昭和40年頃電車特急「つばめ」で伯母と広島に行った時、
東京で乗車して間もなく食堂ボーイさんが、
お昼のお食事のご予約を承ります、と車内を回って来て、
1回目、2回目希望とコースの注文を聞いて書き込んで行く。
伯母はチキンのコースで私はお子様ランチだった。

食堂車で伯母の前に大きなママのチキンが運ばれて来ると、
伯母はウエイターさんに、お手数ですけど骨を外して頂けないかしらと頼んでいる。
ウエイターは心得たとばかりに厨房に一旦下げてそれから綺麗に骨を外したお皿を持って来た。

食事が終わった会計の時に、
伯母は手間を掛けたわね、と別にポチ袋を渡していた。

同じ頃、
常磐東北夜行急行「北斗」の2等寝台に乗ると、
寝台車専属の列車ボーイさんが居て、
駅弁やお茶を買ってきたり電報を頼まれたりで、
子供には「おぼっちゃま」「お嬢ちゃま」と言って至極腰が低かった。
駅に着くと付近で手摺を綺麗に拭って、
乗客の手荷物を駅の赤帽に受け継いでお仕事は終了。

なんであの頃はサービスにあんなに人手を掛けられたのだろう、
(2等は3等の倍の運賃で、1等は3等の4倍の運賃だったけど)
それとも人手が掛かって国鉄が赤字になったのか、
ある程度の富裕層ではサービスにチップは付き物と心得ていた気がする。