>>151
日本食堂としての末期にブルトレ時代のエースだった門司などの営業所が整理統合され博多へ集約。
JR移行時に九州の在来線部門が独立し、翌1988年の日食本体の分割時に博多では
東海道ブルトレや新幹線東京直通などの部門がJD東海(現JRCP)新博多
山陽新幹線のビュッフェ営業主体でにっしょく西日本(現FSN)博多として再スタート。
JDの新博多は帝国や都の撤退とBTとの合併までは勢力拡大も食堂車の営業縮小とともに減退。
2000年の食堂車営業終了後は>>142のような状態となり2003年に博多から撤退となった。
ちなみに2000年前後に過剰となった博多や広島の人員を東海エリアへ異動させようとしたが
ほとんどの人はそのまま退職。列車食堂ならともかく駅構内や弁当工場で働くなら
わざわざ転勤してまで残ろうとは思わなかったようだ。