山陽線は勾配を避けた建設時のルート選定が影響してR600前後のカーブが非常に多く、
特急が走るようになっても100km/h以上まで引っ張れる区間が少なかった。

ヨンサントウで20系が110km/h改造されても、
関西発の直流区間は元の95km/hで十分とされ、EF65PではなくEF58があてがわれた。

もっとも常磐線も当時は線区最高速度95km/hで、20系を牽くEF80も最高100キロだった。
戦前から用地買収があった山陽と違い、東北本線は新幹線の予定がなかったこともあり
ヨンサントウで重点的に複線化・新線化が進められ一気に在来線一の高速路線になった。