【月光型】581/583系スレ【寝台電車】 [無断転載禁止]©2ch.net
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今年2017年に兄貴分の485系一族と共に消えた月光型寝台電車の581/583系スレでございます。 583系のゆうづる1号が上野発19時50分、583系のゆうづる3号が上野発19時53分。青森着が5時03分と5時08分だったと。わずか3~5分の間に583 系ゆうづるがたてつずけに2本みられるなんてなんて最高の時代だった。いまでも583系が一番好きだな。 >>153
そのおかげで通勤民が迫害受けてたわけだけどな どうせなら2本くっつけて走らせればウテシ カレチひとりずつで済んだのにな。途中駅では前半分ホームにかけてドア扱い、ドア閉めて少し進んで後ろ半分ドア扱い。編成中のクハネ同士の睨み合いとか素敵ではないか。 >>155
上野の地上ホームとか見た事ないのか
あれでどうやって青森方編成をホームに入れるのやら
あと 途中駅での退避が出来ない いくら特急でも単線区間での交換が出来ないとダイヤ乱れたら動けないな >>157
えっ?何か言ったか?
常磐線は令和に入っても単線区間あるのに? >>155
2本繋げたら26両編成だっけ?
食堂車ありの頃な 分かった。単線区間はすれ違い線延長。
上野駅と青森駅は出発まで別列車として別々のホームを使う。先発編成出発後ポイントの先で停車連結準備して待機、後続編成出発して連結後発車。途中駅で前編成はドア扱いせず、即ち上野青森間ノンストップ。 ⤴155の続き
同様の方法にて昼行のひばり、やまびこ、はつかりも併結運転とする。1番長いのは3列車併結39両編成。どうだ? 釣れますか?
(;`O´)o/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~ >゚))))彡 >>166
が信号で停まって 踏切がいくつも大渋滞してるのを想像すると笑いが止まらないw >>169
変電所がオーバーロードで落ちてしまい終日停電だろうな >>141
583系の塗色考えた人にノーベル平和賞あげたい 夏樹静子の小説「特急夕月」では、月光型ではなく 583系明星型電車 と紹介されてるな
BOOKOFFで100円で買ったミステリー傑作選の中に載ってた >>157
東北本線も全区間複線電化が完成した後、青森駅に入る手前だけ旅客線は単線なのよねん。 上野で弁当と酒を買い、水戸でつまみを買い、平で酒とつまみを追加し、富岡辺りで洗面所で顔を洗って寝る準備をした
グリーン車は寝台より快適性は素晴らしく、座席車でも十分に寝台車では味会えない列車だった 583系のあの車内の石鹸のような匂いが懐かしい
客車寝台とは臭いが違ったけどなんでだろう? >>180
285系は夜行寝台列車専用。
583系は昼夜兼用。
だから似て非なるものかな?
285系が昼間は個室解体してクロスシートになり、昼間は「やくも」で陰陽往復、
「マリンライナー」として瀬戸大橋往復なら583系の後継と言えるだろうが。 「笑ゥせえるすまん」の新作アニメで、うだつの上がらない中年男の唯一の楽しみが583系寝台電車に乗る事って話があった。
「ああ、愛しの583系」ってタイトルだったはず。最後は喪黒との一度きりの約束を破ったため、ずーっと583系の中に住み続ける事になったという、お約束のラストだった。 笑ゥせえるすまん「愛しの583」は、この動画の51分50秒から
youtube.com/watch?v=faQ7q1a_fKI
ほかにも鉄道ネタはいくつかあるんだよね 昔は新幹線東京〜新大阪までしか通っておらず
以西は熊本まで581の明星に乗った事があります
先頭車で機械室のシャッターがうるさくて寝れ
なかった記憶。もっとも夜景を見たくて寝なか
ったでしょうがね。 583系はガキの頃から憧れてたが乗る機会はずっと無かった。
が、40歳も大きく過ぎて「きたぐに」で初めて思いを遂げた。
直江津→新潟を北東パスで自由席に乗った。
新津から普通列車になりミニスカJK軍団が乗ってきて賑やかになった。
こいつら毎日この列車で通学してるのかと思うととても羨ましく思ったな。
その数年後、きたぐには廃止になってしまった。
次に583系に乗る機会が巡って来たのは、弘前さくら祭り号。
あれは快速だったので急行料金は不要だった。大館まで2度往復乗った。
国鉄色に塗られた車体で凄くカッコ良かったね。弘前に停留中に写真や動画を撮りまくったわ。
この後、しばらくして583系は引退してしまった。最後に乗る機会を持てて本当に良かったと思う。 その翌年、最後の583系弘前桜まつり号に5日間毎日、秋田ー弘前を往復で乗る計画を立てていた。
東北方面のフリー切符を使って。宿もLCCの格安チケットも予約済みだったが、直前でドタキャンしてしまった。
念願の角館の桜も見る予定だったのに。あれは今でも悔いが残ってる。 583系は12両や13両繋いでイラストマークが入ってた昭和50年代中頃が一番印象的だなぁ
特に「みちのく」や「ゆうづる」みたいな赤系のマークが似合ってたよなぁ ゆうづるのHMはC62と20系を念頭にデザインされたという話を聞いたが、583系にも似合ってたな。 >>190
ゆうづる のマークは釜用と客車用 583系用でデザインが違うからな
鶴のバランス的には客車用がよいのかもしれないが 583系用も捨てがたい 機関車、客車、電車用でみんなデザインが違ってた
ここに3種類並んでるけど、縦横の比率だけでなく文字や鶴のデザインも細かく変えてあるのがわかる
https://nihonkai.exp.jp/hm/y/yuzuru.html >>190
>ゆうづるのHMはC62と20系を念頭にデザインされたという話を聞いたが
深夜の牽引だよね
ヘッドマークそれに合わせる? あいづライナーの赤いヘッドマークはゆうづる、ゲレンデ蔵王の青いヘッドマークははくつるを連想させてなかなか良かった。 はくつるはかっこよかったな。横長の583によく似合ってた
ゆうづるもいいんだけど、機関車用HMと比べるとはつかりやひばりと同様に寸詰まり感が >>196
列車名の文字を真ん中にすると
上下の余白が足りなくなるんだね みちのくも良かったよ
仙台までの指定席は取れなかったなあー >>193
デザインした黒岩保美氏が著作でC62には合うことを考えて赤地に赤いマークとなるEF80には悪いがとまで記したものだしなゆうづるのHMは
あと没デザインは大きさの違う二羽の鶴が描かれたものだったのでこれが多分電車用/客車用の元になってる 引退直前、銚子行きだか帰りだかで
寝台解体ショーをやってたなぁ
舞浜絡み以外の千葉はウイングはくつる以来か? >>201
千葉DCの時に仙台発のゴロンとなのはな号があったよ。 ハネとロザで窓の位置が微妙に違うのを知ったが、
3段寝台に転換する兼ね合いもあってハネの方は座面が少し低い位置だった? >>204
むしろ寝台使用時に下段の乗客がなるべく楽に外見られるようにじゃない?
意識したことなかったが乗務員室の窓と比べると違いがあるのがよく分かるね >>504
https://www.youtube.com/watch?v=di9b47o4Xl8&t=21s
この映像の1:50くらいから見てみると、中段寝台の回転軸が窓枠上部近くにあるから
それとの関係もあって窓全体がロザより少し低いみたいね。
窓が低い分、座面も低いのかは分からないけど。
485系などとも比較してみてみたいところ。
形式図で見比べてみれば分かるんだろうけど。 583系のロザは急遽とりあえずまとめた車両でテキトー感が強い。
ハネは細部まで徹底的に研究して作った車両なので構造には全部理由があるね。
プルマン3段寝台で屋上に10系寝台ベースの小形分散クーラーを載せたので
ベッドの幅は20系に比べて余裕あるものとなったが、
特に中段・上段の高さは車両限界に対して非常に厳しいものとなった。
そのため下段は座面も窓高さも低めに構えて座席時にはゆったり感を出したわけ。
上段は荷物棚の上に寝る格好になるんで、昼間の荷物棚の実用性と両立させねばならないし、
中段は上段と一緒にコンパクトに折り畳むから、重量のかかるヒンジは車両重心上も極力低い位置にもってきたい。 出来上がった現物からなぜそうなったか推察すれば誰でも分かる話だよ。
車輛限界も建築限界も予め決まっている。
その当時の技術の持ち駒も決まっている。
国鉄は集中クーラーに自信がなかったので、ダクトの要らない小型分散クーラーを選択した。
すると20系より40cmぐらい下がった天井に3段寝台を収めなくてはならない。
それならば側廊下式の方が寝台の天地を高く確保できるが、
昼間の居住性や折り返し時間の関係で特急電車とされ、中央通路式3段プルマンとなった。
寝台と座席の両用であるが故に高さ関係のバランスをどう取るかを
この電車は相当悩んだ形跡がある。 クハネ583よりも、クハネ581の方が外見がカッコいい。 昭和46年頃、初めて乗った583 はくつる。当時小学校低学年。
青函連絡船を降り親に手を引かれてコンコースを歩き、階段を降りると
ホームの蛍光灯に照らされたピカピカの青&クリームのツートン列車。
ホーム左右に停まっていたからはくつる&ゆうづるか。
停車中、583のモハから聞こえるク〜ンって音が印象的だった。
北海道の片田舎の小学生には衝撃的にカッコいい電車だった。
確か黒磯過ぎて寝台をタタミに来たね。 >>215
>確か黒磯過ぎて寝台をタタミに来たね
これで妄想確定 はくつるの上野着が9時台だった時代には郡山から係員乗り込んで寝台畳んでたことあったけど何年から何年までやってたかは知らん 215 だけど、そうそう、上野到着が9時過ぎの時代ね。
俺は行き先の都合で宇都宮で降りてたけどね。確か7時台。
寝台畳む作業中、居場所が無いので困った記憶が鮮明。 金星は
名古屋出発時は当然ながらセット済み
どこでたたみに来たかわからないが
九州内では綺麗になってたよ 魔太郎がくるに583系に乗って旅に出た魔太郎の前で寝台を畳む描写がある。
藤子A先生、ご覧になった? >>214
激しく同意する
クハネ583は運転台助手席側下に側面方向幕が食い込んで設置されているところや
運転席側には乗務員扉・客用扉・非常扉とせせこましく3つも扉が並んでいるのが
個人的に好きになれない >>214
クハネ583は関西では数が少なかったので人気が高かった。確か2両しかなかったはず。 クハネ583は最終増備のうち南福岡には4両(27,28,29,30)のみ配置されたけど、そのうちの2両(27,28)が向日町へ移管(あとの2両は青森移管)
それが2010.3まで残っていた
逆に青森はクハネ581 10の1両が南福岡へ行く1971年7月まではいたけど、それ以降は全てクハネ583のみ ゆうづると言えばED75Pに牽引された20系の方が好きだけど
なぜか乗ったのは583系が遥かに多いんだようなぁ 常磐線上野口は線路容量がほぼ上限
少しでも余裕を作りたかった
EF80が遅かったそして故障が多かった
ただぁ、はくつるが583系だったのはなぜだろう
やはりレコードホルダーのためか? 今も浅虫手前にある583の速度制限見ると
子供の頃思い出して懐かしくてこみ上げてくる
特急街道時代は浅虫ももっと人多かったんだけどな
水族館もデカいのできたし海水浴場整備されたりしたけど
車社会か国内観光斜陽化か人口減過疎化か >>230
東北新幹線開通前は東京(上野)直結だったけど開通以来東京はおろか仙台からすら直結では
なくなったからなぁ(臨時除く)。
そういうのも大きいと思うよ。
九州だと日奈久温泉が新幹線開通以後博多や鹿児島から直通じゃなくなって苦戦してる。 >>229
はくつるは、はつかりと同様に首都圏ー北海道連絡の速達便の使命を帯びていたので、
寝台特急でも高速性能を遺憾なく発揮できる583系を使用して、
はつかりと同等の速度と所要時間で運転されていた、
583系使用のゆうづるも、同様に北海道連絡の速達目的だったので、
常磐線にバイパスして昼行特急と遜色ないスピードで、真夜中をぶっ飛ばしていた。
一方、ゆうづるのブルトレ便は、北海道連絡と言うよりも、
仙台以北の東北ローカル都市間輸送が目的だったので、速達性は求められていなかった。 時刻表でも電車ゆうづるは仙台ー青森ノンストップだけど、
ブルトレゆうづるは一ノ関・小牛田・盛岡ほかの主要駅に停車があったな。 50年前全線電化した、鹿児島本線の電車特急は、581/583系の天下だったな。 >>233
電車ゆうづるは平ー盛岡ノンストップのもあったぞ 水戸平仙台盛岡あたりの大きな駅を物理通過する列車ってあったの? 今でもサンライズは京都通過だし、夜行だとよくあることかな 常磐線の特急、急行で水戸通過はなかったような。上野発23時頃のゆうづるも水戸に停車しているし。 >>243 運転停車も含めて停車したか否かということなんでは? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています