【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】4レ [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
前スレ
【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】3レhttps://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1358611883/
かつてほとんどの特急列車に連結されていた食堂車。
かつて多くの急行電車に連結されていたビュフェ。
新幹線にもビュフェや食堂車が当たり前に連結されていました。
流れる車窓を眺めながらいただく食堂車での食事、
今となってはごく限られた列車でしか楽しめなくなりました。
このスレッドでは、食堂車、ビュフェにまつわる懐かしい話を楽しみましょう。
新幹線や九州ブルトレなど、JR化以降も営業していたものから、
新幹線開業までの東北本線、山陽本線、東海道本線等々の特急列車の食堂車から、
場合によっては戦前の食堂車の話まで、
皆様の記憶と知識等々披露しあいながら語り合いましょう >>202
あれを鉄道博物館とか食堂車を再現したところでやればいい 九州ブルトレの朝食営業がバイキングだったのって食堂車営業末期だよね
あの狭い通路でバイキングなんてすれ違いも大変そうだけど
むしろ利用客が少なかったからできたことだったのかな
>>206
フェリーの朝食バイキングがあるぞ >>207
バイキングは90年代始めぐらいまでで
そのあとはチンケな和朝食のみになったな >>208
一時期中華粥が朝食メニューにあったはず 181系ときで営業していた聚楽のメニューに
中華物があったらしいが聚楽って中華の店? >>210
上野駅前の洋食屋とか万世橋付近でホテルやってるとこ 聚楽はもともと巨大大衆食堂
なんでもあるけど高級ではないし、飛び抜けてうまいわけでもない そりゃそうよ
列車内で食堂やってたというのが最大のステータスやもん 九州ブルトレといえば柳井のあなご飯をゲットする為に積み込まれた号車まで行くのが儀式だった
そしてゲット出来ず徳山のり巻き弁当しか手に入らなかった時の敗北感といったらもう >>215
せめて「出雲」末期のように食堂車が残っていたらねえ。
どのスレに乗っていたか忘れたが、14系以降の食堂車はオシ16ベースで
作っていたら、もうちょっとマシな供食体制が残っていたかもってあったけど
そう思うところはあるね。 柳井は富士ぶさのためだけに作っていた幕の内な
徳山のあなご飯も会社自体の廃業で終了 聚楽は伊東とか地道に手広く経営してるね、食堂車もやってたんだ
新幹線の都ホテル帝国ホテルより驚き 聚楽、その流れで200系ビュフェもやってたが、いつまでだったかはよく覚えていない 東北新幹線の一人用個室乗りに行ったとき
元カフェテリアらしきところが手もみ屋に
なってて悲しくなった。 聚楽と聚楽よーの区別がつかなかった当時小学生のオレは、時刻表の上越新幹線のページに並ぶ聚楽の文字に戦慄した >>220
カフェテリアは受付でマッサージ室は4人用個室の区画をつぶしたところにあった >>221
> 聚楽と聚楽よーの区別がつかなかった当時小学生のオレは、時刻表の上越新幹線のページに並ぶ聚楽の文字に戦慄した
そりゃ戦慄だな
オマケに、聚楽、極楽よ〜、もあったろ 電車サシの運転台を本線用に改造し、7両+食堂車+7両にすれば、
「かもめ」「みどり」以外でも分割・併合特急出来たんじゃね?
と今でも思う。 クロ151ならぬクシ151的展望食堂車はいいな
バータイム一杯数千円で展望座席に30分座れるとか銭ゲバ九州ならやりそいか >>226
東京〜長崎・佐世保の583系特急で、そんなのを妄想したな。
編成
BBBGBBB+食+BBBGBBB
食堂車は長崎編成の最後尾に連結したまま長崎へ。
BBBGBBB+食
そんで長崎で食堂車を反対側に連結し直して、上り列車として出発。
食+BBBGBBB
肥前山口で佐世保編成を後部に連結して、改めて東京へ。
BBBGBBB+食+BBBGBBB >>228
東京〜長崎・佐世保だと食堂車2両連結のさくらもあった 0系ひかりは、5号車と13号車をビュフェ、9号車と10号車をグリーン車、
8号車を食堂車にして欲しかったな。
そうすりゃビュフェの客も少しは増え・・・ないな。 >>228
九州夜行が最後まで電車化されなかったのは、合理化で寝台の組み立て
解体が走行中はできなくなってきたのも原因かもね。
むしろ、京阪神-九州間での現実的かも。 キハ82時代の白鳥も直江津で分割併合してたから食堂車2両連結だよね >>232
そもそも583系は基本走行中の寝台組み立て解体はなしでごく一部の列車しかやってなかったし
客車も二段ハネなんだから関係がない >>233
白鳥の場合はどちらかは非連結って訳にも行かなかっただろうからなあ
つばさも二両になったけどこの二つは結局列車自体が別になってるね
かもめだけ長崎編成は食堂車なしになった 滋賀の平和堂、頑張ってるが、如何せん、田舎で客少ない所に
店舗構えて大変でしょうね。
大津駅前、近江八幡駅前、彦根駅前、そして米原駅前。
平和堂も駅前店舗は振るわないね。
草津店(Aスクエアじゃない方)、守山店(駅前の方)も、石山店(駐車場で何か工事が始まったけど建て替えるのかな?)も怪しい感じだし・・・。
まぁ電化製品や衣料品などは、品揃えなんかも考えると、直営より専門店をテナントとして入居させた方がいいかもね。
平和堂米原店の営業、当面継続へ 食料品中心に規模縮小
1/13(土) 23:50配信
京都新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180113-00000083-kyt-bus_all
大手スーパーの平和堂(滋賀県彦根市)は13日までに、2月中に閉店する方針だった
JR米原駅西口の米原店(米原市下多良2丁目)の営業を当面継続すると決めた。
売り場の規模を縮小して食料品中心にするという。
同社によると「米原市や地元住民の要望があったことなどを総合的に判断した」という。
2階の衣料、住宅関連の日用品を1階に集約し、2、3階は閉鎖する。
「今後のあり方は社内で検討する」としている。
同社は、売り上げ減少や土地・建物の賃貸契約満了を理由に昨年3月、同店の閉店方針をテナントなどに説明していた。
しかし、地元住民が7月に「平和堂の存続を求める会」を結成、1300筆を超える署名を同社に提出、平尾道雄市長も存続を要望していた。 >>235
『白鳥』、『つばさ』、長崎・宮崎時代の『かもめ』の食堂車2両連結は、
80系の制御回路反転がキシ80だったからと、分割してからの距離と所要時間も長いからかな。
長崎・佐世保時代の『かもめ』は、分割してからの距離と所要時間が短いし、
要因確保も大変になって来た時期になったから、制御回路反転をキロ改造にして対応したのかな。
でも熊本・大分時代は『みずほ』や、西鹿児島・長崎時代の『はやぶさ』『あかつき』は、
分割後の距離も時間も長いのに食堂車1両連結だったな。
『さくら』は末期的なった頃に食堂車2両の時期はあったが、
もう食堂車は食堂としては >>237
ブルトレの食堂車無し側編成の単独走行区間って食事時間外れてね?
>>238
電車特急は食堂車1+半室ビュフェ1
電車急行は半室ビュフェ×2 >>230
>食堂車2両連結のさくら
その頃はすでに売店と言う名の“空き家”だったw 羽振りが良かった頃の電車急行はビュッフェ二両がグリーン車二両を挟む運用だったが、
山陽〜九州急行だけは、編成の上り方と下り方に分散。
新幹線もビュッフェ二両時代は同様。 東海道線の電車急行時代のメニューってどこかにあるかな? >>241
売店としての食堂車が連結されなくなった後の
富士・さくら・はやぶさは一部の区間のみは車内販売が乗るけど
ほとんどの区間では車内販売すらない事態になったからな >>28
食堂車の供食能力考えたら両方あっても不思議じゃないし
食堂車の採算性の悪さは人件費だから
たとえ完売でも儲かる仕事じゃない
だから食堂車会社はホテル直営から子会社になったところが多かったわけだが まあ人間なんてのは食ったら出さなきゃいけないんだな >>248
末期は、各営業所とも寝台特急以外の食堂車なかったわけだから
スケールメリットも得られなかっただろうね。
>>247
そういう意味ではオシ16のような形が14系の食堂車だったら
供食という意味ではもう少しマシな状況じゃなかったろうか。 下世話な話だが、相川恵理のウエイトレス姿が懐かしいわい。 >>231
36形は27形に機器を分散搭載してたのでそれは無理。 食堂車って指定席が取れなかった客がずっと居座るとかなかったのかな? あった。街の喫茶店みたいにコーヒー一杯で粘るとかね
だから全席指定じゃないとフリースペース設定するのは難しい
(それでさえ居座る人いるし) 爆笑問題が堂々と言ってたな。
ウェイトレスに追い出されたって、当たり前だわ。 座席夜行までの暇つぶしに調味料とか紅生姜で粘ったのも今は昔・・・フォッフォッフォッ >>254
全席指定でも昼行の特急は
立ち席特急券と言うものがあってな…
昔はのよく食堂車の世話になったw 787系つばめにビュッフェがあった頃(JR後の特急では珍しい「サハシ」だった)、出てきたチャーハンが、当時マックが盛んに売り出してたマックチャオ(当時のマックはハンバーガー以外のメニューを盛んに展開していた)と同じものだったことで唖然とした。 >>258
メニューも「〇〇チャオ」となってたのでは? 流石に車内にLPガスボンベを搭載する事が出来ず電熱器を使ってて火力が弱く調理時間短縮のために半分調理した食材を積んでたんだよな
ななつ星とかはIH調理器で火力が大幅に増えたため1から料理を仕込むことが出来るようになった
石炭レンジは北陸トンネル火災事故で懲り懲りになった >>260
ドイツの食堂車にはガスボンベ搭載のものがあったらしい ななつ星で特別企画で料金やすくする分食堂車のメニューを
九州ブルトレのJR化後のメニューやつばめのビュッフェメニューにしたらどうだろうか
例えば
朝食がバイキングや中華粥やミートソースパスタ
夕食がきじ定食やちゃんぽんやチャオなど イネのスイートから食堂車行ってそんな食事出されたら、通常料金払って通常メニューにしときゃ良かったって後悔しそう ななつ星に乗るような客層がそういうものを喜ぶとは思えないなぁ。
そういうのは九州鉄博の企画展でやるくらいしかないのでは? 平成元年頃の東海道ブルトレの朝食時間はバイキングだった
食堂車の売店化まで続いたかは不明だが ななつ星特別企画 懐かしのつばめビュッフェや九州ブルトレの食堂車のメニューを再現して
ななつ星の食堂車で提供
特別企画のため料金は通常のななつ星より大幅に安い料金で提供で
食堂車や売店やビュッフェが懐かしい人や普通のななつ星が確保できない人がターゲット
1日目昼食 なすとひき肉丼+ピリ辛ビーフン(つばめビュッフェ再現)
1日目夕食 カレー+皿うどん(食堂車再現)
2日目朝食 レストランでの朝食(通常のななつ星と同一内容)
2日目昼食 うなぎご飯+シューマイ(ブルトレ売店再現)
2日目夕食 やきラーメン+たこやき(つばめビュッフェ再現)
3日目朝食 中華粥(食堂車再現)
3日目昼食 牛丼+おでん(ブルトレ売店再現)
3日目夕食 きじやき定食+牛肉のたたき(食堂車再現)
4日目朝食 食堂車車内でのバイキング(食堂車再現)
4日目昼食 黒豚チャオ+ミックスピザ(つばめビュッフェ売店の再現だが通常のななつ星のお弁当箱で提供)
ティータイムメニュー ホットケーキとチーズケーキ(つばめビュッフェ再現) ななつ星のラグジュアリーな食堂車でそんなもん食ってたら虚しい気分になりそうだ
安くするったって半額になったとしても40万以上だからねえ
それで3泊4日ビジホかコンビニ程度の食い物で過ごすって誰も得しないと思うよ
客層を悪くするとななつ星のブランドイメージにも傷が付くし >>268
同じツバメならオシ17時代とか再現してらほしい
もしくはビュフェ再現ならオシ16みたいなのか
寿司ビュフェがいいかな
ビュッフェじゃないよ ななつ星の食堂車で復刻企画やるなら、「特別急行列車の食堂車」が相当のステータスだった戦前あたりの時代を復刻しないと客層にも料金にも見合わない気がする
ハネ主体のクルーズトレインでもあれば、戦後〜昭和後半くらいまでの復刻も良いと思うけど >>272
果物が「時価」ってw
高級すし店だと「時価」表記がよくあるが
ただぼったくりの懸念がありそう
東京都は価格表の掲示が条例で義務付けられてる 板さんが同乗して握りたてを出すって四季島でやってるんだよな
3泊4日コースと2泊3日コースの最終日の昼食で
あとカシオペアクルーズでもやってるコースがあった
お好みで握ってくれるわけじゃなくてセットメニューみたいなもんだけど >>268
そういうのやるんだったら肥薩おれんじ鉄道の食堂列車でやったほうが。 九州ブルトレのロビーカーのバーカウンターみたいなのをもう少し活用できなかったのかとは思う >>281
食堂車が売店扱いになってのちに
食堂車の連結を止めた時には車内販売自体が短区間だけ乗るスタイルになったからな
ロビーカーのバーカウンターはあまり活用された感がなかった 瀬戸・あさかぜのラウンジカーも奥にでかい業務用レンジの付いた売店コーナーがあったけど活用されずじまいだったね 一般家庭ではあまり普及してなかった電熱器が食堂車で使われてたのは画期的だな
一般家庭よりも早くオール電化が進んでたといえよう
電子レンジも一般家庭よりも早かった 急行きたぐに火災事故の頃は時代遅れの石炭レンジ使ってた オリエント急行来日の時は本来日本国内で使用できない石炭レンジが特認で使用されたな
防火専任の見張りを付けて特認を得た >>290
石炭ストーブじゃないとシベリア鉄道に通れないからね >>267
新幹線や北斗星などでもバイキングスタイル取り入れても良かった ロイヤルホストは値段が高いが客層がいいから、いつも利用しています。
>暴走族のたまり場になり苦闘
○暴走族、ヤンキーの生息地域
昭和:すかいらーく、コンビニ、学校(校庭をバイクで走り回る)
↓
平成:ドン・キホーテ、ガスト、サイゼリヤ、コンビニ
うちの近くのすかいらーくも若者の溜まり場化してましたね。
若者は集団になると気が大きくなるんだけどモンスターよりはマシだと思いますよ。
有閑マダムのたまり場になっている店にも困るよね
ランチの席の回転が最悪で、店には営業妨害、ほかの客には待ち時間が長すぎて嫌われる
子どもの頃に近所の店に、家族で行ったなぁ
あまり裕福な家庭ではなかったので、たまの贅沢でした
今の子供達は、ボタンを押せばジュースが出てくるけど、昭和の子供達はドリンクバーなんて夢のような機械はなく、
グラスに注がれたジュースを大切に味わって飲んでいたのを思い出しました。あと、専業モンスター軍団も居なかった。良い時代でした。
すかいらーくなー、昼間は大笑いしてるBBAがいて居づらい、夜は珍走団がいて入りづらい。詰んでる
大学の近くのマクドとかに行くと図書館状態になっている。あれは一般の利用客に迷惑だし、営業妨害だよ。
最近の暴走族は金が無いからファミレスなんて行けないよね。昔は裕福だったよ いつも気になるんだけど、揺れる車内でバイキングって大変そうじゃない?
トレイにおかず盛って自席まで持ってかなきゃいけないわけでしょ
カシオペアとか北斗星の食堂車のウェイトレスさんたちガニ股で踏ん張ってたような印象があるんだけど
ところで鉄博の新館にレストランが新設されるそうな
秋葉原の交通博物館みたいに食堂車風になってたりするんだろうか バイキング方式の食堂車をやったのはさくらはやぶさ富士ぐらいだったろ
食堂車末期に朝食でやってみたものの客足がさらに遠のいたようだぞ 客足がどんどん遠退きかけてたところに新機軸を打ち出す&コスト削減を同時にやろうとして、結果的にトドメを刺したってことかもね
北斗星は食堂車でウェイトレスがサーブしてくれるフルサービスの飯を食えるのが売りだったわけで、わざわざバイキングにする理由はないわな
新幹線の食堂車は寝台列車みたいに朝晩の営業時間が限られてるわけでもないから、そもそもバイキングに向かなかったのでは 一度バイキングの朝食を食ったことがあったがすごく取りにくかった。
細かい事はもう忘れたけどたしかテーブルの一席に料理置いてあってセルフサービスで料理よそって自席に戻るはずだった。
揺れてる車内で両側テーブル間の狭い通路1本しかなく複数人の客が行きかうのも無理があった。
それまでの和朝食洋朝食ならウェイトレスが料理を持ってきてくれたからね。 朝食バイキングはビジホのように動かなく、なおかつ通路もゆったり
料理もおけるスペース無いと無理だわな。
狭い乗り物供食というと機内食形が理想と言われるのも仕方ない。
その現状がグランクラスの弁当で。 まぁ、あからさまな経費削減なんだろうからねぇ
末期症状っぽく見えるのも無理はない 東京発夜行の末期症状はその先があった
東京発下り車内での車内販売あぼーん 飲食業届出は車両基地のある自治体で車両単位でやってたな
食中毒やらかしてその車両が使用停止になって編成から抜かれた事例ある? 記録上急行きたぐにの食堂車火災ぐらいしか目立たねえな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています