【月光型】581/583系スレ【寝台電車】 [無断転載禁止]©2ch.net
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今年2017年に兄貴分の485系一族と共に消えた月光型寝台電車の581/583系スレでございます。 583系と485系赤スカートボンネットの並びが神 >>4
後に首付け制御・制御電動車を造る国鉄の技術が有れば貫通路くらい復元できそうなものを
既に当時から乗務員の間に「貫通路制御車は冬場が辛いよね」って話が出てたのか?w 祝581系誕生50周年!
50年前の9月30日、博多発新大阪行の寝台特急月光でデビュー 文字HMが好き
絵入りHMも好き
ブルトレブームの時に11歳だった僕の煩悩 583系を使用する東北特急、運用開始直後はクハネ583が間に合わずクハネ581が先頭に立った列車もあった >>14
東北特急に583系導入時の車両は
クハネ581-10〜41
サハネ581-13〜57
サシ581-6〜35
モハネ583-1〜106
モハネ582-1〜106
で全部新製車だよ
この時点でクハネ583を作る予定はない
そもそもモハネ583/582用の制御車がクハネ583という訳じゃない
単に15両編成対応型ってだけだ >>15
でもまあ結果的にクハネ583は実質東北専用形式だし書籍によったら東北が583系、西日本が581系と区別して述べられてることも多いからクハネ583が583形式の制御車という誤解が生まれたと思う。 そもそも日本が交流50キロヘルツと60キロヘルツに分かれている弊害ともいえるね そうよね、だからKATOがNの583系出したときクハネ583だけを生産販売したのは間違いだった訳よね
クハネ581も出してたら1.4倍は売れてたはずなのよね >>16
酷いのになると向日町配置で屋根上のベンチレーター配置見たら全車583系ロットで組まれているのに先頭車がクハネ581だからか「581系」と記述されてることもあった。
そもそもクハネ583ってわざわざ新形式を設定するほどのものだったのか?
485系のクハ481みたいにクハネ581の番台分けで良かった気がする。
(クハネ581-500番台という具合) 定員が違うから明確に分けた?
モハ484などは番台で区分したから、説明がつかんな クハネ583はクハ481(300番台)と同じ非貫通にすべきだったんだ
運転氏が可哀想だろ冬場は >>19-20
客車寝台は区画数が違うと形式変えてるんだよな。といってもナハネ10、11くらいで
ナハネフ20と22、21と23は改造でそうなったけど
実は逆で481の200の時に483か485にしようとしたけど、489がどうしようもないから
番台区分にしたとか >>23
俺も、ボンネット=クハ481、200番台=クハ483、300番台以降=クハ485で良いと思ってたけど、
そうか、そうするとクハが都合6種類もある489系の方で付番に困っちゃうからだったのか。
489系じゃなくて487系にしておけば486〜489を使えたのにな。 581新製時、図面は出来たけど試作が間に合わなくて幻になった
A寝台/G車の寝台/座席の図面ってどこかで公開(掲載)されたことあったけ? ク
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す そいつらしきレスの見当たらないスレに、なんでレスするの? はくつるで一時期1両が寝台ではなくて指定席扱いで運行されていたな ゆうづるの全車座席車運用は
寝台・座席転換作業における
人的要因故と言われているが
彗星等の関西対九州間の寝台
電車で見られた、編成中の内
4両座席車や1両座席車運用は
50・3で一挙に廃止された
旧客急行利用者の救済措置? >>26
キャンブックスの「581・583系物語」(福原俊一・著)によると、
計画段階では、ロネ⇔ロザの転換でなく、編成端のクハネ+サハネを
クロ+サロと交換することで対応しようという案もあったとのこと。 >>26
>>31
昼間のリクライニングシートと夜間のベッドを両立させるには現代の飛行機の上級クラスのようにフルフラットしか選択肢はないような気がする。 >>32 二階建てにして全席フルフラットにするってのは?
E231の二階建てグリーン車をベースにして改造し・・? 583系は、青函トンネルに入ったことないですよね。
できれば、はくつるを函館まで直通できれば、
それなりに需要はあったと思うけれど、
JR東日本は、全く考えなかったのだろうか。
それとも保安装置設置が困難などの理由で、
改造は断念せざるを得なかったのだろうか。 はくつるは海峡1号接続だったけど
はくつると海峡1号両方運転するほどの需要は見込めなかったんだろうね 583系が函館に行かなかった理由の一つに、
寝台転換作業が大変だったという事情もあったのかもしれませんね。 あの当時既に583系の寝台転換作業を運行中にするなんてのは端から考慮外だった思うよ 客車寝台も含めある時期から省力化で解体しなくなったね
もっとも2段化の進んだ客車と違って3段のままの電車寝台にあまり長時間乗せるのはまずいだろうから、わざわざ函館延長することはちょっと考えにくい話だね そもそも583系は出来た時から車内での寝台転換作業は想定してなかっただろ?
一時期きりしまとかでやってたけど例外だわな >>37
函館じゃ、それをやる業者がいない。
国鉄時代なら、何とかしたかも知れないが。
となると函館へ行った583系は、夜の折り返しまで函館で寝てるしかない。
当時、583系は昼の「はつかり」も持っていたから、函館で昼間寝かしておく訳にいかなかった。 >>41
青森まで帰ってくるんじゃね
まあそうすると盛岡まで一往復くらいしか出来ないと思うけど
ところで当時のはくつる、ゆうづるとはつかりって共通運用だった? 140km/h化はしないとしても、もうぼろいのに海峡線の為にATC載せたりしないだろ 長距離をこなす客車と違って、運転区間(所要時間)の関係で寝台転換作業が必要なかった。
昼夜行兼用で効率性の問題もあるし、客車とは対称的な扱いだったのではないか。 >>44
寝台転換作業必要な時間帯も寝台特急として走ってたら
昼夜兼用型の意味がないものなあ
昼は昼行特急として走ってくれないと
それでも鹿児島電化や宮崎電化の時点では速度の点で長距離走らす意味もあっただろうけど
青函トンネル開通の頃は最早そんなことに意味はなかったし
そもそもあの当時特急としての設備的には583系は威張れたもんじゃなかったから
積極的に使う存在でもなかったわな >>42
寝台状態の583系を、白昼堂々青函間を回送?
現実的ではないけど、ネタとしては面白い話だな。 学生時代俺は英語が得意なのが大いに役に立ったのだが、
思い出して見ると、上野駅20番線他の地上ホームの
583系のみちのくとはつかりがの方向幕のアルファベットと
FORという英単語がそのきっかけだな。ユーイーナンバーと
書いて上野なんだなとおぼえたのが昭和51年の9歳頃だ。 昭和50年代前半の青森の人は新婚旅行で
東京近辺に行くという定番はあったのかな?
式のあとにはくつるゆうづる、とか、
一泊してはつかりやみちのく、とか。
その頃結婚したらしき新婚さんが
583系に乗るとこの写真があった。 いくら北とうほぐのド田舎民っても、ハネムーンをトンキン程度にしないでしょ
トンキンから新幹線かブルトレ乗って、九州の大分と宮崎辺りだろな
この頃大量結婚してた団塊連中のハネムーンメッカは九州だったし 青森の車が上野往復(さらに東大宮とかまで往復)したら何キロ走ることになるのか、考えてみたまえよ。 昭和50年頃…東北の人は伊豆半島、熱海&箱根周辺だったハズ
そんな話を聞いたことあったよ。 >>40
小1(昭和50)の時に東京〜大分へ引っ越し移動の際
名古屋・大阪・山口の親戚ん家に泊りながら移動中に581系に乗った
その時に座席から寝台への換装を走行中にやってた記憶が有る
いままで乗ってたのは金星かと思ってたが4月〜5月の間だったから
臨時運用のきりしまっぽいね 魔太郎が来るの何巻だったか、旅に出た魔太郎が583系の夜行列車に乗り、寝台の解体シーンがある。
藤子A先生、どこで情報仕入れたんだろう?w 団体列車ではボックス単位で発売してただろうな
特急型のくせにボックス席で見知らぬ人と顔を合わせる事になる
デビュー当初の253系成田エクスプレスは特急型のくせにボックス席で大不評を買ってしまい後年集団見合い型に改造された(スーツケースを座席下に置けるようにカンチレバーシートだったため回転できなかった) 家電品で60Hz用は60Hzでしか使えないが50Hz
用は60Hzでも使えるんだね。583系も50Hz使用
前提で使ってたという事か 違った 583系は50Hz前提で作っていたから
60Hzでも使えたという事かな、だ。 なぜ581月光デビューの際の昼行ペア列車が
同じ区間を走るはとではなく、効率の悪い
大分行のみどりだったのだろう?
ハネムーンの多い日豊特急に一等車なし、
ボックスシートを充当した意図やいかに? >ハネムーンの多い日豊特急
大分行きで宮崎には行かないんですが 博多行きの昼行列車なら1等車が必要だったとかじゃね? 日豊本線沿線住人だけど彗星とペア運用にちりんは
ガキのころ青いにちりんと呼んでたけど
2〜3年で消えた記憶がある >>61 大分行きで宮崎には行かないんですが
当時の旅行雑誌や時刻表を見れば、
大分も新婚旅行の起点であることが
分かると思います。 581 583系が昼夜であまり活用されなかったのは組合の反対が強かったからというのはホントなんかね。
極端な話
A______B
2000発→700着
1900着←2000発
700発→2000着
1900着←700発
みたいな運用出来れば一番効率はいいんだけ
どね。
今の航空会社ジェットスターなんかこれに近い運用してる。昼間国内線で3往復位して夜に片道3時間位の中国や台湾往復して早朝また国内線に入る。 2000発→700着 → 所要 11時間 折り返し時間 13時間
1900着←2000発 → 所要 23時間 折り返し時間 12時間
700発→2000着 → 所要 13時間 折り返し時間 11時間
1900着←700発 → 所要 12時間 折り返し時間 1時間
どこが効率的なのか全く分からん 2000発→700着
1900着←800発
2000発→700着
1900着←800発
だった スマン 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) >>69
583系なら予備考慮しなければ3編成で足りる
485系と20系客車だとそれぞれ2編成、計4編成必要 実際のところ当時の大分の新婚旅行の入り数ってどんな感じだったんだろうね? >>70
583系の場合、最も効率的な折り返し時間を3時間として、運転時間が9時間程度となる列車が選定されていた
>>72
無知な自覚もないのですね >>73
>>72がドヤ顔で具体的な数字と共に示してくれると思うよ
しばし待とうや >>74
運転時間+折り返し時間×2=24だから確かにそれだと効率いいけど
でも実際は月光の場合新大阪-博多で9時間半くらい
向日町や南福岡への回送入れると10時間以上かかってるよね? >>76
運転時間が9時間程度、距離にして700km程度が583系の本来の目的が達成できる運用だと、当時の鉄道ファンの猪口氏の583系の
輸送計画に関する記事にハッキリ書いてある
現実には少し長めで
博多1945→月光(ヨ)→545新大阪930→みどり→1935大分(ヨ)930→みどり→1945新大阪2330→月光(ヨ)→920博多
という運用になったが >>77
つまり理想と現実にギャップがあったと
だとすると
>583系の場合、最も効率的な折り返し時間を3時間として、運転時間が9時間程度となる列車が選定されていた
というのは違うわな
選ばれたのは月光なんだから
とここまで書いて気付いたのだが
もしかして「選定」って「想定」と書こうとして間違えたの?
それならおかしくないけど 別に間違えてないよ
「程度」をどのくらいの幅と見るかでしょ 博多〜新大阪は電車化でも9時間では走れないのは分かっていたわけだし、「選定」ではなく「想定」が正しいのならば
そもそも583系は月光に投入されることはなかったということになる すまぬ、「はと」が当時でも博多〜新大阪間を約8時間半で走ってたのを忘れてた
>>80の一行目、「9時間では走れないのは分かっていた」のところは取り消します
ということは、583系の投入区間の選定としては間違っていなかったことになる
それが新幹線との乗り継ぎの利便性確保や夜間の保守間合い確保など何らかの理由により、「月光」の到達時間は
昼行特急の「はと」よりも1時間半程度、意図的に延ばされていたことになる ひょっとして雁行する客車の特急寝台列車を追い抜かないように、鹿児島線内や山陽線内でわざとスジを寝かせていたのかもしれない >>84
もっと前にID:A5wqJ2Jtは破綻してるけどな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています