/2018/10/11/13/20631_15392305566171.gif >>569
小西了とかね。
アイツ在日チョンのくせに生意気なんだよ。
>>574
マン毛生えてそうなババアだな。 >576
コックが手作りしてたな
車内販売用のサンドイッチも食堂車の調理室で作られていた そうそう、カフェテリアの冷蔵庫で冷やされた固いパンとは別物
ちょっと高くても美味かったね。 >>562
というわけで、体験のない君は懐かし板に相応しくないようなので、懐かし板以外に自分でスレ立ててそっちでやってくれ。
どうやらここは体験者達が懐かしむスレなのでね。 ハムやチーズが旨かったので分割して食ったりしたなあ 新幹線100系のカフェテリアカーは、晩年はサンドイッチと弁当、飲み物と土産物のクッキーや
饅頭くらいしか陳列されてなくて、カフェテリアを営業している夜間の100系「ひかり」、
「こだま」では陳列棚が空っぽになっていることもあったな >>577
東北特急だと食堂車製造のカツサンドを車販してたよ。付け合わせにポテチが付いてたと思うわ。 上野発着だった特急「ひばり」や「はつかり」などの食堂車のメニューには、
「ホタテグラタン」、三陸の魚を使った「魚フライ定食」などがあって、
東京から北へ向かう列車ほどその地方の食材を使った美味そうな料理が多かったな >>586
所得に対しては割高だよね。小学生の頃(S46-51)
デパートの大食堂に家族で行くのもたまの日曜の楽しみだった。
当時でも700-1000円した感じする。今の物価なら2.5-3倍くらいかな。 オイルショック前なら4倍ぐらい、オイルショック後なら2倍ぐらいでちょうど今の値段に合うと思う。 >>577
100系はともかく、0系は車販用のサンドイッチはビュフェで作ってたけどな
泊勤務かつ地上設備がある泊地で翌日早朝の列車であらかじめ数が見込める
場合(休み期間中とか)だと前の夜に作って冷蔵庫に入れておいて翌朝他と一緒に積み込んだ
もちろん社内調製印の日付は翌日 0系35形のビュフェなんかはビュフェというよりもむしろ食堂車に近い性格を有してたからな >590
食堂車営業会社「ビュッフェ東京」は東海道・山陽新幹線0系のビュッフェ営業の他に
食堂車営業も行っていて、食堂車ではビーフステーキ定食や有頭のエビフライ定食など、
高級料理も提供していたな ビュフェとうきょうは避けてた
異論は認めるが味が好みではなかった 確かに昔の新幹線食堂車は営業している感謝も乗っていたねえ。 JR化後、東海道新幹線のビュッフェではたこ焼きが売られていた。
そのたこ焼きはレンジでチンしたものだったが 電子レンジが家庭用であまり普及してない時期に搭載してて当時としては画期的だったともいえる >電子レンジが家庭用であまり普及してない時期
えっ? 70年代じゃあるまいし >>597
だから時系列からしてどの年代を言いたいんだ? 急行でビュッフェが2両付いてた時期もあったな
しかも2両のビュッフェでメニューが違ってたとか
0系もビュッフェが2両あったり食堂車とビュッフェが両方連結されてたこともあった >600
山陽新幹線岡山開業時から0系こだまのビュッフェは5号車と9号車に2両連結され、5号車ビュッフェは軽食主体で食器はスチロール製と紙皿などと簡略化され、
9号車ビュッフェはビーフシチュー定食などを提供し、食器も瀬戸もの皿と
差別化された ビュッフェ2両連結は本来はグリーン車を通り抜けなくてもいいように配慮した結果みたいだが売上低迷で1両に減らされた
車端部の席に乗ってると車内を延々と歩かないと辿り着けないので指定券を買うときに食堂車やビュッフェに近い席を指名する人もいた? >603
金持ちの人、当時の鉄道マニアなんかはしてたかもしれないけど、
あまり金のない人は食堂車やビュッフェで食事せずに駅弁や車内販売の
弁当を買って車内での食事を済ませていたからね。
そこまで指名する人はほとんどいなかったんじゃないかな 特に新幹線の食堂車だと、利用客ってビジネスマンが多かったんじゃないかね
高度成長期からバブル期までは、出張経費なら領収書に書いてあるだけ全額出す会社も多かったんだろう そして指定席取れず立ってた層が食堂に長居して問題になる、と。 京都から乗って食堂車で定食食って新大阪で降りていく客とかな 会社の金で食堂車で延々飲み食いしてくれるならまだマシだろうけど
コーヒー1杯で延々居座られちゃ困るよな 0系新幹線食堂車の客室の車端部の椅子がソファになっている席
あそこは食堂車で長居するにはちょうど良い席だったが、
長居するには酒やビールのあてのおつまみをちょくちょく注文するなどしなければ
長居できなかった。
おつまみやメニューを注文するにもコツがいった 100系は2階建てで1階部分を通路とキッチンに出来て2階のスペースを贅沢に使うことが出来て最高傑作だった
定員が歴代の食堂車で最多だった その代わり、料理をリフトで運ぶ関係で、食器が単体の皿ではなく、
ワンプレートタイプに統一され、見た目のバラエティが無くなった。 寝台特急「あさかぜ」から「出雲1・4号」に転用されたオシ24食堂車「スターダストラウンジ」
奥の方が喫茶店のようにソファとテーブルがあって、「トワイライトエクスプレス」用の
オシ24が登場するまで豪華な食堂車だった (ボク、本や雑誌やWebで見たことあるから知ってるんだよ、凄いでしょ) >>611-612
その100系の二階建て食堂車、数回利用したが贅沢な気分を味わった。
ところで一番奥の席(博多側)は間仕切りでくくられていたような記憶がある。
見間違いだったか? 100系食堂車の奥は車両がたくさん描かれたレリーフの印象ばかりが強いな 誰が経営者だったとしても早晩廃止される運命だったんじゃないかね
食堂車の営業収支は改善しようがなさそうだし そもそも16両固定1323人なんてルールを作ったのはあの葛西。
JR西も500系の構想段階では食堂車の連結も検討してたらしいけど、
東海に「300系と内容を統一しない限り東海道乗り入れはダメ」と横槍を入れられて断念したとか。 500系食堂車構想ってのは初めて聞いた
ダブルデッカーは無理だろうし、あの車両断面形状じゃ片側に通路を設けるのも難しそうな気が
100系のV編成みたいに、西日本受け持ちののぞみはラグジュアリーにする構想だったのかね
300km運転で乗車時間が短縮されるんだから、食堂車の存在意義とは矛盾しそうだけど 東国の人間から言わせてもらうが、程度の低い煽りだな。 最大の勝ち組は最低限”中身のない見た目だけ”で
最大限の利益を勝ち取る愛知の企業だな、東海といいトヨタといい。 つまらん鉄道につまらん車、しかし客は一番集まる。素晴らしい 300系の開発段階の社長は須田さんだし、葛西がなにか言ってたとしても趨勢だろ
高速化するから食堂車なくすのは 利 に適ってるし。あんなの繋げてチマチマ稼ぐ
より100席増やした方がいいに決まってる。駅弁や車販あるしな。メシはその場で食え
トイレ以外、席を動くな家畜どもって東海のスタンスは間違ってない
車両記号、カ700とかウ700Sとかにすればいいのに >>626
リニアできて新幹線に余裕ができたら、グリーン個室復活するかな? のぞみが停まる!
って、大喜びする県民がいると思うぞ。 >>626
その後の車販衰退や駅ナカの隆盛、東のグランクラスを見るに付け
ビジネスの観点としては何等間違ってはいない 鉄道は高速・大量輸送が得意技だからな
東海道新幹線こそ、鉄道の理想型
強いて言えば、あの便数でも慢性的に混んでいるのが問題か >>633
旅情とかそういう情緒的なものとは全く反した存在だね>東海道新幹線
東海道新幹線はぶっちゃけ窓すら要らないと言われてるし >>634
>旅情とかそういう情緒的なものとは全く反した存在だね>東海道新幹線
乗り慣れてるだけだろ そもそも旅情とは高速列車だろうと車窓を眺めるだけでも堪能出来るもの
さて近未来の北陸新幹線全通に際しても食堂車の導入案等はビジネスの面でも最初から有り得ない妄論だ
食堂車の必然性とやらを旅情を要素として強調するならその目的を有する四季島・瑞風・ななつ星や
全国各地のクルーズ・トレインで何故楽しめないのか?
最早鉄屑ヲタクの「一般列車に於ける旅情には食堂車が不可欠云々」なんて時代錯誤な妄論は
世間の誰しからも賛同されない事を精々自覚しろよ クルーズトレインは100万持ってても
抽選に当たらないと乗れないから例外。
まぁ個人的には伊予灘やべるもんた位なら文句ない。 >>639
防音壁とトンネルを見ても旅情は感じんわな。 まあまともな人間のつもりなら板に沿って懐かしい話しろよ。字が読めないのに頑張って煽んなくてもいいからよ。 例え回顧話で有ろうと、過去幾多のレス傾向からでは・・・・
回顧話→現実への不満→非現実な復活論にエスカレート
いつもこの流れを繰り返してるよ
はい論破 >>615
どうも簡易個室的な使い方だったらしいです。
100系の食堂車は2回しか使ったことが無いので、うろ覚えですが。 昔の急行はビュッフェにしか冷房が無くて夏にビュッフェに涼んで長居する乗客もいただろうな
立ち食いなので回転率の低下は問題にならなかった 定員が増えるとすれば、自由席を東日本みたいな
6列シートで1両120人。もはや奴隷車、形式名があれば「ド」 >>649くんは座席に座るより自由席の通路で押し合いへし合いするほうが好きなんだね。 そ言えば昔料飲税とあったなー
1500以上は課税してた。
うな重とか
税金払った気がする。 二千五百円でした。飲み会の時に二千五百円で伝票切って貰った記憶があるなー 0系「ひかり」の食堂車のメニューのビーフステーキやサーロインステーキ定食
税込みで2000円〜3500円してたな 100系デビューの頃、JDのハンバーグ定食が値上がった記憶があるんだけど
トレーに纏まったはまぁ仕方なしとして、味が良くなったとはっきり覚えてる。
「え?新幹線のハンバークこんなに美味かったっけ?」ってツレと話した。
調理機器が進化したのかな・・100系って。 >>654
そのステーキは鉄板で出されてなかった?
1985年頃だったか、鉄道ジャーナルの新幹線特集で編集室の人間何人かで食堂車でメシを食う場面でステーキを注文してたのが居て鉄板で出てた覚えがある
0系食堂車の食器は最初は食堂運営会社問わず統一食器だったのがいつの間にか各社オリジナルな食器が使われるようになってたよね
ステーキ用鉄板食器もそのひとつだったような オリジナル食器は乗務のたびに積み込み積み下ろしをしないといけないから
結構めんどい 伝聞なのか実体験なのかくらい分かるように書いとくれ 最近の懐かし板は、ガキが本やネットや古い時刻表を見て書いてるだけだわな。 覚えている範囲での食堂車の利用は
博多→東京の100系ひかりだけなんだけど、
意外と食いやすそうな物がなくて、
(普通に生姜焼き定食みたいな物が食いたかった)
無駄に高いビーフカツレツセットみたいなのを食わせてもらったなぁ。
今となっては良い思い出やわ
金のかかる息子でゴメンよ 母ちゃん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています