【月光型】581/583系スレ【寝台電車】 [無断転載禁止]©2ch.net
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今年2017年に兄貴分の485系一族と共に消えた月光型寝台電車の581/583系スレでございます。 出来上がった現物からなぜそうなったか推察すれば誰でも分かる話だよ。
車輛限界も建築限界も予め決まっている。
その当時の技術の持ち駒も決まっている。
国鉄は集中クーラーに自信がなかったので、ダクトの要らない小型分散クーラーを選択した。
すると20系より40cmぐらい下がった天井に3段寝台を収めなくてはならない。
それならば側廊下式の方が寝台の天地を高く確保できるが、
昼間の居住性や折り返し時間の関係で特急電車とされ、中央通路式3段プルマンとなった。
寝台と座席の両用であるが故に高さ関係のバランスをどう取るかを
この電車は相当悩んだ形跡がある。 クハネ583よりも、クハネ581の方が外見がカッコいい。 昭和46年頃、初めて乗った583 はくつる。当時小学校低学年。
青函連絡船を降り親に手を引かれてコンコースを歩き、階段を降りると
ホームの蛍光灯に照らされたピカピカの青&クリームのツートン列車。
ホーム左右に停まっていたからはくつる&ゆうづるか。
停車中、583のモハから聞こえるク〜ンって音が印象的だった。
北海道の片田舎の小学生には衝撃的にカッコいい電車だった。
確か黒磯過ぎて寝台をタタミに来たね。 >>215
>確か黒磯過ぎて寝台をタタミに来たね
これで妄想確定 はくつるの上野着が9時台だった時代には郡山から係員乗り込んで寝台畳んでたことあったけど何年から何年までやってたかは知らん 215 だけど、そうそう、上野到着が9時過ぎの時代ね。
俺は行き先の都合で宇都宮で降りてたけどね。確か7時台。
寝台畳む作業中、居場所が無いので困った記憶が鮮明。 金星は
名古屋出発時は当然ながらセット済み
どこでたたみに来たかわからないが
九州内では綺麗になってたよ 魔太郎がくるに583系に乗って旅に出た魔太郎の前で寝台を畳む描写がある。
藤子A先生、ご覧になった? >>214
激しく同意する
クハネ583は運転台助手席側下に側面方向幕が食い込んで設置されているところや
運転席側には乗務員扉・客用扉・非常扉とせせこましく3つも扉が並んでいるのが
個人的に好きになれない >>214
クハネ583は関西では数が少なかったので人気が高かった。確か2両しかなかったはず。 クハネ583は最終増備のうち南福岡には4両(27,28,29,30)のみ配置されたけど、そのうちの2両(27,28)が向日町へ移管(あとの2両は青森移管)
それが2010.3まで残っていた
逆に青森はクハネ581 10の1両が南福岡へ行く1971年7月まではいたけど、それ以降は全てクハネ583のみ ゆうづると言えばED75Pに牽引された20系の方が好きだけど
なぜか乗ったのは583系が遥かに多いんだようなぁ 常磐線上野口は線路容量がほぼ上限
少しでも余裕を作りたかった
EF80が遅かったそして故障が多かった
ただぁ、はくつるが583系だったのはなぜだろう
やはりレコードホルダーのためか? 今も浅虫手前にある583の速度制限見ると
子供の頃思い出して懐かしくてこみ上げてくる
特急街道時代は浅虫ももっと人多かったんだけどな
水族館もデカいのできたし海水浴場整備されたりしたけど
車社会か国内観光斜陽化か人口減過疎化か >>230
東北新幹線開通前は東京(上野)直結だったけど開通以来東京はおろか仙台からすら直結では
なくなったからなぁ(臨時除く)。
そういうのも大きいと思うよ。
九州だと日奈久温泉が新幹線開通以後博多や鹿児島から直通じゃなくなって苦戦してる。 >>229
はくつるは、はつかりと同様に首都圏ー北海道連絡の速達便の使命を帯びていたので、
寝台特急でも高速性能を遺憾なく発揮できる583系を使用して、
はつかりと同等の速度と所要時間で運転されていた、
583系使用のゆうづるも、同様に北海道連絡の速達目的だったので、
常磐線にバイパスして昼行特急と遜色ないスピードで、真夜中をぶっ飛ばしていた。
一方、ゆうづるのブルトレ便は、北海道連絡と言うよりも、
仙台以北の東北ローカル都市間輸送が目的だったので、速達性は求められていなかった。 時刻表でも電車ゆうづるは仙台ー青森ノンストップだけど、
ブルトレゆうづるは一ノ関・小牛田・盛岡ほかの主要駅に停車があったな。 50年前全線電化した、鹿児島本線の電車特急は、581/583系の天下だったな。 >>233
電車ゆうづるは平ー盛岡ノンストップのもあったぞ 水戸平仙台盛岡あたりの大きな駅を物理通過する列車ってあったの? 今でもサンライズは京都通過だし、夜行だとよくあることかな 常磐線の特急、急行で水戸通過はなかったような。上野発23時頃のゆうづるも水戸に停車しているし。 >>243 運転停車も含めて停車したか否かということなんでは? 迂回北斗星が運転停車も含めて水戸に停車しなかった、という証拠ないと話にならないんだよなあ >>242
現行ダイヤでは上下とも名古屋、京都通過
運転停車もしない サンライズは京都は通過する
名古屋は知らなかった
じゃあどこで運転士の交代してるんだろう
姫路・大阪・米原で多分交代してるんだろうと思うんだけど、それだと名古屋が交代駅になりそうなんだが >>249
下りは浜松を出た後は豊橋、岐阜、米原、大阪に運転停車らしい
上りは大阪を出た後、米原、熱田、豊橋、浜松に運転停車らしい
名古屋から熱田に変わった時期と理由がよく分からん 昭和43年10月から5年間、東北本線の盛岡−青森も583系の天下だったな。
ひょっとして急行電車「くりこま」がなかった時代、同区間で走ってた電車は583系だけ? 以前、583系「はくつる3号(当時2往復)」の下段を予約しようと思ったが売り切れで、
”しからば、上中段がどれだけ窮屈か体験しよう”と思ったら、パンタグラフ下の中段に当たった。
運が良かったんだか悪かったんだか分からなかった。 >>254
パン下中段なんて編成中に少数しかないし、超激レア寝台じゃん。
居住性の点からも、鉄ヲタ以外の一般人にとっても当たりの中段寝台だから、
鉄で、しかも敢えて指定せずに当たったのなら、それは幸運でしょ。 >>255
そういう事になるかな。
尤も、寝台券買った時にはそこに当たってると気付かず、
乗ってみて初めて「あ、パンタグラフの下だったのか」と思った。 >>253
東北本線を全線複線電化してスピードアップに貢献したのは夜行も含めて特急電車10往復未満って贅沢な話だな。
まあ主な目的は電気機関車による無煙化と客車列車・貨物列車の両数増加だけど。 >>257
電気機関車牽引列車だってスピードアップしただろう 東北線の43.10はスピードアップと列車の整理だな
両数増加はしてないだろ。東北線は電化前もいまも貨物は1000tのまま
優等の客車列車も13両のまま。まぁ区間や各駅の貨物や旅客は増えたのかも知らんけど 「ゴーサントー」の改正前に、「ひばり」の1往復(下り4号、上り10号)だけが583系だった事があるけど、
あれはどういう事情からだったんだろう。 想像するに、
485系増備の遅れ、滞留場所の事情・・等々あったのだろうか >>260
今で言えばH5系車両が、東京−仙台のやまびこ、はやぶさに運用されてるようなものだろう。
当時としては上野−仙台往復で、寝台特急の間合い運用にもなっただろうし。
ちなみにその当時も改正後も、青森所属の485系が、はつかり・やまびこなどと共通運用で、
ひばりにも充当されていた。 東北・北陸・九州の各幹線は電化しても電車は特急・急行だけ。
機関車は電機に変ったものの鈍行は旧型客車のままか、または気動車だったんだよね。
北陸線の敦賀辺りも、今の感覚なら421系近郊型電車が京都から来そうなもんだが、
当時はそんな雰囲気でもなかったし。 >>263 交直流ないし交流の電車に旧国に相当するものなかったからな。
これが直流電化ローカルだと、 >>263 交直流ないし交流の電車に旧国に相当するものなかったからな。
これが直流電化ローカルだと、 (再度レス)交直流ないし交流の電車に旧国に相当するものなかったからな。
これが直流電化ローカルだと、房総各線のようにロングシートのままの72系を回すんだが。 >>260
「ひばり」583系運用の無くなった理由が、上野口特急編成の画一化だろうな。
485系も先頭グリーン車2両の13両編成もあったが、編成がバラバラで乗客に分かりづらい
苦情があったのだろう。
その改正で「つばさ」編成に合わせた、485系12両編成に統一された。所属は仙台と青森。
「しらさぎ」もその改正で583系運用が消えたが、「雷鳥」に583系が混ざり、
後に「きたぐに」長寿の先がけになった。 >>267 昼間特急に固定ボックスシートが不評だったのでは?遜色特急だろ >>260
青森の運用が昼行4、夜行4往復になったときに、夜行で上野に来て夜行で
青森に帰る運用が2本になったから1本を間合いでひばりに使った
その前から南福岡は有明で使ってたし、夜行で行って帰ってくるだけ
なら583の価値が半減するしな
>>262
E5は車両基地が利府だからな 寝台特急として大阪から九州に入った583系が日中は「有明」の運用に就き夜また大阪戻るのと同じだな。
当時の583系の「ひばり」は。 70年代後半の国鉄大幅値上げでボックスシートの昼間特急だったら、客離れするだろうな。 >>270
ムコ583系の有明は食堂営業してなかったね >>273 583津軽に10時間位乗ったことありますけど。まあ、当時でも急行車両に比べればマシといったところか。 485の固定クロスより
583のボックスの方が
楽だよ
ゆったり感が半端ない 583の座席、肘掛けと背もたれの上部にクッションがなく、コチコチだから長時間ではきつい。485はくたかのリクライニングなしの普通車座席で上野から金沢まで行ったこともあるが、そんなには疲れなかった。 他のスレで東武6000の座席は背もたれ上部までクッションついてないから、国鉄165に比べ劣るという書き込みがあったな。シートピッチ以外にそういうことも気にならないわけ? 東武6000は本当に板
583系はちゃんと上部までモケット貼っててクッションも入ってる
丈夫にクッションがないって言ってる278がおかしい >>281
いいや
本当に乗ったのか?
クッションは入ってるぞ
適度な硬さだ 最大の問題点は、特急なのに他人と向い合せにならないよう椅子の向きを変えることができないってことだよなあ。 今から50年前、1970年10月改正がこの車両の最盛期だったか!
鹿児島本線の鹿児島電化で勢力拡大。
特急「有明」581/583系化、寝台特急「きりしま」新設で、鹿児島本線は581/583系
特急が大勢を占める。
東北も>>253レス通り盛岡−青森の電車特急が583系で占められる。
寝台特急の食堂車もまだ休止がなかった。 >>282
281が言ってるのは高さが足りなくてフレームに頭があたるってことだろ。
まぁそれは他のボックス車もそうなんだけど、583、しーとピッチも広すぎで空いてても前に
足伸ばせないしひじ掛けも中途半端でいまいちの座り心地ではあった
だからといって当時の回転クロスのR-17の方がいいってことでもないけど
>>283
それなんだろうな。欧州なんかは固定でも見合い式で中央は対面なのに、0系の3列は
背面合わせだったもんな。253も改造されたし、日本人はあれがダメなんだろう 昭和50年3月〜昭和51年9月にかけて、583系の下り「ゆうづる3号」上り「ゆうづる7号」は
座席の状態で運転されてた。
それで、宮脇俊三氏の「時刻表2万キロ」には、昭和51年7月17日に青森から上野に向かう際、
「『ゆうづる7号』のグリーン車しかなかった」との記載があって、とすると、
この列車の普通車は満席だったって事になる。
夜行列車で、ボックス状態の座席が全て埋まるとは、客はどんな窮屈な状態で一夜を過ごしたのか。
まさか、夜行だからってボックスのうちの1〜2人分しか売らなかった、なんてわけじゃないだろう。 >>286
確かRJ昭和50年6月号か7月号に、下り「ゆうづる3号」の列車追跡があったけど、
普通車指定席はガラガラで、1ボックスに1人か2人程度だった。
昭和50年3月改正が「十和田」の格上げで一挙に「ゆうづる」が7往復になったため、
座席車の輸送力減少を懸念して、当時1往復だけ寝台をセットしないままにしたが、
結局は杞憂だった。
恐らく宮脇氏が利用した上り「ゆうづる7号」も普通車は空席多数だったと思う。
ただ宮脇氏の夜行列車利用は寝台車利用を優先し、普通車で一夜を過ごすのは勘弁
のポリシーだったので、不本意ながらのグリーン車利用だっただろう。 その日は土曜日の夜だから満席でも不思議ではないけれど
ゆうづるの寝台→ゆうづるのグリーン席で照会しただけかもしれないね 上段の寝台券をグリーンに変更したオヤジが後悔していた >>287,>>288
確かに、「時刻表2万キロ」の記述だけだと、「ゆうづる7号」の普通車をどう捕えたのか分からないから、
「普通車は空席があったものの回避した。結局グリーン車に乗るしかなかった」って事かも知れないな。
前回書き込みした時はこの発想なかったけど、実際はどうだったんだか。 >>287
× 座席の輸送力不足
◯ 労使関係の悪化
まーた歴史をねつ造しおって 座席を寝台に転換する人員を確保出来なかった為と聞いたが。 >>292
俺も人員不足で当時「『座席ゆうづる』があった」という話を鉄道雑誌で読んだな。 尾久配置の新列車「北陸」・「北星」(ともに20系かつ寝台特急)に車掌補を取られてしまい、整備要員共々不足したためかもね
車掌補自体、583系座席ゆうづるが再び寝台化される76.10でなくなってしまうわけだが 新製された当時の鉄道月刊誌ではこの系列をやたら誉めてたけど
実際客として利用してみたら20系寝台客車より寝室の上下の間隔が狭くて居心地が悪いし
昼間の特急で乗ったら座席は硬くてしかも向かい合わせ固定で最悪
国鉄の宣伝雑誌かよと思ったわ某ジャーナルとか糞が >>295
三段寝台で通路が中央にあるので、寝台以外の身の置き所がないのが窮屈だったな。
20系、14・24系の客車寝台は、通路側に折り畳み椅子があって気分転換できたけど。
でも583系のB寝台は、上下寸法を我慢すればA寝台同様と捉え、下段を好む奴は多かった。 屋根上にも機器を載せなきゃいけない、客室の上下方向の寸法は客車より狭くならざるを得ない、
って点を逆手に取って、
この車両が「2段式B寝台」になってたら…、という気もする。
ただ、581/583系が製造された時代は、輸送力本位だったから、そうはいかなかったのかも知れんが。 きたぐにのロネは元々はサハネだか、あれは上段を畳んで座席車として使うことはできたんだろうか?
誰が知ってる? 57.11で余った581・583系を2段化改造して、東京−九州ブルトレを短縮した名古屋−九州ブルトレへ編入するか、それとも24系25型と2段化した14系14型のまま運転するのとどちらが良かったのだろうか?
富士・はやぶさ・さくら・みずほの4列車
食堂車は外すものの、サシ581はビュッフェ兼団らん所として連結
もちろん、名古屋駅はエスカレーターを付け、ブルトレが停車していた駅からの新幹線料金は乗り継ぎ割引で割り引くかブルトレ時と同額にするけど
また、581・583系の寝台設備をすべて取り払って、特急用座席に置き換えた編成を「雷鳥」へ投入して、ほとんどの485系を地方へ追い出した方がよかったのだろうか?
雷鳥なら長大な12両編成で運転できるし、サロ581を2両、サシ581はビュッフェ+ハザ化して有効利用できる
57.11時 雷鳥運用
向日町485系12両編成 合計12本運用(正確には間合いの加越1往復分を含む)
金沢485・489系12両編成 合計3本運用
向日町581・583系12両編成 合計2本運用
なやみどころ そうすると普通列車はどうしたんでしょう(419系と715系が登場しないことになるので) >>303 581、583の雷鳥投入
湖西線に北陸線での高速運転に十分対応できるのか?485に比べ車高が高く、重心が上がっているし。
折り畳み式の乗降ドア、豪雪地帯で頻繁に開閉する場合、トラブル生じやすいのでは?夜行急行ならともかく、列車ダイヤでそんなにゆとりがない昼間特急では遅延の原因になりやすいのでは >>304
当時のひっ迫した情勢とか考慮したらヲタの妄想は捗らないでしょw >>305
> 湖西線に北陸線での高速運転に十分対応できるのか?
出来てただろ 重心? 「寝台設備をすべて取り払って」が読めなかった?
折り畳み式の乗降ドア? 冬季の583系はつかりで問題になったのか?
モハ580・581は古いから、サハネ581と共に419系改造。都合3両12本できる
座席化全数改造の場合、
サロ481を1両組み込むとして、6M6T18本
北陸地区485系ほぼ撲滅には、6M6Tがあと11本、4M3Tが5本必要
ただそれではサハネが余りすぎるため、11両をロザ化
残りのロザをサロ181・サロ481(サロ489も含む)を大量投入(前記1両のサロ481を含めて合計16両)して、
181:1100番台6両全て、481:52,53,54,56,58、489:11,12,17,18,20
6M6T17本 全て581・583系 2両のサロ581組込
6M6T1本 全て581・583系 サロ1両は元サハネ581
6M6T11本 581・583系+サロ181・481 サロの1両は元サハネ581
4M3T5本 全て581・583系+サロ489
あまり
クハネ581 2
クハネ583 1
モハネ582・583 9組
サハネ581 5
サシ581 6
モハネ582・583が5組余剰なので、クハ化するサハネと組み合わせて419系100番台3両5本追加 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています