【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】4レ [無断転載禁止]©2ch.net
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【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】3レhttps://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1358611883/
かつてほとんどの特急列車に連結されていた食堂車。
かつて多くの急行電車に連結されていたビュフェ。
新幹線にもビュフェや食堂車が当たり前に連結されていました。
流れる車窓を眺めながらいただく食堂車での食事、
今となってはごく限られた列車でしか楽しめなくなりました。
このスレッドでは、食堂車、ビュフェにまつわる懐かしい話を楽しみましょう。
新幹線や九州ブルトレなど、JR化以降も営業していたものから、
新幹線開業までの東北本線、山陽本線、東海道本線等々の特急列車の食堂車から、
場合によっては戦前の食堂車の話まで、
皆様の記憶と知識等々披露しあいながら語り合いましょう >>473
アルミ箔じゃなくて金属製の皿じゃないの?カレーなら楕円形のやつかな
割れないから楽だけど安っぽく見える
あといくらなんでもレスアンカー程度のことでカリカリしすぎだと思う >>474
それステンレスだよ
別にカリカリはしとらん 常磐線は普通グリーンとも酒自販機か売店置いたほうが儲かると思う やくも、まつかぜのカレーの皿が金属製だった記憶がある。
流石特急だと思ったのは、ソース入れにカレーが入っていた事だ >479
食堂車でカレーライス注文したら、カレールーはソースポット入、ライスは皿というふうに
別々なのは新幹線でも在来線特急でもみんな同じだったね >>478
儲けたほうがいいだろ?
ストロングゼロガンガン売れるぞ 寝台特急「みずほ」の食堂車は利用客の減少などもあり、昭和59年頃から軽食主体の
簡易営業となり、ビュッフェとしての営業となったのち、平成3年には営業休止となり、
食堂車は売店の扱いになっていた。 >>478
まあ常磐線に限らず上野からの北へ向かう路線はそれがステータスだからな
このご時世にE531はクロス車多く設置しているし
横須賀線新車は普通車オールロングみたいだから、地域の違いか >>482
はいこのおじいちゃんの記憶間違いのツッコミどころを挙げて 昔、東海道新幹線こだまで営業休止の食堂車の中に調理場に入れる車両があった
その車両はまだお皿やグラスがあったよ
もっと観察すれば良かったなあ 博多行き0系ひかりの食堂車でサンドイッチを食べたことがあるが、
その時のサンドイッチに挟まれていたチーズは、オレンジ色や緑色のチーズだったが、合成着色料で着色されたチーズが使用されていたのだろう。
車内販売や100系のカフェテリアカーで販売されていたサンドウィッチも同様だった カレーの皿はステンレスでフチに模様が彫ってあって
結構きれいに磨かれていたよ。
85年に無くなる直前、白山のサシで食べた時のは。
勿論ルーは別で自分で掛ける仕様。
当時はデパートの大食堂でもカレーはそう出すような時代だね。 寝台特急富士もカレーはSUSだった
別皿のサラダはガラス製だったよ
カレールーはボンカレーかな >487
東海道・山陽新幹線で食堂車とビュッフェを両方営業していた0系「ひかり」では、ビュッフェの
カレーは皿にルーとライスが盛り付けられていて、メニューにはカレーライス780円などと
書かれていたが、食堂車ではルーとライスは別々でメニューにはビーフカレー900円などと
書かれていたりして、食堂車のカレーの方が値段が高くて高級という感があったな ビュフェはハインツのカレーの缶詰を使ってたんだっけ 490
0系新幹線のビュッフェでは、レトルトカレーを湯せんで温めてるのが丸見えだったな >>486
チェダーチーズはオレンジ色
ブルーチーズはみどり色まじり
新幹線のサンドはハムorローストビーフとチーズ
地方の急行のサンドは、ハムとたまごだったね >493
帝国ホテルでも都ホテルでもハンバーグソースやステーキソースは、
ホテルでは料理長が調理場で手作りで仕込んで作るのに対し、
列車食堂のソースは列車食堂部の工場で機械で作られるため、ホテルの料理の味と列車食堂の料理の味は、
やはり違っていたようだが、都ホテル列車食堂の料理は美味しいという人もいたようだ。 帝国・都共にハンバーグは食べてないけれど、
帝国ホテルのビーフシチューは凄く贅沢感があって美味かったと思ってる
値段もカレーの倍以上はしたはず。 特急「まつかぜ」の食堂車営業は都ホテルが担当していたが、いつの頃からか、
都ホテルから日本食堂米子営業所の担当に変わっていた。
「まつかぜ」の食堂車のクルーは、新大阪・大阪〜米子間で乗務するグループと
米子〜博多間担当のグループが米子駅で交代し、米子からは追加材料の積み込みも
行われていた。 食堂車連結列車では、
日本食堂は「高い・まずい・早く食え」が代名詞だった >>496
山陽新幹線博多開業からだろう。
博多開業前は東京〜九州ブルトレも都ホテルの営業があったが、山陽本線昼行特急全廃で
西日本の食堂車営業列車の再編を余儀なくされた。 >>484
「みずほ」は昭和60年3月改正で、ビュッフェ営業から食堂車営業に戻された点かw 特急やくもの電車化後、山陰地区の食堂車連結特急列車は「まつかぜ1・4号」と
寝台特急「出雲1・4」号のみとなったが、「まつかぜ」の食堂車は全区間で賑わうことはなく、またメニューも欠品が多かったが、「大山おこわ定食」だけは用意されていた。
両列車の食堂車営業成績はやはり「出雲1・4」号の食堂車の方が夕食時間帯にかかることもあってか、「出雲」の方が良かったようだ。 >>500
それな
ウィキペディア先生にも書いてあったし 新幹線0系の食堂車は客席の通路側の壁に窓が新設されるまでは、
客席は落ち着いていて、照明も薄暗いオレンジ色だったが、それがまた高級感を
出していて、スパゲティやカレーなどの軽食でも高級に見えて、日本一豪華な食堂車だった。 懐かし板で30年以上前のことを語れる若輩者がいるらしい。
当時自発的に使えた連中が現在は老齢だということもわからん痴性なんだろう。 新幹線0系の営業休止中の食堂車は解放してほしかったね
まあ、100系の食堂車テーブル席は解放してほしかった
20前以上だけど出張族向けとしてね
打ち合わせもできるし
休止だけど、商売に繋ごうと当時は考えなかったのかね 東アジアで食堂車がまともに繋がれてるのは中国とモンゴルだけ >>513
モンゴルは知らんけど中国の食堂車って
その場にある食材で作れるものを作るみたいに
なんかものすごく弾力的に運用されてる感じ
お品書きがホワイトボードに手書きだし
日本の営業スタイルの統一規格メニューを準備して
その中にあるものは極力切らさないようにしてとか
きっちりやる性分が自滅を生んだような気がする
食堂車に限らず工業分野でもそうなりつつある気がするなあ オシ16やオシ17のメニューを知りたいね
オシ35はまた違うのだろうけど >>514 いつもカレーライスとか豚汁位しかない、時折、メニューのレパートリーが増える、それで構わないというのなら中国方式でOK。シベリア鉄道の食堂車もそんなものだそうで。 その時その土地でたまたま仕入れたものでサッと一品つくるという、おきまりのものしか作らない食堂よりレベルの高い話だと思ったのだが、違うのか? シベリア鉄道はモスクワに向かうにつれメニューが増えるとか書いてあったな 物流のレベルが低いから、その場その場で作れるものを作るしかないんだな
外航貨物船の司厨員とかはそんな感じみたいだね
高級かどうかは別として、料理人のアドリブ力は高くなりそう >>521 中国やシベリアの食堂車だと、殿様商売やっているようなものだから、アドリブなんてそう必要でもない シベリア鉄道に限れば停車駅ごとに買い物できるので
高いしみんな飽きて食堂車を使わなくなる >>523 モスクワからキエフ行く夜行列車乗ったことあるが、駅のホームで乗客相手の物売りはたくさんいるが、ろくなもの売ってないわな。 韓国や北朝鮮の特急列車の食堂車でビール注文したら、生ぬるいビールが出てくるという ロシアあたりは他に補給も選択肢もないから食堂車が必要なのであってな >526
作家の故宮脇俊三氏は、ロシア号に乗った時、食堂車は2両あって1両は外人用、
もう1両は一般ロシア人用とに別れていて、こうした区別は気分の良いものでは
ないと、鉄道誌に書いていた。 ロシアをロシヤって表記する書物
特急あじあに乗りてにはロシヤ人って書いてあったっけ。 >>525
ビールを常温で飲むのは別に珍しくない
常に冷えた状態で出てくる日本の方が珍しい 博多行き0系ひかりの食堂車で作家の故種村直樹氏は竹島紀元氏らと
食事し、その時食べたステーキは肉が若干硬く決して良い味ではなかったが・・・と
鉄道誌に書いていたが、それでも外国の特急列車の食堂車で食べたステーキに
比べれば、美味しい方だったとも書いていた。 >>513
タイはどうよ?中国製の新型夜行列車では、TGVのバー車のようなものか!?
モンゴルは所詮、中国かロシアとの国際列車が営業してるに過ぎないだろう。
中国も高速鉄道延伸で、食堂車連結列車は減少気味だな。
元々絶対数が多いので、中国の食堂車はまだまだ多いけどw 100系の食堂車で富士山期待したら雲かかってがっかりしたお子さんは多いだろう
>>532
モンゴルは国内路線もある。ハンガリー料理のグラーシュがあったり面白いぞ。 >>533
スウェーデン・ノルウェーの食堂車に近いなw ハンガリー&オーストリア料理のグラーシュをパクったモンゴル料理のゴリヤシは、
本家と比較しても味付けや料理としての完成度がかなり劣る代物が目立つ。 夜の大阪行583系雷鳥の食堂車は居酒屋だったな
出張のリーマンがビールや酒がテーブルに並んでいて宴会場みたいだったよ 晩年の特急雷鳥の食堂車は酷いものだった
定食ものには使い捨てのアルミ皿が使用されたり、弁当箱のような容器につめられていたり、
ナイフやフォークは使い捨てのプラスチック製といった、駅弁やコンビニ弁当を
食堂車で高い金払って食べるようなもんだった >>538
え、 60-3直前雷鳥はそうなったの?
白山はちゃんとしてたけどな。 「あさかぜ」や「富士」などの九州ブルトレの食堂車のメニューの関門定食
名前だけ聞いたら、フグやウニなど、関門海峡の美味い海産物のセットだと
思わせるが、幕の内だった こだまとかアルプスで売店車ついてたらハズレ扱いされたのかな? >>540
「さくら」以外の東京〜九州ブルトレが、門司営業所に集約された結果のものだろう。
50.3からJR化まで、夜行列車の食堂車営業は東京発着ブルトレだけだったし。
あと下り列車は関門定食の欠品が多かった?
昭和50年代に東京発「あさかぜ」「富士」に乗って、いずれも関門定食がなかった。 サハシ153のそばや寿司列車のメニューと価格を知りたいね 寝台特急「さくら」の食堂車のメニューの「長崎ちゃんぽん」
価格は1000円と高めだったが、本場のものと比べると具が少ない、スープがあまり
ドロッとしていないなどの声も多かったようだが、この長崎ちゃんぽんは長崎駅の
構内食堂のメニューと同じものが提供されていたという。 >>516
オシ16のメニューは時間帯的にも北斗星のパブタイムに近いような感じのものだったのかな。
ただ、北斗星パブタイムと違って定食類は提供してなかった(というよりできなかった)ような感じがする。 >>547
すしのボリュームはどれくらいかね
まさか一貫でこの値段? >>551
一貫30-50円で握り一人前300円からとなってる。
昭和40年代初期で六倍、後期四倍程度すると現在の物価に近いらしい。 北海道の特急「おおぞら」や「北斗」などの食堂車で提供されていた、
「えぞ定食」や「北海定食」
サケやイカの刺身などの盛り合わせかと思っていたら、サケやイクラの載ったちらし寿司に
みそ汁と漬け物が付いたものだった >>554
それでも在来線昼行特急では最後の食堂車だったので、有り難かった。 北海定食、今ならイクラ鮭の親子弁当が羽田空港で買える時代だけど、
あの頃キシ80で食えるという貴重感だけで嬉しかった。おおとりより空いてたオホーツクで数回ゆったりした。 >>557
昭和にそれ求めちゃいけない。冷凍技術・運送業者犠牲の上に成り立つ
生鮮チルドの全国配送でいまや東京でも旨い海産が食える。
ただ、昭和55-60年ごろのファミレスはガストもサイゼなく割と高めだったし
今よりむしろマズイ。 観光地は地元産でないモノ平気で出す高い旅館もあった。
今はそんな商売したら一発で潰れるが。 青函連絡船の船内食堂のメニューの「海峡ラーメン」500円
みそ味と塩味の二つあったが、生ぬるくて不味いラーメンだったらしい らしい?
体験がないなら書き込まなくてよい
海峡ラーメン、個人的には良好な想い出 新幹線0系の営業中の食堂車の狭い廊下とビュッフェ車の食堂部分はいつも、
カレールーとコーヒーの匂いをミックスしたような匂いが立ちこめていて、
いかにも食堂だなと思わせてくれた。
なお、食堂車かビュッフェのどちらかが営業休止中の時はこの匂いはしていなかった。 >>560
体験がないなら書き込むな、とか何様だよ。独りよがりがしたいなら自分でスレ立ててそっちでやってくれ。 例外は当時、生で観ていはいても
入ることが出来なかった(中学生とかでね)悔しい思い出とかはあるかな >>565
食べさせてもらえなかった体験というのも体験だものね 最近の懐かし板は、スレタイの対象の時代には生まれてもいない、懐かしむことができないガキの書き込みが多すぎるんだよな。
ふた言目には老害としか言えないらしいし。 戦前・戦中とかの話なら本のネタや爺さん婆さんの
思い出ばなし受け売りでも良いが、(マスコミだってそうだ)
昭和後期頃の話題を想像で書くようなのは要らんよな。
老害と言われようと実体験を優先したくない? 早速570みたいなガキが湧いたな。
当時を知らないのが悔しいらしい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています