青函連絡船6便 [無断転載禁止]©2ch.net
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この人妄想入ってるよね
結局「旅館の番頭さん」の件まともに答えてくれてないし 正論だと思って他レスを真っ向否定する発達の臭いがする
それが嘘だったり >>554
そういう話を聞くための書き込みではなかったんだけどなぁ。
まるで「三等船室全てが第二甲板にある」みたいな>>546の書き込みに対する
「第二甲板以外にも三等船室はあったでしょ」っていう確認のつもりだったのだが…。
これは大事なことだけど、洞爺丸形では「端艇甲板」には船室はなかったよ。
本当に乗ったことがあるなら、知ってて当たり前のことなんだが…。 ここに書き込む諸兄はほとんど、
学生や成人してから専門的な知識も探査吸収しつつ、
乗り船をした経験で語っているのでしょ?
それと幼い頃から小学生位で洞爺丸に乗った経験と
比べるのは無理じゃない?
60年も昔の社会の仕組みは
当時の人しか実感としても語れないし、
歴史として聞き置けば勉強にはなるから。 末期が消防厨房の頃ではあったけど覚えてるものです
十和田摩周八甲田ばかり当たって当時は不運と思ったが青森函館に残って逢えるから今となっては良かった
まだ函館市電の海岸通り線があってニセコ待ちに市電乗り潰したりね 宇高連絡船のホーバーを青函連絡船に転用は不可能
波が荒いのでスカートが破損する危険性が高い
ジェットフォイルがかつてあって1時間40分で結んだが短命だった
ナッチャンReraも短命だったが引き波が強烈すぎて漁業被害が出たのが一因である 八甲田丸や摩周丸の保存に、JR東日本やJR北海道は関わってないの? やー。洞爺丸乗った人の話おもしろいっす。
当時の日雇人夫の日給と乗船するだけの金額が同じってことは
現在だと1万くらいだろうから連絡船乗るだけで1万かかるってわけだ。
俺が最初で最後の連絡船って高校さぼって松前線に乗りたかったんだが
時間的に無理で江差線の途中駅で引き返した思い出が・・・
周遊券の値段が行き帰りの急行券込みで3万行かなかったと
思った。当時は連絡船見納めなはずだが、そんなに人がいたって記憶ないな。今なら葬式鉄がたくさん押し寄せるのだろうが。 連絡船終了後に、一回イベント運航があって
客が1人だけだったって噂聞いた事あるけど
話の出処憶えていないからデマかも ちょっと調べたら
廃止の半年後に復活運航があったのか
列車の接続はしない観光船で夜はホテル!か
当時、話題になった記憶がないけど
この時乗った人、ここにいるのかな 廃止された同年6月から9月まで1日2回運航
この時、一回くらい乗客1人の日があったかも知れないけど
分からない 江差線で折り返した駅思い出した。
わらびたいって駅だったと思う。
夜の便で青森に戻ったが、食堂なんて俺一人だったな。
三平汁と何か名物を食ったな。
その1年後だか2年後に宇高連絡船に乗ったな。
宇野と高松行ったり来たりした。ホバーも乗って食い放題のアイスも
もちろん食った。 大分でホバーの余生に乗った、波しぶきすごかった、空港の陸に上がってからぐるぐる回って遅かった
思えば青函で車運んでたがいつ載せたのやら、5〜6台なら時間はかからんか >>570
ノシ
土日祝は行楽客や青函博がらみの利用者でグリーンを除いてそれなりに埋まってた。
平日1人しか利用者いなかったのって記憶あるけど、夜間のホテル利用者のことで新聞に載ったんだっけかなぁ。
いい場所取ろうと構内からダッシュして乗船口の橋に敷いてる緑色した凸凹マットが滑って大コケしたのも思い出。 >>575
アンコール運航開始と青函博開幕に一ヶ月もギャップがあるからねぇ。
今考えてもやけに早すぎた感があるが、休止期間は三ヶ月以内とか制限があったのかな。 >>575
うわぁ
本当にありがとう
1人乗客のエピソード、記憶違いじゃなかった
でっかい船に1人だけ乗船とか、自分だったら精神的にキツいかも
だとしても、1人だけで乗れたら良い思い出だよなぁ >>578
すまん。
今wikiで調べたが湯ノ岱だな。
遠い記憶の彼方だからごっちゃまぜ。
金も時間も制約ありまくり(今もそうだけど。)だから江差線完乗できないまま廃線になり。本来の目的の松前線も時間で乗れなかった。 3月が熱狂的なお祭り模様だったせいか、アンコール運航はどうしても冷めた扱いが多いんだよね。
年表でも何も触れないとか。
だけど日に2往復便とはいえ各船には正統なクルーが乗り組み、タグや地上要員の皆さんが支えた紛れもない青函航路だったのですよ。
末っ子の十和田丸が回航で大トリを飾ったけれど、別れを告げる涙声はずっと忘れない。
なお、東奥日報1988年9月20日朝刊には、写真との二段ながら回航便出航の光景が掲載されている。
桟橋の光景や乗組員の切ない心情をまとめた秀逸な記事だけど、さすがにバックナンバーは無いだろうなぁ…。 アンコール運航とか復活運航ではなく、正式には「暫定運航」というのだそうだ。 >>582
当時大学生だった自分は復活運航も東京から通いました。JR東3日間乗り放題15000円のE Eきっぷがあったからね。バイト料をつぎ込みました。
6月初めの青函博が始まる前は本当に空いていて、後部桟敷は基本閉鎖していました。
食堂やサロンも売店も普通に営業していたし、シャワーも使えました。
洗面所のカランがカーテンで区切られて、今で言えばシャンプードレッサーみたいに改造されてました。また、案内所で売っていたD型硬券のデザインは変わっていました。
6月3日の1便は出航式があったけれど、ガラガラでした。6月中は空いてて、ブリッジだけでなく、気軽に車両甲板や総括制御室とか見せてくれたし、航行中に船尾扉を開けてくれたりしてくれました。
7月位から船内ツアーって形になってたけど、航行中の船尾扉を開けるのは運輸省に言われてダメになってました。やってた便もありましたが。
羊蹄丸の車両甲板には3月13日22便の黒板がそのままになっていて、清水50t、乗用車◯台(台数は忘れました)、さようなら、と書いてありました。
夜はくつろぎカードで十和田丸も羊蹄丸も泊まりました。企画券で9月18日の最終日まで一斉に売り出したんだけど、1ヶ月前からと思ってる人が多かったのか、あっさり取れたんで、びっくりしました。
9月18日の4便はシャッターが開く前から並んでみどりの窓口に走ってグリーン船室が取れたのは嬉しかった。
回5001便は青森で見送りました。自力で動いている連絡船を見たのはそれが最後でした。ちなみに動いてる連絡船は羊蹄丸の回航が最後です。
長い思い出話ですみませんね。 海峡編成はトンネルで潜ってる場所が表示されたりトンネル壁に残像で絵が出る演出があったが
それすら昔になった、新幹線が逆に遠い存在 北海道新幹線な
あれほど、地元のニーズ無視した交通機関も珍しい >>584
レスありがとうです。
船尾扉半開はRJ誌の1988.09月号の羊蹄丸レポにも紹介されてましたが、指導を食らったとは当時は知りませんでしたね。
貴兄が乗られた最終4便を安方岸壁で待ち受けましたが、旋回すると船尾扉は半開しており明かりが煌々と灯された空の車両甲板が印象に残っています。
「これで最後だから!」で夕凪の陸奥湾を眺めたんだろうな、と想像してました。
この日曜夜も船上ホテルがあって回航が翌日になったのは当地の住民として幸いでした。
待合所のベンチを積み込んだのはそこそこ知られていますが、乗船案内パネルにはきちんと十和田丸の船名と照明が入っていました。
乗客のいない回航でも最期まで函館行きとして送り出す…はなむけと心意気だったのでしょうね。 >>588
新幹線、在来線特急共に中国人が多数
外国人パスが有るから殺到するんだろうな >>590
外国人専用パス廃止
日本人専用パスを作れば良い
高速1000円効果と同じになる。
中国人が増えても日本人客が逆に減るし… >>586
函館駅と青森駅の間の移動が大変になったともいえるからな 青函フェリーは駅から遠いのかな
海を渡った感が渡道のミソだったからトンネルは便利であっけなく > 海を渡った感が渡道のミソだったからトンネルは便利であっけなく
そこを解ってくれる乗り鉄が、年上の人でも減っちまった。
「北斗星」に乗って目が覚めたら北海道!って、「つまんねー」って思ったのは俺だけか?
(実際に乗ってみてつまらなかった)
まだ新幹線と特急で乗り換えながら行った方が楽しかった。
今も北海道に乗り鉄で行くときは、青森と函館で乗り換えすることをマイルールにしてる。
現在だとどうしてもフェリーになっちまう。 青森駅と函館駅からフェリー乗れればな
もう何度目だろうか、この愚痴
後、本線を第三セクターにして、経営分離するのも何なんだろう
鉄道から自動車へ主要交通機関変えるなら、自動車の利便性高める様にするべきだが、それも無い
地方の交通インフラについて、長期的な展望が、まるで感じられない 「日韓トンネル」物流利益は年間2253億円 対馬・壱岐経由で利用・収支予測 日帰り圏拡大 新たな観光需要
最終更新:7/6(金) 0:58
長崎新聞
7/5(木) 12:47配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180705-00000007-nagasaki-l42
韓国から対馬・壱岐を経由して九州へ至る「日韓トンネル」構想について、西南学院大の野田順康(としやす)教授(開発論)が利用・収支予測をまとめた。
物流は年間営業利益を2253億円と試算。
旅客は試算から外したが、「日帰り圏が韓国南部と九州・中国地方に形成され、新たな観光需要が期待される」とした。
野田教授は元国土交通省国土計画局総合計画課長。日韓トンネルの検討もしたという。
今回は日韓トンネル実現九州連絡協議会などから調査依頼を受けた。
2020年着工、30年供用開始と想定し、総貨物輸送量を韓国、ロシア、中国との間の輸送実績から推計した。
国交のない北朝鮮は韓国との人口比などを基に算出。
これに英仏海峡トンネルの利用状況を反映させ、3276万トン、655万TEU(1TEUは20フィートコンテナ1個)とはじいた。
この量を運ぶには鉄道18万両が必要となる。1両当たりの通行料金は英仏トンネルが約45万円のため、距離に比例し約5倍の225万円と設定。
年間収入は4095億円、営業利益は英仏トンネルの利益率を適用し2253億円とそれぞれ見込んだ。
建設に向けた資金調達と返済の方法も検討した。建設費を10兆円と想定。このうち4兆円を出資で賄い、着工3年後と6年後に
それぞれ3兆円ずつ融資(利率1%)を受けることで確保する。
30年の供用開始から元利均等償還すれば35〜50年後に完済すると予想した。
野田教授は「東アジアの平和と安定が実現し、十分な出資とソフトローン(貸し付け条件の緩やかな借款)が供給されれば実現可能」としている。
日韓トンネルは戦前から構想があり、1980年には大林組がユーラシア・ドライブウェイ構想の一環として提唱。
現在は国際ハイウェイ財団(東京)が対馬、壱岐、佐賀県唐津の3市内で調査用斜坑工事を進めている。 >>596
中国と韓国の間に北朝鮮があるだろう
政治的に安定しないと無理 青函連絡船では、いわゆるごろ寝できるじゅうたん席は正式いは「座席」、または「じゅうたん席」、椅子のところは「椅子席」と言っていた。
規程やマニュアルなどもすべてそのようになっており、少なくとも乗組員は桟敷などとは言わない。 所要時間3時間50分だが寝台あったんだな
ただ夜中や早朝に移動とかあって睡眠時間が十分とれなかった? 寝台、通は往復取って、折り返しでは起こさないでもらったものだよ。
折返し便が客扱いしてないとダメだけど。 >>559
>>601
1974年から1988年まで青函連絡船に乗ってきたけど絨毯の
席は桟敷席って言われてたよ。事務長も船内放送で桟敷席と
いう名前で述べてたし、交通公社の北海道時刻表でも青函連絡船
見取り図のページに桟敷席という記述があった(1976年頃)。 >>596
中国の高速道路で、開通と同時に崩壊するダンボール戦機の高速道路という洒落にならない事例があったくらいだからね。
製造技術の未熟さが災いし、開通したと同時に落盤事故でおじゃんになるだろうな? >>604
私も同じ頃青函連絡船に乗務していたが、規程、マニュアルのほか、図面でもじゅうたん席は「座席」となっていた。
ただ、「座席」でわかりにくいこともあったので、そのようなときは「じゅうたん席」と言っていた。
お客さんの間でどう呼んでいたかは知らないが、正式には「座席」が正しい。 グリーン桟敷は指定だから座席なのかな
救命胴衣とか仕切りがいろいろありそう >>609
折角貼ってくれたけど、肝心のところがボケて見えない 一般の旅客の間で「桟敷」という言葉が使われていたというのはともかくとして、
正式名称が「座席」だというのは八甲田丸や摩周丸に行ってみてもわかる
>>600は「朱色5号って何?タラコだろ」って言っているのと似たようなものでは? >>608
グリーン船室、普通船室ともに「座席」と言われていた。 グリーンの座席って何が違ったの?
絨毯がふかふかとか? 椅子よりカーペット座席のが倍位なんだな
寝転べる座席?ばかり使ってた 座席より椅子席のほうが一人あたりの占有面積が大きいってことだね。 グリーン指定席の深く倒れる独立シートは良かったね。
大揺れの際には座敷に寝そべってるより楽だったような。 幸い縦によぉーっと揺れるだけの静かな航海しか知らん
時化の航海は如何だったでしょうか 焼山沖でのぼせるときはピッチングとローリングのまざったような揺れが続き、船首を波に突っ込むと「ドーン」という音と振動、数秒遅れて「ザーッ」とかき上げた波が降ってくる。
30分〜1時間ものぼせたあとに落とすと、揺れが変わる。 >>624
今もカーフェリーならどこでも味わえるよ。
水と鉄の塊がぶつかると、こんなにズシンズシンするかと驚かされますな。
船尾にいると時折プロペラが海面に出てしまい、ブーーン!と空回り音が響くこともある。 【皇室】秋篠宮妃“紀子さま”と“美智子さま”の『異常性』〔心理学悪用編:小室眞子さま〕★2
ICU大学時代、山守さんも小室さんも同じスキー部員だったとの話。
そのスキー部に眞子様もいた事実。
少ない人数のスキー部内で男を、とっかえひっかえの眞子様。
しかも小室さんに乗り換えた後、山守さんも居るスキー部で活動継続。
小室さんに騙されたとかいう風潮は、あまりにもおかしい。
2012年の留学中に英国で知り合ったアジア人や日本人とも関係を持って・・・(以下略)
詳細は、以下のスレッドでどうぞ!!
〔2chのスレッド〕:https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1532735877/
〔記事元〕:http://www.laf.im/yahoo_co_jp-news-20180703 青函航路の場合、海峡部を越えれば何とかなるからな。
陸奥湾に入ったーとか、松前半島の影に入ったーとか
ホッとする瞬間。 ボーイング747の出現で青函連絡船が斜陽化したよな
1980年のダイヤ改正で函館中心から航空機利用による千歳空港を中心としたダイヤに変更された
しかし今度はボーイング747が4発エンジンで燃費が悪くほぼ同一定員で平屋で双発エンジンのボーイング777に置き換えられ国内からは引退して世界的にも減少してる 青函連絡船じゃなくて、鉄道そのものが斜陽化したんだよ。
すでに長距離旅行の手段として、その役目が終わっている。 飛行機に乗りたくない人にとってはやはり鉄道に頼りたいが、近場すらお金かかるようになったのはねえ…。 都市近郊の通勤路線以外は無用の長物。
消え去る運命といったところか? >>633
JRの本音は、新幹線網使っての旅客・貨物輸送、大都市近郊区間、リニア、
関わるのはこれだけにしたいんだよ。
残りは国道バイパス、遊歩道、にでもしとけってね。 >>634
新幹線貨物は、今のところ実現していないのは何故? >>635
大型物資を大量に運べない
貨物輸送により、旅客輸送ダイヤに支障をきたす >>635-636
貨物ターミナルを今から建設しようにも適当な用地が見つからないだろう。
あと、コンテナの規格をどうするか。 青函連絡船は2000円で行けたのに北海道新幹線で高騰してしまったな
運賃が年々高騰している
青春18きっぷオプション券は金額的にフェリーと変わらないが使ってる人いるのか? 安い運賃で昔みたいに上野から寝台特急(はくつる、または、ゆうづる)に乗って、青函連絡船で津軽海峡を渡り、おおぞら、おおとり、北斗で札幌に行きたい。
叶わない願いだけど。 >>638
利用費の高騰=かさむ維持メンテナンス費用って現実問題もあるからなあ。
ならばこそ様々な種別列車を走らせて、誰でもウェルカムって姿勢が欲しいものだが…。 おっさんですが、45年前の今日あたり、初めての北海道旅で急行「八甲田52号」(だったかな)で青森に着き、初めての連絡線に乗船しました。「八甲田丸」でした。思えばこの年が連絡線の輸送人員が最大だったんだな。 往時知ってると、今の青森駅、脱け殻みたいで唖然とする。 青森駅は単なる通過点で、駅周辺の記憶はほとんどないな。
駅には用がなくて、さん橋待合室は泊りも含めてすごく多用させてもらった。
1席ずつに区切られていない長いシートは仮眠に最適、冬は暖房が聞いて暖かく、洗面所もお湯が出て、夏は開け放した窓から潮風が心地よかった。
何便か見送ってのんびりして、その間に普段なじみがない貨物船の入港もゆっくり見られた。 函館さん橋の椅子は1席ずつに区切られたFRPのやつで、しかも夜、2便が出ると待合室を追い出された。 青森は下りて階段上がって右行けば近かった
平成も後になって八甲田丸に再開するんで初めて青森駅出た
函館はニセコ待ちで途中下車したもの >>648
函館って畳敷きのエリアが無かったっけか。記憶違いかも >>648
そうなのか?
おいら函館で一晩過ごしたけど。
たしかに椅子では横になれなかったな。 青森駅の女性待合室は畳敷だったような
函館駅のは記憶にない 青森の桟橋待合室にお土産やさん(キヨスク)とコーヒースタンドあったなあ。
あそこって考えてみると桟橋の先っぽの方でほとんど周りは湾内なんだよね。
暴風雨の時なんかちょっと場所的に怖かった。 いや、青森さん橋の位置は、西側は舟入澗、その先は油槽所、東側は1岸のスペースの先は安方倉庫(その後、最後の時期だけアスパムなど)だったので、まわりが湾内ということはない。 全体的に見れば、しいて突き出していたのは3岸程度だろう。 >>652
時期とか年代で違うのでは?
大昔はターミナル駅で寝泊まり可能だったみたいだし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています