北海道の昔の鉄道の思い出を語ろう7(仮) [無断転載禁止]©2ch.net
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現行スレが荒らしに占拠され、返還されそうにないので立てました。
現行スレが、正常に機能回復するまでの仮スレです。
・バス、航空、自動車等はスレチです。
・新幹線、道内鉄道の予想等はイタチです。
*ご遠慮ください。
詳しいスレ情報は
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1477276259/1
現行スレ
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1477276259/
○尚、荒らし、煽り、釣りには反応しないように
言うまでもなく(例え正論でも)反応したら荒らしと同じです。 本スレに書き込んでる人たちの話題は、我々と論点がチョッと違うから別々のスレで調度いいよ
我々は、このまま仮スレに残ろう 初めて北海道へ上陸したとき
言うまでもなく、青森から連絡船に乗り継いで函館に降り立った時のことだ
うっすら見えてきた島影が、もどかしい程ゆっくりと、徐々にゞにはっきりと視認できるようになり
次第にそれが北海道だと分かると、自分の気持も高揚し言葉にできない感動があった
それは、まったく別格の感動だった
初めて飛行機で北海道へ降り立ったとき
雲の合間から抜け出すと、立体地形図の地図どおりの光景が飛び込んできた
立体地図の道路や線路が徐々に本物に変わり、貨物列車やトラック、クルマが現れてくる
それはそれで感動したものだ
初めて列車で北海道へ上陸したとき
快速「海峡」で長いトンネルから抜け出すと、あっけなく北海道に上陸していた
実に呆気なく、味わいもない、無味無臭な上陸だった
「アレ?上陸しちゃったの?」
これが偽りのない素のままの感想だ
今は新幹せ・・・いや、もう何も言うまい
北海道は、遠くて広い方が良かったなァ・・・ 往路、飛行機で北海道へ行ったときのこと
空港から日高本線に向かうため
南千歳で乗継下車すると前日に上野を発った北斗星が入ってきた
いかにもテツという感じのブタ、っと失礼…恰幅の良いオッサンが降りてきて
北斗星を撮影しつつ見送ると、すぐ様空港行のエアポートに消えていった
北斗星に乗るだけの為に北海道まできて文字通りのとんぼ返りだったらしい
同じ乗り鉄でも価値観が違うと思った まあ、この分野の好き好きは
人の数ほど細分化できるからな >>27
亀だけど興部の駅前には何軒か旅館(民宿)があって その中で北原旅館は国道沿いに移動して今も営業してるんじゃないかな?
10年くらい前に泊まった時は畳部屋で襖 鍵もなく まぁ人ん家感覚だったよ 廃線跡たどってると、ピンクのリボンが木に結ばれてるのをたまに目にする
勝手に熊の出没箇所と思いこんでるけど、あってる? >>72
どこの廃線かわからないけど
廃線跡を他に転用するための(土木関係の)マーキングじゃない? 世田谷線宮の坂辺りの設備にピンクリボン結ばれまくってるの思い出した 烏山線のタラコ色のキハ40がさよならヘッドマークを付けてるのを見たら、昔の北海道の廃線になった路線のお別れ列車を思い出した >>75
天北線のさよなら列車(キハ40)は、まだ記憶に新しいな ちょいスレチだけどスマン
今でこそ首都圏色って
懐かしいとか北海道の雪原に映えるとか、国鉄色でアゲ風潮だけど
当時の評価は、西の末期色の如く最悪だったよな
ちなみにタラコ色という言い方、未だに馴染めないわ 気動車色を楽しみに北海道までやって来たのに、首都圏色ばかりになってた時は凹んだよな…
確かに、末期色くらいのショックはあったね。やれ手抜きだ、品がない、悪趣味だ…ってねw
当時の状況を知ってたら>>80を、ゆとり世代のレスだとは思わないよ>>81ゆとり君w 首都圏色が出てきた頃は
塗り分ける金もない(実際そうだったんだが)
と言われていたくらいだったからな
それに朱一色じゃデザイン的に云々言えるレベルじゃないしな
話は変わるが
滝川ー釧路の長距離鈍行用に気動車色にしても良かったと思う
実際はキハ40に気動車色は存在しなかったとは言え
首都圏色にするくらいなら気動車色にしても良かったと思うな
まさか、それを倒壊がやるとは思わなかったが >>86
それはあるね
上の方にもあったけど、雪原に首都圏色は映えるし、温暖色だから今の時期は見てて乗りたくなるw
けど、朱一色ってのは、やっぱりセンスなさすぎるよ。もうひと工夫あれば良かったのにね もうひと工夫したくない&する余裕がないからあれだったのに >>87
朝>>84で書いたけど、だから末期色と同じってことだよねw >>89
手抜きかどうか
品がないかどうか
悪趣味かどうか
これはもう好みの問題だからなあ だから書いてあるじゃん
>当時の評価は、西の末期色の如く最悪だったよな>>80
って
今の人達が末期色を酷評してるように
当時の人達にとっては末期色と同じなんだから五十歩百歩だよ 北海道といえば定番のキハ22だけど初期型は車内のスピーカーが中央部と両端デッキ上で違っていたな。
内地から転属してきた127は全て金属製JNR
ロゴ入り タラコは導入当初は悪評高かったよ
そのうち慣れたのかあきらめたのかどうでもよくなった 木古内の焼きそば急行の婆様が亡くなったらしい。
寂しいね。 https://twitter.com/horomin777/status/865588107076190209
https://twitter.com/horomin777/status/865764050621218816
https://twitter.com/horomin777/status/866212097394221056
名物焼きそば「急行」閉店 88歳店主、厨房で倒れ死去
6/4(日) 10:23配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170604-00000015-asahi-soci
北海道のJR・道南いさりび鉄道木古内駅そばにあった老舗食堂「駅前飯店急行」の店主垣内キミさんが5月、亡くなった。
直前まで名物の焼きそばを作り続け、厨房(ちゅうぼう)で倒れた。旧国鉄時代や昨年春の北海道新幹線開通など、
木古内のまちの移り変わりを見守った88年の生涯だった。約60年続いた食堂は、垣内さんの死去とともに幕を閉じた。
「駅前飯店急行」は、垣内さんが作る和風味の焼きそばが名物だった。2013年夏までは、JR木古内駅のすぐ前で
開店当時の古い店舗で親しまれてきた。北海道新幹線開業に伴う駅前再開発で立ち退き、同年10月から数百メートル離れた場所に
移転して営業を続けていた。
垣内さんが倒れたのは5月16日。夕刊を読み、午後5時ごろにやってきた男性客に焼きそばを作ったあと「背中が痛い」と言って、
厨房にある丸いすに腰を下ろした。毎日手伝いに来ていた知内町の宮西容子さん(62)に「水が飲みたい」と頼んだ。
宮西さんが湯飲みを取ろうと振り向くと、いすから崩れ落ちるように倒れていたという。
すぐに救急車を呼びドクターヘリで函館の病院に運ばれたが、午後8時過ぎ息を引き取った。大動脈瘤(りゅう)破裂だった。
道東の浜中町出身。旧国鉄時代、松前線と江差線の分岐点だった木古内駅前で始めた店は繁盛した。
「急行でも止まればいいのに」と願いを込めて付けた店名だった。
.
朝日新聞社 かまぼこが入った独特の「おばあちゃんのやきそば」の味が忘れられません。
移転後一度も訪れてなかっただけに悔やまれます。
合掌 たった一度だけ、寒い日に立ち寄った
何を食べたのか、美味しかったのかも覚えてない
何か話したけど、やっぱり覚えてない…30年前…
だけど暖かい一期一会だった・・・
謹んで、お悔やみ申し上げます。 売国奴朝日新聞もたまには良いこと書くじゃねえか。
合掌!! 特急ではなく急行と言うところが
良い意味で素朴な道民らしいな >>106
60年前ってつばめ、はと、かもめの時代で
やっとあさかぜが出来るか出来ないかって頃でしょ?
そりゃさすがに特急は妄想でも無理だよ >>109
娘夫婦がいると何かで見た記憶があるが… チョンの国民病とも云われる火病は間違いなく遺伝する。 新幹線+漁り火の割引きっぷか、新幹線(特急券)で途中下車でも認めなければ、地元客くらいしか期待できそうにないよ >>117
「急行」に限らず、木古内の商業施設すべてに言えることだな
それでも旅行客を飛行機から取り込むことはできないだろう
過疎化が進む地元木古内の客だけでは…なんともし難い…… 『松前』は木古内から先、キハ22の単行で走ってましたね
廃止前は、キハ22,24の3両づつになってました 同じ頃、首都圏じゃ15両編成の急行が肩で風を切っていたよな・・ 観光資源盛り沢山の函館すら寂れてる
なのに、何故か新築マンションは、東京と変わらない価格
中国人などが、定住用以外の用途で買ってるんだろう
日本のマンション価格のバブルが始まっている 新幹線駅ができても札幌へは直接繋がっていないし、東京へ行くなら函館から飛行機の方が安い早い
新幹線が来た事で、むしろ木古内近隣の過疎化が加速 松前<->江差間にバス路線があったね
あれを使えば効率的に回れたけど、時間が合わず使えなかった
バスを使って、江差線、松前線を回った人いない? >>124
1980年くらいに乗り潰しをやっていた頃、それ考えた事あるけどワイド周遊券で
利用出来る国鉄バスではなかったので鉄道で松前線と江差線を走破したよ。 >>124-125
北海道はバスを組み込まないと効率的に周れなかった。
江差=松前なんて、まだいい方で
様似=広尾や雄武=北見枝幸になると、バス使わなかったら途方もない大回りになった。
周遊券持ってても背に腹は代えられず散財したもんだよw 様似=広尾は国鉄バスがあったからバスに乗ったわ
江差=松前は往復で、雄武=北見枝幸は別々で往復したな
知床観光だけバス使ったけど、北海道のバスって高いんだよな 興浜北線(浜頓別〜北見枝幸)と興浜南線(雄武〜興部)を結ぶ宗谷バスは
自分が乗った昭和56年でもバス運賃が2000円くらいかかり、当時の貧乏
学生にしてみたら3日間の食費に相当する額だったけど清水の舞台から
飛び降りたつもりでバス利用して正解だった。
道内ワイド周遊券が利用できた国鉄バスでは様似駅と広尾駅を結ぶ国鉄バスが
有名だったけど、富内線の日高町と根室本戦の十勝清水駅を結ぶ便に釧網本線
標茶駅と根室本戦の厚岸を結ぶ国鉄バスも便利だった。 バスの料金収受箱に千円札をそのまま入れてもいいことを今年初めて知った
てか、路線バスではじめて運賃が千円以上だった 確かに北海道のバス移動は散財だったな
でも乗らないと、とてつもなく遠回りになる
様似から広尾なんて、石勝線開通前は岩見沢、滝川まで行くことになるから時間の散財の方が痛かった 補足
日高町、十勝清水のバス路線があったな(失念スマソ) あんまりバスバス言ってると難癖つけられそうだが
そのルートなら石勝線ができた後でもバス乗るわw 日高の行政は、その現実の上に胡座描いていたから、今とんでもない事になっている。学べよ、バカ公務員。はるみもな。 国鉄も腹黒政治家の我田引水に振り回されないで、様似ー広尾間を繋げていれば…
道南と道東を直結するルートがないから、短絡線として需要あったかも
同地域を移動するには、今も昔も札幌(道央)へ寄らなければならずボトルネックになってる 短絡線にしては、日高本線も南下しすぎではあるけどね
途中送信スマン 国鉄バス→JRバスも今は札幌圏と深名線代替バスを除くと
日高地区ぐらいしかないな >>137
全通していたら短絡線というより観光路線としての需要が期待できたかも
帯広からも襟裳へアプローチ出来るのはメリットあったんじゃないかな
ただ襟裳って道内の他の観光地と比べると・・・ 東京や大阪、名古屋といった大都市を通過する在来線の列車 赤字ローカル線建設含め自治体地方交付税交付金漬けの国家政策に帰結する訳だが 民間の資本に頼れない時点で、お荷物の押し付け合いが始まってるな >>140
日高本線と繋げて、帯広、様似、札幌間で観光列車を走らせる
愛国から幸福では、カップルを対象にした車両で両駅間を往復
富良野線や釧網本線くらいにはなってなかっただろうか…? 将来ロシアに占領されて広軌敷きまくられたり
その昔、北海道は日本領じゃったのだよ・・・ 北海道を手に入れられなかったのは
スターリンの誤算
それでも
終戦間際に、千島と樺太の全域を占領したのは
流石だと思う
因みに南樺太は標準軌に変えられている
以前はキハの旧車が運行していたが、現在はどうなんだろう ____
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/ ⌒ ⌒ \ 何言ってんだこいつ?
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 ̄ \__、(“二) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l二二l二二 _|_|__| 北浜駅の貝殻付き入場券、今でも大切に保存して
あるけどそろそろ硬券は劣化してる 札幌と帯広池田が同じ国で良かったねとか>>149絡みネタはたまに 夕張、新夕張、大夕張炭山、大夕張、南大夕張、夕張本町 小幌駅に屋台でてた
チョコバナナとおでん食ってきた 千歳線豊平川鉄橋端の雪捨て場が消えたようだが全体的に消えてるの?
高齢化か雪乗せっぱなし屋根の家増えてたのは時代の変化を感じる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています