青函連絡船6便 [無断転載禁止]©2ch.net
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46リンク+ ◆BotWjDdBWA 2018/07/25(水) 20:28:23.77ID:gG5bAjJV
栃木県からの接続でもRadiko.jpは東京判定になる…。
優れた地域判定ができるサイトなら、きちんと栃木県栃木市の判定になるのに、どこかがおかしいぞ…。
※Radiko.jpの地域判定の精度が糞仕様なだけかな?
IP アドレス:
106.73.238.65
ホストネーム:
M106073238065.v4.enabler.ne.jp
ドメイン
enabler.ne.jp
プロバイダー (ISP):
KDDI CORPORATION
国:
Japan (日本) - [ Wikipedia]
地域:
Tochigi (栃木県) - [Official Site] [ Wikipedia]
都市:
Tochigi
風力何メートルかの風が吹いていて多少揺れるかもしれませんがご安心ください、と言う船内アナウンスはちょっと怖かった。 安心して下さい
揺れませんよ
って言ってほしいよね 退職して年齢を重ねた
青函連絡船乗組員だった方々は、
函館や青森の市内に固まって住んでおられるのだろうか?
彼らが通う居酒屋なんかで話を聞いてみたい気がする。 青森にはほとんどいないな。
青函連絡船の本拠は函館で、現役時、みんな函館に住んでたから。
青森にいるのは、青森出身で実家に帰った人だけでしょう。 50系な。
当初は旧客を駆逐した悪役だったのに、50系さえ懐かしい愛おしい。 >>870
俺八甲田接続のしか乗ったことないから海峡は100パー14系座席車 奥羽本線の各駅
今は電車なんだな
スマンが鉄分低いので細かい事分からん
東北本線の廃線後歩いたけど、あれもよう分からんかった
昔乗った夜行は、彼処を走ってたって事なのか >>871
50系以外の海峡があるなんて廃止されてから知った。かなり鉄道から離れていたからだけど。 >>872
去年、東武の「SL大樹」で乗った。
懐かしさで涙が出そうだった。 50系=タラコ色の列車
14系=ブルートレイン
個人的には「海峡」はブルートレインのイメージ
車内販売があった >>870
その50系を駆逐したにっくき仇が701系 それがさ、今の若い鉄ヲタって、701に萌えているんだよな。 >>868
青函船舶鉄道管理局が函館にあったからな ニセコや利尻で頑張った車両がまだ走ってるんだな感>14系海峡
トンネル位置表示がなくて少しつまらん 船籍港は、国鉄時代は「東京」でJR化後は「函館」でしょう。 ガキの頃は帰省時に宇高連絡船によく乗ったが、あの1時間ですら長く感じてた。
青函って4時間だっけ?想像を絶するよね。子供には地獄だっただろう。 1986年の夏休みに青春18きっぷで青森〜函館間を4日間くらい連日2往復(深夜便の
船中泊含む)して殆ど船内で過ごしていたのが懐かしい。当時は大学2年生だったが
青函連絡船に乗る事が目的の旅だったけど当時がなつかしい。 連絡船のコインシャワーが懐かしい。
フリチンになって、そして・・・みんなやっただろう! 子供には4時間は長い
特に、ほぼ水平線しか見えない時間帯 深夜便は桟敷(席だってね)で横になって放送が流れたらもう対岸て感じ
昼間は後部デッキのベンチでぼやっとハの字の航跡眺めてて長く感じた 初めて青函連絡船に乗ったのは1975年高校二年生に訪れた修学旅行の北海道だったが、
青森早朝到着の「ゆうづる1号」で接続便が八甲田丸だった。9月下旬の台風シーズンで
青函連絡船は陸奥湾から津軽海峡に入ると時化の影響を受けて船は動揺、キヨスク売店の
お土産は崩れて売店はシャッターを閉めて閉店。それでも当時は船と言えば湖の観光船・
久里浜〜金谷や川崎〜木更津のフェリーしか乗ってないため、青函連絡船のような大型船に
乗るのは初めてなので珍しくて船内探検して席には一度も座らなかった。
帰路は大雪丸利用で食堂の利用も自由だったため、グリル大雪でラーメンを食べてから
サロン海峡で珈琲を飲むという当時の高校生にとっては破格の出費でしたが、いい想い出に
なりました。
自分は北海道に行く時は学生時代は急行八甲田や社会人になると寝台特急ゆうづる・
はくつる利用が多く帰路もそれらの接続で移動したため、深夜便の乗船回数が少なく、
1985年から3回しか乗船機会がなくてそれが心残り。 昭和から平成になる直前の昭和62年に国鉄はJRになり、そして昭和63年に青函トンネルと瀬戸大橋が開通して
北海道と四国が地続きになって寝台列車が直通するようになったんだったな。そして青函・宇高の両連絡船も廃止になった。
その翌年に昭和が終わり平成に。本・島直通寝台列車の瀬戸、北斗星、トワイライトエクスプレスは平成の鉄道の象徴だったが、
青函直通寝台列車は平成と共に役目を終え、次の新時代まで残ったのはサンライズとなった瀬戸(出雲)だけ。
新時代に生き残る寝台列車が日本でこの1つだけになるとはな・・。 >>897
俺は北海道方面も含めて、寝台特急は思ったより長生きできたと思ってるけど。
九州ブルトレが21世紀を迎えられるとは思ってなかったし、北斗星やトワイライトも
90年代の間に新車にならなかったことで、2010年代まで持つとは思ってなかった。
サンライズは、瀬戸より出雲の方が廃止できないのだろうなと思って見てる。 上野駅からゆうづるorはくつるに乗り、青森駅で青函連絡船に乗船。
函館駅からおおぞらorおおとりor北斗に乗るのが当時の定番だった。
北海道から東京に向かうときはその逆。
当時がなつかしい。 >>904
自分は貧乏だったので八甲田or十和田から連絡船、函館からはニセコだったな。
就職で札幌から東京に移り住んでからは帰省に道南ワイドが使えるので道内は特急に乗ったが。 >>905
俺はもっと貧乏だったので、18きっぷ片手に上野を朝イチの黒磯行き普通列車で
出発して、鈍行乗り継いで夜に青森に到着して101便か1便に乗ってたな。
でも後で計算したら、道内で夜行だけ急行に乗ったり、友人と2冊目の18きっぷ
を共同購入したりして、ワイド周遊券での旅より金が掛かっていたことが判明…。 思い出はプライスレス、とかカッコいい事言ってみるテスト 北海道は周遊券だったな。夜行急行多かったし。青函連絡船乗りに行くときは18切符だったけど
黒磯発一ノ関行の旧客あったよな。上野555発使って全部旧客で青森まで行ったこともあった >>907
思い出はいつも綺麗だけど、それだけじゃお腹が空くよな >>904
はくつる ゆうづる 顔が良かったよね
月光も同じ顔してた おいおいなんだか貧乏なやつばっかだな。
おれは北海道に行くときも東京にもどるときも飛行機だった。
ダグラスDC-8かボーイング727のどっちかだったな。
もちろんスカイメイトだけどね。 >>902
基地が西出雲だしどうしても片方消すなら瀬戸だけどね >>914
YS11は鹿児島発与論行きに乗った。
台風が近づいてる時で凄い揺れたよ。 >>917
どういたしまして。お役に立てて何よりです。
青函連絡船、それに接続するJNRもことでわからないことがあれば何なりとご質問してください。
このスレの連中は雑魚ばかりなので、私は今後も正しい青函連絡船やJNRの実話をお話していくつもりです。
ご愛読よろしくお願いいたします。 何せ、ちょっと 渡道して 乗っただけの異邦人、なんで
YSは羽田ー三宅島で乗った、台湾からの買い戻し機だった 今更ながら青函連絡船について学ぶ為の書籍を探しているのですが、
JR北海道の"青函連絡船 栄光の航跡"は最適でしょうか
他におすすめ書籍がありましたら、ご教示いただければ幸いです >>921
青函連絡船ものがたりはどうでしょうか。
宮脇俊三の文、黒岩保美さんの絵で、
子供でも分かりやすく紹介されています。
復刊ドットコムにまだ在庫があると思います。 すみません調べたら在庫切れになっていました。
Amazonや福音館書店にも復刊の在庫は無いようです。 >922-923
ご丁寧にありがとうございます
調べたら図書館に蔵書がありましたので、今度拝見してみます >>921
坂本幸四郎著「青函連絡船」が良いかと思います。
今ならヤフオクで出品ありますよ。
あとはインターネット上に勉強になるサイトがいくつかありますよ。
個人運営のサイトなのでリンクは貼りませんが。
「青函連絡船 歴史」で検索してみると良いかと。 >>925
書籍に限らずネット上でも情報収集してみます
ご教示くださりありがとうございました 年史だと、
航路沿革史(S14・30年)
五十年史(S32・50年)
青函連絡船史(S45・60年)
航跡(S53・70年)
栄光の航跡(S63・80年)
と、だいたい10年ごとに出ています。
中には入手困難なものもありますが、一般に販売されてた栄光の航跡あたりが入手しやすく
無難なように思います。
ネット上のものは、かなり思い込みによる間違いが多く、内容もこれらの本、あるいは上前純
一郎「洞爺丸はなぜ沈んだか」あたりの受け売りが多く、本で読まれたほうが確かです。 また2時過ぎだ、北海は指定だから焦らず函館までもう一眠り
船乗りさんありがとう トンネル開通記念式典を複雑な眼差しで見つめる関係者の姿が忘れられない
開業すれば自分達の仕事がなくなるから手放しで喜べない事くらいは子供心にもわかったのだ 青函トンネル開業日が青函連絡船の最終日だった。
青函トンネル一番列車に乗って、青函連絡船の最終便に同じ日に乗れた。
なぜこうなったんだろうね? >>932
不測の事態に備える意味合いもあったろうね。
全国の鉄道は繋がっているという意識はまだ残っていた。
今ならトラブルあっても「不通ですから」のひと言(他人事)で終了。
まあ、開業直前まで使っていた青森の控車とかを函館に回収する必要もあったんだけど、どうせ臨時便出すなら当日なら乗せた方が少しは稼げるし。 >>932-933
なるほどそういうことだったのか。
納得しました。 最終日、「臨時便」と言ってたものもすべて最初から計画運航で、
特別に走ったわけでもなんでもなかったんだが・・・ 青函連絡船での自動車航送は1988.3.13の前日くらいで打ち切ったんだっけ? オークションに出てくる青函連絡船の日誌類って、なんで八甲田丸のものばかりなんだろう。
八甲田丸から流出してるのかな? 今まで大事に保管していた元乗組員が亡くなったとか… 今日の朝の連ドラ「なつぞら」見た奴、ここにいるか?
昭和29年代末か30年代初頭の時代に、十勝地方に午後にいる人が
「今からここを出て、明日の朝一番の連絡船に乗る」のは不可能だと
思うのだが…。 >>943
昭和33年10月改正時のダイヤだと、準急狩勝〜アカシアで帯広1551→函館613というのがありますね。
でもそれ以前だとどうですかね… 406レ
帯広発12時台になるけど
戦前から朝一の青函連絡船に間に合っていたよ
帯広発15時台で間に合う様になったのは
1955年(昭和30年)から
https://i.imgur.com/efeWe6Z.jpg
https://i.imgur.com/n4DHNgS.jpg 調べていただき、ありがとうございます。
調べ直したら、該当シーンは昭和30年の設定なので、>>945氏の言うように
ギリギリ可能ですね。
だけど、物語の展開を見ていると該当シーンはもっと遅い時間と思う。
登場人物の一人が東京から主人公を訪ねて十勝の農場にやってきて、用件
を済ませてその日のうちにお暇するという内容だから。
農場が十勝の何処なのかという問題もあるし(帯広近郊らしいが)。 北海道を関東一都六県くらいのスケールに考えてるんだろうね。
津軽海峡(大間〜戸井)を手漕ぎ舟で渡る小説もあったくらいだし。
坂本幸四郎さんの著書で荒唐無稽さを検証する章は面白かった。 >>950
函館から大間にある家々が見えるんだっけ。
坂本さんの著書を読む前に「ありえねー」って思ったよ。
現地見ないで書いちゃったんだろうな。
それが映画になるほどのヒット作になっちゃったと。
まぁ、推理小説なんて無理や無茶がないと成立しないから。 >>951
『大間の自宅から対岸の屋根が…』だったかな。
作者は後書きかインタビューかなんかで「地図を眺めて創作意欲を掻き立てた」という。
これについて坂本さんが「●●氏が見た地図スケールはいくつなのか気になる」という突っ込みかつイヤミも痛烈でしたな。
関東でたとえれば海ほたるから木更津市街の家並みを肉眼で眺める…それより距離があるわけで。 とりあえず松前藩の舟は渡ってたんだろうけど
厳しい海峡なのは違いない、マグロが鍛えられる位の海だ 「飢餓海峡」の設定も台風の中小舟で海峡越えたんだしなあ。 問題は、洞爺丸のセットを使って、荒波のシーンを作れるかどうか…。
日本の映画のことだから、どうせ、今市な映画に決まっている。
機関室に大量の海水が侵入して、蒸気タービンが焼き付きで停止するシーンとか…。
洞爺丸の資料に基づいた再現ができるかどうか…。
じゃ、アニメで再現してみるか…。
ギンコ
「左エンジンの蒸気圧を落とすな!エンジンを止めるな!」
その後、苦しそうな音を立てながら振動していた左エンジンが煙を上げて止まってしまった。
リンクは「右エンジンは大丈夫か」と聞いてきたが、そのうちに右エンジンも煙を上げて止まってしまったという。 循環水ポンプの電動機が冠水したため、左発電機が故障し、その結果、
左エンジンの潤滑や冷却がうまく行かなくなり、故障に陥ったわけだ。
自動車のエンジンで言うなら、ラジエーターが故障してオーバーヒートで焼き付きを起こすようなもの。 90年代頃に、NHKのテレビドラマで洞爺丸事故シーンが
あったって聞いたことがあるけど…。
当時テレビを全然見てなかったからよく分からない。 エンジンの無い小舟で北海道から青森へ渡る場合
潮流で流されるの想定して、松前から下北半島目指せば可能なんでは
実際にやってみないと、何とも言えないけど
上手く潮流に乗れば、殆ど漕がずに対岸に着ける
…様な気がする 干満のタイミングによって海流も変わるから、速ければ太平洋へ流れてしまうし遅ければゆるゆると下北へ漂着するのもありえる。 50年位前になるが、青函連絡船に乗って東京に行ったな。
就航のドラの音とシャケ弁当とお風呂が懐かしい。
東京で年末、帰省するのに列車指定席が取れず12月30日の
夜行急行八甲田自由席で混んでいてしばらく立っていた。
盛岡付近で座れた。連絡船は座席で寝ていた。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。