懐かしの京葉線 [無断転載禁止]©2ch.net
91年3月のダイヤ改正時、
朝9:30より前に東京駅を発車する下り特急のための送り込み回送のスジが4本あり、
東京駅で折り返し、さざなみ1号、3号、わかしお1号、5号に充当されていました。
京葉線内の上りの特急列車は蘇我駅を8:30過ぎに蘇我を発車するさざなみ2号でした。
(総武線経由時代から踏襲)
4本あった回送列車はスジを動かした上で営業列車化されましたが、
今や2本は東京駅到着後、回送で下るというのは当時は予想だにしませんでした。
少し大げさですが。
ちなみに当時、下りの特急列車の最終は東京駅19:30発のさざなみで
19:30より後に東京駅に到着した上り特急列車はすべて回送で下って行きました。 >>78>>79
あの一帯、屋号は猫も杓子も「マリン」づくしで笑えた
駅前にあったパチ屋もマリンクラブだったし >>92
そのダイエーも落城して今はジャスコ→イオンの軍門下に。
流通業界も浮き沈みが激しい。
>>91
>>船橋駅ユーザーとしては特に京成側の狭苦しさに慣れてただけに
船橋と稲毛海岸を比べるのっておかしくないか >>96
比べるつもりなかったけど駅と言えば船橋と幕張くらいしか知らんかったから・・・ >>92
省エネ運動時代からバブル時代への過渡期で
営業時間が延びて夜8時9時でも普通に買い物ができるようになったのがうれしくてな
とにかく京葉線は路線そのものよりも駅周辺の店舗施設に先端感があった そりゃ京浜東北のお下がりばかりじゃ新鮮味もないだろ >>99
電車には端から期待してなかった
旅客は添え物って言われてたし >>77
新木場蘇我延長時「BCL KEIYO」
BCLはBay City Lineの頭文字 起点終点ではなく単に京葉線だけの表示や普通とだけ表示されてるのもあった
何か規則性があるかと考えたが分からんかった 京浜東北のお古は「普通」。
じきに区間表示に変わったけど。 >>103
オシャレにしようとしたが為にダサくなってしまった好例 何でも英語にしたらよいというものでもないな
バブル期はとにかく「ベイ」が濫用された >>66
ウーパールーパーは日本独自の名前。
正式名称はアホロートルだが、日本では「アホ」と「ロートル」という言葉の語感がよくないので、広告代理店主導で名称が変えられた。 >>107
ちょっとスレチだが
千葉に民放FMラジオ局が開局したときの愛称にもベイが使われた
「Bay−FM」
でも初めは浸透しなかったうえにローマ字読みで「バイファム」と呼ばれる始末
今ならナイツに漫才のネタにされていたことだろう >>104
103系非冷房車は幕が手動だから京葉線で固定してたのかも。
自分が開業直後初乗りしたときは、高運転台車だったけど幕が入れられてなく蛍光灯丸見えの状態で運用入ってた。 >>107 東京湾岸の路線に「コースト(Coast)」とか「マリン(Marine)」つけるわけにもいかないだろ。 111です。快速マリンドリームを忘れていた。京急にも三崎口行きマリンパークがあるから、まあ許容範囲か?
シーサイドという感じもないしなあ・・ >>61
90年代から東海の371系が小田急線走っているが。 クモハ103の乗務員窓にマリンちゃんが敬礼してるシールが貼ってあった。
確か、トンネル区間・夜間時遮光カーテン使用のお知らせだったような… 90年代中頃まで、新木場の大カーブ通過時、謎のサイレンが鳴ってました。 新港信号場が上り本線だった頃、
この付近の高架に差し掛かる部分(Mr.Maxがある付近)を上り列車が通過すると、
線路近くの団地の建物が振動していました。
上り本線が現在の場所に移設され、この振動は解消されました。 開業当初の南船橋駅ってボトーソ便所やったんかな? 全線開業から数年間、
下り各停の南船橋−新習志野がノロノロ運転なのが謎でした。
1番線、2番線のどちらに到着する場合もノロノロ。
当時「駅間2.3kmあるのだからポイント手前で速度を落とすスジにすればいいのに」
と思った次第。 ああ、あったね。
似たように下り快速の船橋ー津田沼も上り勾配ってのもあったが無駄にノロノロだった。
なぜか津田沼止まりは船取線までノッチ入れっぱなしで3分台でつく場合が多いのに。
どっちも市境だからなんか走行を妨害するなんか魔物でもいるんじゃね? マリンちゃんは駆け込み乗車禁止、携帯電話使用禁止、整列乗車、などにも一役買ってた 創刊号1回ポッキリで、2号へ続かなかった「BCLニュース」 全線開業から数年間、平日の快速は205系で統一されていたと記憶。
同じく平日、快速運転時間帯の上りで蘇我発6時台と9時台に1本ずつ
途中退避なしの各停があった。
土日ダイヤの下りで、東京駅を特急の10分前に発車する快速があり、
蘇我まで逃げ切るようになっていた。
上の影響で、土日ダイヤでは千葉みなと駅で快速と特急の計2本を退避する各停があった。 マリンちゃんというくらいだから京葉線限定か
海とは無縁の場所を走る区間には使えん 千葉みなと 今はなき、貨物ターミナルから京葉臨海の渡り線利用貨物列車
稲毛海岸駅 パットゴルフ
検見川浜 <−> 新浦安 今ではまぼろし快速ノンストップ
海浜幕張 夢空間3車両展示(今のミニストップ横の地上) と
今じゃできない イベント対応2番線<->3番線のホームつなぎ(当時は線路未敷設)
新習志野 4+6 併合・分離
南船橋 ザウス
西船橋 9番・10番は開業時から10両対応 快速ノンストップあったねぇ
途中駅は不満ブーブーだったが
そんなに客数変わらねえのにっとか 間違えて通勤快速に乗った受験生のために海浜幕張に停めたことあった 通過駅ユーザーにとっては迷惑千万
そりゃ反対するわ 去年辺りの事だが県内某フードコートで学館浦安の子が脚広げて座って黒パン見えてた
さらに去り際に立ち上がって中に着てるブラウス下げたくてスカート思いっきり捲って黒パン全開だったわ
連れの子(公立っぽい制服だった)いたけど何も注意とかしなかったのにも驚いた
こっちは目のやり場に困って股間破裂寸前でした
学館浦安ってこんな大胆な子が多いの? 何故昔の京葉線の色が今とは違っていたのかがようやく分かってきた
当初は全て中古車で、転用前の色をほぼそのまま使ったからだったのか
当初の埼京線も同じ理由だった模様 >>147
鋼鉄車からステンレス車への移行時に色が変わったのは、
京葉線以外にも埼京線などがあります。
京葉線のラインカラー変更は
東京駅乗り入れに際し、すでに東京駅を通る京浜東北線のそれと競合することで
路線図上での混同を避けるためと思われます。 2000年代の初め頃、
103系、201系には扉付近につり革があったのに、
一番新しいはずの205系には扉付近につり革がなかったという時期がありましたな。 ドア前には立たないのが当たり前なんだが
吊革なくす強行手段に訴えないと改善されないとは情けない話だ 1975〜1976年は千葉貨物列車ターミナルから貨物列車が4往復のみ発着。
小学校から貨物列車の発着や貨車の入換作業も眺められた。 >>151
元々は通勤形や近郊型車両は新製時には扉付近のつり革がなく、
この設計方針(?)が205系登場時まで続いていた感じです。
その後103系、201系(や113系)などの古い形式が
(おそらく)車両更新の際に扉付近の吊革設置が進み、
やがて205系にも取り付けられました。
205系の中でも山手線、総武線からの転属車は車齢の関係からか、
京葉線向けに比べて扉付近の吊革設置が早かった記憶があります。
(転属時にはもう完了していたかも)
149の書き込みはその過渡期の状況ですね。 今ではスマホいじりに没頭して人流を遮っても平気なヒトが増えてきて困ったものだ 2002年12月の白紙ダイヤ改正の時は、
当時鉄道系の掲示板で「舞浜等間隔ダイヤ」と揶揄されていた。
日中に舞浜駅に到着する列車の間隔を揃えて
駅ホームが混み合わないようにするのが目的だと推測されたため。
この改正で東京(京葉線)から蘇我へは日中は実質1時間に2本となってしまった。
朝ラッシュ時の上りも、快速が前を行く各停を抜かないようになった。
こちらはJRから「混雑の平準化が目的」との案内があったと記憶している。 今では考えられないが、朝ラッシュ時の上りに特急(わかしお5号)のための送り込み回送があった。 国鉄時代に自動改札が導入されていたのは、少しだけ誇ってもいいかも。
もっとも、その10年以上前に京成が自動改札を導入していたけど。 今では考えられないが、下り特急の最終は東京19:30発のさざなみだった。
19:30以降に東京に到着する上り特急は平日2本、休日4本あったが、
すべて東京到着後は回送で蘇我(→幕張電車区)に下っていた。 千葉市からの「武蔵野線を海浜幕張まで」の要望を受け、
千葉市の負担で海浜幕張駅の東京方に折り返し設備を設けたら蘇我ー海浜幕張を減便。
JRからの千葉みなと駅快速停車決定のアナウンスを受け、
千葉都市モノレールが千葉みなと方面を増便するも、
蓋を開けてみれば快速停車の代わりに各停減便という憂き目に。
ラッシュ時における武蔵野線の東京駅乗り入れ本数増(しかも快速のまま)の度に京葉快速のメリットが低下。
当時のネット掲示板では千葉支社より力のある大宮支社からの圧力とする書き込みも。 全線開業直後、海浜幕張が快速通過駅だった頃に一度だけ上り快速に乗ったことがあるが、
新浦安で時間調整のために長時間停車をしたのが残念だった。
西船橋-東陽町ノンストップだった営団地下鉄東西線快速も
東陽町で時間調整のための長時間停車があった記憶がある。 朝にそれをやられるとゲンナリするね
速達列車に客が集中しないようにするための方便かな 30年前の今日、255系電車「びゅーさざなみ」、「ビューわかしお」がデビュー。
合わせて183系の「さざなみ」、「わかしお」のグリーン車が2号車から4号車に変更(だったはず)。 特急さざなみ、わかしおが京葉線経由になった直後の平日日中の下りダイヤは東京発で
00分 特急わかしお
06分 各停(新習志野で快速退避)
16分 快速
23分 各停(新浦安で特急さざなみ退避)
30分 特急さざなみ
37分 各停(新浦安で快速待ち合わせ)
41分 快速
53分 各停(新浦安で特急わかしお退避)
(各停、快速はすべて蘇我行)
こんな感じだった。 眉毛を剃った様に見えた103系運番埋め車
ミッキーマウスを意識した様な前面だった205系新製配置車 東京開通直後は東京〜西船橋に165系によるシャトル舞浜何て言う列車があった。
車内のBGMはディズニーのものだった。 ここまでディズニー尽くしやりますか
ま、いいでしょう 京葉線の103系は晩年はスカートを取り付けた車両があった
西日本ではスカート付きが一般化したが東ではここだけだったはず 恐らく地上型103系初の地下区間走行?
(後に大和路線もそうなるが) 201系狙いなのに来たのがE235系だったの最高だったよ。骨董品じゃなくて電子レンj>>(自己規制) >>182 ああ、懐かしいな。1991年の10月30日ね。覚えてるよ。ちなみに、あの後E1系の甲種輸送がいたよ。 今の京葉線は赤帯だが、かつての京葉線が青だったのは京浜東北線からの転入だったからなのか(動画を見て一瞬阪和線かと思ったが) ライル・ヒロシ・サクソンさんの動画を見てかつては103系が各大都市圏に展開されていた事を初めて知った >>184 103系がE131系に置き換えられたんですよね某氏SUN!? 小田急のVSEも結局1回限りの増備で引退した事を見ると、E331量産は無理だったと思われる ケヨの異端車一覧
・クハ103-188
・201系試作車
・E331系 3000両以上も造ったからには東京一円だけでなく他大都市圏にも配置しようと考えていたのでしょうね 悲しいなあ インフラ維持できないのか
【詳報】京葉線ダイヤ改正で千葉市長「通勤通学に相当な影響」「極端な変更」 通勤快速廃止に懸念 JRに説明要望へ
神谷俊一千葉市長
JR京葉線のダイヤ改正についてX(旧ツイッター)で言及する神谷俊一千葉市長の投稿
JR千葉支社が来年3月のダイヤ改正で京葉線の通勤快速を廃止し、快速を朝夕夜間帯は各駅停車に変更すると発表したことを受けて、千葉市が沿線へのマイナスの影響を懸念している。
神谷俊一市長は「極端な変更」「市としてメリットは見いだしにくい」とX(旧ツイッター)に投稿し、JR側に改めて説明を求める方針を示した。
一方、JR側は「新型コロナ禍で落ち込んだ乗客数の回復が鈍い」と説明し、混雑緩和策としてのダイヤ改正に理解を求めている。
神谷市長は19日、「特に房総や千葉市から東京への通勤通学、幕張新都心へのアクセス等に相当な影響がある」などとXに投稿し、トップページに固定。20日も引き続きXで意見を募った。
寄せられたユーザーからの投稿に「幕張新都心の価値にもかかわる大きな問題」と返信し、JR側に説明を求める姿勢も示した。
https://www.chibanippo.co.jp/news/politics/1143866
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1703110305/ >>191
だんだんつまらなくなるね
東京駅開業当時が懐かしい >>184
由来(車両やりくり)的にはそのとおりだと思う
だがカラーの意味は厳密には少しちがう
青時代(国鉄時代以来)→各路線「○色の電車」式の系統案内だった
現行方式(JR化以降)→明確に「路線カラー」として制定されたもの