【月光型】581/583系スレ【寝台電車】 [無断転載禁止]©2ch.net
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今年2017年に兄貴分の485系一族と共に消えた月光型寝台電車の581/583系スレでございます。 そりゃ山陽新幹線つくらなければいけないほど需要がひっ迫してたからだろ。
特に貨物。
あと月光みどりなら大阪側は東海道山陽北陸山陰から列車が来るが、大分なら
全然来ないし、南福岡もまだ余裕はあるんじゃね? 77氏の
博多1945→月光(ヨ)→545新大阪930→みどり→1935大分(ヨ)930
←ここで一晩寝てしまうのが惜しい。組合が保守点検時間確保する為すぐに折り返しを認めなかったという事じゃないのかな?
→みどり→1945新大阪2330→月光(ヨ)→920博多 >>89
「月光」に加えて新大阪〜大分にも夜行寝台電車を同時に運転するには4編成が必要だが、1967年10月の581系運転開始時には
12両編成3本+予備車8両(モハネ4両、クハネ2両、サハネ1両、サシ1両)の計44両しか新製されていない
1968年3月に6両を追加新製して12両編成4本+予備車2両(クハネ1両、サシ1両)の布陣にはなったが、これでは予備車が足りず
大阪〜大分間の寝台電車の毎日運転は不可能 こんなイメージ
夜は南福岡と向日町にある編成がお互いに移動して入れ替わる
昼は向日町と大分にある編成がお互いに移動して入れ替わり、残る南福岡の編成は必要な検査と修繕、車両の差替えを行う
博多(南福岡) 新大阪(向日町) 大分
夜 ○→ ←○ ○
昼 ○ ○→ ←○ 車体重量の重さは限流値アップでカバーしてるんだな
485系が440Aに対して583系が460A
上越の183系がもっと凄くて500Aだった 1967年当時の検査体系は要検が1年6ヶ月毎(距離制限なし)、全検が3年毎なので、1968年3月の追加新製分の6両は工場入場の
予備という性格が強そうだな
月光・みどりの往復の運用でも3日で2850kmも走るとなると、1年ちょっとで国鉄末期の要検の距離期限40万kmに達してしまうんだな
>>92
そういう面でも酷使してたんだね 向日町の583系方向幕のマスキングテープが出てたんだな
一度1月下旬に大阪駅のお土産売り場で見つけたが
実家+旅行にいく時だったので「荷物になるし、まあ旅行後に買うか‥」となって
それっきり見かけずorz
PCに取り込んでNゲージに使えれば‥と思ったのだが
よく考えたら大した荷物にもならなかったのだが 昼夜問わず酷使されて走行距離が485系やブルトレと比べて半端じゃないくらい多くなって20年未満で廃車になったの結構多かった
419系は当初新車投入までのつなぎで使い捨てのつもりだったがどういう訳か延命N40工事が行われて2010年まで活躍して583系より期間が長かったのがあるのが意外 クハネの前位寄りに客用ドア付けた意味がわからん
モハネ582との間にドアが無いため末期はドアが無い箇所がある旨のアナウンスを頻繁にしてたが知らない客はドアを探して客室内を右往左往する客が多かったのか?
485系とはドアの位置が全車逆である しばしば議論されることだが、揺れる車端部を客室に充てているという点では
485系のレイアウトは優等車両としてあまり褒められない。
583系は、使用が集中する朝晩を考慮して各車にトイレが2つ必要だった。
これをデッキと一まとめにすると、床下ではステップと汚物タンクと台車で場所の奪い合いになり、艤装が成立しない。
そのためデッキを前位へ持っていったと思われる。
のちの715・419系改造でも、ステップ付き乗降扉の増設は台車(まくらばり)を避けて行われている。 シュプール号で583系に485系のモハユニット挿入してた事があるが編成が凸凹どころかドアの位置が逆だった
駅での乗車位置案内や車内での降り口の案内に苦慮しただろうな 昔はホームの吊り下げ案内板をずらせば済む万事アナログな時代だったし、
デッキの前後が変わることは485系の上りクハやブルトレの緩急車で普通にあったので、
別にどうということはなかった。
運行管理システムと連動した電光案内やホーム柵と共存せねばならない現代とはやはり感覚が違う。 >>86-87
当時は労使関係の問題もあった。春闘時に国鉄ストが年中行事だった。
そのため583系夜行の速度を上げたくても動労が応じなく、20系寝台特急と似たような
速度にせざるを得ない実情があった。 >>109
そうじゃなくて特急同士で追い抜いたら利用が偏るし客から苦情が出るからだろ 雁行が一番本数増やせるんだよな。山陽は列車密度高いし
ゆうづるは客車と電車の差を上手く利用してたけど >>110
順序を変えればいいだけの事。最盛期のゆうづるのようにするのも不可能ではなかっただろう。 >>112
知ったかはそれくらいしにしときな
当時の山陽線のダイヤを見れば実にバカなことを言ってることに気付くぞ >>111
対北海道輸送と対北東北との輸送という二つの目的を持ち、全列車ともに運行区間が同一で全区間が電化されていたゆうづると、
行き先がことごとくバラバラで九州内に非電化区間が数多く残っていた関西夜行特急群を同一視してる時点でアホそのものだよな
7往復あったゆうづるでもゆうづる同士の追い抜きは一切なかったっていうのにな 山陽線は勾配を避けた建設時のルート選定が影響してR600前後のカーブが非常に多く、
特急が走るようになっても100km/h以上まで引っ張れる区間が少なかった。
ヨンサントウで20系が110km/h改造されても、
関西発の直流区間は元の95km/hで十分とされ、EF65PではなくEF58があてがわれた。
もっとも常磐線も当時は線区最高速度95km/hで、20系を牽くEF80も最高100キロだった。
戦前から用地買収があった山陽と違い、東北本線は新幹線の予定がなかったこともあり
ヨンサントウで重点的に複線化・新線化が進められ一気に在来線一の高速路線になった。 >>116は昨日のID:lgpXV/NGかな?
頭でっかちの知識だけを他人にひけらかす癖に、人のは無しを聞けない欠陥人間の典型的な鉄ヲタの香りがする うん、「だった」「なった」と断定してばかりだよね。
まさに、
でっていう。(by ヨッシー) この系統の奴は聞いても答えてくれないし、そもそもレスを返さないだろ いや、でもID:NHJaG5HXの心の広さに脱帽。
ほんと、そうなりたいと思う。 >もっとも常磐線も当時は線区最高速度95km/hで、20系を牽くEF80も最高100キロだった。
自己陶酔のあまり自己のカキコの矛盾に気付かないらしい 名古屋〜博多の「金星」は、下りで「富士」「あさかぜ1号」と雁行していたな。
新幹線博多開業後でも、「金星」名古屋発22:50、博多着10:11あたり。
「あさかぜ1号」名古屋発23:20、博多着10:53あたりでは、
「あさかぜ1号」が下関・門司で機関車交換の停車時間を加味すると、「金星」とあまり所要時間差がない。
新幹線博多開業後は、山陽本線の過密ダイヤは理由にならないので、山陽本線は583系でも性能が発揮できなかったか? >>126
1980年12月号だと
金星はみずほと富士に挟まれてる
東京発はみずほが17時、富士が18時で
富士が名古屋に22時49分に着き22時54分に発車する間に金星が22時50分に出発
小倉にはみずほは8時36分着、金星が8時43分着、富士が9時38分着
そして博多にはみずほが9時31分に着き、金星が9時39分に着く >>130
オレというより、ID:NHJaG5HXがなwww
ま、いいけど。
ところで、こないだ鉄博ロストバージンを果たした。
181か481には再引退してもらって、583に入ってもらいたい(願望)
181よりも481は外せないかな?
EF66運転台ドアの小ささは、実際に入ってみて改めて再発見した。 >>131
別に保存だけなら 狭い大宮じゃなくて 広い横川でいいやん >>132
横川の屋外の車両たちを見るとちょっとな〜
>>133
門司の715はちょっとな〜 >>128
78年と比べて「金星」はスピードを上げてるな!80年10月改正でそのダイヤになったか?
それでも振るわなくて82年に廃止になったけど。元々九州ブルトレの補完列車だったから仕方ないか。
http://kobayasi.on.coocan.jp/rail/yako.htm 馬喰町の北斗星24系みたいに ベッドだけ持って行ってどこかでホテルになるとか? 583系のゆうづる1号が上野発19時50分、583系のゆうづる3号が上野発19時53分。青森着が5時03分と5時08分だったと。わずか3~5分の間に583 系ゆうづるがたてつずけに2本みられるなんてなんて最高の時代だった。いまでも583系が一番好きだな。 >>153
そのおかげで通勤民が迫害受けてたわけだけどな どうせなら2本くっつけて走らせればウテシ カレチひとりずつで済んだのにな。途中駅では前半分ホームにかけてドア扱い、ドア閉めて少し進んで後ろ半分ドア扱い。編成中のクハネ同士の睨み合いとか素敵ではないか。 >>155
上野の地上ホームとか見た事ないのか
あれでどうやって青森方編成をホームに入れるのやら
あと 途中駅での退避が出来ない いくら特急でも単線区間での交換が出来ないとダイヤ乱れたら動けないな >>157
えっ?何か言ったか?
常磐線は令和に入っても単線区間あるのに? >>155
2本繋げたら26両編成だっけ?
食堂車ありの頃な 分かった。単線区間はすれ違い線延長。
上野駅と青森駅は出発まで別列車として別々のホームを使う。先発編成出発後ポイントの先で停車連結準備して待機、後続編成出発して連結後発車。途中駅で前編成はドア扱いせず、即ち上野青森間ノンストップ。 ⤴155の続き
同様の方法にて昼行のひばり、やまびこ、はつかりも併結運転とする。1番長いのは3列車併結39両編成。どうだ? 釣れますか?
(;`O´)o/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~ >゚))))彡 >>166
が信号で停まって 踏切がいくつも大渋滞してるのを想像すると笑いが止まらないw >>169
変電所がオーバーロードで落ちてしまい終日停電だろうな >>141
583系の塗色考えた人にノーベル平和賞あげたい 夏樹静子の小説「特急夕月」では、月光型ではなく 583系明星型電車 と紹介されてるな
BOOKOFFで100円で買ったミステリー傑作選の中に載ってた >>157
東北本線も全区間複線電化が完成した後、青森駅に入る手前だけ旅客線は単線なのよねん。 上野で弁当と酒を買い、水戸でつまみを買い、平で酒とつまみを追加し、富岡辺りで洗面所で顔を洗って寝る準備をした
グリーン車は寝台より快適性は素晴らしく、座席車でも十分に寝台車では味会えない列車だった 583系のあの車内の石鹸のような匂いが懐かしい
客車寝台とは臭いが違ったけどなんでだろう? >>180
285系は夜行寝台列車専用。
583系は昼夜兼用。
だから似て非なるものかな?
285系が昼間は個室解体してクロスシートになり、昼間は「やくも」で陰陽往復、
「マリンライナー」として瀬戸大橋往復なら583系の後継と言えるだろうが。 「笑ゥせえるすまん」の新作アニメで、うだつの上がらない中年男の唯一の楽しみが583系寝台電車に乗る事って話があった。
「ああ、愛しの583系」ってタイトルだったはず。最後は喪黒との一度きりの約束を破ったため、ずーっと583系の中に住み続ける事になったという、お約束のラストだった。 笑ゥせえるすまん「愛しの583」は、この動画の51分50秒から
youtube.com/watch?v=faQ7q1a_fKI
ほかにも鉄道ネタはいくつかあるんだよね 昔は新幹線東京〜新大阪までしか通っておらず
以西は熊本まで581の明星に乗った事があります
先頭車で機械室のシャッターがうるさくて寝れ
なかった記憶。もっとも夜景を見たくて寝なか
ったでしょうがね。 583系はガキの頃から憧れてたが乗る機会はずっと無かった。
が、40歳も大きく過ぎて「きたぐに」で初めて思いを遂げた。
直江津→新潟を北東パスで自由席に乗った。
新津から普通列車になりミニスカJK軍団が乗ってきて賑やかになった。
こいつら毎日この列車で通学してるのかと思うととても羨ましく思ったな。
その数年後、きたぐには廃止になってしまった。
次に583系に乗る機会が巡って来たのは、弘前さくら祭り号。
あれは快速だったので急行料金は不要だった。大館まで2度往復乗った。
国鉄色に塗られた車体で凄くカッコ良かったね。弘前に停留中に写真や動画を撮りまくったわ。
この後、しばらくして583系は引退してしまった。最後に乗る機会を持てて本当に良かったと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています