【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】4レ [無断転載禁止]©2ch.net
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【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】3レhttps://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1358611883/
かつてほとんどの特急列車に連結されていた食堂車。
かつて多くの急行電車に連結されていたビュフェ。
新幹線にもビュフェや食堂車が当たり前に連結されていました。
流れる車窓を眺めながらいただく食堂車での食事、
今となってはごく限られた列車でしか楽しめなくなりました。
このスレッドでは、食堂車、ビュフェにまつわる懐かしい話を楽しみましょう。
新幹線や九州ブルトレなど、JR化以降も営業していたものから、
新幹線開業までの東北本線、山陽本線、東海道本線等々の特急列車の食堂車から、
場合によっては戦前の食堂車の話まで、
皆様の記憶と知識等々披露しあいながら語り合いましょう >>26
印度倶楽部が残ってりゃあねえ
伊福部さんが料理長から部長に昇進するタイミングで
看板からトワイライト料理長監修カレーも外しちゃったし >>19
ビュフェを止めて食堂車ならまだしもビュフェ+食堂車でやれば採算が厳しくなるのは予想できたこと
それでも「やる」と決めたら一律でやるのが良くも悪くも国鉄らしいところで民間会社の様な選択などない 俺が子供の頃(昭和40年代)、特急や急行の食堂車ってのは
グリーン車のすぐ隣に連結されるているものと思っていたが、
当時の仙セン、盛アオの電車特急はそうじゃなくて
上野寄りの1号車や2号車にグリーン車が連結されてる編成が多かったな。
>>19
もし実現してたらこんな運用かな?
ビュッフェ編成:5号車および13号車が35形
食堂車編成:8号車が36形、5号車および13号車には売店車25形400番台
東京〜新大阪・岡山、新大阪〜博多の列車は、主にビュッフェ編成が充てられて、
東京〜広島・博多の列車は、主に食堂車編成が充当される。 >>30
運用面を考えればそんな面倒な事はしなかったでしょうね。
151系時代の食堂車+ビッフェ運用の発想が、どっか国鉄首脳部に
あったのだろうか 国鉄時代の食堂車は、正直まずい(特に日食系)という評があったが、あの時代は高速道路のサービスエリアの食堂も「味わって食べたら負け」というようなものだった。
今はサービスエリアでグルメドライブできる時代だから、外食産業も厳しくなったもんだ。 昭和時代のサービスエリアのレストランってそんなにまずかったか?
サービスエリアやパーキングエリアにあるフードコートのような所の飯はあまりおいしくなかったが。 >>32
昭和40年代以降成長してきたファミレスと、人件費削減やレトルト化を
邁進してきた食堂車と単純に比較したらアカンって。 昭和の時代は観光地のフツーの店も
大して美味くなかったから、
食堂車もまぁこんなもんか、で納得していた。
動く中で食えるだけ有難いと。
今でも欧州旅行すると外食の高さが半端ない。
日本のチェーンファミレスのコスパは
イタリア人がサイゼリヤを褒めるほど。 >>34
観光地近くのドライブイン(死語)のメニューは何でもあるけど何でも
不味いと一般で認識されていて無難なのはカレーライスとされていた。
まあカレーライスすら不味かったドライブインも珍しくはなかったが。
SAなんてアイスはメーカー不明のアイス最中やソフトクリームが
市価の二倍くらいの価格で売られていたしレストランのメニューも
「店長お勧め」絶対に避けろと言われていた。
その当時で価格と味と量のバランスが優れていたのは東名高速だと
上郷SAの「豚汁定食」と富士川SAの「富士川定食」くらいだった。 東海道新幹線の末期の食堂車利用したが、まずくはなかったが、
メニューがスパゲティミートソースとか、ハンバーグ定食(的なもの、
勿論正しい名前は覚えてない)とか、昭和40年代のデパートの食堂のような
雰囲気だったな。 三十年くらい前だが浜名湖SAの鰻重は厨房で店員が蒲焼きの保護
フィルムを剥がしてご飯に載せ電子レンジに入れる姿が見えて悲しくなった。
味も予想通りゴムみたいな蒲焼きで不味かった。
それを思うと新幹線で販売しているウナギご飯は冷めているのに美味しい
といえるレベル。 民営化直後、JR東の初代社長の住田正二が、「日本食堂の弁当上手くないから、
京樽(これも倒産したが)に変えたら」という珍案を出したようだな。
住田氏と京樽との私的な関係を疑われてポシャったが。 >>43
だからNRE化した後にM&Aで大増を系列化した訳か! >>43
リテールネット系弁当屋の膳まいに入ってるのもそのつながりなのかな
持ち帰り寿司だと江戸前中心の寿司屋は採用しにくいのも事実だが 20年以上前の冬の100系ひかりだったかな?
時刻は18時くらいで静岡あたりだったか。
憧れの二階建て食堂車に行ってメニュー眺めてたら、
ウェイトレスの美人でもブスでもない姉ちゃんが面倒臭そうに、
「もうハンバーグ定食しか出せないんスけどいいスか?(棒)」
仕方なくそれを注文して、ブラックホール同然な車窓を見ながら
大して旨くもないハンバーグを食った。
それが最後の食堂車での食事だった。
今でも食堂車が残っていれば「あん時の『ひかり』の食堂車サイッテー!」と
罵ってるだろうが、
今となってはそれでも良かったと思える。 >>46
上りかな?
博多昼過ぎの発車になるから、品切れになるのは解る
品切になってなければ、熱海通過までは普通に注文をとるはず 200系のビュッフェに棚を付けてカフェテリアテイストを入れた車両もあったな >>46
1993年10月に神戸に出張し、帰りは100系ひかりだった。
一緒に行動してた課長は広島に行くので自分一人。
くたびれてたので、自由席3人掛けを占領して寝てきた(そんなリーマンばかり車掌も文句言わず)が、
運賃は会社持ちだから二階建てグリーン車と食堂車を楽しむんだったと、後の祭り。 >>47
下り。
ウェイトレス一人だったが、もしかしたら階下厨房もコック一人だったのかな。
客も俺一人で食堂は寂しかったが、 >>49
あなたが、当時、役職なら問題なく上級施設使って領収書出しても問題ないが、ぺーぺーがグリーン使ったらさすがに上司ぶちギレ案件では? >>47
おそらく午後に1往復だけあったJ-ウェストラン(現FSN)の担当列車だろうね。
博多〜東京〜博多の折り返し運用で、もうその頃には東京では共通飲料以外の補充ができなかった。
>>52
食堂車は別撮りでグランドひかりの厨房だな。 その一往復がのぞみの車内販売だけになっても残ってたのが不思議 こだまって車内販売もないんだな。
結構ガッカリ。
16両をワゴン販売って楽じゃないだろうから、
せめて売店スペースがあって欲しい。 九州ブルトレの売店メニューを鉄道博物館で再現したら人気が出るかも 新幹線の食堂車で長時間足止め中に臨時営業して食事を振舞った事例ってある?
排水ピットがある名古屋駅か岡山駅停車中じゃないと不可能
ななつ星in九州で熊本地震に遭遇した時に食材を運び込んで朝食を提供した そもそも新幹線の食堂車って営業を時間で切ってるわけじゃないからな
時間よりも走行区間で切ってるようなものだから
そんな事態になっても食材切れたら営業終了になってただけかと >>59
元・中の人間だが、幹線食堂車なら運転抑止中も営業は普通にやっていた。
もっともそれが長時間となり食材、飲料が切れて通常営業ができなくなるとお手上げ。
振る舞いとしては一度米だけが残っていたので、おにぎりにして無料提供したことはあった。 >>58
焼きそばやたこ焼きなら今でも東武スペーシアの売店で扱いあるだろう
スペーシアはチャーハンがニチレイのラインナップ変更で販売終了になったんだよな
チューカハンはいまいちだったみたいだし チャーハンといえば九州のつばめの787系の飲茶シリーズは結構良かった 九州のビュフェメニューはチャーハンをチャオといってたな >>61
怪奇マンガのエコエコアザラクで、大食漢の客が積み込んだ食材を平らげたのにまだオーダーするので、ウェイトレスを捌いて?
というブラックなエピソードがあるのを思い出したw 懐かしいw
大食漢の客は政治家か何かの権力者で食材を食い尽くすと
次に料理長は乗車中のペットを集めて料理して
最後はウェイトレスの1人を調理して提供して政治家のご機嫌を取ってたなw >>56
5分停車で売店を覗き込むのが、こだまの楽しみではないか
背伸びして外の空気を吸うだけでも気分転換になる とはいえ待避で長めに止まる様なこだま停車駅の売店にはロクなものがない
業者もヤル気なさそうで >>68
ほとんどの駅止まるじゃん、どこのこと言ってんの?
静岡の親子めしとか冷凍みかんとかおいしいよ >>70
静岡県内の駅だとホーム上に、売店がある方が多いので
5分停車のこだまでも間に合うが、そうでないところは難しいと
思うぞ。 あの、こだまって東海道だけじゃないんですが・・・
特に広島〜新下関は売ってる弁当が地元業者壊滅で広島の弁当を運んできてるだけ
しかもホームはおろか改札内全体を見ても売店すらない駅もある こだまでも広島〜小倉は弁当一つでなんとかなっちまうんだよなあ 確かに山陽は新幹線ホームの売店がなくなっただけではなく、ホーム自体が古くなって荒廃してる印象が
床がザラザラになってたり
大阪から東京への帰り、ひかりに乗って浜松や静岡でののぞみ通過待ちで売店や駅弁屋に行くのが楽しみ ワシはのぞみに乗る前の東京駅や名古屋駅、京都駅なんぞで
買うのが好きじゃがのう >>77
椎名誠が30年ぐらい昔にそんなエッセイを書いていた記憶が 新幹線のビュッフェメニューは
JR化後はどんな感じだったのだろうか >>80
JRになる前から、カレーとかサンドイッチはあった記憶があるが
殆ど売店と化していた。 食堂車で中華鍋使ったという話は無いな
あれ家庭用の数倍の火力のガスコンロ必須だとか
食堂車は流石にガスは使えず電熱器を用いてるが最近のはIHで出力が大幅に向上した >>82
石炭レンジの方が熱量が高かった言う話があります >>82
そりゃカマに使うレベルの石炭を融通して貰ってた程だからな。
宇都宮さんの著書にも記されてるから。 >>81
ウエストひかり以外の東海道山陽新幹線では食堂車よりも早くビュッフェが
撤退したはず >>80 >>81
東海区間で0系16両ひかりがそれなりに走っていた96年3月までは規模を縮小しながらもビュフェとしての体は保っていた。
だが要員と運用の関係もあり、以後は完全な売店化。西区間ではウエストひかりが頑張っていたが…
>>85
16両編成新幹線だと
95年1月で0系食堂車営業終了(前年12月から1往復限定営業も、地震運休で2カ月終了前倒し)
その後は0系ではビッフェのみの営業
98年中に0系定期ひかり(名古屋〜博多)でのビュフェ営業終了
99年9月に0系定期こだま営業終了
00年3月に100系食堂車営業終了
余談だが00年3月改正よりレールスター導入でウエストひかりも同年中に定期運用終了 駅弁と比べると食堂車やビュッフェは写真などの資料が少ないんだよなあ
デジカメが普及する前やもんな ジェイアール西日本フードサービスネットが
新幹線の食堂車とビュッフェを担当していた時期があるはず
(名称変更後に) >>88
FSNは元々日本食堂でジェイダイナー東海とは同根企業。
その後は山陽新幹線を主体に営業してたよ。
主に線内完結で東海道新幹線直通は殆どダイナーの担当だった。 339回想774列車2017/09/06(水) 22:01:03.76ID:oFBdCCa4
日食→JD東海(現JRCP)にいた人によると新幹線の食堂車は部門単体(非車内販売)では
博多開業前の営業開始から2000年の営業終了まで一度も黒字になることがなかったという。
繁盛列車の黒字よりも一部閑散列車の赤字がすべてを食いつぶすパターンだったものの
営業トータルでは車販の黒字で賄えたので大して気にならなかったとのこと。
ただ1980年代に入ったあたりから要員(職員定着)難が加速していたため
東阪間用への非営業列車(G編成)の導入は渡りに船だったようだ。
なお当初の計画では2000年代半ばまでは100系による食堂車営業を続ける見込みだったが
阪神大震災をきっかけにJRに終了の前倒しを要請することになったそうだ。
340回想774列車2017/09/07(木) 19:18:19.61ID:8YJtZJil
>>339
オレは組合の幹部から
平成5年のBT救済合併でJDの財務が悪化しそこに震災営業停止が追い打ちで決断
って聞いた >>90
親方日の丸にて丼勘定、また営業所ごとの独立採算制だった日食だから
この赤字っていうのはただの営業赤字じゃなく、採用とか設備投資といった
食堂車運用で発生する間接コストを含んでのものだろうな。
まぁ阪神大震災による運休は3か月弱だったから会社が傾くのも当然だわな。 今ではこだまでは車内販売がなくて自販機もないから
非常用の水を積んでいる ただでさえ乗る機会の少ないころだから
Gなんか目もくれずにXかVばかりだった
Gに乗る機会ができるころにはカフェテリア自体がすでに営業終了 食堂車1階の売店はイートインができないビュッフェって感じだったな >>93
食堂車の下の方か、カフェテリアの方か?
食堂車の方は37形式の代わりだったし、カフェテリアは最初の頃は
バブル期もあって、ちょっと贅沢感があったが、段々品ぞろえが
悪くなってきた。 景気はあまり関係なかったろ
食堂車から車内販売、そして駅構内にコンビニを入れるまでの過渡期の
中間的存在だったということ >>96
その頃のバイトだが
ひかりの食堂車・売店とも93年3月ののぞみの毎時1本&山陽直通で客層が変わり少しずつ低迷していった。
それでもカフェテリアは95年1月の阪神大震災による運休&営業縮小までは全盛期とそう変わらぬ品揃えであった。
だが以降はコストの見直しと0系置換による300系のひかり導入加速もあり取扱いアイテムが減少。
卒業する96年3月頃には全盛期から半減。1年後に乗った時にはただの売店に成り下がっていた。
当時で覚えていることとしては
のぞみ(全車指定)の増発で車内販売の売上が下がり、車窓販売(ホーム売店)の売上が伸びたこと
とくにグリーン車での販売が落ち、個室からの注文も減ったこと
300系は3.7.11.15に販売基地を設けるも販売不振で95年秋ぐらいからは7と11しか使わなくなったこと
(N700の喫煙コーナーはもともと車内販売基地スペース) >>98
こだまにG編成がある程度運用されるようになった頃は
こだまでカフェテリア営業をしていたはず >>98
やはりデフレ不況ですっかり販売形態が変わっちまったのな >>99
300系置換でひかりから押し出された100系G編成がこだまで運用され
カフェテリアも営業していましたが陳列・販売していたのは
弁当、飲み物、おつまみ、お土産と車内調整のシウマイやたこ焼き等。
全盛期のカフェテリアは「洋和食の一品料理」と紹介していた個食が充実していたが
それに比べるとただの売店レベルですよ。 それってサービスコーナーがカフェテリアと呼ばれてたってこと?
それとも量産車と違う営業方法だった? >>98
指定席が増えると予めホームで買う客が増えて、そのぶん車販の売上が減るってことね。
あとカフェテリアはホームの売店と同じ商品がけっこうなかったっけ? >>102
ただそのような形でも営業しているだけよかったかも
後半は営業すらしてない列車すら多かった >>106
東京-新大阪だけの時はグリーン車デリバリーの基地だった ビュッフェも売店も、要するに車販基地になっちゃうんだよね
500の売店は、500のグッズが置いてあったからよくいったが、売店廃止になったら板で覆われちゃった 近鉄のプレミアム特急「しまかぜ」「青シン」には
そんな状況に陥らない事を願うばかりだね。 >>109
本当に必要なものは乗車前に買ってくるし
わざわざ車内を往復100~300mを歩いて売店まで買いに行くのは少なくなるよ。 0系35形の売店・キハ81系の売店・
157系の売店・20系客車の売店
に行ってみたかった。
そういえば、2008年の0系3号車には売店跡がありましたが、あれは営業していたんでしょうか? サハ164ってのもな。
白山もけっこう乗るは乗ったが混む時期だったから、サロンは行けず終い。 >>112
0系の売店スペースは車販準備室で使用されてたよ 民営化直後くらいまでは売店付き車両の投入も多かったんだよな
681系とか783系とか383系にまであったり
今も残ってるのは251系くらいか >>111
結局それ。100系カフェテリアに行かなかったのも食堂車ほど
出向く価値が感じられなかったからなぁ。
近年で移動してまで行きたいと思ったのは787系ビュフェくらい。 東海道だと自由席客の避難場所になっていた面もあったね。
>>117
八代を超えたあたりの海岸部の後継をアテに飲むのは良かったよ。
アテンダントのおねえさんの力も大きいかね。 >>115
681の場合は、スーパー雷鳥に食堂車改造のビッフエというか
売店があったからでしょうね。 >>119
白山と雷鳥は国鉄時代から供食設備が重視されてたみたいですね
長時間乗車が多いと判断されていたのか
スーパー雷鳥サロの「だんらん」時代のビュッフェの画像探してるんだけど
見つからねえな・・・ >>118
鹿児島本線だと阿久根あたりの今は肥薩おれんじの辺いいねぇ。
よく乗ったのは空いてるにちりんシーガイアの方で、嫁さんと高千穂行った時に
アテンダントさんが記念写真撮ってくれたよ。 200系のビュッフェとカフェテリアを再現した店を鉄道博物館に出せば人気出そう もう閉店しましたが、
九州鉄道記念館にあったカフェは
古の787系のビュッフェを模した
テーブルとバータイプの椅子が設置されていました。 地上にかつての食堂車を模した店を出しても長続きするところが
少ないんだよなあ
やっぱり電車という限られた空間で他に選択肢のないところで営業することに
価値があったわけでな >>124
故宮脇俊三氏みたいに言えば、メインディッシュが無い、からか
「流れる車窓」という >>120
「白山」は、昭和53年10月から昭和57年11月まで、食堂車が無かったのはいただけなかった。
上野発着特急の編成を単純化する目的はあっただろうが。
JR化以降も首都圏~北陸の通し客はそれなりにいたけど、1往復化されて減少した感じだった。
1往復なのに「L特急」のままは笑えたけどw >>126
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> 1往復なのに「L特急」のままは笑えたけどw
一往復だけだが、あさま の延長運転という発想で行けば、グループの一員だから、まあいいのでは ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています