【月光型】581/583系スレ【寝台電車】 [無断転載禁止]©2ch.net
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今年2017年に兄貴分の485系一族と共に消えた月光型寝台電車の581/583系スレでございます。 常磐線の特急、急行で水戸通過はなかったような。上野発23時頃のゆうづるも水戸に停車しているし。 >>243 運転停車も含めて停車したか否かということなんでは? 迂回北斗星が運転停車も含めて水戸に停車しなかった、という証拠ないと話にならないんだよなあ >>242
現行ダイヤでは上下とも名古屋、京都通過
運転停車もしない サンライズは京都は通過する
名古屋は知らなかった
じゃあどこで運転士の交代してるんだろう
姫路・大阪・米原で多分交代してるんだろうと思うんだけど、それだと名古屋が交代駅になりそうなんだが >>249
下りは浜松を出た後は豊橋、岐阜、米原、大阪に運転停車らしい
上りは大阪を出た後、米原、熱田、豊橋、浜松に運転停車らしい
名古屋から熱田に変わった時期と理由がよく分からん 昭和43年10月から5年間、東北本線の盛岡−青森も583系の天下だったな。
ひょっとして急行電車「くりこま」がなかった時代、同区間で走ってた電車は583系だけ? 以前、583系「はくつる3号(当時2往復)」の下段を予約しようと思ったが売り切れで、
”しからば、上中段がどれだけ窮屈か体験しよう”と思ったら、パンタグラフ下の中段に当たった。
運が良かったんだか悪かったんだか分からなかった。 >>254
パン下中段なんて編成中に少数しかないし、超激レア寝台じゃん。
居住性の点からも、鉄ヲタ以外の一般人にとっても当たりの中段寝台だから、
鉄で、しかも敢えて指定せずに当たったのなら、それは幸運でしょ。 >>255
そういう事になるかな。
尤も、寝台券買った時にはそこに当たってると気付かず、
乗ってみて初めて「あ、パンタグラフの下だったのか」と思った。 >>253
東北本線を全線複線電化してスピードアップに貢献したのは夜行も含めて特急電車10往復未満って贅沢な話だな。
まあ主な目的は電気機関車による無煙化と客車列車・貨物列車の両数増加だけど。 >>257
電気機関車牽引列車だってスピードアップしただろう 東北線の43.10はスピードアップと列車の整理だな
両数増加はしてないだろ。東北線は電化前もいまも貨物は1000tのまま
優等の客車列車も13両のまま。まぁ区間や各駅の貨物や旅客は増えたのかも知らんけど 「ゴーサントー」の改正前に、「ひばり」の1往復(下り4号、上り10号)だけが583系だった事があるけど、
あれはどういう事情からだったんだろう。 想像するに、
485系増備の遅れ、滞留場所の事情・・等々あったのだろうか >>260
今で言えばH5系車両が、東京−仙台のやまびこ、はやぶさに運用されてるようなものだろう。
当時としては上野−仙台往復で、寝台特急の間合い運用にもなっただろうし。
ちなみにその当時も改正後も、青森所属の485系が、はつかり・やまびこなどと共通運用で、
ひばりにも充当されていた。 東北・北陸・九州の各幹線は電化しても電車は特急・急行だけ。
機関車は電機に変ったものの鈍行は旧型客車のままか、または気動車だったんだよね。
北陸線の敦賀辺りも、今の感覚なら421系近郊型電車が京都から来そうなもんだが、
当時はそんな雰囲気でもなかったし。 >>263 交直流ないし交流の電車に旧国に相当するものなかったからな。
これが直流電化ローカルだと、 >>263 交直流ないし交流の電車に旧国に相当するものなかったからな。
これが直流電化ローカルだと、 (再度レス)交直流ないし交流の電車に旧国に相当するものなかったからな。
これが直流電化ローカルだと、房総各線のようにロングシートのままの72系を回すんだが。 >>260
「ひばり」583系運用の無くなった理由が、上野口特急編成の画一化だろうな。
485系も先頭グリーン車2両の13両編成もあったが、編成がバラバラで乗客に分かりづらい
苦情があったのだろう。
その改正で「つばさ」編成に合わせた、485系12両編成に統一された。所属は仙台と青森。
「しらさぎ」もその改正で583系運用が消えたが、「雷鳥」に583系が混ざり、
後に「きたぐに」長寿の先がけになった。 >>267 昼間特急に固定ボックスシートが不評だったのでは?遜色特急だろ >>260
青森の運用が昼行4、夜行4往復になったときに、夜行で上野に来て夜行で
青森に帰る運用が2本になったから1本を間合いでひばりに使った
その前から南福岡は有明で使ってたし、夜行で行って帰ってくるだけ
なら583の価値が半減するしな
>>262
E5は車両基地が利府だからな 寝台特急として大阪から九州に入った583系が日中は「有明」の運用に就き夜また大阪戻るのと同じだな。
当時の583系の「ひばり」は。 70年代後半の国鉄大幅値上げでボックスシートの昼間特急だったら、客離れするだろうな。 >>270
ムコ583系の有明は食堂営業してなかったね >>273 583津軽に10時間位乗ったことありますけど。まあ、当時でも急行車両に比べればマシといったところか。 485の固定クロスより
583のボックスの方が
楽だよ
ゆったり感が半端ない 583の座席、肘掛けと背もたれの上部にクッションがなく、コチコチだから長時間ではきつい。485はくたかのリクライニングなしの普通車座席で上野から金沢まで行ったこともあるが、そんなには疲れなかった。 他のスレで東武6000の座席は背もたれ上部までクッションついてないから、国鉄165に比べ劣るという書き込みがあったな。シートピッチ以外にそういうことも気にならないわけ? 東武6000は本当に板
583系はちゃんと上部までモケット貼っててクッションも入ってる
丈夫にクッションがないって言ってる278がおかしい >>281
いいや
本当に乗ったのか?
クッションは入ってるぞ
適度な硬さだ 最大の問題点は、特急なのに他人と向い合せにならないよう椅子の向きを変えることができないってことだよなあ。 今から50年前、1970年10月改正がこの車両の最盛期だったか!
鹿児島本線の鹿児島電化で勢力拡大。
特急「有明」581/583系化、寝台特急「きりしま」新設で、鹿児島本線は581/583系
特急が大勢を占める。
東北も>>253レス通り盛岡−青森の電車特急が583系で占められる。
寝台特急の食堂車もまだ休止がなかった。 >>282
281が言ってるのは高さが足りなくてフレームに頭があたるってことだろ。
まぁそれは他のボックス車もそうなんだけど、583、しーとピッチも広すぎで空いてても前に
足伸ばせないしひじ掛けも中途半端でいまいちの座り心地ではあった
だからといって当時の回転クロスのR-17の方がいいってことでもないけど
>>283
それなんだろうな。欧州なんかは固定でも見合い式で中央は対面なのに、0系の3列は
背面合わせだったもんな。253も改造されたし、日本人はあれがダメなんだろう 昭和50年3月〜昭和51年9月にかけて、583系の下り「ゆうづる3号」上り「ゆうづる7号」は
座席の状態で運転されてた。
それで、宮脇俊三氏の「時刻表2万キロ」には、昭和51年7月17日に青森から上野に向かう際、
「『ゆうづる7号』のグリーン車しかなかった」との記載があって、とすると、
この列車の普通車は満席だったって事になる。
夜行列車で、ボックス状態の座席が全て埋まるとは、客はどんな窮屈な状態で一夜を過ごしたのか。
まさか、夜行だからってボックスのうちの1〜2人分しか売らなかった、なんてわけじゃないだろう。 >>286
確かRJ昭和50年6月号か7月号に、下り「ゆうづる3号」の列車追跡があったけど、
普通車指定席はガラガラで、1ボックスに1人か2人程度だった。
昭和50年3月改正が「十和田」の格上げで一挙に「ゆうづる」が7往復になったため、
座席車の輸送力減少を懸念して、当時1往復だけ寝台をセットしないままにしたが、
結局は杞憂だった。
恐らく宮脇氏が利用した上り「ゆうづる7号」も普通車は空席多数だったと思う。
ただ宮脇氏の夜行列車利用は寝台車利用を優先し、普通車で一夜を過ごすのは勘弁
のポリシーだったので、不本意ながらのグリーン車利用だっただろう。 その日は土曜日の夜だから満席でも不思議ではないけれど
ゆうづるの寝台→ゆうづるのグリーン席で照会しただけかもしれないね 上段の寝台券をグリーンに変更したオヤジが後悔していた >>287,>>288
確かに、「時刻表2万キロ」の記述だけだと、「ゆうづる7号」の普通車をどう捕えたのか分からないから、
「普通車は空席があったものの回避した。結局グリーン車に乗るしかなかった」って事かも知れないな。
前回書き込みした時はこの発想なかったけど、実際はどうだったんだか。 >>287
× 座席の輸送力不足
◯ 労使関係の悪化
まーた歴史をねつ造しおって 座席を寝台に転換する人員を確保出来なかった為と聞いたが。 >>292
俺も人員不足で当時「『座席ゆうづる』があった」という話を鉄道雑誌で読んだな。 尾久配置の新列車「北陸」・「北星」(ともに20系かつ寝台特急)に車掌補を取られてしまい、整備要員共々不足したためかもね
車掌補自体、583系座席ゆうづるが再び寝台化される76.10でなくなってしまうわけだが 新製された当時の鉄道月刊誌ではこの系列をやたら誉めてたけど
実際客として利用してみたら20系寝台客車より寝室の上下の間隔が狭くて居心地が悪いし
昼間の特急で乗ったら座席は硬くてしかも向かい合わせ固定で最悪
国鉄の宣伝雑誌かよと思ったわ某ジャーナルとか糞が >>295
三段寝台で通路が中央にあるので、寝台以外の身の置き所がないのが窮屈だったな。
20系、14・24系の客車寝台は、通路側に折り畳み椅子があって気分転換できたけど。
でも583系のB寝台は、上下寸法を我慢すればA寝台同様と捉え、下段を好む奴は多かった。 屋根上にも機器を載せなきゃいけない、客室の上下方向の寸法は客車より狭くならざるを得ない、
って点を逆手に取って、
この車両が「2段式B寝台」になってたら…、という気もする。
ただ、581/583系が製造された時代は、輸送力本位だったから、そうはいかなかったのかも知れんが。 きたぐにのロネは元々はサハネだか、あれは上段を畳んで座席車として使うことはできたんだろうか?
誰が知ってる? 57.11で余った581・583系を2段化改造して、東京−九州ブルトレを短縮した名古屋−九州ブルトレへ編入するか、それとも24系25型と2段化した14系14型のまま運転するのとどちらが良かったのだろうか?
富士・はやぶさ・さくら・みずほの4列車
食堂車は外すものの、サシ581はビュッフェ兼団らん所として連結
もちろん、名古屋駅はエスカレーターを付け、ブルトレが停車していた駅からの新幹線料金は乗り継ぎ割引で割り引くかブルトレ時と同額にするけど
また、581・583系の寝台設備をすべて取り払って、特急用座席に置き換えた編成を「雷鳥」へ投入して、ほとんどの485系を地方へ追い出した方がよかったのだろうか?
雷鳥なら長大な12両編成で運転できるし、サロ581を2両、サシ581はビュッフェ+ハザ化して有効利用できる
57.11時 雷鳥運用
向日町485系12両編成 合計12本運用(正確には間合いの加越1往復分を含む)
金沢485・489系12両編成 合計3本運用
向日町581・583系12両編成 合計2本運用
なやみどころ そうすると普通列車はどうしたんでしょう(419系と715系が登場しないことになるので) >>303 581、583の雷鳥投入
湖西線に北陸線での高速運転に十分対応できるのか?485に比べ車高が高く、重心が上がっているし。
折り畳み式の乗降ドア、豪雪地帯で頻繁に開閉する場合、トラブル生じやすいのでは?夜行急行ならともかく、列車ダイヤでそんなにゆとりがない昼間特急では遅延の原因になりやすいのでは >>304
当時のひっ迫した情勢とか考慮したらヲタの妄想は捗らないでしょw >>305
> 湖西線に北陸線での高速運転に十分対応できるのか?
出来てただろ 重心? 「寝台設備をすべて取り払って」が読めなかった?
折り畳み式の乗降ドア? 冬季の583系はつかりで問題になったのか?
モハ580・581は古いから、サハネ581と共に419系改造。都合3両12本できる
座席化全数改造の場合、
サロ481を1両組み込むとして、6M6T18本
北陸地区485系ほぼ撲滅には、6M6Tがあと11本、4M3Tが5本必要
ただそれではサハネが余りすぎるため、11両をロザ化
残りのロザをサロ181・サロ481(サロ489も含む)を大量投入(前記1両のサロ481を含めて合計16両)して、
181:1100番台6両全て、481:52,53,54,56,58、489:11,12,17,18,20
6M6T17本 全て581・583系 2両のサロ581組込
6M6T1本 全て581・583系 サロ1両は元サハネ581
6M6T11本 581・583系+サロ181・481 サロの1両は元サハネ581
4M3T5本 全て581・583系+サロ489
あまり
クハネ581 2
クハネ583 1
モハネ582・583 9組
サハネ581 5
サシ581 6
モハネ582・583が5組余剰なので、クハ化するサハネと組み合わせて419系100番台3両5本追加 訂正
×残りのロザをサロ181・サロ481(サロ489も含む)を大量投入(前記1両のサロ481を含めて合計16両)して、
○残りのロザをサロ181・サロ481(サロ489も含む)を大量投入(前記1両のサロ481を含めて合計「17」両)して、
× 181:1100番台6両全て、481:52,53,54,56,58、489:11,12,17,18,20
○ 181:1100番台6両全て、481:52,53,54,56,「57,」58、489:11,12,17,18,20
×6M6T1本 全て581・583系 サロ1両は元サハネ581
○6M6T1本 581・583系+サロ481 サロ581と元サロ481の組合せ >>307 130km運転に対応できるかだな。
平成元年に北陸線でも130km運転始まってるが、まだ681系が登場してないから485系で対応している。583系は82年頃には雷鳥の定期運用から撤退。
仮に座席化していても、130km運転で充分な乗り心地を提供できたか?高速化のために再度改造するのなら、最初から座席化改造なんてしない方が合理的。 >>310
昭和57年の時点でスピードアップ構想はなかっただろう 583系は昼夜構わず走り続けた
モーレツサラリーマンの象徴。
715系419系への降格左遷は
ムチャムチャ悲しかった。。。 特急に中古、ましてや改造車を投入する発想なんて
昭和50年代前半にはありませんでしたな。 「しらさぎ」の1往復に583系が充てられていた頃、
これについては食堂車営業休止だった。
ところが、”ゴーサントー”で「雷鳥」に583系が入ると(「しらさぎ」は全列車485系に)、
こっちでは食堂車は営業した。
「この違いは何?」と思ったものだった。 >>316
「しらさぎ」の583系は、50.3前までは食堂車営業してた。
しかしその改正で山陽昼行特急が廃止になり要員合理化のため、南福岡から向日町に移管した
583系全部が食堂車営業休止で、食器類も撤去された。
「金星」の間合いで神領では食堂車をいじらないままだった。
「雷鳥」は独自運用に特化し、耐寒耐雪装置を付けて、寝台特急と運用を切り離した。
583系が向日町所属で、53.10に寝台特急削減もあって食堂車営業も実現できた。 >>303
1両あたりの定員が、583系は485系より少なかったが、それを踏まえての意見か? 運転席から見える水平のところはブルーに塗装されていましたが、
あれって光を反射しないためってどこかで読んだことがあります。
っていうことは715系や419系新北陸色はまぶしかったのかな? >>319
あれは朝日が反射してまぶしかった
夜行列車ならではの悩みだった
だから冬の早朝に走った715はたぶんまぶしかったんじゃないかな 581系が登場した時、B寝台料金は従来より高くなった。
これを当時の利用者はどう受け止めたんだろう。
国鉄は「寝台の幅を従来より広げたから」とか何とか釈明した? >>317 仮にしらさぎで食堂車営業してたら、冬期、積雪でしらさぎが遅延して名古屋に到着、神領での整備時間が不足し食堂車の掃除がは不十分ななまま金星運用、保健所からクレームがつくようなことが生じてたのかもねえ。生ごみ放置のまま走る金星となってたかも。 >>321 20系3段B寝台の幅が狭すぎたからなあ。高度経済成長期に日本人の体格は向上してるし。 昭和30年代初め、日本人の半分はコロポックルや小美人だったから、20系B寝台のベッドの上で宴会ができたんだよなあ。 >>323
あのな、1972.3〜1975.3まで、583系しらさぎも食堂車営業してたの。
積雪で大幅遅延で金星に影響しても関係なかった。
1975.3で向日町のサシ581から、食器類を全面撤去したので営業休止するしかなかった。 >>324
実は日本人の体格って明治から太平洋戦争前までは緩やかに大型化してたみたいね。
それが敗戦の食糧不足で当時の子供たちは成長期に満足な食事が摂れず低身長化。
その後との高度経済成長でまた大型化するように。
実家の近所にいた或る一家は、戦前生まれの爺さん婆さんはそれなり長身なのに、
その子供らは戦中戦後に生まれたせいか爺さん婆さんと同じくらいかやや小柄。
でもその子供らや孫らは男女ともに巨人揃いだった。 「ゴーサントー」改正の前、青森4:50発「はつかり1号」、4:53発「みちのく」が共に583系だった。
この両者に関して誤乗は起きなかったんだろうかと時々思う。
各々が青森駅の何番線から発車したかって問題もあるだろうけど。
盛岡、仙台、上野へ行く客は、まあそれほど問題なかったかも知れないが、
三沢や八戸へ行く客が「はつかり1号」に乗っちゃったら大変だっただろう(盛岡まで連れてかれた)。
当時は両方とも全車指定席だから、今よりは誤乗のリスクは低かったのか。 >>327
もし敗戦の食糧難がなかったら日本人の体格は欧米白人並みに大型化してたかも知れないね >>328
白鳥と同時に発車して構内を日本海側と太平洋側に別れて行くのがドラマチックだった
青森駅でも途中駅でも車内でも懇切丁寧に誤乗防止アナウンスを繰り返してたなあ
かなり間違える人がいたのではと >>330
それに伴って、もし改軌・車両大型化が出来れば欧州鉄道の様に
要衝の駅では立地の依っては583系と0系の並びが見られたかも知れん。 イギリスの鉄道は標準軌でイギリス人は日本人より平均身長高いけど、車両の幅は2700o位なんだよなあ。 そう言えば、581/583系のあの塗装は、或る程度ブルートレインを意識したものなんだろうか?
ドアも折戸で、20系客車を踏襲したみたいになってるし。 >>335
窓周りは20系と同じ青15号とし寝台特急としての共通イメージを持たせると共に
151系のような赤系を採用しなかったのは新幹線接続特急として
新幹線との共通イメージも持たせたとの事。 国鉄末期に一部の583系を、JR北海道用に札幌に転属させた意図が未だに謎だ!
結局有効活用されず、全部廃車されたが。 581/583系の一部を近郊型に改造した事で、どれだけ経費節減になったんだろう。
その一方で、弥彦線・越後線・福知山線の電化なんて事にカネ使って、
当時の国鉄が何考えてたんだかさっぱり分からん、という思いでもある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています