青函連絡船6便 [無断転載禁止]©2ch.net
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青函連絡船では、いわゆるごろ寝できるじゅうたん席は正式いは「座席」、または「じゅうたん席」、椅子のところは「椅子席」と言っていた。
規程やマニュアルなどもすべてそのようになっており、少なくとも乗組員は桟敷などとは言わない。 所要時間3時間50分だが寝台あったんだな
ただ夜中や早朝に移動とかあって睡眠時間が十分とれなかった? 寝台、通は往復取って、折り返しでは起こさないでもらったものだよ。
折返し便が客扱いしてないとダメだけど。 >>559
>>601
1974年から1988年まで青函連絡船に乗ってきたけど絨毯の
席は桟敷席って言われてたよ。事務長も船内放送で桟敷席と
いう名前で述べてたし、交通公社の北海道時刻表でも青函連絡船
見取り図のページに桟敷席という記述があった(1976年頃)。 >>596
中国の高速道路で、開通と同時に崩壊するダンボール戦機の高速道路という洒落にならない事例があったくらいだからね。
製造技術の未熟さが災いし、開通したと同時に落盤事故でおじゃんになるだろうな? >>604
私も同じ頃青函連絡船に乗務していたが、規程、マニュアルのほか、図面でもじゅうたん席は「座席」となっていた。
ただ、「座席」でわかりにくいこともあったので、そのようなときは「じゅうたん席」と言っていた。
お客さんの間でどう呼んでいたかは知らないが、正式には「座席」が正しい。 グリーン桟敷は指定だから座席なのかな
救命胴衣とか仕切りがいろいろありそう >>609
折角貼ってくれたけど、肝心のところがボケて見えない 一般の旅客の間で「桟敷」という言葉が使われていたというのはともかくとして、
正式名称が「座席」だというのは八甲田丸や摩周丸に行ってみてもわかる
>>600は「朱色5号って何?タラコだろ」って言っているのと似たようなものでは? >>608
グリーン船室、普通船室ともに「座席」と言われていた。 グリーンの座席って何が違ったの?
絨毯がふかふかとか? 椅子よりカーペット座席のが倍位なんだな
寝転べる座席?ばかり使ってた 座席より椅子席のほうが一人あたりの占有面積が大きいってことだね。 グリーン指定席の深く倒れる独立シートは良かったね。
大揺れの際には座敷に寝そべってるより楽だったような。 幸い縦によぉーっと揺れるだけの静かな航海しか知らん
時化の航海は如何だったでしょうか 焼山沖でのぼせるときはピッチングとローリングのまざったような揺れが続き、船首を波に突っ込むと「ドーン」という音と振動、数秒遅れて「ザーッ」とかき上げた波が降ってくる。
30分〜1時間ものぼせたあとに落とすと、揺れが変わる。 >>624
今もカーフェリーならどこでも味わえるよ。
水と鉄の塊がぶつかると、こんなにズシンズシンするかと驚かされますな。
船尾にいると時折プロペラが海面に出てしまい、ブーーン!と空回り音が響くこともある。 【皇室】秋篠宮妃“紀子さま”と“美智子さま”の『異常性』〔心理学悪用編:小室眞子さま〕★2
ICU大学時代、山守さんも小室さんも同じスキー部員だったとの話。
そのスキー部に眞子様もいた事実。
少ない人数のスキー部内で男を、とっかえひっかえの眞子様。
しかも小室さんに乗り換えた後、山守さんも居るスキー部で活動継続。
小室さんに騙されたとかいう風潮は、あまりにもおかしい。
2012年の留学中に英国で知り合ったアジア人や日本人とも関係を持って・・・(以下略)
詳細は、以下のスレッドでどうぞ!!
〔2chのスレッド〕:https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1532735877/
〔記事元〕:http://www.laf.im/yahoo_co_jp-news-20180703 青函航路の場合、海峡部を越えれば何とかなるからな。
陸奥湾に入ったーとか、松前半島の影に入ったーとか
ホッとする瞬間。 ボーイング747の出現で青函連絡船が斜陽化したよな
1980年のダイヤ改正で函館中心から航空機利用による千歳空港を中心としたダイヤに変更された
しかし今度はボーイング747が4発エンジンで燃費が悪くほぼ同一定員で平屋で双発エンジンのボーイング777に置き換えられ国内からは引退して世界的にも減少してる 青函連絡船じゃなくて、鉄道そのものが斜陽化したんだよ。
すでに長距離旅行の手段として、その役目が終わっている。 飛行機に乗りたくない人にとってはやはり鉄道に頼りたいが、近場すらお金かかるようになったのはねえ…。 都市近郊の通勤路線以外は無用の長物。
消え去る運命といったところか? >>633
JRの本音は、新幹線網使っての旅客・貨物輸送、大都市近郊区間、リニア、
関わるのはこれだけにしたいんだよ。
残りは国道バイパス、遊歩道、にでもしとけってね。 >>634
新幹線貨物は、今のところ実現していないのは何故? >>635
大型物資を大量に運べない
貨物輸送により、旅客輸送ダイヤに支障をきたす >>635-636
貨物ターミナルを今から建設しようにも適当な用地が見つからないだろう。
あと、コンテナの規格をどうするか。 青函連絡船は2000円で行けたのに北海道新幹線で高騰してしまったな
運賃が年々高騰している
青春18きっぷオプション券は金額的にフェリーと変わらないが使ってる人いるのか? 安い運賃で昔みたいに上野から寝台特急(はくつる、または、ゆうづる)に乗って、青函連絡船で津軽海峡を渡り、おおぞら、おおとり、北斗で札幌に行きたい。
叶わない願いだけど。 >>638
利用費の高騰=かさむ維持メンテナンス費用って現実問題もあるからなあ。
ならばこそ様々な種別列車を走らせて、誰でもウェルカムって姿勢が欲しいものだが…。 おっさんですが、45年前の今日あたり、初めての北海道旅で急行「八甲田52号」(だったかな)で青森に着き、初めての連絡線に乗船しました。「八甲田丸」でした。思えばこの年が連絡線の輸送人員が最大だったんだな。 往時知ってると、今の青森駅、脱け殻みたいで唖然とする。 青森駅は単なる通過点で、駅周辺の記憶はほとんどないな。
駅には用がなくて、さん橋待合室は泊りも含めてすごく多用させてもらった。
1席ずつに区切られていない長いシートは仮眠に最適、冬は暖房が聞いて暖かく、洗面所もお湯が出て、夏は開け放した窓から潮風が心地よかった。
何便か見送ってのんびりして、その間に普段なじみがない貨物船の入港もゆっくり見られた。 函館さん橋の椅子は1席ずつに区切られたFRPのやつで、しかも夜、2便が出ると待合室を追い出された。 青森は下りて階段上がって右行けば近かった
平成も後になって八甲田丸に再開するんで初めて青森駅出た
函館はニセコ待ちで途中下車したもの >>648
函館って畳敷きのエリアが無かったっけか。記憶違いかも >>648
そうなのか?
おいら函館で一晩過ごしたけど。
たしかに椅子では横になれなかったな。 青森駅の女性待合室は畳敷だったような
函館駅のは記憶にない 青森の桟橋待合室にお土産やさん(キヨスク)とコーヒースタンドあったなあ。
あそこって考えてみると桟橋の先っぽの方でほとんど周りは湾内なんだよね。
暴風雨の時なんかちょっと場所的に怖かった。 いや、青森さん橋の位置は、西側は舟入澗、その先は油槽所、東側は1岸のスペースの先は安方倉庫(その後、最後の時期だけアスパムなど)だったので、まわりが湾内ということはない。 全体的に見れば、しいて突き出していたのは3岸程度だろう。 >>652
時期とか年代で違うのでは?
大昔はターミナル駅で寝泊まり可能だったみたいだし >>653
子供の頃、金魚ねぶた買って貰った思い出 >>655
周りに建物が無い待合室は風当たりがあるから“湾内”って感覚を覚えたんじゃないかな。
青森の街自体が陸奥湾の南端だしね。
厳密に防波堤内だから外だからって定義つけなくてもよいと思う。 八甲田丸や摩周丸の保存に今のJRは関わってないの? >>660
かかわっとらんよ。
函館はJRが撤退して何年になるか・・・?
お荷物になるものはいらないんだよ。 >>661
八甲田丸の車内にはJRの車両がたくさんあるのだが >>662
元JRの車輌な。
あるからって、だからどうしたって?
八甲田丸も摩周丸も、今現在どこが管理しているのかを言ってるんだろ? >>662
元JRの車輌な。
あるからって、だからどうしたって?
八甲田丸も摩周丸も、今現在どこが管理しているのかを言ってるんだろ? 雨がすごかですね。
このままでは、”テケミ”せざるを得ませんな。
連絡船の船乗りなら、この略号が通じる。 >>666
あのぉ〜
風が弱くなってわずかに日がさして来たんですけど・・・ 台風が去ったと誤解して出航、七重浜の悲劇に至る運命であった
遭難方々へ南無阿弥陀仏、ご供養 津軽とあけぼのは連絡船との接続悪かったと
J-Trainに書いてあった 連絡船待合室で、ゆっくりしたいので、接続良過ぎるのも考えもの >>670
奥羽沿線重視で役割が違うからね。
航路接続はいわば余技。 八甲田も連絡船待ち一時間位あったかねぇ
津軽は待ち悪くて使った事ないな >>672
だけど大阪からのでも接続悪いパターンが多かったんだよなあ
日本海の二本目のと白鳥くらいだものまともな接続の奴は 非常時の貨車の海洋投棄の実験したことがあるが今だったら実験後に投棄した貨車を引き上げないと海洋汚染の問題が起こりそう
それも鉄製の傘を貨車に取り付けて非常時に海に投げ落とすことで水圧で引っ張り投棄するという豪快なものだった
昔は船内で出たゴミも海に捨ててたとか今じゃ考えられない >>670
そりゃ書いてあるだろな。
元々が秋田・青森の地元向け列車だからな。
ゆうづるにだって、東北向け(北海道連絡を考えていない) 送信しちまった。
ゆうづるにも東北向け列車があったんだから。 トンネル開業後も「はまなす」に接続しない最終はつかりは走り続けた(時刻は少し繰り上がったが)
1便ありし頃は乗り場や名簿記入とか定番の案内に加えて、奥羽線方面白鳥号は明朝だから桟橋待合室へ行くように放送されたもんです。
トンネル開業後は当然それらは渡道客と共に無くなったけど、国4を行き交うトラックを眺める夜汽車風情はずっと好きだったな。 青函博記念で八甲田丸船長の名前入りポスターが家に貼ったまま。昭和63年8月15日の日付。
ただ昔からの疑問が。
この船長が青函トンネル開通の番組にも出ていたのだが、その時は違う船名の船長と紹介されていた。何度も見たから間違いない。
船長っていくつもかけ持ちとかしてたんでしょうか?あるいはテレビ出演時は他の船、サイン当時は八甲田丸の船長になっていた?それともサイン用に八甲田丸船長に扮していたのかな? >>680
連絡船の船長って列車長みたいなものじゃね?
新幹線の列車長も常に同じ車両担当じゃないみたいな 青函博のときの八甲田丸だったらK船長だろ?
青函博当時、青森桟橋長兼展示船の船長。
63年1月までT丸乗り組み船長。その後船員区船長。
T丸の前はH丸だったか?
船長でも、貨物船→客船、組別ではC→B→Aと席次が上がるたびに、ほとんどの場合船も変わるから異動は多いよ。 とくに、3月13日以降はJR北海道に残った人たちだけだったし、乗組員の乗務も船も終航前とは違ってた。 >>683
そうです。Kさんです。
異動は多かったみたいなんですね。
レスありがとうございます。 K山さんは1月に大雪丸が引退して以降、乗り組み船長休暇時の代務やメディアの取材対応もされてたよね。
今はつべから削除されたが「新・日本の駅(番外編) 青函連絡船」1988.03.11本放映?にもホスト役をされてる。
津軽丸船内で産まれた子が数年前に事故で亡くなったことに沈痛な顔をされてた。
後年、横浜大桟橋へジャパニーズ・ドリームを見送りに行った際、ブリッジのK山さんに手を振ったらにこやかに帽を振り返してくださったな。 k山さんは齢83かな。
ご健在ですか?
長崎でお世話になりました。 ちなみに今もつべで見られる動画に大雪丸のがあり、青森出港後のクルー紹介放送で『本船の船長はS田XXX、事務長は…』というのがあります。
このS田船長こそアンコール運航で十和田丸に乗り組み、最後の函館行き回航5011便の大トリを務めた方です。
(新聞には実名掲載あり) >>686
代務で乗るのに乗組船長の代務、と限定することはなかった。
相手が乗組船長でも専属船長でも、休暇を取った「船長」の代務で乗る。 >>689
何年ごろの動画でしょうね?
Sさんが大雪に乗っているなんて、S60年以前? 今度の台風21号は強いまま海峡西〜日本海を北上しそうですねえ。
予想天気図を見ると必ず青函連絡船遭難に思いを馳せてしまう。
しかし今でもカーフェリー会社は、いつまで走らせようか止めようかを悩む立場に変わりはない。
どうかフネに関わる総ての人々がただただ無事にありますように! ナッチャンreraは短命だったな
ジェットフォイルも消えた
高速船は水の抵抗が大きくてどうしても燃費が凄まじく悪化してしまうので運賃が高くなってしまう
小笠原TSLがぽしゃってしまったのは燃料費高騰のため >>693
水の抵抗が少ない船形そのものはとうの昔に出来てる。
波高が年がら年中変わる海域では高速を発揮できず、投資効果が得られないからだ。 ナッチャンReraは引き波が洒落にならない位凄くて漁業被害出てしまった 高いカネ払って時間を買う需要のない地域、ってことだね。
いまや、青函フェリーがいちばんいいんじゃない? >>693-694
インキャット社製の高速船は、荒れる海には向かないからね。
それでもなんとか高速フェリーをやろうとしたけど、リーマンショックがなぁ…
>>696
それは「ゆにこん」時代の話では? >>697
青函フェリーって最近新しくなったんだっけ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています